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2011年12月31日
お正月は文化放送の落語番組で初笑い!
今年一年、「落語の蔵」および「浜松町かもめ亭」「人形町らくだ亭」を御贔屓たまわりまして、まことに有り難うございました。来年もかわらずのお付き合いをお願いいたします。
今回はこの場をお借りしまして、文化放送の【お正月落語放送】の告知を申し上げます。
1月1日(日)午前6時~6時40分
「志の輔ラジオ 落語DEデート」
ゲスト・池波志乃
落語・「幾代餅」古今亭志ん朝
1月1日(日)午前7時~7時30分
「大正製薬 天下たい平 落語はやおき亭」
落語・「正月の唄」初代林家三平(1966年口演)
このほか林家あずみ(たい平門人。初代三平の曾孫弟子)の端唄演奏などをお届けします。
1月1日(日)午後1時~2時
【特別番組】「初笑い!浜松町かもめ亭 桂吉坊の会」
出演・桂吉坊・吉田涙子アナウンサー
2011年10月に開催されました『平成23年度文化庁芸術祭参加公演 「浜松町かもめ亭・桂吉坊の会」』の模様をたっぷりと放送いたします。
落語・「狐芝居」(作・小佐田定雄)をノーカットで。吉坊口演「崇徳院」と松尾貴史口演「くっしゃみ講釈」をダイジェストでオンエア。リスナープレゼントもあり、盛りだくさんの内容です!(秋田放送、北陸放送、福井放送、山陽放送、山口放送、西日本放送、高知放送でもネット放送があります。ただし放送日は局によって違います)
ダイヤルは1134。インターネットでのradikoでも聴くことが出来ます。
お正月は文化放送の落語でお楽しみください!
それではみなさま、どうぞよいお年を!
文化放送 落語番組スタッフ一同より
投稿者 落語 : 18:44
2011年12月30日
石井徹也の「らくご聴いたまま」 12月下席号
はやいもので今年もあと数時間。みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の12月下席号をお送りします。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、本年の末尾をかざるレポートをお楽しみください。
※ブログ管理上の都合により、更新日が「30日」になっていますが、実際には大晦日の19時過ぎにアップをしています。
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◆12月21日 上野鈴本演芸場年末特別興行「年の瀬に『芝浜』を聴く会」(上野
鈴本演芸場)
和楽社中/左龍『肥瓶』/燕路『辰巳の辻占』/紫文/白酒『四段目』//~仲入り~//
ダーク広和/ロケット団/たい平『芝浜』
★たい平師匠『芝浜』
情の強い『芝浜』である。魚勝が「夢だ」と言われての狼狽。かみさんの告白の直情
さ。共に直情故の嘘の無さを感じる半面、特にかみさんの告白は感情がベッタリと裏
に張り付き過ぎていて、落語としては些か息苦しい(その意味では家元的な『芝浜』
である)。魚勝が拾った金を自分の物にしようとする件や「夢だ」と騙されて納得す
る件は「笑い」が小道具として上手く配置されていて愉しく聞けるが、かみさんの告
白は心理の緩急が無く、些か聞きダレがする。告白の前に、勝が酒で駄目になってい
る魚熊の家に融通をしてくる、そして熊のかみさんが「店の若い方に」と礼に持って
来た酒が勝の許した後に活かされる演出は面白い。この「かつての自分のような境遇
の魚熊」と「苦しい中、お礼に酒を持ってくる熊のかみさん」をもう少し、かみさん
の告白以降も夫婦の遣り取りに活かせないかな?
◆12月21日 落語協会特選会第49回柳家小里んの会(池袋演芸場)
小里ん『垂乳根』/麟太郎『御神酒徳利』//~仲入り~//小里ん『三枚起請』
★小里ん『三枚起請』
前半が非常に面白く、三馬鹿トリオが吉原の茶屋に着いてから少しテンションが落ち
た。茶屋の女将と喜瀬川、女二人の登場が気になったのかな。一番若い若旦那亥之さ
んの喜瀬川に対する馬鹿な惚れ方が、セリフと起請の入っている懐を押さえる形から
如実に分かるのが愉しい。それでいて騙されたと分かると諦めの早いとこが若旦那ら
しい青さで可笑しい。棟梁は一番歳上で態度も立派だが、実は内心忸怩たる物があ
り、喜瀬川への未練も強いのが感じられるのが面白い。清公は中間の年齢だけれど如
何にもトッポい。この明確な三者三様の遣り取りがが無言を巧く使った仕種の鮮やか
さと(明らかに目白の小さん師の動き)、セリフの的確さで浮かび上がるから、二乗の
効果となって無闇と面白い。茶屋の女将は余り出てこないが、暢気な雰囲気で可笑し
い。喜瀬川が来る前、三人が繰り広げる馬鹿な遣り取りがイマイチ盛り上がらなかた
のは不思議。喜瀬川は二階に聞かせるわざとらしい挨拶などしないから、成る程三人
が惚れるのも分かる可愛さがある。部屋に入ってから棟梁に対する態度は「女房」
で、「反故っ紙を使ってるんだね」と喜ぶ辺りは世話女房の甘味がある。この辺りが
女郎の手管過ぎないのが落語らしくて良い。二人が現れてからの遣り取りも喜瀬川が
キッとなりすぎず、棟梁も太腹中を見せるので、芝居になり過ぎずにピタッと句読点
を打った感じだ。
★小里ん師匠『垂乳根』
前座噺を優れた腕前の真打が、セリフの的確な心持表現、見事に決まった仕種で、
ちゃんと演じると非常に面白くなるというお手本。今夜は特にお千代さんの科白と仕
種が抜群。
◆12月22日 上野鈴本年末特別興行「年の瀬に『芝浜』を聴く会」(上野鈴本演
芸場)
きょう介『子褒め』/一之輔『初天神』/ホームラン/燕路『垂乳根』/玉の輔『宗論』
/ダーク広和/一朝『蛙茶番』//~仲入り~//紫文/左龍『棒鱈』/正楽/正蔵『芝浜』
★正蔵師匠『芝浜』
一年ぶりの演目。キーが高めなので夫婦像が若く、魚勝が一寸間抜けに見えるのは三
代目三木助師の魚勝に甚兵衛さんの香りがあるのに似ている。また、仕種全体にキレ
と綺麗さが飛び抜けてきたのは確かで、それが丁寧な言葉使いと相俟って、魚屋とし
ての意気の良さ、優れた職人性を醸し出している。大家が「彼奴なら(夢だといって
も)大丈夫だ」というのも分かるし、その雰囲気がサゲの「よそ、また夢になるとい
けね」にも繋がっている。「夜逃げするか?」とは言っても「死のうか」なんて言わ
ないので、落語らしさを失わない。かみさんが飽くまで可愛く、最後の酒も大家さん
が「今の勝なら、もう大丈夫だ」と初春用に持ってきてくれた演出で「機嫌を直して
貰おうと思って」をカットしたのも、かみさんの可愛さを増している。陰にした大家
さんの使い方が巧いのである。そういう夫婦だから、落語らしい中に清澄感のあるの
が独特。先輩師匠方から残っているセリフや情景描写でカットしたい言葉がまだ幾つ
かあるのが課題か。
◆12月22日 第39回人形町らくだ亭(日本橋劇場)
さん坊『六銭小僧』/圓十郎『目薬』/さん喬『笠碁』/金馬『大仏餅』//~仲入り~
//雲助『夢金』
★雲助師匠『夢金』
非常にテンポが良く、全体の輪郭も高座に嵌まっていた。芝居になり過ぎず、また
「描写がどうこう」といった瑣末な表現ではなく、船頭熊のキャラクター(自然な愛
嬌)が活き活きと躍動する、軽快なピカレスク落語として面白かった。
★金馬師匠『大仏餅』
稲荷町型だろうか。近江屋十兵衛が稍ガサガサしたキャラクターではあるが、神谷幸
右衛門親子も明るく、乞食の脚を洗うのを嫌がる丁稚まで含めて、登場人物と噺全体
が明るい。従って、黒門町所演のように、聞いているうちに悲しく落ち込んだりはせ
ずに済むのは有難い。
★さん喬師匠『笠碁』
基本は目白の小さん師型だが、私は美濃屋の猫とばっかり話をしてるかみさんの存在
が何とも隠居二人の孤独を際立たせ乍ら、突き放さない緩衝剤として面白い。会話で
サゲをつけないのも分かるが、「待とうか?」で終わって無言で石を打ち合う現行演
出でなく、「待とうか?」「それも待った」など、会話でサゲになっても良いと思
う。
★圓十郎師匠『目薬』
プクプクしてるから、馬鹿馬鹿しさが浮かないのと、かみさんが可愛らしいのが可笑
しい。先代歌奴師型の可愛いお崎さんの『厩火事』とか似合いそう。
◆12月23日 立川談春独演会「がん撲滅チャリティ“医と可笑し”」(浅草公会
堂)
談春『元帳』/畠清彦「講演」//~仲入り~//談春『明烏』
★談春師匠『元帳』
甘えてる亭主の可笑しさは可笑しいのだけれど、蛇足になる感情過多が夫婦の遣り取
りにあるのを感じる。漫画家・西原理恵子の名言「男はいつも三等賞」と相いれない
プライドかな。
★談春師匠『明烏』
客席に落語馴れない人が多いのを意識してか、割と解説的なセリフを多用した。源兵
衛・太助のコンビは町内の札付きらしい性質の悪さと品の悪さがありつつ、何処か間
抜けな所があって、そのバランスが良く、可笑しさは今までに聞いた談春明烏で一
番。時次郎も異常な堅物で自分の言葉なんか無い厄介な若者、テンションだけ高い幼
稚な草食系オタク男子で、セリフの一つ一つが可笑しい。「源兵衛さん、見栄の場所
でそのセリフは野暮ですよ」と時次郎が最後に言うのは談春師では初めて聞いた。お
茶屋の女将や仲居たちが時次郎の傍若無人な無知に巻き込まれて変になっちゃうのも
可笑しく、「花魁の部屋に連れて行かれるもんならやってみろ」と居直った時次郎と
遣り手の戦いで、遣り手の言う「さあさあ皆さん、お許しが出ましたよ」にも爆笑。
ギャグ明烏として、談春師のこの噺としては一番可笑しい出来。
◆12月24日 第7回銀座山野亭落語会“年忘れ落語祭”第一部「雲助・喜多八二
人会」(銀座山野楽器本店7Fホール)
朝呂久『浮世床・講釈本』/喜多八『やかん舐め』/雲助『辰巳の辻占』//~仲入り~
//喜多八『短命』雲助『幾代餅』
★雲助師匠『辰巳の辻占』
寄席で演じている時より、お花や若旦那の表情が活き活きとして、噺のシニカルな可
笑しさが強調され非常に面白かった。
★雲助師匠『幾代餅』
親方をはじめ、登場人物全体に馬鹿馬鹿しさが背景にある分、人情噺でなく、廓噺の
一作としての面白味が出ていた。
★喜多八師匠『やかん舐め』
侍のテンションの高い怒り方と困り方、陰に扱われる可内の馬鹿笑いが目に浮かぶ可
笑しさ、癪の治った内儀が妙に色っぽい所、その中で女中の健気さが引き締め役の香
辛料となっている点など、総合的にみて小三治師より遥かに面白い。
★喜多八師匠『短命』
終盤を完全にパントマイムにしてしまい、忙しないパントマイムの中で、隠居が八五
郎に「短命の理由」を耳打ちして具体的に教える。相変わらずサゲは茶碗を手に取ら
ずかみさんの顔を呆然と見つめた八五郎の呟き。ギャグ沢山ではないが、頗る可笑し
い(但し録音には向かないなぁ)。
◆12月24日 第10回大手町落語会「師走特別企画~落・芸・会」(日経ホール)
桃太郎『善哉公社』/さん喬『掛取萬歳//~仲入り~//鯉昇『イスラム甘味そば』/権
太楼『芝浜』
★権太楼師匠『芝浜』
先代馬生師⇒圓窓師経由の『芝浜』だったのか。三田落語会で夫婦に志ん生師とおり
んさんを感じたのは、そういう経緯からかもしれない。前半のかみさんの「別れてお
くれ」と熊の「おめぇがいないと人でなくなっちまう」、告白の後のかみさんの「離
縁されても仕方ない」など、三田落語会ではあった幾つかのセリフが無かったが、あ
る意味、「芝居臭さ」が更に取れて、職人夫婦噺としてはグレードアップ。家元的な
「夫婦愛噺」ではなく「夫婦ってものの噺」なんだね。だからその分、噺が感情的に
脂濃くならないのだ。惜しむらくは、会場が広くて、三田落語会の密度には及ばぬ点
あり。
★さん喬師匠『掛取萬歳』
狂歌・義太夫・芝居・喧嘩・萬歳の順。終盤の萬歳は少し短め。義太夫の件で八五郎
が言う口三味線の「デンッ!」と、芝居で近江八景の和歌の代わりに「松の木小唄」
を使ったのに私はバカ受け。
★鯉昇師匠『イスラム甘味そば』
益々異化が進み、最初のそば屋はイスラム系のハーフになり、「好きな甘味はココ
ナッツミルク」がサゲへ繋がるという、突然変異種みたいな落語になってきた(笑)。
その中で最初の客が「その角を曲がったとこに、うどんよる太い蕎麦を出すそば屋が
いる」と二番目のそば屋の伏線を丁寧に張ってるのが妙に可笑しい。
★桃太郎師匠『善哉公社』
マクラが長かったが、本題は小南師型をフワフワと。笑いを生み出す仕種以外には余
り気を使ってないのが桃太郎師らしい。
◆12月24日 第7回銀座山野亭落語会“年忘れ落語祭”第三部「春風亭一朝一門
会」(銀座山野楽器本店7Fホール)
朝呂久『幇間腹』/朝也『崇徳院』/一朝『妾馬』//~仲入り~//一之輔『らくだ
(上)』
★一朝師匠『妾馬』
全体の面白さが図抜けているは勿論だけれど、八五郎が高座にいるお鶴の方へ向かい
かけると、その袖を三太夫が「無礼者」と掴んで止める。八五郎が「何をすんでぇ」
と払う。この一瞬の動きで身分の隔たりがクッキリと出る。それが八五郎の酔っての
涙に繋がるが説明はせず、涙の後に八五郎らしい笑いをちゃんと入れるから、場面が
ウジウジしない。やはり、誰も及ばない『妾馬』のスタンダード。志ん生師以来の
『妾馬』だろう。
★一之輔さん『らくだ(上)』
前半だけにしては如何にも長い。静かに脅かす兄貴分と、それに対する屑屋の怖々し
たリアクションは家元型の面白い変化形だが、リアクションの息が常間なので、言葉
以上の可笑しさにはならないのが惜しまれる。屑屋の愚痴になると、雰囲気がマジに
なり過ぎて客席が冷めるのも課題だろう。屑屋ほど呑みっぷりが良くないとはいえ、
兄貴分が一向に酔わないのにも違和感あり。長屋の連中の自然な貧乏人ぶりや大家の
因業ぶりは描けている。絶叫落語ではないのは良いが、もう少しキャラクターの違い
を活かしたメリハリが欲しい。
★朝也さん『崇徳院』
柳朝師の『崇徳院』と似ていて、展開の可笑しさ任せで、八五郎のキャラクターが
立っておらず、若旦那の弱り方も可笑し味が足りない。
◆12月25日 第7回銀座山野亭落語会“年忘れ落語祭”二日目第一部「柳亭市
馬・桂平治二人会」(銀座山野楽器7Fホール)
きょう介『子褒め』/市馬『粗忽の釘(下)』/平治『幽霊の辻』//~仲入り~//
※仲入りまで聴いて『文左衛門倉庫』へ
★市馬師匠『粗忽の釘(下)』
序盤でトチッたせいか、些か平坦な出来に終始した感じ。テンションが下がった訳で
はないけれど、今年の市馬師には時々、ストンと面白さの消える高座が幾つかあった
のは気になる。
★平治師匠『幽霊の辻』
ほぼ権太楼師のままだが、茶店の婆さんに関しては権太楼師と平治師のテンションが
ごっちゃになっていて、可笑しさがまだまとまっていない。一方、主人公はドスが妙
に利いているため、恐がるリアクションに至るまでの可笑しさが跳ねきらない。もっ
