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2008年10月24日

柳亭左龍さんの江戸ことばのお話

毎週日曜日の午前10時半~11時放送の「浜美枝のいつかあなたと」に落語家の柳亭左龍さんをお迎えいたしました。
お話のテーマは「江戸ことば」。
左龍さんはさきごろ「使ってみたいイキでイナセな江戸ことば」(小学館)というご本を上梓されたばかり。この本には、落語に出てくる約200の江戸ことばとその語句に関係するエピソードが紹介されています。

また収録では、「寄席の舞台裏」の貴重なお話(楽屋内の約束事や符丁、エピソードなど)もたっぷりお伺いしました。なかでも前座修行時代に大師匠である先代小さん師匠から頂いた小言の思い出は味わい深く、小さん師匠のお人柄が偲ばれました。

落語ファンならずともぜひお聴きいただきたい内容です。
柳亭左龍さんのご出演は10月26日(日)、午前10時半 文化放送。

どうぞよろしくお願いいたします。

                    松本尚久(放送作家)

収録風景

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投稿者 落語 : 08:44

2008年10月17日

2008年的寄席評判記

申し訳ないけれど、このところ、本業などが忙しくて書けなかったブログであります。今回は都内で定席・準定席(月15日程度連続)のある寄席に関する私的な評判記を少々。

学生時代から80年代へかけて、私が最もよく通った寄席は、改装前の3階にあった池袋演芸場だった。松本のオバチャンをはじめとするお茶子さんたちとも結構顔見知りだったし、畳の、それもうるさいクーラーの後ろや、狭い桟敷の前方を自分の「指定席」と決めて、談志家元や金馬師匠、扇橋師匠の主任興行に通い、圓生師匠や小三治師匠の主任を聞いた。そのせいか、いまだに「狭っこい端席感覚の寄席」が性に適う。

◆新宿末広亭
 今は矢っ張り、新宿末広亭が一番落ち着くね。だって、一番寄席らしいもん。落語を聞きに行く、というより、「寄席を味わいに行く寄席」というべきかもしりない。
小三治師匠の主任などでは平日でも連日二階が開くけれど、他の噺家さんの主任で、客席がガラガラになっちゃった日曜日の夜席の仲入り後なんかでも、「末広亭にいる」ってだけでなんとなく嬉しい。なんたってあの提灯がいいのよ、寄席らしい色気があって。芝居小屋でいえば、京都の南座に通じるものがあるゾ。
 椅子席の座り心地はまあまあ(昔に比べれば天国)なれども、私は図体がデカイため、椅子席は狭苦しい。そこで、一階両側と二階の畳桟敷を愛するようになった「桟敷派」であります。傾斜のついた不思議な桟敷で、慣れないとズルズル滑ったりするけれどね。
私の「指定席」は上手座敷の真ん中より、少し前あたりの壁側。二階の一列目手すりに凭れ掛かって聞くのも嫌いじゃない(築年数を考えるとちと怖いけど)。
ただし、二階は一列目と二列目以降では、高座の聞こえ方にかなり差があり、扇橋師匠や圓菊師匠の高座だと大変に聞き取りにくい。
トイレは綺麗になったけど、一階のトイレに石鹸のないのが玉に瑕かな。夏場のクーラーも昔よりはマシになったけれど、まだ些かうるさくなったり、利き過ぎたりと不安定である。特に真夏、上手桟敷の前にいると、「寒い」は「うるさいは」で、高座に集中しにくくなったりすることもありやす。
それとね、売店の食べ物がヴァリエイションにやや乏しいのは惜しい(私はサンドイッチという食べ物が嫌いなんである)。だからして、私は末広亭へ行く場合は大抵、先に直ぐ傍の桂花でチャーシューメンを食べてくるか、伊勢丹の地下にある「鈴富」で鉄火巻の類を買ってきて、仲入りに食べるようにしてェる。夜席の仲入りで、桟敷に鉄火巻きを食べてるヒゲ面の男がいたら私と思って戴いて結構です(笑)。入場したらすぐペットボトルのお茶とアイスクリームを買うのは、夏でも冬でも変わらない習慣。

客席と高座がどちらも照明が明るいのは有難い。高座の天井は低いから、立っての曲芸は大変だろうけどね。末広亭で三平師匠を初めて観たとき、三平師匠が登場すると、ただでさえ明るい高座が、何倍も明るくなるのに驚いたことがあったっけ。
落語協会・落語芸術協会、どちらの興行でも番組の顔ぶれはバランスが取れている。しいて言えば、落語協会の場合、協会員の数の関係で若手真打の主任興行が仲々ないことが物足りないくらいかな。喬太郎師匠・三三師匠・白酒師匠・左龍師匠・菊志ん師匠(それもそんなに大ネタでなくていい)といった顔ぶれを、末広亭の主任で聞きたいのでありますよ。

