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2010年10月02日

古今亭志ん五師匠 追悼

古今亭志ん五師匠が9月28日、上行結腸癌で逝去された。行年61歳。
私が最後に伺った高座は今年、1月20日末廣亭夜席の『鰻屋』になる。

今年、上半期に病気が判明されたそうだが、酒も煙草もたしなまれない師匠だったので、健康診断と無縁だったというだけに、逝去の報には驚かされた。

最後の高座は、9月上席浅草演芸ホール昼席。
幕を下ろして、楽屋から前座さんに支えられての高座上がり降り、釈台に掴まっての板付高座で十日間『浮世床』などを演じたという。そう伺っても、それを拝見する度胸は私には無かった。病み衰えた姿は志ん五師匠に相応しくないと感じたのである。
「覚悟の高座」だったと思われるが、志ん朝師匠と同じく、浅草演芸ホールを最後の高座としたのは意識されての事だろうか。

1966年の入門。前座時代が高助、二ツ目で志ん三。真打昇進して志ん五となった。一番最初の印象的な高座は1974年、旧本牧亭で催された『志ん生一周忌』の会で『妾馬』を演じられた時。まだ志ん三時代だった。「少し怖いけど、骨格の大きな芸だな」と思ったのを覚えている。

その骨格の大きな芸から、真打昇進を果たして、志ん五と改名された後、古今絶無とも言うべきパワフルな与太郎像を作り出し、フジテレビの『らくごin六本木』などでも活躍したのは、我々世代の落語ファンなら周知の事である。

目をカッと見開き、大きく開けた口から歯とガバッと出し、舌をベロベロと垂らすと、ハァハァ息を弾ませながら、体を半身にして上下動激しく揺らし、「アンちャーん」と迫ってくる与太郎の迫力は凄まじく、寄席の客席で何度、息が出来ないほど、爆笑させられたか分からない。
落語を聞いて、息が出来ないほど笑った経験は桂枝雀師匠、志ん五師匠、最近の桃月庵白酒師匠くらいしか記憶にない。

当時は『から抜け』『道具屋』『金明竹』『南瓜屋』『錦の袈裟』といった与太郎噺から、『代脈』『新聞記事』『鈴ケ森『鮑熨斗』と与太郎が主人公だったが、中でも絶品は『反対俥』原型の演出は談志家元だが、それに志ん五師匠の与太郎が加味されると、驚異の高座になった。中でも1980年11月20日の池袋演芸場で聞いた時の可笑しさ、「助けてくれ~」と絶叫する客を乗せたまま、山中へ何処ともなく消えて行った『反対俥』の姿は脳裏から今も消えない。

同じ頃、日本語の分からない外国人に落語や漫談を聞かせるという特別番組をフジテレビで深夜に構成・放送した事があるが、志ん五師匠のパワフル与太郎は国境と民族を超えて受けまくった。

しかし、あの過激な与太郎は非常に体力を消耗する事と(直接、志ん五師匠から伺った事がある)、志ん朝師匠の総領弟子として、古今亭の本道を意識される立場として、忸怩たるものがあったのか、ある時期から過激与太郎を完全に封印されてしまった。

以後は寄席の主要戦力として、『浮世床』『不精床』『鰻屋』『鈴ケ森』などを演じられることが多く、「こんな日に寄席においで下さるお客様こそ、真の落語ファンではないか!……どっか行くとこ無かったのかねェ」の定番フレーズ共々、常に安定した笑いの取れる存在だった。

一昨年だったか、新宿末廣亭の下手桟敷にいたら、高座に上がった志ん五師匠が『不精床』のマクラを振られた。こちらもいつもの事で、「あぁ、『不精床』だ」と、少し疲れていた事もあり、眼鏡を外してしまった。その瞬間、志ん五師匠がこちらをチラッと見たかと思うと、そこからの『不精床』の可笑しかったのなんの思わず外した眼鏡を掛け直して高座に見入ったものである。正に「地力を見せつけられた高座」だった。

また、一昨年から昨年に掛けては、池袋演芸場や鈴本演芸場では、主任で『宿屋の仇討』『大山詣』『抜け雀』『付き馬』などを演じるだけでなく、仲入りくらいの出番でも『火焔太鼓』『宿屋の富』『井戸の茶碗』と、古今亭の大ネタを中心に、積極的な高座を見せられていたのが印象深い。今思えば、虫が知らしていたのかもしれないが…

中では鈴本演芸場だったと記憶するが、『風呂敷』が滅茶苦茶に可笑しかったのが忘れられない。
また、初期の「小学舘らくだ亭」で演じられた『干物箱』の、非常によく面白味のこなれた、巧さも忘れ難い物だった。

志ん五師匠が亡くなられた翌日、9月29日の上野鈴本演芸場昼席で、主任に上がられた白酒師匠がマクラの途中から「真の落語ファンではないか!」と言われると、志ん五師匠が得意にされていた与太郎噺の『錦の袈裟』に入った。
仲入りで橘家圓蔵師匠が与太郎噺の『道具屋』を出されていたから、普通からありえない演目チョイスである。

勿論、白酒師匠は志ん五師匠の事にはひと言も触れずに噺を進めた。
白酒師匠独特の、バカボンみたいな与太郎に客席で大笑いさせられながら、私は鼻の奥がムズムズして困った。
寄席育ちらしい気配り、噺家さんらしい了見、古今亭一門らしい愛惜に彩られた、見事な「先輩・志ん五師匠追悼」だったと思う。
合掌

妄言多謝

石井徹也(放送作家)

投稿者 落語 : 2010年10月02日 13:41