と平治師の「色」で聞きたい。
◆12月25日 第回文左衛門倉庫「X‘masスペシャル」(ことぶ季亭)
つる子『子褒め』/文左衛門『居残り(上)』/菊之丞『二番煎じ』//~仲入り~//文左
衛門・菊之丞「アンケート読み」/文左衛門『青菜』
※私事のため、『青菜』は植木屋が屋敷を出た所までしか聞けずに残念。
★文左衛門師匠『居残り(上)』
ネタ卸しらしく、如何にも長いんだけれど、ヴァイタリティ溢れる可笑しさで、この
世代の『居残り』では抜群の出来だった。(上)というのは紅梅さんとこの勝っつぁ
んの座敷で「高砂や」を歌う辺りまでを演じたから。居残り(名前は言わない)が如何
にもいけしゃあしゃあとして自信満々なのに、何とも言えない色気と可愛らしさが
あって、傲慢や意気がりの感じにならない。だから、紅梅さんとこの勝っつぁんを乗
せるお世辞も嫌らしくなけりゃ、「矢鱈と熱弁を奮う詐欺師の卑しさ」や「無理をし
て意気がっている感じ」が全くしないのはステキに愉しい。真矢みき主演の『How
To Succeed』の主人公フィンチみたいなんである。品川へ出掛ける前や
女郎屋の部屋で仲間と話をしている雰囲気も「プロの居残り」ではない。「胸を患っ
ていて転地療養する」のセリフはあるけれど、それも『幕末太陽伝』的に噺へ蔭を射
すほどではない。全体に明るいのも真に結構。居残りを始めた直後に「十三番さんの
台の物、上がったよ。なまものがいかれちゃうよ」という帳場の声を聞いた居残りが
部屋からヌッと出てきて、襷を掛けて働き出す短い場面があり、ここのヴァイタリ
ティが素晴らしい。圓生師型かな?というセリフもあれば、小満ん師型かな?という
件もある。志ん朝師?という雰囲気もあって、誰の『居残り』が原型かは不明だけれ
ども。兎に角、全体にヴァイタリティ溢れ乍ら酒脱で、躍動する軽みがあるのは凄
い。
★菊之丞師匠『二番煎じ』
文左衛門師のリクエストとのこと。志ん朝師型だろう。寄席サイズに近いが、元から
脚の速い芸風だからね。トントン運んで停滞しないのも志ん朝師的だが、見回りの侍
は志ん朝師のように卑しくない(あの侍は志ん朝師唯一の「卑しい役」である)。旦
那連中の夜回りから、寒夜の雰囲気は余り感じないけれど、ワイワイガヤガヤと年寄
りたちが楽しんでいる雰囲気はクッキリと出ていて愉しい。夜回りの最中も、番小屋
に戻ってからも、月番が矢鱈と見回りの侍などに気を使う「口喧しい仕切り屋」なの
が似合い、その指図に全然従わないおじさん連中の暢気さも個々に愉しく描かれてい
る。口調が稍忙くので、一朝師の『二番煎じ』のようなホッコリ感はないが、落語ら
しい「いい加減さ」があるのは頼もしい。その中で都々逸の調子など、邦楽の素養が
巧く味付けとして活かされている。『景清』『明烏』『愛宕山』などの黒門町ネタよ
り、『らくだ』や『二番煎じ』の方が魅力を発揮出来るのは、芸の骨格の太さを感じ
させるものだ。
◆12月26日 ~白談春2011~「談春この一席2011リクエストN0.1&
2」昼の部(青山劇場)
談春『居残り佐平次』//~仲入り~//談春『芝浜』
★談春師匠『居残り佐平次』
マクラから70分。この佐平次は根っからプロの居残り屋で、序盤の四人組も友達で
はなく、品川で登楼するために利用した連中なら、「オフクロに金を渡して」なんて
事も言わない一匹狼。廓の客との対応も、幇間に似て幇間にあらずで、客心理を見事
に掴んだ対応だし、最後の主人相手の芝居掛かりの辺りも手慣れた騙りである。その
分、騙られる妓夫や客の間抜けさが実に可笑しい。斯く斯様に構成的には素晴らしく
良く出来た『居残り』で舌を巻いた。但し、これは多分に談春師の性格の反映だと思
われるが、佐平次が一生懸命過ぎて聞いていて肩が凝る。黒門町の幇間などに共通す
る弱味で、人物造形に遊びや余裕が無いため、主人公自身がイマイチ、落語的に馬鹿
馬鹿しくならない。構成通りに演じてはいても、昨日ネタ卸しした文左衛門師の居残
りの平然たる不真面目さと色気、落語らしい洒脱さや志ん朝師の『付き馬』の騙りの
面白味に乏しい。言えば、『ニッポン無責任時代』で植木等が演じた主人公・平均に
敵わないのである。一生懸命が魅力になるのは素人で、佐平次はプロの騙りなんだか
ら(家元の真面目さとロマンチストぶりを一番引き継いでいるのは談春師だと思うが、
真面目さは落語の邪魔になる)。
★談春師匠『芝浜』
志ん生師⇒先代馬生師の古今亭型同様、浜での描写は無く、直ぐに勝が戻ってくる。
勝は意気がっている酒呑みで、明らかにすっとこどっこいな落語国の跳ねっ返り。庖
丁を磨き、盤台に水を張っておく(メソついた優等生)貧乏慣れした真面目なかみさん
とは好対照であるのを感じる。但し、「割れ鍋に閉じ蓋」の雰囲気はない。全体に会
場の大きさに合わせてだろう、かなりの大芝居だが、鬱陶しい人情噺臭さは感じない
し、突拍子もなく可笑しなセリフもかなりある。半面、終盤で女房の告白と勝のセリ
フを聞いていると、何か食い違っている夫婦であるのを感じる。このかみさんは勝に
惚れていないんじゃないかなァ。一方、勝の「許してやる」は男の意気がりの一種だ
ろうが、『替り目』のようなネタバラシの無いままサゲになるから、噺の展開として
は「お局好み」という印象を禁じ得ない。家元から受け継いだロマンティシズムの面
も、会場に流れたさだまさしのように妙にこそばゆく、『関白宣言』を初めて聞いて
「日本の女はこんな男がいいのか」と(韓流ドラマの主人公の原型みたいなものだ)
呆れ返った学生時代を思い出す。結果的に、勝とかみさんの夫婦関係がどうも嘘くさ
いのである。この勝は呑めば呑んだくれに戻る男で、それがサゲでまともな事を言い
出しちゃうのも鼻白む。「ガキが大人になった」とも言えるが、最後で優等生に変身
されて裏切られた感じが残るのだ。喬太郎師の『マイノリ』から感じる「俺たちゃ結
局、幾つになってもガキだな」という共感は感じない。女性に受けないと人気は出な
いから仕方ないが、どうしても後味が甘ったるく、野暮になっちゃうんだな。
※今日の会は物凄く、志の輔師のPARCO公演などに近い「イベント落語会」の雰
囲気を強く感じた。「寄席落語家」「独演会落語家」「タレント落語家」の他に「イ
ベント落語家」というタイプも定着するのかな?
◆12月26日 新宿末廣亭夜席
美智・美都/左橋『元帳』/さん喬『掛取風景(狂歌・義太夫・芝居)』//~仲入り~//
〆治『初天神(飴と団子)』/ロケット団/才賀『台東区の老人たち』/小里ん『天災』/
仙三郎社中/今松『火事息子』
★今松師匠『火事息子』
淡々とした高座だが、梯子の上で怖がる番頭の背中を臥煙になった若旦那がドンッと
ついて、番頭の体が宙に踊る瞬間、「危ないっ!」と思わせたキレと、台所で土下座
をしていた若旦那が「ご無沙汰を致しております」と親旦那に挨拶した瞬間の清廉な
二枚目ぶりは、かつて誰の『火事息子』からも感じた事のない優れた表現だった。全
体的に、もう少し面白味があると良いのだが…
※上野鈴本演芸場「年末特別興行」へ向かったが、「立ち見」でしか入れず、諦めた
チケットを放棄。新宿少し時間潰しをして、末廣亭へ向かった。
◆12月27日 新宿末廣亭昼席
笑組/勢朝『袈裟御前』/正蔵『読書の時間』/ペペ桜井/市馬『掛取り』//~仲入り~
//扇好『のっぺらぼう』/ゆめじうたじ/南喬『子褒め』/若圓歌『漫談』/勝丸/小團
治『茶の湯』
★市馬師匠『掛取風景』
狂歌と相撲のみだが、明るく気楽に愉しい。
★南喬師匠『子褒め』
落語らしくて真に結構である。
★扇好師匠『のっぺらぼう』
悪くないが、のっぺらぼうの顔表現に柳之助師のような工夫が欲しい。
◆12月27日 新宿末廣亭夜席
駒松『狸の札』/司(交互出演)『加賀の千代』/ホンキートンク/吉窓『半分垢』/丈二
『牛褒め』/紫文/左龍『初天神』/菊龍『籠医者』/美智美都/左橋『壺算』/さん喬
『棒鱈』//~仲入り~//才賀『台東区の老人たち』/ロケット団/〆治『尻餅』/小里
ん『煮賣屋』/仙三郎社中/今松『風の神送り』
★今松師匠『風の神送り』
昨年は年末の今松師末廣亭夜席主任に来れなかったから聞いていないが、三年前、一
昨年、今年と年末主任でこの噺を聞いた事になる。余程、この噺が好きなのかな。噺
の運びは明らかに米朝師型だが、吝嗇な大店への憂さ晴らしを町内の若い衆がすると
いう、受ける件を省く辺りが今松師らしい。過去二回と比べても、今夜のお客にはよ
く受けていたし、仮名しかかけない奴が奉加帳を書く件は、確か今までよりもにホン
ワカと可笑しかった。以前から思っているのだが、最後、風の神の人形が夜網に掛か
る件は、ちゃんと上方風に鳴り物を入れた方が良いと思うのだが…。
★さん喬師匠『棒鱈』
年中演じている十八番で、構成の巧さは今更言うまでもない。とはいえ、頭の芋蛸の
煮物や鯛の塩焼きの件は無かったけれど、今夜は酔っ払いの適度な苛立ちや憤り、田
舎侍の張りのあるマンガ的描き方と揃って、久し振りに非常に出来の良い『棒鱈』で
正しく「堪能」した。
◆12月28日 年忘れ市馬落語集(なかのZERO大ホール)
一之輔『加賀の千代』/市馬『うどん屋』/三三『質屋蔵』/白酒『幾代餅』//~仲入
り~//昭和歌謡大全集(ゲスト・桃太郎)
★白酒師匠『幾代餅』
先代馬生師と志ん朝師の演出を忖度して工夫を加え、この噺を人情噺でなく、『M
R.CINDERS』的な恋愛コメディ系落語に引き戻した白酒師の功績は長く評価
されて然るべきものだろう。「古今亭はこうじゃなきゃ」という愉しさが漫喫出来
る。
★三三師匠『質屋蔵』
定吉の芋羊羹ねだりをカットしたとはいえ、この尺でこの噺を演れるストーリーテリ
ングには舌を巻く。
★市馬師匠『うどん屋』
酔っ払いがひたすら好人物である所が市馬師らしいのが長所であり、うどん屋の客商
売職人らしさがイマイチであるのが(武骨な可愛らしさが欲しい)、結果、噺の「焦
点」がハッキリしないのが短所である。最後にうどん屋が呼ばれてグーッと前に出る
動きなどステキな魅力があるから、ま、後は年輪なのかな。
★一之輔さん『加賀の千代』
会場が広い分、稍絶叫落語っぽくなるが、甚兵衛さんの傍若無人ぶりは可笑しい。
★昭和歌謡大全集
「歌謡浪曲」⇒「裕次郎(ここの2曲は桃太郎師)」⇒「昭和20年代半ば&30年代
初頭」という曲構成で、後半は亡くなった白山雅一先生の十八番集にもなり、藤山一
郎の『丘は花盛り』から『東京音頭』で締めた。この「大衆芸能的な構成」は見事な
ものだと感心する。歌に関しては、伊藤伊佐緒、若山あきらの男臭さから三浦洸一の
叙情まで唄えるのは当然乍ら、ファルセットとはいえ淡谷のり子を唄えたのには驚い
た。半面、意外とドスの利かない声なのかな?とも感じた。ドスの点では『喜びも悲
しみも幾歳月』が一番しっくり来る。とはいえ、大衆芸能的気楽さを落語の中に屈託
なく構築出来る市馬師ならではの強さが、得意とする昭和歌謡の長閑さ・明朗さと繋
がるのを感じる。市馬師は「平成を生きる昭和の噺家」なのだ。こういうイベントを
行っても、マスメディアの制作する「イベント臭さ」が無く、「取り敢えず、みんな
副会長に従う」という大きさは他の噺家さんには一寸無い。しかも、「カリスマ」で
はなく「リーダー」なのが凄いなァ。
※市馬師の歌を訊き乍ら、来年の一周忌に、家元を追悼して「ランベス・ウォーク」
(野暮な東宝版でなく、宝塚版の歌詞で)を唄ってくる噺家さんは誰かいないものか
なァ、と思っていた。市馬師の声質なら唄えるけれど、市馬師は洋楽、ましてミュー
ジカルの曲は唄わないだろうし、家元の一門でも「ランベス・ウォーク」の歌詞を
知ってるのは一人くらいしかいないだろうし。
◆12月29日 新宿末廣亭恒例年忘れ余一会昼の部「入船亭扇遊・春風亭正朝二人
会」(新宿末廣亭)
朝呂久『間抜け泥』/一之輔『粗忽の釘(下)』/扇遊『寝床』/正朝『黄金餅』//~仲
入り~//鏡味仙三・仙花/正朝『紀州』/扇遊『線香の立切れ』
★扇遊師匠『寝床』
スラスラッと聞けてしまうのだが、山が掛からない弱味もあり、印象に残りにくい。
★扇遊師匠『立切れ』
勿論、扇橋師型で「情」のある演出だが、まだ上なぞりの感がある。「こんな逆様み
ようとは思いませんでした」が滲みてこないんだな。色気はあるし、綺麗な、二枚目
らしい芸なんだけど、芸の浮き沈みを経ていないひよわさがある。
★正朝師匠『黄金餅』
変に理屈っぽくなく、この噺らしい可笑しさは金兵衛の軽さの中に描かれている。下
品じゃないし、粗野でもなく、サラリと楽しめる。不思議なのは、全体が今一つ明る
くないこと。
◆12月30日 第三回桃月庵白酒独演会(シアター711)
白酒「御挨拶」/扇『牛褒め』/白酒『新版三十石』~『火焔太鼓』//~仲入り~//白
酒『富久』
★白酒師匠『新版三十石』
本当にくっだらなさに徹底していて愉しい。しかも、小沼猫蔵先生のいけしゃあしゃ
あとした、優れた人物造型が本当に板についたなァ。実はチラッとシニカルなのが味
付けになってるのも結構。
★白酒師匠『火焔太鼓』
夫婦噺としての可笑しさに関する工夫については、古今亭系でも図抜けている。志ん
生師の『火焔太鼓』と比べても、決して異質・異物なのではなく、「夫婦爆笑噺」と
して進化をさせている。その意味では、志ん生師・志ん朝師の呪縛にとらわれず、古
今亭大本道を行く愉しさである。
※さん喬師が『火焔太鼓』のネタ卸しで、夫婦像を柳家的に変えて可笑しくしたのも
進化論としては正しいのだ。白酒師以前の古今亭系は志ん生師・志ん朝師の呪縛から
逃れられていないという事か。権太楼師の『火焔太鼓』(先代柳朝師系になるが)や白
鳥師の『火焔太鼓』という進化形も、もっと見直されて然るべきだろう。
★白酒師匠『富久』
『火焔太鼓』に続いて大金の入る目出度い噺でシメ。今年秋以降の演出変更が中心だ
が、最後の三軒町(今の寿町)の頭と久蔵の遣り取りに更に手を加え、「大神宮」と
訊いて久蔵の声が二枚目声に変わり、稍凶暴になって(笑)頭に食ってかかる件が増
えて可笑しく、富札が大神宮の神棚の中にあったと分ると、大喜びから稍泣きに変わ
る演出も初めて。火事場往復の走りの件が少し増えているが、黒門町的に噺を描写と
メリハリ主体に変えてしまう以前の段階で留めているのがまた偉い。
◆12月31日 下北のすけえん~真打昇進記念~(シアター711)
一之輔「一年回顧」/朝呂久『短命』/一之輔『徳ちゃん~五人廻し』//~仲入り~//
一之輔『藪入り』
★一之輔さん『徳ちゃん』
アンドレ・ザ・ジャイアントみたいな怪力花魁が完全に化け物状態で可笑しいのに比
べると、客の売れない噺家側に「芸人らしい雰囲気」が余り無い(リアクションは可
笑しい)。別に普通の若い衆でもいいんじゃない?