番組という意味では、仲入り後が「食いつき」「色物」「落語」「落語」「ヒザの色物」「主任」と6本あるのもいい。主任以外は、それぞれが15分程度の高座でも、本数があると、不思議に「タップリ聞いた感」が味わえるのだ。
最近は寄席全体に漫談(それオンリーの落語家さんは別として)が一時期よりは減ってきて、ちゃんと一席物の落語が聞けるのは嬉しい変化が、末広亭は昼夜入れ替えなしの興行だから、夜席の後半になると、自然とネタのヴァリエイションも豊富にならざるをえないのも、落語ファンの観客としては有難い。
またね、落語芸術協会には、末広亭の似合う師匠が山ほどいるから嬉しいのよ。すっごく草臥れて末広亭に来たとき、桃太郎師匠の『結婚相談所』を桟敷でトロトロと聞いてたら、「疲れてるとき、桃太郎師のダジャレ連発を聞くと疲れが抜けてくる!」のに驚き、桃太郎師の真価を知った!なんてェのも末広亭ならではの体験なんである。
落語協会なら8時30分、落語芸術協会では8時35分が主任登場の目安になるといった具合に、主任の持ち時間は協会によって稍違うけれど、それもまた両協会味のうちといえるかな。特に落語芸術協会のシバイだと、主任の『柳田格之進』で25分など、「寄席サイズ」の名作落語が聞けたりするので、肩が凝らずに楽しめる。
尤も、落語芸術協会の主任の師匠方には「8時40分くらいの上がりになっても、無理にネタを小さくして、9時ジャストの打ち出しにしなくてもいいですよ」とだけ言っておきたい。10分くらい押したって良いじゃないですか
あと、滅多に「ネタ出し」の興行なんぞしないのもいい。「何が聞けるか分からない」という喜びをお客から寄席が取り上げてはいけない。ネタ出しなんてェものは「書生っぽさの抜けない落語マニア」相手のホール落語や独演会に任せておけばよろしい。喜多八師匠のマクラではないが、「寄席は大人の遊び場」なんだからね。末広亭で『死ぬなら今』や『風邪の神送り』といったレアネタが聞けたときの喜びなんてェものはホール落語では絶対に味わえないのであります。

◆池袋演芸場
 今の池袋演芸場は少し明る過ぎるのが却って難点なほどで、かつての「如何にも端席」という、ジミジミした雰囲気はない。今の池袋は、土日や下席の2000円割引昼席興行になると、昼から椅子席は満員という状態だから、ウソみたいである。昔の池袋では正月以外に満員客止めなんて、小朝師匠の真打昇進興行の時にしか観たことがない。あのときは、十日間、早くから席を確保するのに四苦八苦したなァ。
 ただし、地下2階の寄席って辺りは「池袋秘密倶楽部にようこそ!」(川柳師匠が昔の池袋に出ると、マクラでよく言っていた)の雰囲気を受け継いでいる。まぁ、火事になったら怖いだろうけど。
客席はミニ寄席サイズで、椅子数が80ちょいと少なく(補助を入れて110くらい)、小三治師匠・喬太郎師匠の主任興行だと酸欠状態に近くなるのはキツイし、そういう主任のときは、開場1時間前にはテケツに並んでないと座れないから、寄席に入る前から苦労に耐え忍ばなければならない。特に夏場は、体力の必要な寄席なのだ。
 高座が近いから、マイクなしで楽に聞けるのが有難いけれど、椅子の座り心地は余り芳しいとはいえない。椅子自体が昔の日本人サイズっぽくて狭いのも図体のデカイ人間にはキビシイ。トイレに行くにもひと苦労である。だから、私は最近、出入りに楽な一列目の一番下手、ドアに近い側を自分の「指定席」と定めている。ボードをあげる音もまだデカくてうるさい。
トイレはまあ、今の時代としては普通かな。地下に降りる階段の踊り場にもあるから、そんなに混まない。ただ、売店で主食になるものを全く売ってないのは、ちと怪しからんことではあるまいか。
入場して、席を確保してから、地上のコンビニへ物を買いに行くのも、地下2階の上り下りをしなきゃならない訳で、年を取ってくると結構キツイのよね。

ただ、番組は昼夜入れ替え無しで、両境界共に、殆どの場合、メンバー的にもベテランから若手まで、過不足なくバランスが取れているのは有難い。若手真打の主任興行もかなりあるのから嬉しい。落語協会に比べると、落語芸術協会の方が確かに入りは落ちるけれど、別に面白さはそんなに変わらない。私のように「余り大人数が集まる所が好きじゃない遠音神楽族」にとっては、ノンビリ見られる落語芸術協会のシバイの方が有難い。第一、開場前に並ぶ必要がなく、落語を聞くことに体力を温存出来るもん。
年間の興行の中でいえば、「小三治昼席主任」「正蔵・三三交互昼席主任」など、落語協会の七月~八月の番組の組み方は、如何にも意欲的で、近年落語界の夏の風物行事になりつつある。NHKテレビでも「過酷な夏の興行」なんていってた(笑)。
その一方、落語芸術協会が八月の夜席に「女流講釈師交替主任」を持ってくるのは、昨今の「落語ブーム」による観客動員を考えると、もうひと工夫欲しい気がする。

