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2008年08月22日

笑福亭松之助 五世松鶴弟子生活六十年記念の会

今日思い立つ旅衣 帰洛をいつと定めん。

前後にちょっと仕事があったので、どうしようかとちょっと迷っていたのだけれど、午後二時過ぎ、やっぱり行こうと思い立って新幹線自由席へ。大阪トリイホールで開かれた『笑福亭松之助 五世松鶴弟子生活六十年記念の会』に行ってきた。(八月六日、午後七時開演)

トリイホールは千日前で営業をしていた旅館「上方」(芸人が多く利用していた宿)の跡地に建てられたビルの階上にあり、エレベーターでホールにはいると二百人ほどの客席はほどよい感じに満員。男性客が多い。

松之助は1925年、神戸生まれ。戦後の48年、五世松鶴に入門。現在八三歳で上方落語界の最年長者になる。
今回の記念会は普通なら「芸歴六十年」と銘打つところだが、「弟子生活六十年」とクレジットしているところが何とも松之助らしい。松鶴を心底尊敬していることがひとつ、もうひとつは「師弟」というものに特別な考えを持っているのだ。以前、雑誌の仕事で松之助さんの聞き書きをしたことがあったが、そのときに、やたらに人数だけ多く、芸の継承(型ではなく師匠の意志の継承)がされていない落語界の現状をするどく批判していた。そのせいかどうか、松之助には現在、明石家さんまと実子の明石家のんき、たった二人の弟子しかいない。

松之助落語の最大の魅力はその簡素さ、停滞のなさである。
いまの落語が肥大化させてしまったもったいぶり、思い入れ過多の演出とはいっさい無縁で、語るべき事だけをトントンと語っていく。聞かせてやろう見せてやろうの欲を離れた芸なのである。(そのぶん、甘味も無いので笑いは結果としてしか無い)

この夜の松之助は「らくだ」「お文さん」「くっしゃみ講釈」の三席を語った。
会の冒頭で門弟のんきの挨拶があり、すぐに松之助が登場。短いまくらのあとで「らくだ」を語り出すというシンプルな演出も松之助好みであった。
三席ともに味わいがあったが、もっとも楽しかったのは「くっしゃみ講釈」であった。
はじめの「らくだ」が一番目狂言なら、最後の「くっしゃみ講釈」は二番目狂言ないしは追い出し狂言という位置づけで、徹底的に軽い。
町内の連中が講釈場へ押しかける「いこ~」「いこいこいこいこいこ」という合いの手の面白さ、唐辛子を買いに行く店先での楽しさ、講釈師の往生の表現など、すべてが刹那的(ニュアンスが伝わるだろうか、それはつねに「今だけ」「その場だけ」の感覚なのである。そしてその感覚をもっともよく継承したのが門人の明石家さんまであると私は思うが・・・あの27時間テレビのエンディングを見よ・・・このことはまた改めたい)な楽しさにみちていた。

マクラで松之助さんは「八三歳で弟子生活六十年の会が出来まして・・・次は米寿の会を・・・」と語っていた。落語ファンは「松之助に間に合っている」ことの幸せにもっと意識的であるべきではないだろうか。

松本尚久(放送作家)

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投稿者 落語 : 2008年08月22日 00:36