★一之輔さん『五人廻し』
稲荷町型に、『徳ちゃん』の花魁が喜瀬川で芋を食ってる、というサゲを付けた。江
戸っ子の啖呵が勢いだけでなく、喜助が適当に相槌を入れる事で吉原知識自慢に近づ
いている。もう少し、江戸っ子が威張ってみせる表情を加味しても良いだろうと思
う。官員は大声過ぎて、小三治師的にメソメソはしないが、荒々しい(笑)ので、講道
館の師範か何かに設定を変えた方が良かァないかな。通人は通り一編。痰を吐く(壁
に飛ぶのは笑った)自称江戸っ子がりの田舎者は、喜助の持ち上げ方が可笑しい。関
取が喜助に鉄炮を食らわすのも、乱暴ちゃ乱暴だけれど可笑しい。全体に、表現がま
とまって来た。
★一之輔さん『藪入り』
稲荷町の芸血筋だなァ。勿論、粗い所、溜め過ぎな所もあるが、魅力のある口演。三
代目金馬師の奉公体験を活かした(奉公中に父親を亡くしている)情の強い親父像とは
タイプが違い、表は怖気だが(もう少し職人体だともっと良い)根の優しい所が稲荷町
的である。熊が亀のキチンとした挨拶に気圧され乍ら、丁寧に挨拶を返す静かな様
子、泣きながら亀に小言を言う様子を聞いていると、親子関係の情がちゃんと感じら
れる(親子のいる室内などの背景はまだ見えない。このキャリアで見えたら却って怖
い)。かみさんも飽くまでも子供が心配な普通の母親である。亀の「これだから貧乏
は嫌だ」をカットしたのも正解。視線、仕種にも殆ど曖昧な所が無く、芝居じみたメ
リハリ主体な所も無い。一朝師に伝わる稲荷町の『火事息子』がいずれ出来るように
なるだろう、という期待感を感じせてくれる高座だった。
石井徹也 (落語”道落者”)
投稿者 落語 : 19:23
2011年12月20日
石井徹也の「らくご聴いたまま」 12月上席中席 合併号
師走です。皆様はいかがお過ごしでしょうか。落語には四季折々、いろいろなネタがありますが、なかでも冬の演目に名作が多いと言われています。「冬の噺には、落語にとって重要な要素である飢えと寒さが凝縮されている」という意味のことを談志家元が仰っていたと記憶します。いまの東京では、なかなか”季節の変化”というものを感じなくなりましたが、噺の中には、冬景色、歳末の空気といったものがよく残っています。
今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の12月上席・中席合併号をお送りします。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによる歳末寄席レポートをお楽しみください。
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◆12月1日 上野鈴本演芸場昼席
燕路『間抜け泥』/文左衛門『道灌』/ペペ桜井(猫八代演)/百栄『誘拐家族』/菊丸
『幇間腹』/わたる/文楽『六尺棒』//~間入り~//勝丸(ストレート代演)/志ん橋
『居酒屋』/正朝『町内の若い衆』/遊平かほり/小里ん『睨み返し』
★小里ん師匠『睨み返し』
言訳屋の表情は見事だけれども、仕種のキレが今日は一寸悪かった。序盤の薪屋退治
は薪屋のボヤキ方が軽くて愉しい。
◆12月1日 日本橋落語会「通好み」(日本橋劇場)
馬石『安兵衛狐』/市馬『締込み』/雀松『三両残し』//~仲入り~//正蔵『身投げ
屋』/一朝『二番煎じ』
★一朝師匠『二番煎じ』
寄席の主任より時間があるので、普段演じない所までタップリ演じたが、それでいな
がら軽快で全くクドくなく、見事に愉しい高座。細かく演じると都々逸を小声で演じ
る場面などに矢来町移しが明瞭になるのも面白い。志ん朝師の演出からエネルギッ
シュな重さを抜いて、老人たちの洒落た面白さを足した世界に仕上がっている。黒川
先生の謠風の夜回り声の可笑しさをはじめ、一人一人の人物像が寒夜にクッキリと描
かれて、しかも落語国の人肌の温かさがある。番屋に戻ってからも、口喧しい月番を
軸に、旦那衆が一寸愉しい悪さをしているウキウキ感、人間のだらしなさの魅力が満
ちている。何回も聞いてきた一朝師匠の『二番煎じ』の中でも優れた高座である。
★市馬師匠『締込み』
最近では比較的珍しい演目だが、泥棒の楽しさに比べ、夫婦喧嘩の件でかみさんの表
情に稍ウェットさの強いのが気になる。
★正蔵師匠『身投げ屋』
噺の概要は整った。金持ち紳士が手渡す名刺をもっと笑いに活かしたい。
★雀松師匠『三両残し』
お花とその母親が物凄く、しかも馬鹿馬鹿しくドライで性質が悪い(笑)。それが実
に可笑しく軽快無比。現在東京で演じられている『星野屋』は、どうしても心情過多
なのが分る。今夜、雀松師が示してくれた米朝師系の演出、つまり筋物の落語を心理
主義のウェットさやシニカルさではなく、ドライな可笑しさ中心で表現する方法論
に、今の東京勢の『星野屋』はとても敵わない。これに対抗出来るのは古今亭と目白
の芸系くらいかな。
★馬石師匠『安兵衛狐』
狐の化けたかみさんの可愛さはやはりダントツ。こういう噺を立川流の中堅以下は何
故演らないんだろう。「下らない」と思っているのかね。馬石師的には故・枝雀師の
『天神山』の演出を取り入れて、トリネタ用の『安兵衛狐』を仕立ててみて欲しい。
◆12月2日 SWAファイナル「ブレンドストーリー“クリスマスの夜に(三姉妹物
語)”」昼の部
昇太・白鳥・喬太郎・彦いち「御挨拶」/彦いち『青畳』/喬太郎『思い出芝居』//~
仲入り~//白鳥『砂漠のバー止まり木』/昇太『パパは黒人』
★昇太師匠『パパは黒人』
三姉妹の一番下で、性格的に奥手の君江が「クリスマスに黒人の彼とデートする」と
嘘をついてしまい、父親(柔道が好き)が黒人に化ける展開にシフト。父親が「スト
リートファイトで黒人(娘に近付いてきたホンモノ)に勝つのが夢だった!」という件
は本当に可笑しい。最後、父娘でデートする場面のロマンティックなイメージはSW
A系新作派でないと出せないなァ。23歳の娘がある身としては一寸羨ましくなる。
落語は勿論観客の「私」にも響くのだが、家元系の「共感」だけでなく、SWA系に
は「憧れ」もあるのが良いね。
★白鳥師匠『砂漠のバー止まり木』
次女の文江に振られと思った男が失望の余り、後輩を連れてタクラマカン砂漠へ出掛
け(この無茶な可笑しさは得難い)、バー「止まり木」のマスターになっていた文江の
父と出会う展開にシフト。ファンタジックでアダルト(笑)なバーの雰囲気が相変わら
ず妙に心地よい。作ってない狂気の強味かなァ。
★喬太郎師匠『思い出芝居』
SWA初期の作品だそうで私は初聞き。女子柔道選手友江の妹で異常なテンションの
文江が(クリスマスの噺で踏み絵ってのも何だが・笑)クリスマスイブの晩、一年前の
初デートと全く同じ展開で最後のデートをしようと仕切りまくり、相手の男に地獄を
見せる展開にシフト。『白日の約束』に一寸似ている。『白日の約束』の女性より文
江のテンションが一瞬にして異様に高低する分(短い芝居で演るなら絶対に毬谷友子
さんの役)、単発で聞くよりブレンドストーリーに入れた今回の方が違和感が少なく
面白いのではないだろうか。また、この回はカラオケの場面で6曲唄った(絶対に喬
太郎師は『カラオケ病院』を桃太郎師から教わるべきである)。ビルとビルの隙間で
無理矢理キスしようとする辺り、イッセー尾方氏の『ヘイ!タクシー』みたいで、体
の使い方も似ている。割と演劇的な所が多い噺かな。
★彦いち師匠『青畳』
SWA第一回の作品との事で私は初聞き。女子柔道78キロ超級選手(塚田選手をイ
メージした)友江がオリンピック出場選考試合中、恋に悩んで負けた、という回想談
を母になった友江が息子に語る展開にシフト(この姉妹と関わる男はみんなタクラマ
カン砂漠のバー「止まり木」に行く事になるのが大笑い)。試合中、応援に来た好き
な初恋の男子(やはり柔道をしている)にときめいて女々し始めるのが、彦いち師だと
少し不気味に可笑しい。これはちよりんさんで聞きたいなァ。「がたいの良い女の子
は可愛らしい仕種や言葉遣いに憧れる」(知人女性の分析)という女心が彦いち師の体
型だと出難い(喬太郎師だと体がフニャフニャするから出せる)。
◆12月2日 白酒ばなし(にぎわい座)
朝呂久『浮世床・講釈本』/白酒『付き馬』//~仲入り~//遊一『夢の酒』/白酒『甲
府ぃ』
★白酒師匠『甲府ぃ』
刈り込んで、ギャグも抑え(途中で本題を離れて弟子とおかみさんの話を入れたのは
笑いが少なくなり過ぎたためか)、この噺としてはかなり短めの尺。寄席用の「試
し」かな(言葉間違いが多かった)。善吉が絵に描いたような権助型田舎者で、真面目
だが妙に愛嬌があって面白い。豆腐屋の親父は軽い粗忽なキャラクターで可笑しく、
かみさんも工夫があって面白い。甲府に行きたいと善吉が話をしに来る際、お花もつ
いて来て、そのお花をチラッと善吉が振り替える視線の巧さに感心(雲助師のお弟子
だなァ)。優等生噺のクサ味がなくて、笑いも無理に押さないから、気楽に愉しい高
座だった。
★白酒師匠『付き馬』
言葉数を使わず、雰囲気で妓夫を煙に巻く辺り、余り演じ過ぎない詐欺師ぶりになっ
てきた。「あたしの目を見なさい目を」が雲助師とは違うニュアンスで面白い(目を
殺してるから余計に可笑しい)。騙される妓夫がチラッと見せる凄み、裏腹な間抜け
さの使い分けも現在演じられる『付き馬』では優れたものだ。大門から雷門までの道
中付けの愉しさは過去、現在を問わぬ一級品。「正直ビアホール」のサーバーの奇妙
な音は何度聞いても笑っちゃう。
◆12月3日 IMAホール落語会「市馬白酒二人会」(IMAホール)
市助『道灌』/白酒『替り目』/市馬『富久』//~仲入り~//市馬『粗忽の釘(下)』/
白酒『幾代餅』
★市馬師匠『富久』
横山町の御店に駆けつけた辺り、家元的な久蔵の動きを通して(家元型の無駄なセリ
フは刈り込まれている)、目白の久蔵が透けてみえるのが面白い(市馬師から家元の影
響は感じるのは当然だが、川崎の柳好師の影響を感じないのが不思議)。この夏の
『鰻の幇間』以降、幇間の浮草のような喜怒哀楽、仕事上の習性が前に出て、富札を
焼いたと勘違いして悲嘆にくれても、元より演出的にクドさはないから、如何にも江
戸の幇間らしい軽妙な哀しみ、江戸の夕映えに佇む軽妙なリアルさを醸し出し、味わ
いを深めている。横山町の旦那の、黒門町の旦那ほど綺麗事過ぎない情の良さは目白
譲りだなぁ。
★市馬師匠『トンコ節粗忽の釘(下)』
笑いのフックが大分増えて非常に可笑しかった。中でも、主人公が隣の家で八寸の釘
の長さを色々と具体的に示そうとする様子や(隣の主人が引っ越してきた事を知って
るのも良い修正)、「ここだって言ってるのが分からねェか!」の大声の現すキャラ
クターの可笑しさは素晴らしい。
★白酒師匠『替り目』
鍋焼うどん屋に海苔を焼かせる件を省いたくらいでスイスイ快調。主人公の言う「い
つものように酒に逃げちゃお」の可笑しさは相変わらず。
★白酒師匠『幾代餅』
爆笑『幾代餅』は相変わらず。雲助師を経由して伝わる先代馬生師型『幾代餅』の可
笑しさをパワーアップしてるし、清蔵と幾代が初めて会う座敷の場面をカットしてる
から、泣かせるとこなんかは一つもなくて「潔い落語」になる(古今亭・金原亭の
『幾代餅』と比べて『紺屋高尾』は落語らしいドライさに欠け、どうしても野暮にな
る)。恋患い中の清蔵のか細い声が安定してきたためか、幾代のセリフが格段に女っ
ぽくなってるのも「笑いを支える巧さ」になってきた。『木乃伊取り』のかしくもこ
れで行けば十分だと思うが…尺も取らないし(泣きたい野暮天お客には物足りまい
が)、志ん生師の曾孫弟子はこうでなきゃ。
※市馬師、白酒師の二人だと四席聞いても草臥れないのは、寄席育ちの目白系、金原
亭系の芸ならではだろう(彦六師系もそう)。メリハリを付け過ぎた噺をされると野
暮ったいから草臥れる。その意味で、メリハリの強過ぎる圓生師は無駄と色欲の可笑
しさ以外は「野暮」、メリハリとフレーズの固まりみたいな黒門町は「綺麗事」だけ
ど「野暮」なのかも。
◆12月3日 SWAファイナル「三人SWA」(本多劇場)
白鳥・喬太郎・彦いち「御挨拶」/白鳥『シンデレラ伝説』/喬太郎『彫師マリリン』
/彦いち『長島の満月』//~仲入り~/三題拾い//三題噺四人リレー~「立川流・火消
し・美顔ミスト」
★『三題噺』昇太(三題ネタ拾いから飛び入り出演)⇒彦いち⇒白鳥⇒喬太郎
立川(立川流を立川市近くの川に例えた)近くの龍神を祀る神社の一人娘が神官にな
るのが嫌で、タイ人の彼(笑)と美顔ミスト屋(?)をしている。神社の氏子たちが
「娘が神官になりますように」と篝火を焚いて(イヨマンテかよ・笑)祈っていると、
篝火が本殿に燃え移る。娘が美顔ミスト機で必死に火消しをするがダメで、呆れた龍
神が昇天しようとする。そこで娘が火事を消す生け贄になろうと焔の中に身を投じる
(うさぎの神話みたい)。それを見た龍神が引き返してきて、雨を降らせて火事を消
し、娘を助ける。本殿は焼け落ちてしまったが…ここで喬太郎師(終盤の芝居落語的
な締め方は本当に巧い)が干支を使ってつけたサゲはお見事と感嘆。また、昇太師
(新刊を嫌がる娘のキャラクターは抜群に可笑しい)が後からつけたサゲは分かりや
すくて結構。白鳥師がSWA風呂敷柄の座布団を使って竜神の鱗を見せたのはナイス
アイディア。彦いち師がウアンチャン君を出したのは狡いけど可笑しい。
※龍神は基本的に女神だって事を無視して(だから、夜叉ケ池の龍神様への捧げ物は
化粧道具だ)オジサン声で演ってが、可笑しかったから、まぁ良いよね。
◆12月4日 シス・カンパニー公演『その妹』(シアタートラム)
★蒼井優はまだ化け物ではないが、化け物じみて来た。市川亀治郎は小技を色々出し
て来たが蒼井優に敵わず、武器がなくなった最後が一番良かった。しかし、白樺派の
世界は三島や谷崎より凄いね。対抗出来るのは泉鏡花くらいだろう。
◆12月4日 上野鈴本演芸場夜席「不忍寄席師走賑」
市助『道灌』/志ん吉(交互出演)『間抜け泥』/ゆめじうたじ/龍玉『ぞろぞろ』/扇遊
『手紙無筆(上)』/夢葉/南喬『初天神(上)』/正蔵(四人交代出演)『四段目』//~仲
入り~//小菊(紫文代演)/はん治『鯛』/二楽/雲助『替り目』
★雲助師匠『替り目』
フワフワとした雲助師独特の酔っ払い。メリハリ演出でないから、逆に帰って来た亭