などとは申せ、年間を通して、末広亭や鈴本演芸場より、ひとシバイ辺りの高座数が少ない分、時間のタップリとれる高座が多いのは嬉しい特徴の一つ。『火焔太鼓』『宿屋の富』『井戸の茶碗』くらいのネタは、昼席の仲入りに出てくるし、昼席の仲入り後などは、ヒザ前でも時間タップリの高座が自然と多くなる。末広亭より200円安い入場料だけに、如何にも「お値打ちの寄席」である。
出演する落語家さんも、上野や新宿に比べると気楽に楽しんでいる雰囲気を感じると同時に、旧池袋演芸場時代からの「池袋はマニアの寄席」って感覚が残っているのか、レアなネタに出会う確率は、東京の寄席で一番高い。
かつまた、「この人、こんな噺も演るんだ」という、思わぬ落語家さんの思わぬネタに出会えることも少なくない。今年でいうと、遊三師匠の『火焔太鼓』、蝠丸師匠の『匙加減』と出会ったのには驚いた。また、壽輔師匠と茶楽師匠の四日連続『文七元結』リレー(それも仲入り前)も聞きものだった。
 惜しむらくは、定席でも、下席夜の特別興行でも午後8時30分と、終演時間がやたらと早く、それも「厳守しないと従業員さんに怒られる」という噂があるのは甚だ嬉しくない。「池袋って繁華街で、それはねェだろうが」って思わざるをえない。
比較しちゃいけないかもしれないけれど、旧池袋演芸場で立川談志家元が主任をとったときなど、とにかく楽屋入りの遅い家元だったから、連日、10時くらいに打ち出していたんだもん。主任の上がりが9時過ぎるてェと、前は繋がなきやならないから、若手真打が平気で『三枚起請』を35分演るなんてことが出来たのだ。そういうのが、「如何にも端席」の良さだったんだね。

◆上野鈴本演芸場
 「寄席の歌舞伎座」と自称しているほどに、由緒ある寄席ではありますがね、一番、観客として注文の多い寄席でもありやす。
椅子は昔と比べると遥かに座りよくなったし、ボードを上げる際の音も小さくなったのは重畳だけれど、場内も高座も、照明が暗過ぎて寄席らしい楽しさが全然感じられない。なんというか、「暗い団体」の集会場みたいなんである。
その暗さが目に入るのが嫌で、最近の私は一番前の「下手側の壁側席(演者の出が見える位置)」を自分の「指定席」にしているほどだ。
客席の壁も、「国立劇場みたい」といえば聞こえは良いけれど、放送局のスタジオみたいで、よそよそしくて、しかも妙な圧迫感があり、寄席らしい色気が全然ないのは考え物だろう。如何にも、「悪しき」近代建築なんである。ちなみに外観はどうみても駅前の銀行。それも余り契機の良くない銀行という雰囲気。
トイレが4階、自動販売機が2階という設置の悪さや、売店では「いなり寿司と海苔巻き」が売り切れると主食が全くないってのも、如何にもうら寂しい。
裏にあった『更科』と『二三太楼』の廃業で、終演後の飲食場所がグツと減ったのも痛い。昼席の入りはまあまあだけれど、夜席は本当に空いていることか多く、若手真打だとガラガラの葉愛も少なくない。小三治師が主任でも、末広亭ほどには客が入らないってのは、そういう「雰囲気・状況の悪さ」が影響していると思う。だって、従業員の人などは末広亭より親切だったりするんだもん。
でも、それ以上に鈴本演芸場の最大の問題点は番組にあると私は思う。