主を当たり前みたいに迎えるかみさんのリアクションや、訳あり気な新内流しの女が
言う「兄妹なんですよ」のひと言に夜更けの静寂がちらと漂う。かみさんに甘えて
酒、肴とねだる亭主の愉しい可笑しさ。談志家元が「高座に江戸の風が吹く芸」と認
めたのはこういうとこであろう。後半は都々逸小噺アンコ入り都々逸・かっぽれと来
たが、惜しむらくは下座のきっかけや音量が適ってないから、かっぽれでは客席で手
拍子が打ち難く、都々逸でも「ようよう」とは声を掛けにくかったなァ。
★龍玉師匠『ぞろぞろ』
雰囲気が明るくなったし、体の大きさを活かした面白味も増していて結構。
★南喬師匠『初天神(上)』
上方風の隣のおじさんへの告げ口と団子。特に周囲の人に訴えたりしないのに、可笑
しいし、ちゃんと親子の感じも出てる。矢張り大したもんである。
★扇遊師匠『手紙無筆(上)』
こういう軽い噺の軽い可笑しさはお見事。
◆12月5日 池袋演芸場昼席
一九『そば清』/和楽社中/志ん馬(圓太郎代演)『干物箱』/正朝『寄合酒(上)』/ロ
ケット団/一朝『巌流島』//~仲入り~//馬石『鮑熨斗』/菊之丞『湯屋番』/順子・
朝呂久/白酒『ずっこけ』
★白酒師匠『ずっこけ』
マクラから「受けさせよう」といった気負いが全くなく、如何にも寄席の主任らしく
て非常に聞きやすい、寄席ならではの雰囲気で入った。小僧との遣り取りで初耳の
「手品やれ!」があり、手拭い(白無地なのに)を縦横にして「縦縞」「横縞」、投げ
て「向こう縞」等、先代馬生師の余興の手品みたいなのを入れた。下らなくて可笑し
い。
前の長い分、共同便所から後が少し走ったが、かみさんがマンガ的に可愛らしさを増
しているので愉しさはサゲまで下がらず。
★一朝師匠『巌流島』
珍しく言い間違い多し。しかし、若い侍、老武士、船頭、乗り合い連中と描き分け、
特に老武士の立派さと乗り合い連中の軽薄さは素晴らしく堪能。
★馬石師匠『鮑熨斗』
部分的に物凄く可笑しいんだけど、全体のリズムが変だった。
◆12月5日 SWAファイナル「First&Last」(よみうりホール)
喬太郎「唄う前説」全員「オープニングトーク(回顧トーク)」/彦いち『バーベル
芝浜』/喬太郎『悪魔の寝床唄』/白鳥『真夜中の解散式』/喬太郎『ハムバーグの焼
けるまで』/彦いち『掛け声指南』/昇太『空に願いを』/全員「活動休止御挨拶」
★昇太師匠『空に願いを』
出来は今夜一番たったと思う。SWAのメンバーは「私落語」の要素の強い人ばか
りだけれど、昇太師のキャラクターの作り方には普遍性を感じる。先代今輔師の「お
ばあさん」みたいなもので、実は違う演者が違うニュアンスで演じてもキャラクター
の立ち上げが出来るのだな。
★喬太郎師匠『悪魔の寝床唄』『ハムバーグが焼けるまで』
『悪魔の寝床唄』は「キャラ亭」の金田一耕助パロディだけれど、探偵物を演劇的
に演じられる強みは発揮されている。『ハムバーグが焼けるまで』は「SWA活動休
止へのメッセージ」をチラッと入れた演出で、この噺の苦味と共感の表裏一体の面白
さとそれが乖離していないのは流石である。
★白鳥師匠『真夜中の解散式』
「活動休止」を「解散」にしちゃったけどいいのかなァ(笑)。
★彦いち師匠『バーベル芝浜』『掛け声指南』
『バーベル芝浜』は「キャラ亭」ネタだが、落語というよりは余興に近い。『掛け
声指南』は「私落語」としての面白さが深まっている。「直情である事の良さ」とい
う意味では権太楼師に近いのかな・・・
※「SWA」の活動休止は残念な事だと思うけれど、本多劇場での「書き下ろし」や
「ブレンドストーリー」の会と比べると、今夜はいまいち、充実感に乏しいという
か、如何にも「イベントです」という色合いを強く感じてしまった。「キャンディー
ズじゃないんだからさァ」という気持ちも同時に感じてしまったのでありますね。最
後の「活動休止挨拶」で四人それぞれが語った事に嘘はないと感じる。ただ、喬太郎
師が挨拶で語った内容みたいに、噺家さんは基本的に「生涯職業」で、明日から「普
通の人」になる訳でもない。「区切り」って必要だったのかな?かつての『森繁劇
団』ではないけれど(あれは役者人事行政の見本みたいな巧い形態だった)、「年に
1~2度、お馴染みの顔ぶれが顔を合わせる事はあっても、実体はあるような、ない
ような劇団」みたいな形態をズーッと続けても良いのではなかったろうか。そういう
意味で「寄席」ってのは、「プロの作りだす、非イベント的な日常性の場」の典型な
んだね。発表になった、来年正月二之席上野の夜主任を喬太郎師匠が取る(しかも休
演日の代演が白鳥師と彦いち師でしょ)、という方が「非イベント的な日常に起きた
変化」だからこそ「連続的な変化への期待」として興味をそそられる(この文章自
体、出演者というよりは、イベント的な会場設定をした主催者へ向けた言葉というべ
きである)。ま、近年の芝居やコンサートみたいに、だらだらカーテンコールを何度
も繰り返したりはせず、「早く呑みたい、打ち上げをしたいから」とカーテンコール
一回で切り上げたのは、噺家さんらしくて、SWAらしくて物凄~く好きだったけ
ど。
◆12月6日 上野鈴本演芸場夜席
まめ平『元犬』/菊六(交互出演)『浮世床・講釈本』/ゆめじうたじ/馬石(龍玉代演)
『堀の内』/正雀(扇遊代演)『紙入れ』/紫文/南喬『金明竹』/白酒(四人交代出演)
『壺算』//~仲入り~//夢葉/はん治『背中で老いてる唐獅子牡丹』/二楽/雲助『芝
浜』
★雲助師匠『芝浜』
落語ではなく、雲助師独特の世話噺の世界。ふた幕物世話芝居の雰囲気である(歌舞
伎や新派でなく文学座っぽい)。ベースは三代目三木助師型だが、魚勝が表情豊か
で、対照的にかみさんは表情が抑え目。「大川へでも飛び込もうか」と言う勝をかみ
さんがひっぱたく辺りの人物像は「若い杉村春子」ってとこがある。一寸確りしすぎ
てて怖いとこもあるけれど。落語的下世話ではない。勝は稍、暢気というか、軽い作
りだから北村和夫さんか。大晦日もドラマにし過ぎない、淡い流れである。浜の夜明
けは簡単だが、大晦日の描写は丁寧。用語の選択の「江戸前ぶり」は雲助師らしく抜
かりがない。久保田万太郎脚本演出、文学座公演という所か。志ん生師とおかみさん
をモデにしたら、『芝浜』はどういう噺になるんだろう。そう思う辺り、今夜醸し出
された雰囲気にちと物足りなさがあるのだ。
★菊六さん『浮世床・講釈本』
講釈本を読む件は可笑しいのだが、イマイチ跳ねない。トリがネタ出しで『芝浜』な
のに「夢」に入ろうとして楽屋から止められたのは番組内容に対して無神経ではある
まいか。
★馬石師匠『堀の内』
粗忽者の主人公やそれに翻弄される周囲の人々の動きが素晴らしく可笑しい。粗忽ぶ
りも全くクサ味なく見事に変なのは凄い。
★白酒師匠『壺算』
前半可笑しかったのだけれど、瀬戸物屋の主人のキャラクターがボーッとしているよ
うには聞こえなかったので噺の展開に違和感あり。『抜け雀』の主人みたいにボーッ
としてた人がパニックに陥った、という雰囲気ではなかった。
◆12月7日 上野鈴本演芸場昼席
燕路『短命』/文左衛門『桃太郎』/猫八・小猫/玉の輔(百栄代演)『財前五郎』/菊丸
『祇園祭』/わたる/小燕枝(文楽代演)『小言幸兵衛』//~間入り~//ストレート松浦
/志ん橋『熊の皮』/正朝『紀州』/ホームラン(遊平かほり代演)/小里ん『言訳座頭』
★小里ん師匠『言訳座頭』
序盤の夫婦の会話が重く、テンションが上がらないまま、富の市との遣り取りに入っ
てしまったかな。富の市のリズムは二軒目の薪屋から面白くなったが、全体的にはイ
マイチ。
★菊丸師匠『祇園祭』
京都男の嫌味な可笑しさは芸風にピッタリ。祭囃子も調子の高い師匠だから聞きやす
い。
◆12月7日 第八回射手座落語会(浅草三業会館二階座敷)
宮治『初天神』/正蔵『締込み』/生志『反対俥』/喬太郎『小政の生立ち』
※自分の主催する会だから、感想は無し(楽屋にいた時間などもあり、通してちゃん
と聞いているとは言い難い)
◆12月8日 池袋演芸場昼席
一九『蟇の油』/ロケット団/圓太郎『勘定板』/正朝『町内の若い衆』/和楽社中/一
朝『小言幸兵衛』//~仲入り~//馬石『金明竹(下)』/菊之丞『元帳』/順子・木り
ん/白酒『甲府ぃ』
★白酒師匠『甲府ぃ』
やはり寄席のトリネタで来たか。テンポよく、また豆腐屋主人をそそっかしい男にす
ると同時に善吉の善人ぶり・出世意欲を陰にして、辛気くささを極力抑えて愉しい
『出合い落語』にしてある。法華信仰も善人の説教臭さも感じず、「人の出合いの不
思議」だけが後味に残る展開の落語らしさには感心する。頭が良いねェ。
★一朝師匠『小言幸兵衛』
サラッと演じて愉しく、仕立て屋の逆襲も可笑しくて絶妙。
★圓太郎師匠『勘定板』
田舎者が跨ったまま(大便はしない)、算盤が廊下を走って障子を突き破り、下の
天水桶に落ちた所で「さっきのおまじない(玉を弾く)がきいて助かった」いう展開
に変えた。骨太の可笑しさである。
★馬石師匠『金明竹(下)』
前半オールカット。上方者の使いはごくまともで、与太郎は理解出来ないだけ。伯
母さんが勝手にパニックに陥る、という三者三様が面白い。
◆12月8日 第19回ぎやまん寄席番外編「遊雀の会」(湯島天神参集殿二階座敷)
小曲『垂乳根』/遊雀『四段目』/遊雀『うどん屋』//~仲入り~//まねき猫『河童の
鳴き声』/遊雀『花見の仇討』
★遊雀師匠『四段目』
定吉のキャラクターで、芝居好きよりも悪戯小僧の面が先立つのが馬鹿馬鹿しく愉し
い。また、旦那がスッと調子を落として、店なかで芝居に行く話を定吉に始める辺
り、落語話芸の的確さが可笑しさを引き立てる。やっぱり巧いのである。四段目の真
似を始めた時、芝居のセリフが散文的になるのが惜しい。遊雀師なら二枚目声で本格
に演じても可笑しさの邪魔にはなるまい。
★遊雀師匠『うどん屋』
仕立て屋のみぃ坊の科白を思い出して嗚咽する酔っ払いと、直ぐに「私が悪うござい
ました」と謝るうどん屋のキャラクターの対比が前半は愉しく、泣かせかけて、ちゃ
んと笑いに引き戻す自在さがある。酔っ払いが去って後、うどん屋が屋台を担ぐ仕種
は重さを的確に表現して見事でありながら、リアリズム芝居になり過ぎない然り気無
さで凄~く感心した。ほんと、巧いんだなァ。言葉不要の省略表現になっている。大
店の客の「熱くして下さい」以降は、目白の小さん師の演出力、特に言葉の見事な省
略を受け継ぐ出来。最後にうどん屋が言う「ヘェーッ?」だけ、喜びが欠けたのは惜
しい。
★遊雀師匠『花見の仇討』
四馬鹿カルテットの可笑しさ、特に侍役の熊さんが待たされた腹立ちまぎれに本気で
刀をズバーッと抜く可笑しさや、稽古で巡礼役二人の片方が熊さんの動きに感心して
ボンヤリ見ている可笑しさが優れているのは勿論なんだけれど、マジになって助太刀
に参加する侍(酔ってない方)のマジ馬鹿ぶりや、耳の遠いおじさんの堅馬鹿ぶりな
ど、登場人物がみんな落語的馬鹿に染まっているのが物凄く可笑しい。この「落語的
馬鹿」のキャラクター造形感覚は、中堅より下の真打では、遊雀師と甚語楼師に顕著
なのだが、やはり権太楼師の影響なのだろうか。強いて言うと、巡礼兄弟役の二人の
キャラクターにもう少し違いが欲しい。
★まねき猫師匠『河童の鳴き声』
河童の鳴き声をベースにした展開で、「枕草子」ほど、客席を静かにしすぎないの
が結構。初代猫八のSPの話も面白かった。
◆12月9日 池袋演芸場昼席
朝呂久『子褒め』/小駒(交互出演)『鷺取り』/世津子/しん歩『強情灸』/一九『都々
逸親子』/とんぼ・まさみ(ロケット団代演)/吉窓(圓太郎代演)『ぐつぐつ』/正朝
『浮世床・講釈本』/和楽社中/一朝『短命』//~仲入り~//馬石『王子の狐』/菊之
丞『棒鱈』/順子・朝呂久/白酒『抜け雀』
★白酒師匠『抜け雀』
『火焔太鼓』の甚兵衛さんと、この噺の宿屋主人の「ついでに生きてる人感覚」は志
ん生師に次ぐものだと思う。それほど主人の一挙手一投足に愉しさがある。かみさん
は衝立から絵に描いた雀が抜け出ると分かってからは可愛くなるが、前半は志ん朝師
的で怖さが勝ち、先代馬生師の諦めちゃったかみさん(貧乏時代のおりんさんだね)の
可笑しさがなく、『火焔太鼓』ほど古今亭・金原亭らしい夫婦像には至っていない。
若い絵師も一寸威張りすぎ。老絵師にはもちっと品格が欲しい。品格があると「息を
詰めろォー」がもっと面白くなる筈。二人とも優れた絵師という設定にしては、作画
への入れ込みが足りないんだね。
◆12月9日 いちのすけえん人形町支店(日本橋社会教育会館ホール)
朝呂久『間抜け泥』/一之輔『粗忽の釘』//~仲入り~//ぴっかり『ん廻し』・民謡
弾き語り/一之輔『藪入り』
★一之輔さん『粗忽の釘』
珍しく引っ越しの冒頭から。粗忽な亭主と、それを面白がっているかみさんという夫
婦関係の一之輔流ギャグ落語だから可笑しい。特に亭主の「(夫婦して)素っ裸で転げ
て笑った」というセリフは聞くたびに場面が目に浮かんで笑ってしまう(これって先
代柳朝師匠譲りのギャグだよね?)。反面、夫婦噺(情は特に要らない噺だけど)の関
係性を余り感じないから、ギャグ沢山の一之輔落語における「コントの羅列」的なぶ
つ切り感はどうしても伴う。
★一之輔さん『藪入り』
序盤は親父の「情の強さ」とその可笑しさで、三代目金馬師の小型版の雰囲気。一朝
師の『藪入り』ほど、親父に職人らさはないのが惜しい。かみさんが対照的に矢鱈と
醒めてるのが気になる。亀は悪くはないが『初天神』の子供が少し育ったみたいな醒
め方を感じる。菊志ん師の亀の子供らしい背伸び感はない。後半、亀の財布を開けて
からは、かみさんがガラッと変わって、子供を心配する余り疑心暗鬼に陥る母親にな
り、短気だけど泣きながら亀を叱る親父と好一対で良かった。前後のバランスが次の
課題かな。
※「『藪入り』は親の感情の押し付けで嫌な噺だ」という言葉は家元一代の暴論だと
私は思う(亀をも少し生意気にしたら家元、親父は目白の小さん師って関係そのもの
噺だもん)。この噺に関しては「親にとって子がいつまでも子であり、子にとって親
がいつまでも親である限り、この噺は滅びない」という小三治師の意見に賛同する。
親子関係(親〓子〓孫)が破綻してる人の受取方は別よ。「倅が幾つになったって、子
供なんだから、孫より可愛いや」って、ディック・ミネさんの言葉を家元は聞いた事
がなかったのかな?