ただでさえ、落語協会しか出演をしていない現状に加えて、出演メンバーが余りにも固定化しているから、番組のヴァリエイション・色変わりは本当に乏しい。
ただでさえ、落語協会は先代小さん師匠系の落語家さんがただでさえ多いので、出演者の芸風が似てくる。その状態であるから、シバイが変わっても、行くたんびに同じ落語家さん・色物さんを聞くハメになり、正直言って飽きちゃう。
他の寄席と違い、若手真打の夜席主任が多いのは結構だけれど、その前後には同じような顔ぶれが千年一日の如く出てくるし、代演の演者も、固定化しているってんだから、客としては堪ったもんじゃない。
特に、最近の鈴本演芸場では、色気のある落語家、滋味ある落語家、軽快な落語家ってものを殆ど聞かない気がしてならない。「出演者はみんな本格派」というと聞こえは良いけれど、「虎屋の羊羹ばかり食わされると、今川焼きが食いたくなる」ってのが、客って厄介なもんなのだ。それも、ここの羊羹は、全体に元気や威勢ってものがない。志ん輔師匠みたいな人でさえ、鈴本演芸場で聞くとチンマリして見える。
 また、夜の仲入り後が「くいつき色物」「落語」「ヒザの色物」「主任」と4席しかないので、末広亭に比べると「タップリ聞いた感」にも乏しい。末広亭と同じ15分高座でも、なんとなく出演者に「義務的雰囲気」が漂い、短く感じちゃうのである。
だいたい、夜の主任は8時15分くらいに上がって、45分くらいには打ち出してしまう(小三治師以外の話ね)のも寂しいゾ~。如何にも、「今の上野広小路界隈は東京の外れですから、みなさん、お帰りはお早めに」と言われてるみたいである。
せめて、「ヒザ前」にもう1本落語を入れ、ちゃんと9時打ち出しにしてくれてもいいんじゃないのかなァ。料金も都内の定席で一番高い2800円なんだしさ。昨年、8時40分ちょっと前に打ち出された時なんか、少し腹が立ったほどだ。
その上、昼夜入れ替えありだから、ネタも主任のネタ出し以外は、分かりやす~い、寄席初心者向けの定番ネタばかりになりやすい。いや、なっている。
昼夜入れ替えなしの興行だと、どうしてもネタの流れが一日スパンになるから、変化を付けざるをえない。だけれど、鈴本演芸場にはそれがない。結果、仲入り前なんて、同じ顔ぶれ・同じ演者の『手紙無筆』『道灌』『ひと目上がり』『浮世床』を矢鱈と聞かされる結果になるのであります。これは甚だ嬉しくない。

落語家さんの側も、さっき言ったみたいにな~んかイマイチ、鈴本演芸場だとノリが悪く感じられる。さん喬師匠だって、権太楼師匠だって、鈴本演芸場で聞くより、末広亭や池袋演芸場で聞いた方が明らかにノビノビしていて楽しいもん。
二日続けて同じネタを主任で演って、「寄席の歌舞伎座・鈴本演芸場」の夜席主任高座を完全に「稽古の場」にしている若手真打がいたんで驚いたけど、それくらい肝が据わってるのは、別に悪いこっちゃない。
でも、普通の若手真打は、夜の主任を取ると、入りの良し悪しにオドオドしてるみたいな雰囲気を感じることが多いんだね。しかも、若手真打主任なのに、前の番組も若手真打ばっかり(これでは中高年のお客は親近感がもてない)なんてときが割とあったりするのも感心しないな。どう贔屓目にみたって、若手真打主任で入りが悪っても、それには番組の影響が多分にありまするよ。
あとさ、たとえば池袋に出ていて、「昨日までズッと上野に出ていて、かしこまった芸ばかり演って草臥れてんだから、今日くらいは好きに演らせてよ」と言ってノビノビとした高座を見せたり、「上野はさん喬・権太楼さえ出してれば良いと思ってんだから」と、高座で平気で言ってたりする落語家さんがいる。もっとハッキリ言うと、「上野には何の義理もありませんから」という発言を、オフで落語家さんから聞かされて驚いたことがある。寄席が落語家さんたちに愛されていないってのは考えものでしょ。

 矢鱈と「ネタ出し」をして、指定席を売る興行が多過ぎて、寄席というより「ミニホール落語」みたいになっているのも煩わしい。予告される「ネタ」というと、どうしても「いわゆる名作ネタ」が中心になってしまい、「本当の意味でレアなネタ」「演者のチャレンジが感じられるネタ」なんてものは出てきにくいから、結果的に変化が感じられなくなる。今松師匠に『二丁蝋燭』を頼む、なんていう末広亭みたいな、“商売ッ気を離れた面”が鈴本演芸場には無さすぎるのではあるまいか。“管理寄席”なんである。
「大看板ばかり集めた大会をやりすぎた結果、客がそれに馴れてしまって、普通の顔ぶれの興行に客が入らなくなり、浪曲は衰退した」という内容の文章が米朝師匠の著作にあったけれど、それと似たようなもので(これは興行物が衰退する定番の流れらしい)、「ネタ出し」の興行はそこそこ客が入っても、平の興行だと客足が歴然と落ちちゃう。
今年6月初旬、鈴本演芸場の平の興行で「つばなれしない夜席」があったってのも頷けてしまうのである。「寄席の歌舞伎座」が、池袋演芸場でも最近は出さないような、「つばなれしない興行」をしてちゃいかんと思うのであります。違うかな?