◆12月10日 正蔵・馬石・一之輔の会(六本木BeeHive)
※正蔵師はインフルエンザで休演。
馬石・一之輔「御挨拶」/つる子『子褒め』 /一之輔『加賀の千代』/馬石『締込み』
//~仲入り~//馬石『狸の札』/一之輔『提燈屋』
★馬石師匠『締込み』
泥棒のキャラクターの良さや動きの愉しさは、先代馬生師の異才ぶりに近い。ベース
はさん喬師型だが、様々なディテールの凝り方が活きて、違う味わいの愉しさになっ
ている。かみさんが本当に怒り始めるのが些か早く、その分、感情的にリアルになり
過ぎる面もあるが、一寸中堅若手真打で真似手の無い良さがある。
★馬石師匠『狸の札』
短い。アッという間だが、狸の表情の可笑しさ、八五郎が札の蚤を取る克明な動きの
可笑しさなど、傑出した部分が多い。
★一之輔さん『加賀の千代』
御隠居が真に良い人で、全面的に甚兵衛さんを受け入れているのが愉しい。甚兵衛さ
んはかなり変人っぽいが、独特のぶっきらぼうな可笑しさ。かみさんは噺の仕込み役
程度の扱い。
★一之輔さん『提燈屋』
若い連中が広告を前に無筆ぶりを競う前半がワイワイガヤガヤでなく、寧ろ鎮静した
雰囲気で可笑しいのは異色(何かダルな若者たち)。後半は、提燈屋の親父が怒り出
すのが、隠居の前に出掛ける前の若い衆に「お前ェんとこか提燈、ただくれるっての
は」と言われた辺りからで、そこまでは焦れがなく、淡々と進むから余り盛り上がら
ず、最後でいちなりパニックになるのは可笑し味を薄くしたと思う。
◆12月10日 第32回特撰落語会「貞水・さん喬 硬軟長講二人会」(江戸深川
資料館小劇場)
貞鏡『姉川軍記~木村又蔵一番槍』/喬の字『天狗裁き』/さん喬『文七元結』//~仲
入り~//貞水『三村の薪割り』
★さん喬師匠『文七元結』
演出的に寄席の主任とほぼ同じだったから、尺も同じくらいかと思っていたが、実は
10分以上長かった。それを是何故な感じさせないのは凄い。佐野槌で女将は厳し過
ぎず、お久も泣いたりしない。長兵衛は畏れ入るばかり。吾妻橋の長兵衛と文七の遣
り取りは落語的な可笑しさがセリフにも仕種にも混じる。長兵衛にまた変化があり、
金を恵む事にテレ笑いをし乍ら文七に金を遣ろうとする。次第に泣き笑いになり、金
を投げ付けて逃げる。ここでも泣かさない。近江屋の跛面はいつも通り短めで、達磨
横丁長兵衛内になって、長兵衛が落語的に陽気なのに、かみさんのお兼がシナシナと
文句を言うのが悲惨でなく、可笑しさとして感じられる演出には瞠目した。文七が現
れて「親方、有難うございました」と頭を下げた場面で吾妻橋がフィードバックして
きて涙が出た。目出度さで泣かせてこそ落語なんだねェ。
★貞水先生『三村の薪割り』
なるほど長講。三村と竹屋喜平次の心情面の交流が良く分かる。「斬り手も斬り手、
刀も刀、研ぎ手も研ぎ手」の嬉しさがあり、職人気質と侍気質の絆になっている。明
治の噺家が(鼻の園遊師など)が面白い人情噺として演じたのも分かる。笑いをかなり
挟み込んだが、そんなに笑いの挿入は必要かな。それよりも序盤、薪割りを見た喜平
次の「巧いっ!」(先々代貞丈先生の音源で聞くと素敵なのよ)や、三村が桑の庇支
えを斬る場面にもう少し鋭さが欲しい。
※さん喬師でも『三村の薪割り』を聞きたくなった。剣術の心得がある人、侍の出来
る人でないと無理のある噺だからね。『井戸の茶碗』や『柳田格之進』といった美濃
部家の噺を、さん喬師が良く演じるのも当然なんだな。
----以上上席------
◆12月11日
※色々あって草臥れてしまい、家から出ず、一日寝ていた。
◆12月12日 第24回白酒ひとり(国立演芸場)
扇『牛褒め』/白酒『四段目』/白酒「アンケート読み」/白酒『景清』//~仲入り~
//白酒『富久』
★白酒師匠『四段目』
可笑しさは変わらず十二分なのだけれど、定吉の芝居掛かりの形がどうも決まらな
い。セリフも少し型崩れがしてきたし、言い訳の言葉など、もっと芝居っぽいセリフ
になっても良いと思う。その辺り、定吉の「芝居狂い」が明確と言い難いのは、そろ
そろ修正したい所だろう。
★白酒師匠『景清』
定次郎が腕の傷を見せ、「目が見えなくては仕事が出来ない」と泣かせる件をカット
するなど、センティメンタルになり過ぎないように配慮している割には、定次郎が旦
那の前でメソメソ泣いたりするのが、聞いていてピンと来ない。清水観音堂の階段を
定次郎が上る件で御詠歌を半端に唄ったり(偉く高っ調子で変)、本堂前で祈る観音経
が適当な内容(ほぼ出鱈目に近い)なのも中途半端に感じる。その程度の「ツール」を
入れるのは、却って「落語」として邪魔になるのではあるまいか。演出でカットした
方が良いように感じた。終盤、着物の縞目を見て、定次郎は目が開いたのに気が付く
演出。とはいえ、演技的に仕種や視線がまだ決まっていないので、目が明いたと分っ
た瞬間が分り難いのも事実だ。金馬師の「月が出てらァ…月?」の分かりやすさと良
さにはまだ敵わない。聞き終わって、白酒師の場合、上方原型『盲景清』のように、
観音様を出現させ、定次郎が平景清の目を観音から貰って大暴れをする、荒唐無稽か
つ落語らしい演出を採った方が向くのではないか?と思った。そこは雲助師の「世話
噺」を成立させる視点と、白酒師の視点の違いだろう。
★白酒師匠『富久』
こちらは雲助師型をベースに、そこから抜け出そうとする過程と、その可能性を感じ
た高座だった。序盤、見徳屋の知人との遣り取りで、久蔵が現在住んでいる三軒町の
裏々長屋(オフオフみたいである)の小ささを強調したり、日本橋石町への駆け付け
の場面を取り入れて(前に聞いた時は無かった。但し、黒門町的な江戸の夜の寒さの
表現としては使っていない)、「久蔵の慌ただしい一夜の始まり」をマンガ的に描い
たのもひと工夫だろう。体型的には、目白の小さん師型の「どてらに縄の帯」を久蔵
に着せた方が似合うと思うけれど。久蔵の芸人らしさのキャラクター表現は雲助師を
受け継いでおり、石町の旦那の家で、帳付けを途中から隣にいる番頭に押し付けた
り、ハッと気が付いて自分がやったりの支離滅裂さや、番頭の分まで注いだ酒を呑む
事で酒に逃げる男の弱さを面白く出すのはかなり成功している。また、富の千両を貰
えないと分かっても、感情を極端に露呈させたりはしないし、通り掛かった三軒町の
頭から早めに久蔵に声を掛けさせ、久蔵の「茫然自失」を陰気にせず、噺を明るい方
向に向けるのは白酒師に似合う展開で賛成したい。半面、雲助師のクリクリした目の
可愛さなどは無いから、千両を貰えない辺りで、もう少し人間的な可愛さを作る必要
性も感じる(そういうとこは昇太師の久蔵が巧い)。石町の火事場での久蔵の可愛さ
を面白く出すのには成功しているのだから、金が貰えない怒りの中での久蔵の可愛
さ、幇間らしい、職業的に染み付いた愛嬌を出すのも、白酒師にとってはそんなに難
しい事ではないと私には思える。
◆12月13日 新宿末廣亭昼席
京丸京平/圓馬『粗忽の釘(下)』/可楽『漫談』/健二(ぴろき代演)/圓『近日息子』//
~仲入り~//春馬『猫の皿』/Wモアモア/とん馬『元帳』/楽輔『錦の袈裟』/ボンボ
ンブラザース/平治『御血脈』
★平治師匠『御血脈』
『善光寺由来』で終わりかと思ったが、久しぶりにサゲまで。石川五右衛門の登場に
なって、唄も歌ったりするが(笑)、五右衛門の大きさは流石である。
※マクラから序盤の釈迦誕生辺りを聞いてると、平治師の『宗論』ってどんななんだ
ろう?(聞いた事がない)と思ってしまう。
★国分健二『物真似漫談』
後半、上方のオカンと倅の漫談を演ったが、可笑しかった。これを主体にして、歌
真似を組み合わせた方が面白いのではあるまいか?
◆12月13日 市馬・喬太郎・桃太郎の会(練馬文化センター小ホール)
吉好『十徳』/桃太郎『春雨宿』/喬太郎『初天神(上)』/市馬『掛取り三智也』//~
仲入り~//鼎談
★良い年齢をした大人が三人、好き勝手をしているという(正確には、という風に見
せられる)点で、噺家さんらしさ溢れる気楽な落語会。特にこの三人の組合せは強い
なァ、みんな唄うし、気を使い乍ら馬鹿が言える(笑)。或る意味で桃太郎師が一番生
真面目なのが分かるのも愉しい。勿論、鼎談の中身はとても掛けない(笑)。
◆12月14日 春夏冬三人会其ノ壱(日本橋劇場)
宮治『元犬』/桃太郎『浮世床』/笑遊『宿屋の仇討』/遊雀『芝浜』
★遊雀師匠『芝浜』
志ん生師匠型がベースかと最初は感じた(17日に違うのが分った)…魚熊が主人
公。時間が押していたせいもあるかもしれないが、序盤「磐台には水が張ってある」
「庖丁はピカピカに磨いてある」「草鞋は出てます」といった夫婦の遣り取りがない
ので、三代目三木助師以降の主人公につきまとう「実は優等生」イメージが全くない
のは落語としては清々しい。浜では海水で顔を洗って、直ぐに財布をみつけると中を
チラッと見ただけで、不安そうな顔はせず、嬉しそうに飛んで帰る。財布の金を数え
るのに「行灯を明るくしてこっちへ持ってこい」は巧いセリフで、時間的な家の中の
暗さが分かる。熊は喜ぶと酒を飲まずに寝て、昼に起きて湯に行き、友達を連れて帰
り、散財する。「魚屋が魚屋に(肴を)頼むんだから、どんなに目出度ェか分かるだ
ろう」も面白いセリフだなァ。二度目に熊を起こしてからのかみさんは「情けないこ
と言わないでおくれ」「魚屋さえしてくれれば我慢出来るのに…私は出て行く!」と
怒る。熊が「おめェがいなくちゃおれは人間でなくなっちまう。酒ェ止めるから」と
縋って止める。御贔屓への出入り復活の件が一寸入って、カットバックして三年経っ
た大晦日は熊の湯帰りからになる。この場も夫婦二人きり(若い衆は湯に行かせてあ
るので蔭でも出て来ない。この方が良いね。「蕎麦の代金」云々の遣り取りが私は好
きではない)。表に小さな店を出した事は熊がセリフで言う。畳を替えただけでな
く、かみさんも髪結いを呼んで丸髷を結い直していて、熊がそれを誉める(「結綿の
出来に百八つ鳴り終わり」みたいである)。この辺りの遣り取りから家元や矢来町、
小三治師より、夫婦の世代的な印象が若く感じられる(この夫婦の遣り取りはこれま
で、一般的にどうも年寄り臭いのだな)。笹の葉や月明かりの描写も言わず、大晦日
の世話場の苦労話や「呑める奴は楽しみだろうな」のセリフも無い。熊の「働かな
きゃいけねェ。どんなに蓄えがあっても俺は働くぜ」を聞いて、かみさんは財布を出
す。この時、テレなのか、かみさんが薄笑いしていたのが非常に印象的だった。かみ
さんは「一年経って財布が戻ったけれど、私はまだお前さんが信用出来なかった。お
前さんは私を信じてくれたのに」「離縁されても仕方ない。ごめんなさい」と謝っ
て、最後の方は泣く。「打っても蹴っても」は言わない(このセリフも私は大嫌いで
ある)。「手をお上げなすって」(この調子は志ん生師的)から熊のセリフに戻り、
「畳とかみさんは古いのに限るな」と喜ぶ。かみさんが「お酒、呑もうか?」と言い
出して、夫婦で茶碗酒を酌み交わし始める(この夫婦酒になるのが一番良かった)。茶
碗を口元に運んだ熊が膳に茶碗を戻す。「どうしたの?」「…よそ。……夢になると
いけね(呟く)」。三代目三木助師から家元、矢来町、小三治師をはじめ、数々の演者
がくっつけ過ぎてきた文学的・心理的・演劇的装飾を取り払い、非常にシンプルで小
味な落語に戻したとも言える、優れた高座である。その中で、自分なりの夫婦を描い
た演出で、芝居じみた緊迫感や息苦しさがないのは嬉しかった。落語だもん。勿論、
「かみさんが少し強いかな」と思うとこもあるが、『芝浜』の原点、夫婦噺の原点に
近付いた高座で、嫌なとこ、暗く鬱陶しいとこが無い。今後のグレードアップが楽し
みになる『芝浜』だった。遊雀師も「落語の職人」になれるね。
★笑遊師匠『宿屋の仇討』
万事世話九郎の科白に「捨衣が三連勝中である。あの連勝を止めてまいれ!」と昇大
師のくすぐりが入っていたけれど、元は昇大師なのかな?序盤、小田原宿と神奈川熟
がごっちゃになったりして、かなり緊張気味の様子だったが、江戸っ子三人が婆ァ芸
者を呼んで大騒ぎを始めてからは(これだけ大騒ぎに聞こえる噺家さんも珍しい)可笑
しさが前に出た。まだ笑遊師らしさはちと物足りないが、万事世話九郎には侍らしい
迫力があるし、伊八は本当に四苦八苦してて可笑しい(散々、江戸っ子から「お八」
と呼ばれた挙句、最後の敵討の報告になって「やっと伊八と呼んでくれましたね」と
言ったセリフには馬鹿受け)。桃太郎師がモデルだという源兵衛はじめ(笑)、江戸っ
子三人ははすさまじく跳ねっ返りで、先代今輔師みたいな婆ァ芸者は矢鱈とパワフル
で可笑しい。一年くらいすると爆笑ネタになってると思う。最後に「あれは座興だ」
とシレッとして表情を変えずに言う万事世話九郎が凄く可笑しいのが止め。
★桃太郎師匠『浮世床』
今年に入ってからか、途中まで寄席で聞いて以来の演目。フワフワと芸・講釈本・
夢。講釈本の中身が目茶苦茶なのは桃太郎師以外では許されないだろうけれど可笑し
い。夢は意外と普通なんだけど、相手の女が全然美人に見えないのが独特の可笑し
さ。ケメヅカ温泉のケメ子さんと変わらないみたいな雰囲気なんだもん(笑)。
◆12月15日 新宿末廣亭昼席
遊史郎『悋気の独楽』京丸京平/寿輔(圓馬昼夜替り)『名人への道』/可楽『尻餅』/
ぴろき/圓『悔み丁稚』//~仲入り~//竹丸(春馬昼夜替り)『童謡の穴』/Wモアモア
/とん馬『元帳』/楽輔『粗忽長屋』/ボンボンブラザース/平治『鈴ヶ森』
★平治師匠『鈴ヶ森』
親分は稍リアクションの迫力過剰で、お客の笑いを誘いだせないとこもあったけれ
ど、子分の下らなさは一段とパワーアップして、強烈に馬鹿馬鹿しい。顔中墨黒々と
塗り潰す場面で、額が本当に黒くなったみたいな感じがした(つまり、海苔でグルグ
ル巻きにした握り飯ね)。くっだらなさも飛び抜けるとリアルさを伴うんだろうか。
※可楽師が『尻餅』を短めに、極く普通に淡々と演じているのを聞いていたら、妙に
歳末感を感じてしみじみとしてしまった。何だったんだろう。
◆12月15日 柳家三三・ナオユキふたり会「ふたりぼっち3」(北沢タウンホー
ル)
三三・ナオユキ『バーテンと客』(※コラボというかコントというか)/ナオユキ/三
三『鮑熨斗』//~仲入り~//ナオユキ/三三『笠朞』
★三三師匠『鮑熨斗』
次第にナンセンスなイメージが強くなっているのは、メソメソしたり客観的になった
り振幅の激しいキャラクターの甚兵衛さんと、彼を上から視線で取り囲む周囲の人々
の世界の歪みが大きくなっているためかな。可笑しさの強まる半面、甚兵衛さんが熨
斗の由来はちゃんと覚えられる不可思議が強まっているのも事実。志ん生師の「こい
つは腹が減って飯が食いたいだけの奴なんだ」が明らかに言葉の上だけなんだな。
★三三師匠『笠朞』
押していたので言葉を省略して短め。「血は争えませんね」と待ってる側の旦那に言
う番頭の存在は『三枚起請』の亥之さん同様、三三師独特の「噺内第三者」なんだけ
れど、その視点があるから、目白の小さん師型がベースなのにも関わらず、二人の焦
れの根として、「友情」よりも二人が抱えた「老人の孤独からの逃避」の方が前に出
てくる。それが軸なら軸で別に構わないけれど、結果、二人が「傍迷惑な爺」に見え
る事に違和感がある。
★ナオユキさん
聞いた事があるのは三三師とのふたり会だけで、私はまだ二度目だから、よく理解
していないんだろうけれど、いえば「小噺漫談」なのか。オンシアター/自由劇場や
イッセー尾形さんっぽい音楽を出入りに使っているが、内容的には寄席の超定番みた
いなネタが混じったりする。演劇型かというと独り芝居ではなく、あくまでも個人の
語りなんだけれど、構成が「小噺」的で、例えが違うかもしれないが、柳家紫文師の
「長谷川平蔵シリーズ」の私的内容版だったり、市井スケッチだったりするので、実
は演劇的な笑いではない。イッセー尾形さんっぽい音楽は「正体隠し」の隠れ蓑なの
かも。もう少し展開すると鶴瓶師の「私落語」みたいになるのかもしれん。
◆12月16日 新宿末廣亭昼席
章司/圓丸(右左喜代演)『死ぬなら今』/楽輔『浮世床・芸~講釈本』/京丸京平/圓馬
『高砂や』/可楽『漫談』/健二(ぴろき代演)/圓『鹿政談』//~仲入り~//春馬『だ
くだく』/Wモアモア/とん馬『垂乳根』/金遊『小言念仏』/ボンボンブラザース/平
治『禁酒番屋』
★平治師匠『禁酒番屋』
番屋の侍が言葉の端々は酔いながらも、上体を崩さぬなど「侍らしさ」に留意した演
出。反対に、酒屋の若い衆たちはマンガっぽく崩して、硬軟の対照で馬鹿馬鹿しくも
下らなくない愉しさを描いていた。
★圓師匠『鹿政談』
稍短めの演出だが、悠々とタップリ聞かせた余韻を残して、乗りの良い観客をだらさ
ず、惹き付けたのは流石だ。
◆12月16日 J亭落語会月替り独演会・柳家三三独演会(J亭アートホール)
小太郎『時そば』/三三『質屋蔵』//~仲入り~//三三『柳田格之進』
★三三師匠『質屋蔵』
ほぼ米朝師型だが、心理表現、特に情緒的な心理表現を重んじない噺だから、三三師
には東京風の演出より似合う。定吉が熊さんに芋羊羹を買って貰い、会心の笑みを漏
らす件、熊さんが旧悪を次々と白状する辺りの可笑しさは久しぶりに三三師らしさを
感じた。旦那が米朝師のように似合わないのと、旦那の語る質草の帯の謂れに米朝師
のディテールの細かい庶民感覚が無いのは仕方ない。そこを演じきろうと三三師がし
たら、噺が陰気になってしまうだろう。
★三三師匠『柳田格之進』
時間の関係もあったのか、月見の宴をカットした演出で30分ほど。娘を売らず、来
圀俊の刀を売る馬石師型だが、更に芝居じみたメリハリをつけた演じ方にした。結果
的に偉く単純な噺になって、メリハリしか印象に残らない。今夜の柳田は先日の『懐
古趣味』で演じた時より、更に正義感だけで他人の見えない頑固者で矢鱈と猛々しく
怖い。優れた柳田にある成長や変化の無い人物である。萬屋番頭徳兵衛から近代的な
「男の嫉妬」をカットし、「忠義一途」にしたのは一つの工夫だが(柳田は萬屋の
“主従三世”を許すのだから)、来圀俊の刀が全てを嘘にする。殿様から拝領の刀を
売り払った侍が、旧主の下に帰参出来る訳がないと思えてならぬ。侍の面目丸潰れで
それこそ切腹ものである。来圀俊を売る演出は小市民的妥協で、「侍への侮蔑」にほ
かならないのてばないか?人は立場、身分、宗教、階級、様々な違いで考えの立脚点
が違い、それを理解しあわなければならない業もある。そのために柳田の人間が描か
れ、成長や変化が描かれる…という点の欠けた『柳田』は演じる必要があるのか?
◆12月17日 第17回三田落語会昼席(仏教伝導会館ホール)
半輔『垂乳根』/白酒『甲府ぃ』/喜多八『味噌蔵』//~仲入り~//喜多八『夢の酒』
/白酒『宿屋の仇討』
★喜多八師匠『味噌蔵』
病み上がりなのだそうだが(確かに大分痩せていた)、異様なテンションの高さだけ
でなく、吝兵衛も店の連中も何だか胡散臭いキャラクターで無茶苦茶可笑しい。特に
悲惨な店の食生活のおかげで食べ物の名前や食べ方を忘れている奉公人とか、旦那が
帰って来ても「今度はいつ食べられるか分からない」と箸と茶碗を手に立ち尽くす奉
公人がいたりと、リアルさをマンガ的に誇張した可笑しさが炸裂した高座。
★喜多八師匠『夢の酒』
初代三亀松師の色気漫談のマクラも可笑しかったが、若旦那のおかみさんや夢の女が
色っぽいのに驚く。最後の親旦那のオチのひと言は酒飲みの心理を現して見事。『味
噌蔵』にも言えたが、リアルに感じ難い大声で会話をしているのに、「話術の会話」
「演技の会話」でなく、日常的な会話に聞こえるのが不思議に面白かった。
★白酒師匠『甲府ぃ』
心情的な噺としてでなく、「縁の不思議」を面白く描いた噺として納得感があるの
は、やはり豆腐屋主人の粗忽ぶりのキャラクター造型と、対照的に善吉のキャラク
ターを敢えて「落語国の田舎者」に留め、余り個性を発揮させていない、というバラ
ンス感覚にある。
★白酒師匠『宿屋の仇討』
万事世話九郎の打つ手の音が綺麗になったので、場面転換が決まるようになった。
「ジングルベル」を騒ぐ場面で江戸っ子三人が唄ったり、これは前からだが「輪島と
白鳳ではどっちが強い」の言い合いから相撲騒ぎになったりと、ギャグは相変わらず
のナンセンスだが、噺のまとまりが良く、本題は30分弱のスピードになったのは凄
い。言えば、万時世話九郎が侍っぽさに乏しい。
◆12月17日 第17回三田落語会夜席(仏教伝導会館ホール)
半輔『寄合酒』/権太楼『富士詣』/志ん輔『火事息子』//~仲入り~//志ん輔『野晒
し(上)』/権太楼『芝浜』
★権太楼師匠『富士詣』
丁寧な演じ方で、熊の蛇淫戒話に出てくる先達さんのかみさんに妙な色気があるの
と、熊の話しぶりの可笑しさが独特で、噺の愉しさは派手に演じた時と変わらない。
生で聞いた『富士詣』ではやはり権太楼師が一番可笑しい。
★権太楼師匠『芝浜』
唸る名作。遊雀師がネタ卸しした『芝浜』の優れた原点が此処にある。三代目三木助
師以降、粋に作られすぎ、装飾の増えすぎた『芝浜』を、「大金を拾う」という落語
としては野暮な原点に一度戻し、そこから職人噺・夫婦噺として見事に組立て直して
ある。最初に起きた時、魚熊は酔いざめでなく、前夜から酒を断たされている。「水
を張った盤台」「研いだ庖丁」「草鞋」などの小道具はカットして、起きた熊は直ぐ
芝の河岸に向かう。途中の道で犬も出ない。浜の描写も殆ど無いまま、手拭いを波打
ち際に落としたのがキッカケで財布を拾う(これは遊雀師にもある)。家に戻り、
拾った金の勘定をすると、一杯呑んで直ぐ二度寝する。起きると銭湯に行き、友達を
連れて帰り宴会騒ぎになって酔い潰れて寝る。かみさんが三度目に起きた熊に「財布
を拾ったのは夢だ」と話をするのも翌日の昼過ぎで早朝ではない。「起こすと手拭を
肩に銭湯へ」を繰り返して、「夢だ」と熊が納得させられるが、「手拭を肩に銭湯
へ」のセリフも形も実に愉しい。「酒を止める」は熊が言い出して、仕事に出るシー
ンはなく、贔屓の出入りを許される件を挿入。三年経っての大晦日は銭湯帰りの熊か
ら始まる。畳と障子は変えたが、まだ店などは出していない棒手振りのまま。「昔は
酒が道楽だったけれど、今は仕事が道楽だ」という熊の言葉で、かみさんは財布を出
す。家元は職人の感情に憧れて解説はしてくれたけれど、権太楼師は目白の小さん師
譲りで、職人の気持ちを表現してくれているのに感心した。だから、かみさんから
「夢ではなかった」と聞かされて、「どんなに情けなかったか」「それが夫婦
か?!」と怒る熊の心情に共感する。この共感は先代圓楽師の「思い出したくねェ。
嫌な夢だ」に近い心情ではあるまいか。かみさんは「こんな事して良いのかな」と怖
くなったから熊を「夢だ」と騙し、苦し紛れの感情で「情けない事を言わないでおく
れ」と叱ったと語る。「今のお前さんなら、金を見て駄目になって乞食になっても一
緒に乞食になって良いと思ったから、お金を出した」と語るかみさんは、確かに「怖
い女」でもあるが、「一緒に堕ちる決意」をしてくれる女がかみさんだというのは、
男から見て「運命の女」だって事でもある(志ん生師とおりんさんみたいな夫婦であ
る。面識はないけれど権太楼夫人に会いたくなった)。「機嫌直して貰おうと思っ
て、お酒、用意したの」というかみさんに、一度は「あの時、呑まないと決めたから
呑まない」と言った熊が、重ねてかみさんに泣いて薦められ、「お前も呑むなら呑
む」と言って、かみさんに先に酒を注ぐのが凄く良い(夫婦は共犯関係なんだなァ。
権太楼師がマクラで雲助師の『もう半分』を褒めたのが此処に繋がるのか)。最後に
湯飲みを膳に戻した熊が「よそう、夢になるといけねェ」を少し笑顔で、明るめの切
なさで言うのも素敵である。本題の尺は30分くらいと適切。夫婦噺・職人落語の
『芝浜』として、現在以降、基本になるべき演出だと思う。三代目三木助師の『芝
浜』の呪縛から漸く離れた高座に出会えた喜びを感じた。演出面では先日ネタ卸しし
たの遊雀師が更に洗練している部分もあるのだけれど、夫婦としての気組みが段違
い。
★志ん輔師匠『火事息子』
落語というよりは、雲助師の「世話噺」に近い「江戸情話」として優れている。志ん
生師や矢来町の型でなく、家元の演じていた鶴本の志ん生師型で、臥煙になった芳三
郎の夢の中から始まる。その冒頭から芳三郎が切ない。夢の中で女中に「どうし
た?」と存在を訊く「お千代」が纏持ちの後家で芳三郎の乳母になった女という設定
も、そうと分ると切ない。番頭の「御勘当になった芳三郎さんです」を聞いた親旦那
の「やっぱり…」のひと言も胸に滲みる。親旦那も阿っ母さんも割と泣くが、泣かせ
の嫌らしさは感じない。親旦那の気持ちも阿っ母さんの気持ちも聞いていて分かるか
らである。
★志ん輔師匠『野晒し(上)』
矢来町型として、ちゃんとしているのだけれど、勢いがないため一寸物足りない。
志ん輔師の変化・安定化によるものだから仕方ないんだけれどね。
◆12月18日 第回雲助蔵出し再び その十(浅草三業会館二階稽古場)
市楽『元犬』/雲助『持参金』/雲助『蟇の油』//~仲入り~//雲助『らくだ』
★雲助師匠『持参金』
サラリと可笑しく、雲助師ならではの馬鹿馬鹿しさがある。主人公のセリフから、
お鍋が酷く不細工に聞こえないのも結構。しかし、寄席によっては「禁演落語」に
なっていたとは知らなかった。確かに、新宿末廣亭で妊婦客のカップルがこの噺の直
後に帰ったのは見た事があるけれど、その末廣亭以外で禁演というのが驚き。これで
禁演なら『マサコ』なんかどうなるんだろう。
★雲助師匠『蟇の油』
凡そ雲助師から聞いた記憶の無い演目だけれど、酔った蟇の油売りの目茶苦茶さがた
だ荒っぽいのではなく、不思議な可笑しさの酔い方なのと、酔った勢いでズバーッと
刀を抜く辺りの迫力、それを見ていた客のリアクションの可笑しさには先代馬生師を
感じた。
★雲助師匠『らくだ』
ベースは先代馬生師だろうが全体のトーンが軽めで、噺の輪郭が稍小さい。屑屋が些
かグズ作りなのは独特で、カンカンノウを大声で唄う件はハッキリ可笑しいが、後は
野暮ったい。それが酒で変わり、鯔瀬とまでは行かないが、妙に江戸っ子っぽく威勢