◆浅草演芸ホール
 私の住んでいる所からは、ちょいと遠いので、行った回数でいうと、一番少ない寄席かもしれない。あと、披露目とかは専ら昼興行なので仲々行けないのは悲しいのでありますが、新しい鉄道の開通のおかげで(笑)、北関東方面からのお客さんが無茶苦茶に増え、最近は「いつ行っても混んでいる」という印象がある。混んでるところの好きな人にはオススメの寄席というべきかもしれない。特に昼席ね。

外観も中も、どう見たって映画館で、特に中はボカンと倉庫みたいに間抜けに広い。座席の出入りはそんなに動きやすいとは言えないけれど、昼席でも夜席でも、誰が主任をとっていようと、仲入りになると帰ってしまうお客(定連含む)が多いから、ジックリと場所を狙っていれば座れる可能性は高いゾ。
尤も、私は二階席の前の方が一番見やすいと思っております。一階の横の立ち見は、無理に立って見ているよりは、新聞紙でも広げて「浮浪者風座り見」にした方が絶対に楽だな。トイレは客席数からするとかなり小さいが、そんなに苦労した記憶なし。売店は、ここで物を買った記憶が殆どないから分からない(失礼)。あとさ、プログラムがツルツルした紙質で、演目などが書き込みにくいのは、どうにかならんもんかね。
 客席は異常に「定連率」が高く、たまに行くと「余所者でェす。申し訳ござんせん」という気分になっちゃう。ただ、そういう定連率も含めて、「浅草ならでは」のざっかけなさが客席にも高座にもあり、雰囲気は悪くない(昔はもっとガラ~ンとして、怖いくらいの時期があった。夜席がハネて外に出ると真っ暗だったし)。
 
番組は末広亭に近い組立てかな。出演者のバランスは悪くない。高座数は都内の寄席で多分一番多いけれど、昼夜の入れ替えなんてヤボなものは普段ないから、ノンキに長い時間過ごそうと思えば、十分に楽しめる寄席である。
演者側もいい意味での「お気楽な雰囲気」が高座に漂っている。文化放送かもめ亭のプロデューサー・松本くんが「浅草にスケで出ているときの喬太郎師匠の講座は、気軽で出来が良いですよ」といっていたのも頷ける。ネタ的にも、ある意味、今どきではないレアネタが聞けたりするから、落語ファンとしても楽しい。
多分、浅草の寄席というのは、明治時代から雰囲気が変わってないんじゃないだろうか。そういうレトロ感のある寄席で、末広亭に続く(容れ物が違うから)「寄席らしい寄席」かもしれない。ただし、従業員の親切なんてものは宛にしちゃいけませんよ。

売店は大したことがないけれど、なんたって周りは浅草六区だから、食い物の持込みや食事する場所にはことかかない。芸人さん御贔屓の店も多いけれど、私は「セキネ」でシューマイを買って2階席で食べるのが好き。さもなきゃ、「リスボン」でカキフライとカレーライスを食べてから入るとかね。冬なら「並木の薮」で昼席の帰りに鴨南蛮と燗酒なんての気分が宜しい(高いけど)。時間つぶしにお茶を飲むのは専ら「アンジェラスとなる。店の名前を忘れたけれど、最近はクジラ肉の缶詰を浅草演芸ホールの帰りに買ってくことが私は多いな。「須の子」の缶詰である。
ちなみに、終演後、知り合いの落語家さんと二人で吉原へ・・という楽しい経験は残念ながらまだない。ロック座のストリップと掛け持ちしたことはあるけどさ。

◆国立演芸場
 ハッキリ言って、作りの不親切な寄席なので、昔から私は好きになれない寄席。
第一に、最寄りの駅からも離れている「陸の孤島」みたいな所で、しかも夏暑く、冬寒い場所に寄席(国立劇場にしてもそうだが)を建てた辺り、「役人の馬鹿さ加減」がよ~く分かる。周囲が寂しくて、うっかり時間前に着くとお茶を飲む店も直ぐには見当たらない(探しゃあるのだけれど、距離はあって、目と鼻の先とは行かない)。
客席は前売りの指定席だから、「自分の好きな席に座る」という喜びも滅多に味わえないのは甚だ気に食わぬ。その分、インターネットを使って指定席の買えるお年寄りの定連が多いのも事実なんだが・・・結果、客席の活気に乏しいのは悲しい。

一階のロビーは冬場、物凄く寒くて体に悪い。階段を上がって行くのは、昔の池袋演芸場並みの難行苦行。私は大抵、エレベーターを使うけれど、これも一度には5人くらいしか乗れない小さなエレベーターだからね。ロビーに床机が置かれているのは結構なことだけれど、結果的にロビーが中途半端に狭くなっている。売店で売っている食い物の値段が割と高い。客席数に対して、トイレが小さいのも?マーク。
客席・高座の明るさは良いが、客席の壁が、やはり国立劇場系でとにかく地味。さらに、座席は全部正面を向いているから、脇の席に座ると高座が見えにくく、首が痛くなる。客席に傾斜がついている割に、後ろの方の席からも高座が見にくいのである。冷暖房に関しても、適切だったという記憶がないなァ。
高座は妙に清潔で、ある意味、本格的な高座なんだけれど、寄席らしい色気は全くない。NHKっぽいというか、少し高座が広すぎるのかも・・・夜の貸し出し公演で見ても、なんか白っちゃけた感じのする、私には親しめない高座であります。
椅子自体の座り心地は普通だけれど、サイズはかなり狭い。それと音響が悪いのか、客席へ向けた高座の音の響きが明らかにおかしい。フリの客が少ない分、学生団体客を多く入れているのか(某落語家さんのマクラにある「“学校寄席”と申しまして、教育の一環として古典落語を、嫌がる中学生・高校生に無理矢理聞かせる」というやつの寄席版でりますね)、運悪くそれに当たると、客席がザワザワとうるさくて、高座が楽しめないこともある。うるさい学生団体相手というんだろうか、人気真打が『金明竹』や『初天神』でハネちゃうのを見せられるのは、嬉しくないでしょ。