の良くなる所が面白い。酔いが回った証拠として、先代馬生師譲りの突如大声を発す
る件もあるが、先代や志ん朝師程の大声ではない。この大声をキッカケとして急激に
態度が変わる、というよりは三杯呑んで、後をせびりだし、杯を重ねて荒れ始めた結
果、大声を上げる雰囲気。屑屋の語るらくだとの因縁話は狸の皮の件だけ。兄貴分は
比較的凶悪ではなく、江戸前の小悪党(笑)。大家は段々怒り出し、大声を出す辺りが
独特で、視線の因業な辺りも烈々と性質の悪さが出て可笑しい。月番と八百屋のリア
クションは普通。らくだの死体の始末は屑屋が髪は毟って、湯飲みに入った髪を取り
だしてから、樽を横にして死体を中に入れ、蓋で無理に押し込む。手足を一々折った
りはしない。樽を担ぎ出してからは屑屋の派手な「葬礼だ」が非常に可笑しく、隠亡
の凄い酔い方も抜群のマンガで傑出している。願人坊主と屑屋が帰り道で喧嘩を始め
るが、ここのナンセンスさはイマイチ。願人坊主の動きが小さいのかな。
◆12月18日 第回雲助一門会(浅草三業会館二階稽古場)
辰じん『ひと目上り』/白酒『四段目』/龍玉『親子酒』//~仲入り~//雲助『浪曲社
長』/馬石『笠碁』
★雲助師匠『浪曲社長』
爆笑お遊び噺(圓歌師と比較は出来ないが、浪曲も含めて中々こうは出来ないよ)。
ゴルフと浪曲好きの社長が、何となく「変な人」で可笑しいのは、先代馬生師的な
「変人落語」を余り得意としない雲助師としては、『電話の遊び』の親旦那と並んで
出色だろう。馬石師の『笠碁』とこの噺を聞くと雲助師の『笠碁』も聞きたくなる。
★白酒師匠『四段目』
いつもより面白いくらいなのに、続く三人が異常に可笑しかったので、会が終わった
ら印象に残っていなかったのは気の毒。
★馬石師匠『笠碁』
今松師譲りとのこと。先代馬生師型に、今松師や馬石師の工夫が加わり、目白の小さ
ん師型『友情の笠碁』でなく、先代馬生師の『碁に淫した変な人たちの笠碁』とし
て、かなりのレベルで面白い。「“待った”をしますね」と吉田の隠居に言われたの
が原因で、二人が「待った」を止める件は久しぶりに聞いた。最初に碁を打つ場面か
ら、明らかに二人とも目付きがおかしく(馬石師自身が碁をするというのが明らかに
投影されているが、それ以上に馬石師の性格の特異な一面が表れている印象)、その
淫し方、入っちゃった二人を引き画でみる愉しさが堪能出きる。後半、菅笠を被って
現れた碁敵を見て、待つ側の旦那が店の者たちに「普段の通りに(相手を)見ろ」と命
令するセリフや、番頭が「あたくしが(相手を)呼んで来ましょうか?」と申し出る辺
り、旦那たちの我が儘から、店中に異常な緊張感が漲っているのが如実に分かり、可
笑しくて堪らなかった。先代馬生師独特の「変人落語」は馬石師が一番受け継いでい
るのかもしれない。
★龍玉師匠『親子酒』
親旦那が呑み始めてから、間を溜めに溜めてボソッと呟く、「……うまい」など、ひ
と言ひと言の呟きが非常に可笑しい、独特の『親子酒』。こんなに可笑しい龍玉師は
初めて聞いた。親旦那も若旦那も、簡素な表現の酔っ払い方なのだが、如何にも酒呑
みらしい「可愛らしい意地の汚さ」が一杯(笑)。龍玉師の噺でこんなに笑ったのは
初めてである。
◆12月18日 上野鈴本演芸場夜席
玉の輔『財前五郎』/紫文(小菊代演)/琴調『赤垣徳利の別れ(下)』/歌武蔵『時そ
ば』//~仲入り~//ロケット団/燕路『もぐら泥』/アサダⅡ世/志ん輔『掛取萬歳』
★燕路師匠『もぐら泥』
サラサラと軽くて巧い。明らかに、これまでの「巧さ自慢」がなくなり、面白くなっ
たなァ。
★歌武蔵師匠『時そば』
一人目の男のそばの食いっぷりの良さと、二人目の夜鷹蕎麦屋が高倉健みたいに渋く
無愛想な低音なのが物凄く可笑しい。ギャグ面では普通に演じても、キャラクターで
これだけ面白くなる見本。才能のある噺家さんである。
★志ん輔師匠『掛取萬歳』
狂歌・義太夫・喧嘩・芝居・萬歳。そりゃ、圓生師みたいに大本格とは言わないけれ
ど、魚屋との「喧嘩」の場面に圓生師みたいな嫌らしさ、鬱陶しさがなく、全体が明
るく、暢気な貧乏人の掛取り対策になってるのが愉しい。
◆12月19日 新宿末廣亭昼席
可楽『漫談』/ぴろき/圓『天災』//~仲入り~//春馬『漫談』/Wモアモア/とん馬
『犬の目』/楽輔『粗忽長屋』/ボンボンブラザース/平治『うどん屋』
★平治師匠『うどん屋』
華柳師譲りだったかな…最近はまず聞かない『高砂や』『松尽くし』『山姥』に酔っ
払いが文句を付ける件が入り、「仕立屋の太兵衛」も三度、繰り返して話し掛ける。
その酔っ払いが職人の怖さを感じさせるのが独特。小柄なれば先代文治師だが、大柄
だから室田日出男といった雰囲気になる。だから、うどん屋が余計に愛想良くなるの
も分かる。その一寸怖いとこが、ミィ坊の花嫁姿を思い出して酔っ払いが泣く、とい
う展開の湿感を重くしない味にもなっている。うどん屋も酔っ払いが去ると、特に愛
想が良い訳でない。「婆さんのいう通り、今夜は早仕舞いしよう」と、普段は通らぬ
路地を抜けたため、初めての大店の客と出会う…この流れは良いね。大通りへ出て、
売り声を二度言うのも寒夜の雰囲気が出て結構なもの。大店の若い衆は、酔っ払いと
はうってかわって如何にも暢気な風邪っ引きで、うどんを啜る様子もクサくなく丁寧
なら、うどん屋のリアクションも小商人らしく無駄が無い。まだ、うどん屋の雰囲気
を若く感じてしまうが、これからが更に楽しみな演目だ。
◆12月19日 上野鈴本演芸場夜席
小菊/琴調『徂徠豆腐』/歌武蔵『時そば』//~仲入り~//ロケット団/燕路『やかん
舐め』/アサダⅡ世/志ん輔『文七元結』
★志ん輔師匠『文七元結』
マクラ殆ど無しで50分くらい。清澄な世界は先日の国立演芸場と同じで、登場人物
を追い詰めず、雲助師と共に(持ち味は違う)「江戸情話」の世界を築いている。半
面、客席の入りが薄く、受け所で観客側からのフィードバックが少なかったため、噺
を引っ張る長兵衛の陽気さが途中から、国立演芸場ほどは乗りきれないままに終わっ
た印象である。「江戸情話」としての魅力はあるが、最後の達磨横丁で「金は文七が
忘れて来た」と聞いた長兵衛が「死ねェー!」と叫ぶ雰囲気には至れなかったなど
(国立演芸場の「死ねェー!」は絶妙だった)、落語らしい愉しさに関して物足りなさ
が残ったのである。勿論、悪い出来ではなく、佐野槌でお久の言葉から長兵衛の泣き
笑い、女将の涙と続く件が陰気にならず、何処か温かい雰囲気を感じさせるなど、志
ん輔師らしい良さは散見されている。
★歌武蔵師匠『時そば』
昨夜書き忘れたが、主人公が二度目の不味いそばの太さを「干瓢みてェだな」と称す
るのと、不味いそば屋が出汁に煮干しを使っているのを、代金を誤魔化したい一年+
そば屋の低音に気圧されて「煮干しの方が体には良いんだ」と御愛想を言うのが優れ
た表現で非常に可笑しい。
-----以上中席------
石井徹也 (落語”道落者”)
投稿者 落語 : 23:05
2011年12月05日
石井徹也の「らくご聴いたまま」 11月下席号
11月には落語ファンにショックを与える”事件”が起きました。言うまでもなく、立川談志師匠の逝去です。11月21日に永眠をされ、23日に公にされました。談志師匠に関しては別途、記事をUPする予定です。
今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の十一月下席号です。石井さんも23日の夕刻まで、この事実をご存じありませんでした。23日以降の落語会に、そのニュースは微妙な影を落とします。稀代の落語”道落者”・石井徹也がリアルタイムで記録した”2011年11月下席”のレポートをお届けいたします。
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◆11月21日 第107回関内小満んの会(関内小ホール)
ありがとう『牛褒め』/小満ん『稽古屋』/小満ん『心中時雨傘』//~仲入り~//小満
ん『鈴振り』
★小満ん師匠『稽古屋』
下座抜きなので踊りの件は抜き。主人公が隠居にもてない訳を訊いて稽古屋へ向か
う。「喜撰」を習うが駄目で「擂り鉢」の本を借り、大屋根の上で甲の声を出す稽古
をする、所謂『歌火事』。主人公と隠居の軽い遣り取り、女師匠の困り顔と素軽く愉
しい大人の味。
★小満ん師匠『心中時雨傘』
積善の家に余凶ありの展開で確かに救いの無い噺。因縁因果とも無縁で、不思議に無
常な話。しかし、時雨を背景としながら、ほの温かい印象を聞き終わって受けるのは
小満ん師の語り口故か。『除夜の雪』より救いの無い演目なのだが。
★小満ん師匠『鈴振り』
『お長兵衛芝居』『柿栗松浦松茸』『甚五郎の張型』などのバレ小噺を経て、『十八
壇林』を軽く彩りに添えて本題へ。「UnderStand?」を小噺の合間の接ぎ
穂にしたのがまた洒脱。本題では若い修行僧の袖を引いて「一寸こちらへ」と一人ず
つ別室へ呼び、男根に鈴をつける件が馬鹿に可笑しい。こういう洒落た作りは小満ん
師以外に無理だね(三十年程前、ひょうきん族メンバーが真逆の事をしたと聞いた事
がある。前座さんで同じ事をしたら…女性が増えたから無理か)。
■立川談志師匠逝去 75歳。(公表は23日)
◆11月22日 池袋演芸場昼席
いっぽん『道灌』/金兵衛(交互出演)『狸の札』/美るく『垂乳根』/正朝『宗論』/東
京ガールズ/圓太郎『強情灸』/馬生『転宅』//~仲入り~//金也(交互出演)『悋気の
独楽』/扇好『のめる』/世津子/金時『芝浜』
★圓太郎師匠『強情灸』
峯の灸を使う古今亭型のスタンダード演出。友達二人の馬鹿な意地の張り合いが烈々
と能天気で可笑しい。
★正朝師匠『宗論』
寄席で聞くにはギャグを入れすぎずにキャラクターの面白さで聞かせるタイプで適
切。
★金兵衛さん『狸の札』
今時珍しいくらいにオーソドックスで狸も八五郎も仕種、セリフが確りしているから
面白い。
★金時師匠『芝浜』
独特の演出だが、おそらく金馬師の型だろう(金馬師の『芝浜』を生で聞いたのは2
8年前に「金馬いななく会」で聞いたのが最後だから、細部を忘れた)。主人公は魚
金。冒頭のかみさんが大抵の『芝浜』のように辛気臭くはなく明るめ(このかみさん
は割と気が強い)。芝の浜の描写は日の出くらい。慌てて帰り、戸を叩く声の抑え加
減は適切。金は五十二両二分。「唐桟を買いたい」とかみさんに話して二度寝する。
「夢だ」の件は長くない。かみさんは「呑んでも良いから働いておくれ」と言うが金
自ら「いや、酒ェ止める」と言う。三年経って、子供が生まれ(かみさんが言い訳に
は使わない)、店で若い衆も使っているが「来年辺り、表通りに店を出そうか」と話
をしている段階。金の「人間は働いてねェといけねェな」を受けて、かみさんの「話
を聞いておくれでないかい」となるが、金がそれを受けてのセリフ「怖そうな話だ
な」は良い。「そんな夢を見た事がある」は無く、直ぐに殴りかかるのを止めてかみ
さんの告白になる。「夢」にしたのはかみさんの考え。それを聞いた金が「拾った金
で遊ぼうなんて…俺はそんな腐った野郎だったんだ」「お前が一人前にしてくれたん
だ、有難う」はどちらも良いセリフだなと感じた。最後、金が右に盃、左に革財布を
持って笑うのも結構。「あたしのお酌じゃ嫌かい」は蛇足だが、左手の財布を見て、
「夢になるといけねェ」は実感がある。演出的にはざっかけなくて、金馬師らしい職
人夫婦噺の良さがある。口演的には、まだ金馬師の上なぞりの気味が強く、金の雰囲
気が如何にも若過ぎるかな。
◆11月22日 みなと毎月落語会「志らく・喬太郎二人会」(赤坂区民ホール)
らく兵『間抜け泥』/志らく『疝気の虫』/喬太郎『任侠流山動物園』//~仲入り~//
喬太郎『饅頭怖い』/志らく『鼠穴』
★志らく師匠『疝気の虫』
前半は半分、毒舌漫談みたいな物だが、エイリアン系疝気の虫のキャラクターと志ら
く師のキャラクターに違和感の無い辺りは真似出来ないとこ。
★志らく師匠『鼠穴』
「粋に憧れる野暮ったさ」という志らく師の素地の或る部分が家元と似ているから、
この田舎者兄弟は適う。兄貴が冷徹だが冷酷ではないのが序盤にあるのも嬉しい。狼
のような弟の泣き声という笑いを足して、噺の終盤を陰気になり過ぎないようにした
のも悪い工夫ではない。「落語を落語として語る話芸では談春師より上かな」とも感
じる。現在の落語協会・芸術協会のメンバーから、志らく師・談春師以上の『鼠穴』
を聞いた記憶は私には無い。でも、二人の上には三十代でこの噺を磨ぎ上げ、研ぎ上
げた家元が厳然と聳えていて、その呪縛の範囲を噺が出ていないのも事実である。夢
の中の魔王みたいな兄貴の怖さ、お花が全く泣かずに私を泣かせ感動させた凄さ、そ
の家元の『鼠穴』から、家元の忘れた穴を探して突くには足し算だけでなく引き算も
必要だろう。
※この噺、民話が元というけれど、本当かなァ。志らく師の高座を聞いていて『塩原
太助一代記』の一部を裏返した本歌取り(改作)じゃないか?という感じを受けた。三
代目圓馬師以前はどんな噺だったのだろう?