 さらにさらに、番組自体も不可解な顔触れであることが多い。結構、人気者の主任興行があったりするのに、「何で主任がこの人なのに、前がこの人なの?」と悩んでしまうような番組がよくある。「人気者以外は、取り敢えず他の寄席に出番の無い、ヒマな人を選んでいるんですか?」と、皮肉の一つも言いたくなる。寄席に普段出ない色物の人のキャスティングに関しても、国立演芸場の高座、というか寄席の他の演芸とは余りにも似合わない出演者が現れるのは感心しない。
これもフリ客の入りが悪いせいか、「ネタ出し」の興行が年間に結構あるのは、鈴本演芸場と同じで理由で私には甚だ鬱陶しい。あんな見にくい客席、狭苦しい椅子で、なまじ大ネタを長々と聞かされるのは拷問に近いから、私は遠慮させて戴いている。
それよりも何よりも、さっき言ったみたいに、開場から20年も経過しようってのに、いまだに前後に何の脈絡も感じられない、素人が作ったみたいな番組を見せられては、「行きたい」という気持ちになれないのてあります。
いったい、ここはどうすれば良いんだろうね?

◆お江戸上野広小路亭
 現代における「端席」はここだと私は思う。基本は昼席だけだし、階段を上った三階の席だし、狭いし、前半分は畳に座椅子だし、トイレと売店は下の階だし、売店ではたいしたものは売ってない。高座も高座とはいえないような安普請(というか、仮小屋か野戦病院みたいな作り)・・
でも、国立演芸場には全く感じない親しみのある寄席なんだな。しかも、2000円の入場料が、仲入り近くに入れば、1000円になっちゃうのだから、これはお値打ちでありますよ。そういう「内容」が浸透してきたのか、最近は平日でも、お客がよく入っていることが多いのはちょっと嬉しい。

月半分、落語芸術協会が昼間だけ単独興行している訳だけれど、番組も苦心されていて、末広亭や浅草演芸ホール、池袋演芸場と余り差のない顔ぶれを、この低料金で出してくれているのは有難い。夜席でこの値段なら、もっと若いお客が来るかもしれない。
落語は20分(主任30分)、色物15分という設定だけれど、それ以上のボリュームを感じることも少なくない。何というか、演者側からすれば池袋演芸場以上に「試せる寄席」であるのか、壽輔師匠が五日連続で『文七元結』で主任を取ったり、他にもレアなネタで落語家さんが腕試しをする様子が楽しめるのは貴重貴重。蝠丸師匠が『動物園から水族館』という改作ネタを試していたり、若手の女流講釈師の持ち味がよく認識出来た!なんていうのも現状の寄席では、上野広小路亭ならではの体験と言えるんじゃないかな。正直な話、私は上野鈴本演芸場よりヴァラエティにはとんだ寄席だと思っているし、好き嫌いで言えば、こちらの方が私は寄席として好きである。

◆お江戸両国広小路亭
 JRか地下鉄の両国が最寄り駅だが、どちらにしても、ちょいと歩かないと辿り着けないから、なかなか顔が出せずにいる。また、辿り着くまでの道のりが、夏場は暑いし、冬場は寒いんだ。土地勘がないと、周辺の食い物屋はよく分からいだろうから、初めての日とはコンビニか頼りとなる。
私は両国のシアターXに一時期、芝居見物でよく行っていたので、その時に知った表通りの蕎麦屋(名前失念)で腹ごしらえをしてから、客席に入ることが多い。
立川流や圓楽党の面々が中心の番組だけれど、落語芸術協会や落語協会からの助演も入るので、稍ヴァリエイションは感じられる。
ただ、同じ“お江戸”でも、上野広小路亭に比べると、客席の作りが余りにも「町会の集会所風」でしかないのは寂しい。集会所だから、トイレはその程度のものだし、売店なんてものはない。客席の真ん中にド~ンと柱があったりして、高座の見にくい席もあったりするのは嬉しくない。
そのせいか、披露目などでお客が沢山入っているときでも、どうも寄席気分は味わいにくい。高座も、仮高座程の作りであるため、立ち高座の色物の出番になると、山台をバラして、甚だ不恰好な高座に変形させられてしまうのは興ざめである。

それでも、興行中は休憩を入れて夕方6時から8時30分まで、各高座20分くらいずつの持ち時間で、落語中心に割とタップリ感が楽しめるし、ネタの変化もそれなりにある。寧ろ、立川流や圓楽党の中堅や若手の落語家さんの「勉強会的腕試し」はしばしば行われるから、そうした「端席」感覚もそこそこにあるのだ。もう少し、距離的に近ければ、結構通ってしまいそうな寄席なのだが・・・全体の雰囲気として、まだ「定席」というより、「月に15日演っている地域寄席」というべきかもしれないかな。

※お江戸日本橋亭でも落語芸術協会が月に5日ほど、寄席興行をしているが、さすがに
公演日数が短いので今回は割愛。

妄言多謝                       石井徹也(放送作家)

投稿者 落語 : 01:26

2008年10月11日

芸歴128年の二人会! 第22回「浜松町かもめ亭」

10月8日(水)、文化放送・メディアプラスホールにて、第22回「浜松町かもめ亭」が開催されました。

番組は下記の通りです。

一、寿限無    立川こはる
一、親子酒    金原亭馬治
一、長短      桂小金治
      中入り
一、景清     三遊亭金馬


(詳しいレポートは近く「浜松町かもめ亭」公式サイトhttp://www.joqr.co.jp/kamome/にUPされます

今回の眼目は、東西の落語界で最長の芸歴を持つ三遊亭金馬師匠と、近年、落語の高座に復帰され、素晴らしい芸を披露されている桂小金治師匠の顔合わせにありました。

芸歴は金馬師匠67年+小金治師匠61年=合計128年!
実年齢は金馬師匠79歳+小金治師匠82歳=合計161歳!

もちろん年数だけが重要なのではありません。
桂小金治さんの「長短」は、枕をのぞけば本編わずか十分ほどの噺ですが、そこに凝縮された芸の密度は五代目小さん亡き後---私にとって小さんの最高傑作は「長短」でした---ここよりほかにはみられないものでした。

会の翌日、来場されていた落語研究家・保田武宏氏、フジテレビアナウンサー・塚越孝氏からも小金治さんを賞賛するメールをいただきましたが、ご両人共に仰っていることは、ここに古風な、正統なる芸が保存されていると言うこと。
小金治さんの芸は、十代から二十代にかけて正しい習得をし、その芸をそのままに氷結させたものです。(ここでは、永らく落語界を離れていたことがプラスに作用しています。芸が流行や時代風潮に影響されていないのです)

長短の長さんは愚鈍ではなく、ただ、気の長い人です。短七さんは、これまた単に気の短い人で、彼らは人を笑わせるために行動を起こしているわけではありません。小金治さんの口演は、登場人物が彼らの思う善意のままに行動し、その結果として破綻(サゲ)に至ります。笑いのためになにかをするのではなく、性根をもった人間が動いているので、短七が「人にものを教わるのは大嫌いだよ。でも、おまえは別だよ」という台詞が効いてきます。

無駄な装飾を省いた簡潔さの美しさ面白さが小金治落語にはありました。
落語はちゃんと運べば、おのずからその面白さを現すのです。
「長短」の十分間は、現代落語最高峰の十分間であったことをここに記します。

金馬師匠の「景清」はすでに代表作の一つとして高い評価を受けています。
(ちなみに当代正蔵の佳きもの「景清」は金馬師匠から継承されたものです)

「景清」は落語にしては珍しく、信仰による奇跡がストレートに描かれたもので、その意味で先行芸能に通底するタッチをもっています。(浄瑠璃の20世紀的展開である浪花節によく似た噺「壺坂霊験記」があり、かつては人気演目としてよくしられていました。左様に落語的というよりは古浄瑠璃的な主題の噺です。ヨーロッパに行くとよくある「この湧き水を飲んで腰が立った」などの伝説と同じ内容です)

現代の落語家が手掛ける「景清」は信仰の度合いが薄く、その反面、登場人物が過度に心理的になりがちなものですが---演者自身が信仰による奇跡を信じられないためバランスをとろうとしてそうなるのですが---金馬師匠の口演は、「信仰によって目が開いた」という主題が鮮明です。満願の日にお念仏を唱える型や、仏罰を嘆く台詞、見返りを求めずにいついっかまでもお参りをするのがすなわち信心だと語る場面など、これほどてらいなく、演者の地声として語れる人はほかにいないと言ってもよいでしょう。

金馬師匠の落語界入りは、第二次大戦中の昭和16年(1941年)。
さきの大戦中からの落語家は、いまや金馬師匠おひとりです。
(余談ですが、十代目金馬亭馬生師匠は昭和18年入門で、金馬師匠の後輩!です。米朝師匠や米丸師匠は戦後入門組です)

金馬、小金治、落語界の至宝二人の芸を堪能していただけた今回の「かもめ亭」でした。

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さて、次回「浜松町かもめ亭」は11月11日(火)の開催。
新真打、春風亭百栄、三遊亭兼好の二人会です。
ぜひご来場下さい。

また十一月公演のロビーにて12月公演「立川流忘年会」、大晦日の「正蔵・喬太郎二人会」のチケットを販売いたします。
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次回もご来場をお待ちしています。