★喬太郎師匠『任侠流山動物園』
動物が喋る件は抜き。この面白さが喬太郎師の「演劇系お芝居落語」にマッチしてい
て、任侠物落語としては白鳥師を上回ると思う。白鳥師の作品で白鳥師を上回れるの
は喬太郎師だけみたいだ。
◆11月23日 とん馬の会(お江戸日本橋亭)
鯉ちゃ『桃太郎』/とん馬『雑俳』/夢吉『佐野山』/とん馬『味噌蔵』//~仲入り~
//とん馬『百川』
★とん馬師匠『雑俳』
軽快。八五郎が如何にも「船底をガリガリかじる春の鮫」と言いそうなキャラクター
であるのが可笑しい。
★とん馬師匠『味噌蔵』
吝兵衛の吝嗇ぶりが稍淡白ではあるが、その分、何処か間抜けなキャラクターである
のが愉しい。奉公人・番頭の羽目の外し方も結構。『百川』にも言えるが、人物の一
寸した距離感を現すセリフの強弱、仕種・視線の的確さは遊三師譲り。ちとメリハリ
のつけ方が寄席サイズ過ぎるのが惜しいけど、好ましい
★とん馬師匠『百川』
人物表現が的確で早口のチンパンジーみたいな百兵衛、サラッとそそっかしい河岸の
若い衆初五郎の頓珍漢な遣り取りは非常に可笑しく愉しい。一寸小味なんだけど、そ
こが圓生師や小三治師の『百川』より、みんなの間抜けさが粋に感じられるとこでも
ある。
◆11月24日 池袋演芸場昼席
美るく『堀の内』/志ん馬(扇好代演)『看板のピン』/東京ガールズ/圓太郎『野晒し
(上)』/馬生『品川心中(上)』//~仲入り~//金也(交互出演)『転宅』/正朝『蜘蛛駕
籠』/世津子/金時『柳田格之進』
★圓太郎師匠『野晒し(上)』
珍しい演目。一寸重いとこもあるが、尾形清十郎が立派で八五郎のハネ方に力強さが
あり可笑しい。
★正朝師匠『蜘蛛駕籠』
「家元に褒められた噺」という思い出をマクラにして本題へ。酔っ払い抜きだが、軽
い愉しさは相変わらず。
※『野晒し』『品川心中』『蜘蛛駕籠』は落語協会時代の家元を知る世代の追悼か。
馬生師もマクラで逝去に触れたし、圓太郎師もマクラで「21日に身の回りに起きた
変事は家元の祟りだったのかも」と語った。
★金時師匠『柳田格之進』
さん喬師型かな。それでいて萬屋や徳兵衛に金馬師の雰囲気がひょいと顔を出すのが
面白い。萬屋と徳兵衛はかなりの出来だが、柳田が侍に見えない。また、柳田が若く
聞こえる。言葉使いなどもまだ無駄が多く、それが柳田の輪郭を曖昧にしている。
◆11月24日 渋谷に福来る~落語ムーブメント2011~vol.4 立川生志独
演会(澁谷総合文化センター大和田伝承ホール)
白鳥・生志『オープニングトーク』/ぴっかり『動物園』/生志『堀の内』//~仲入り
~//白鳥『豊志賀ちゃん』/生志『紺屋高尾』
★生志師匠『堀の内』
金坊が活躍するヴァージョン。今夜もマクラが長く噺の前半は運びがスムーズとは言
い難かった。
★生志師匠『紺屋高尾』
心なしか何時もより家元の原型に近い印象を受けたが、久蔵が泣きすぎず、高尾の言
葉を疑い過ぎず、高尾がまた、久蔵の告白を聞いて一瞬にして久蔵に惚れて青く染
まった手を取る。理屈に頼らず、情を信じた展開の心地好く明るい高座だった。「俺
が純情噺にしたんだ」と昨年、博多で家元が生志師に言われたそうだが、やはり『紺
屋高尾』で聞いて泣けるのは家元型のロマンティシズムに始まり、そのロマンティシ
ズムを活かして理屈に流れず、落語らしさを忘れない生志師の口演になる、といって
も過言ではあるまい。
★白鳥師匠『豊志賀ちゃん』
これが『豊志賀ちゃん』らしい(にぎわい座に行けなかったので)。『珍景累ケ真
打』の差し障りのありそうな人物名を、柳家豊志賀、柳家さくらに変えたもの。50
分以上あった噺が30分そこそこになった無駄の無さにも感心。
◆11月25日 池袋演芸場昼席
時松(交互出演)『芋俵』/美るく『大安売』/扇好『看板のピン』/東京ガールズ/圓太
郎『権助芝居』/馬生『二番煎じ』//~仲入り~//金也(交互出演)『風呂敷』/正朝
『紀州』/世津子/金時『夢金』
★圓太郎師匠『権助芝居』
権助の田舎者らしさと、芝居好きらしい気取り方のバランスが良くて面白い。やは
り、先代馬の助師に芸質が似てるのかな。
★馬生師匠『二番煎じ』
簡略型だが、町の旦那衆の雰囲気、寒夜の隠れ酒の愉しさが出ていて結構なもの。二
の組の連中が帰ってくると、戸にしんばりをかって声を潜め、いないふりをする性質
の悪さが馬生師だと愛嬌になって面白い。お茶は飲まずに直ぐに酒を燗する。五徳が
二つあってか燗と猪鍋を煮るのが一度に出来る。鍋は土鍋など細かい配慮は先代譲り
か。見廻りの侍がグイグイと五杯の酒を煽る蟒ぶりも感じがある。
★金時師匠『夢金』
熊のリアクションが鈍いため、役々はある程度演じられても、ドラマに留まって落語
の面白さにはまだなっていない。特に、熊に愛嬌がからきし無いのは弱味。
◆11月25日 第564回三越落語会(三越劇場)
吉好『十徳』/可龍『両泥』/生志『短命』/昇太『壷算』//~仲入り~//兼好『粗忽
の釘』/談春『竃幽霊』
★談春師匠『竃幽霊』
終盤近くまで、妙に熊さんが「良い人」に聞こえた、というか、セリフも態度も道具
屋に対して凄く気を使った、町中で暮らしている人間だったのが面白い。幽霊相手だ
けは自棄に強気な熊さんである。銀ちゃんは比較的ヒョロヒョロしていたが、基本的
に柄違い。全体的には馬鹿馬鹿しさが余り無いので、落語としては物足りなさが残
る。幽霊との遣り取りの雰囲気、幽霊の妙な愛嬌を見ていると目白型の『竃幽霊』の
シンプルな可笑しさの方が向いてるように感じる。
★昇太師匠『壷算』
瀬戸物屋にまけさせるには危ない男をけしかければ良いだけだから、其処に元々ある
金のトリックを重ねる「笑い」の作り方はやはり独特だなァ。その分、何割かの会話
が無駄に感じるのがオリジナル作品の場合と旧作に手を入れた場合の違い。
★生志師匠『短命』
この所、マクラの長い時の小ネタは序盤の会話がどうも滑らかにならない気味がある
なァ。
◆11月26日 第6回さりゅうのじかん(荒木町・橘家)
左龍『お花半七』/左龍『壷算』//~仲入り~//左龍『子は鎹』
★左龍師匠『子は鎹』
情味はあるのだけれど、全体が稍陰気。特に、亀と話している間の熊さんは物凄く暗
く感じた。責任を感じ過ぎてる被告みたいである。かみさんお徳は苛烈か賢女になら
ず割と優しい母親であり女であって悪くない。亀は明るく(肉饅頭みたいな笑顔が可
愛い)メソメソはしない。鰻屋で「また三人で一緒にご飯食べよう」と言っているう
ちに涙ぐむのは正蔵師の亀に似た演出で子供の悲劇が分かる。最後に突然、番頭さん
が現れてサゲに繋がるセリフを言うが、最初から同席していた方が違和感はないと思
う(「子は夫婦の鎹だねェ」を第三者に言わせる事自体は賛成)。
★左龍師匠『壷算』
割とシニカルなほどに冷静だった瀬戸物屋が、バニックに陥るに連れてキンキン声に
なる。それがニンに適って可笑しい。そこまでの留と八の遣り取りはもう少し馬鹿馬
鹿しくても良いなァ。瀬戸物屋の小僧が主人のパニックぶりを笑って見てる、という
のは笑った。
★左龍師匠『お花半七』
伯父さんと叔母さんの件が長め。叔母さんのクチャクチャと皺っぽい感じが愉しい。
お花が意図的で半七に迫るのは良くあるが、雨が振り出し雷が鳴るまでもう少し段取
りはあった方が噺に彩りが付く。いきなりお花が迫っちゃ色気がない。女って、意図
的な時はもっと用意周到だと思うよ。
◆11月26日 第四回柳家甚語楼の会(お江戸日本橋亭)
おじさん『転失気』/甚語楼『らくだ』//~仲入り~//ほたる『代書屋』/甚語楼『崇
徳院』
★甚語楼師匠『崇徳院』
近年、これだけ可笑しい『崇徳院』は珍しい。柄に無い若旦那を崩さず丁寧に演じて
恋煩いのマジぶりを出したのが良く、目を真ん丸にするとスッと落語国の住人になれ
る熊さんの可笑しさと良き対比を見せてくれる。若旦那の恋煩い話を聞く件から、熊
さんの可笑しさは素晴らしい。ズーッと張った調子だから、緩急を使う目白の小さん
師系の長屋の住人とはタイプが違うのだけれど、張りに張っても常にキャラクターが
ボケてるから派手に可笑しい。中でも「三軒長屋を貰ってもねェ…三軒分の家賃を
あっしが払うんでしょ?」には笑った笑った(権太楼師が枝雀師から学んだ「直解主
義」のギャグセンスだね)。セリフや流れは三代目三木助師とほぼ同じだが(「役人
衆がスイトンを食った」など、独特のギャグもかなり可笑しいがギャグに頼って噺を
作っていない)、二枚目系の演者が『崇徳院』で陥りやすい「気取った嫌らしさ」が
なく、目白的落語国人物像として実に優れて愉しい『崇徳院』だった。
★甚語楼師匠『らくだ』
タップリと火屋まで。ズーッと調子を張って押し続けたハイテンションの高座。屑屋
の困り顔が可笑しく、長屋の月番や八百屋が普通の長屋の住人から、らくだの死を聞
いた途端、邪な嬉しさに欣喜雀躍する小市民へと変わる様子の愉しさ。如何にも因業
で居丈高な大家が傲慢さ一杯に喜ぶ悪魔的な可笑しさは優れた演出。兄貴分の落語的
な、怖くなりすぎない荒々しさ(余り泥酔はしない)も噺の展開上適切で、後半の気弱
さにちゃんと繋がっている。酒を呑み出してからは、三杯目途中の褒め言葉が愚痴や
怒りにジワジワ変わって強者弱者の立場が逆転する。妙にドラマティックな逆転でな
いのも落語らしい。中でも立場の逆転した屑屋がらくだの髪を毟った後、「らくだに
売り付けられ狸をらくだの家の床下で捕まえて皮を剥いだ」という自慢話を兄貴分に
聞かせようとする、初めて聞く演出には笑ったなァ。菜漬けの樽を担いで焼き場へ向
かう屑屋の「弔いだ弔いだ」の甲高い調子も間抜けで可笑しく、隠亡の酔い方もマン
ガで可笑しい。既にかなりのレベルで、「カンカンノウ」を踊らせる件や骨を折って
菜漬けの樽に死体を押し込む件でもう一つ凄みが増し、可笑し味が濃縮して噺にコク
が出れば、一級品の『らくだ』になる予感を感じさせる。
◆11月28日 第35回讀賣GINZA落語会(ル・テアトル銀座)
左龍『壺算』/白酒『替り目』/文珍『池田の猪買い』//~仲入り//平治『源平盛衰
記』/市馬『大工調べ』
★市馬師匠『大工調べ』
サゲまでの通しを意識してか、割と前半がおとなしい。大家が棟梁を褒めておいて揚
げ足を取りに行く雰囲気は目白型の本道。但し、大家の悪心が似合わないから、それ
が面白いか?というとクエスチョンマークが付く。お白州は御奉行が立派かつ清廉だ
が、人情噺的な造形で可笑しみは乏しい(この噺のお白州で可笑しいのは談笑師だけ
だけれど)
★平治師匠『源平盛衰記~木曾義仲』
殆ど漫談(笑)。
★文珍師匠『池田の猪買い』
本当に久し振りの口演なのか、少し怪しいとこもあったが、六太夫のムッツリした感
じが如何にも田舎の猪打ち猟師らしくて良かった。
★白酒師匠『替り目』
マクラが長めだったので夫婦の遣り取りは短め。うどん屋から義太夫流しへ。変わら
ぬ爆笑。
★左龍師匠『壺算』
マクラの入りが何となく陰で損をしていたが、ギャグ沢山でなく、瀬戸物屋のキャラ
クターとパニックぶりで可笑しいのは気持ち良く愉しい。米朝師匠型で、水瓶の割れ
る件なども聞いてみたい。
◆11月29日 SWAファイナル“書き下ろし”二日目姫の部(本多劇場)
昇太・喬太郎・白鳥・彦いち「御挨拶」/喬太郎『再会のとき』/彦いち『泣いたちび
玉』//~仲入り~//昇太『心をこめて』/白鳥『鉄炮のお熊~撫子の由来』
★昇太師匠『心をこめて』
「うちの協会は、落語協会と違って仲が良いんです。お互い、本当の事を言わないか
ら」という柳昇師のマクラを思い出した。小市民夫婦がお互い、本音を日常でぶつけ
あってシンドくなっちゃう、という可笑しさはシニカルでなくドライ。落語協会には
殆ど無い、米朝師みたいなドライさが実に可笑しい。
★喬太郎師匠『再会のとき』
万引き犯人の女性は、店員の大学の先輩や中学の同級生で憧れの対象という設定。女
性の話を聞くうちに、実は中学時代から良識外の人生を送っていた事が次第に露にな
る。展開は『ほんとのこというと』みたいだが、女性に全く後悔の念がなく、何とな
く薄笑いしてる印象なので、その分、この噺の方が凄味を感じる。男のロマンをぶち
壊して行く展開は『幾代餅』『紺屋高尾』の対極にある分、人間の不可解さが持つリ
アリティを感じさせる。この「×5」設定の女性に万引き以外の犯罪歴があると、よ
りリアルでディープな可笑しさの私落語になると思う。
★白鳥師匠『鉄炮のお熊』
「撫子の由来」で歌舞伎役者、それも女方が絡むのは、初代芳沢あやめの「思い出の
かわら撫子今もなお、我が起き臥しを人に知られな」を思い起こさせるのは偶然だろ
うね(笑)。「鉄砲のお熊」も『鰍沢』から取ったものとも言えるし。幼馴染みが歌舞
伎の女方と女相撲の大関になって再会する、という割に切なくウジウジしないのはヒ
ロイン側には子供時代からの片思いがなく、サッパリした気質に描かれているからだ
ろう。敵役のジャイアンみたいな盗賊が子供時代に後の女方少年を見た刷り込みで男
色家になってる無茶も生々しくなく可笑しい。『一本刀土俵入り』みたいなラストも
含め、『珍景累ケ真打』から続く女性芸人へのエール落語っぽいとこもある。実際、
『プロレス少女伝説』に続いて古今亭ちよりんさんで聞きたい噺だもん。
★彦いち師匠『泣いたちび玉』
『泣いた赤鬼』に噺の展開が縛られたのか、噺の湿度が高い。大衆演劇一座のちび玉
実は62歳(白木みのるみたい、は笑う)という設定が余り活かされていない。『聖
橋』みたいに馬鹿馬鹿しくない。基本的なコンタクトが真っ当過ぎる。
※「泣いた赤尾敏」という駄洒落を思い付いてしまった。
◆11月29日 一之輔のすすめ、レレレレ(国立演芸場)
朝呂久『浮世床・講釈本』/一之輔『明烏』//~仲入り~//ぺぺ桜井/一之輔『』
★一之輔さん『明烏』
以前に聞いた時より笑わせ所は増えた。しかし、一之輔さんの一貫したあるべきリズ
ムは失われている。キャラクターでは柄にない時次郎のひ弱さが良く、また遣り手の
おばさんの怪人ぶりも目立つ。半面、源兵衛・太助はどっちがどっちだか分からない
(二人の演じ分けが明確な人は少ないけどね)。『欠伸指南』や『鈴ケ森』のような喜
多八師一本槍の噺と比べ、場面場面で複数の先輩の美味しいセリフを加味した代わ
り、場面場面で足すのに使った芸風の異なる先輩のリズムになってしまったのではあ
るまいか。以前より可笑しいのとは裏腹に、寄せ木細工の脆さがある。これを一貫し
た一之輔さんのリズムや強弱にするのが真打昇進後の課題か。
★一之輔さん『百川』
全体に声が小さかったけれど、こちらの方が全体のリズムは整っている。百兵衛のフ
ニャフニャした可笑しさが全体をリードしていて、途中から河岸の若い連中に反抗す
る工夫も可笑しく、野暮な愉しさがある。若い連中のリズムはトントンしていて跳
ねっ返りの馬鹿さ加減も出ではいるが、言葉の切れが百兵衛に近く、百川の座敷で田
舎者と与太郎が集会をしているみたいな印象を受けた。対比の可笑しさがもう少し欲
しい。思っていたより、実は田舎者(肉体労働者タイプではないが)主体の噺の方が似
合うのかもしれない。野暮な方が今のお客さんには一般受けするから、『百川』『木
乃伊取り』『棒鱈』などを真打昇進前後は売り物にした方が良いのかも。
◆11月30日 池袋演芸場昼席
美るく『初天神』踊り:深川/扇好『紙入れ』/東京ガールズ/圓太郎『壺算』/馬生
『干物箱』//~仲入り~//金也(交互出演)『悋気の独楽』/正朝『蛙茶番』/世津子/
金時『文七元結』
★圓太郎師匠『壺算』
重めの展開だが、瀬戸物屋の主人が考え考えパニック状態に嵌まって行く様子のちと
理屈ありげな可笑しさが愉しい。
★馬生師匠『干物箱』
時間省略のためか、善公とは道端で出会う。二階に上った善公は俥屋の妄想~運座の
質問~干物の質問と展開するが、善公の騒々しさに下品さの無いのが良い。若旦那が
財布を取りに戻ってから普通の演出より少し段取りが多く、親旦那がかなりマジに怒
るのがサゲの可笑しさを立てるのに感心。
★金時師匠『文七元結』
ズーッとさん喬師型だが、酒屋の酢屋満(小西じゃないのよ)から、金馬師的な人物
像へ登場人物の雰囲気がシフトする。最後の達磨横丁はみんながニコニコして、それ
までのマジなひを表情が嘘みたいだが、その笑顔の方が金時師には似合うように思え
た。
◆11月30日 蜃気楼龍玉 圓朝に挑戦!!『緑林門松竹』第13夜(道楽亭)
本田久作『解説』/龍玉『緑林門松竹~お崎藤七』//~仲入り~//龍玉『文七元結』
★龍玉師匠『お崎藤七』
藤七と按摩幸治の密談から、幸治宅でのまたかのお関との再会、お崎が店から百三十
両を盗むまで。次回のお崎藤七殺しの伏線、間の宿だから、ストーリー上の聞かせ所
は特に無い。幸治は悪辣さ不足。お関は色気不足。藤七とお崎の半端悪人ぶりは悪く
ない。
★龍玉師匠『文七元結』
途中から足が痛くて困ったのが(一時間以上もあったかな)感情過多になるのを妨げ
たのか(笑)、見た目は圓生師なんだけれど、全体の雰囲気は落語味の強い古今亭の高
座。長兵衛のかみさんも佐野槌の女将も、登場人物に一人として人を追い詰めるセリ
フを言う者のいないのはステキ。長兵衛がもうちょいと能天気なら、古今亭らしい
「落語の文七元結」になりうる。元より、佐野槌から吾妻橋まではバカマジに演じら
れやすいが、文七が近江屋へ戻ってからは笑いの要素に満ちている噺だから、後半の
トーンで前半も演れば一貫した人情落語となり、江戸っ子の能天気と粋と洒落の入り
雑じった「江戸噺」になる。龍玉師の場合、吾妻橋で金を出し入れするのも江戸っ子
気質らしくないが、「落語にする鎹」のような言葉が無い。志ん生師の文七の「阿
父っつぁん!」、先代馬生師の長兵衛の「生かしておきたくねェ」、志ん輔師の長兵
衛の「死ねーッ!」みたいな言葉が龍玉師の中からまだ生まれてこないないのが課
題。一層、落し噺を演じる事に邁進すると、その「鎹」は出てくると思うが。
石井徹也 (落語”道落”者)
投稿者 落語 : 22:48