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参考。
金馬師匠には自叙伝「金馬のいななき」があります。
この本の構成(聞き書き)を担当させていただきました。
手前味噌ですが、昭和演芸史の貴重な話が、ぎっしり詰まった本です。
また「en-taxi」という雑誌(2008年春号)に金馬師匠の聞き書きも書かせていただきました。
こちらは「戦前・戦時中の寄席」がテーマです。
あわせてお読みいただければ幸いです。

松本尚久 (浜松町かもめ亭プロデューサー・放送作家)

投稿者 落語 : 03:04

2008年10月05日

「浜松町かもめ亭」九月公演レポ

先週の9月30日(火)、文化放送・メディアプラスホールにて、第21回「浜松町かもめ亭」が開催されました。

番組は下記の通りです。

一、転失気    立川こはる
一、粗忽長屋  古今亭菊六
一、阿武松    桂文字助
      中入り
一、俗曲     笹木美きえ
一、お見立て  古今亭志ん輔

(詳しいレポートは近く「浜松町かもめ亭」公式サイトhttp://www.joqr.co.jp/kamome/にUPされます)

今回、「かもめ亭」の広告には<江戸前の芸をたっぷりと!>と銘打ったのですが、その看板に偽り無しの内容になったと思います。

とくに中入り前に「阿部松」を演じられた文字助師匠!
大の相撲贔屓である文字助師匠の「阿部松」は自家薬籠中の演目であると伺っていますが、得意の演目にありがちな慣れや当て込みが一切無く、丁重かつ歯切れの良い口調ですみずみまでしっかりと語られ、水も漏らさぬ出来。
とくに、小車が板橋の宿屋で最期の大飯を食べるシーンや、それに続く立花家とのやりとり、さらに二人目の師匠となる錣山との対面は情味も深く、なまじの人情噺よりもずっと「人の情け」を感じさせてくれました。
また、錣山が框に平伏する若者を見て、ただ「うーむ」とうなるところの力の籠もり具合や、それから一転、地にかえって「これが後の横綱、阿部松・・・」と語りになる話芸独特の面白さは近ごろ無類の味でしたね。

「かもめ亭」二回目のトリを飾ってくださった志ん輔師匠は「お見立て」の一席。
川島雄三の映画「幕末太陽伝」でも大詰め近くに「お見立て」のシーンが挿入されていますが、あの名画のタッチに近く、若い者(実年齢は若くもないはず)の喜助が、ただひたすら軽く、空疎に嘘をつきまくるそのうちに、笑いと共にやがてある種の苦味が広がります。
この噺、噺の進展している時刻が昼なのか、夜なのか、演出次第でどちらにも持って行けるのですが(そこを意図的にぼかす演者も多いですが)、志ん輔版ではハッキリ「夜が明けたからこれから墓参りに」と運んでいます。そのことにより、夜が更け、深夜になり、やがて明け切ってしまった遊里の光景とそこに暮らす人々、通う人々の「虚実」や「苦楽」のコントラストが浮かび上がり、上々の一席でした。

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もうひとつ。今回の「かもめ亭」ではいつもはお囃子を担当してくださっている笹木美きえ師匠がはじめて高座に出演をされました。
いわゆる「俗曲」というスタイルで、演奏されたのは「東雲節」「ストトン節」「チョンコ節」「サイサイ節」、「奴さん」「見世物風景」などなど。普段の寄席にも俗曲のお師匠さんたちは出演されていますが、美きえ師匠の高座が面白かったのは、寄席にレギュラー出演されている師匠方にくらべて、演奏がゆっくり目でおっとりしているのです。美きえ師匠の演奏は、普段はお弟子さんへのお稽古や、演奏会出演がメイン。そのためかと思うのですが、寄席風の「観客に受ける」という計算が少なく、そのぶん丁重で一曲一曲が露を含んだような感触なのです。とくにラストの「見世物風景」は、寄席でもよく聞きますが、まるで違う雰囲気があり、ひとつひとつの出店の風景がくっきりと浮かび上がりました。
(美きえ師匠HPhttp://www15.tok2.com/home/waon/index.htm お弟子さんに端唄・俗曲のお稽古もされています。ご覧下さい)

なんとも渋く、静かな楽しさに満ちた今回の「かもめ亭」でした。

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終演後は、会場隣の会議室で打ち上げが催されました。

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さて、次回「浜松町かもめ亭」は10月8日(水)の開催。
出演は、三遊亭金馬、桂小金治、金原亭馬治、立川こはるの各人です。
当日券もございます。
ぜひご来場下さい。
また十月公演のロビーにて11月かもめ亭「百栄・兼好二人会」および12月公演「立川流忘年会」、大晦日の「正蔵・喬太郎二人会」のチケットを販売いたします。

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次回もご来場をお待ちしています。

http://www.joqr.co.jp/kamome/lineup.html


松本尚久 (浜松町かもめ亭プロデューサー・放送作家)

投稿者 落語 : 23:51