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2007年06月06日

熟年落語?!にときめいて

 「落語ブーム」と呼ばれる中、中堅・若手の進出・活躍は目覚しいけれど、最近、私が目を見張らされたのは二人のベテランの存在である。
 一人は「かもめ亭」4月19日公演に出演された柳家小満ん師匠。もう一人は、私も関わっている会に出演された三遊亭圓橘師匠だ。

 小満ん師は自作の『あちたりこちたり』を口演されたが、「江戸前の軽妙洒脱とはこういうモン」という高座ぶりで、そのエッセイのような味わいに酔った。実は今から33年程前、私が生まれて初めて生の落語を見聴きした日、当時まだ二つ目で桂小勇だった小満ん師も出演をされていた。その際、『うどん屋』を語られたのを聴いて、「こんなに上手い二つ目さんがいるのか!」と感心したのを覚えている(生で落語を聴くのは初めてでも、正岡容氏・安藤鶴夫氏の著作は暗記するほど読んでいたし、歌舞伎も中学生から見ていたから、生意気乍ら、多少の鑑賞眼はあった)。
 その後、本牧亭の「小満んの会」に通っていた時期もあり、会の「清遊」という雰囲気も好きだった。著書『わが師、桂文楽』も、それを文庫版にして加筆された『べけんや』も、近年稀に見る「噺家さんの本の傑作」だと思っている。けれども、何と言うか、「江戸前にサラッと演るのを意識しすぎたコクの足りなさ」を感じて、長い間、私は小満ん師を積極的には聴かなくなっていた。
 しか~し、久しぶりに拝聴した小満ん師は「意識しすぎたキザ」など微塵もなく、真に円転洒脱な、如何にも東京の寄席らしさ溢るる高座ぶりで、これぞ正に耳果報!直ぐさま、お江戸日本橋亭で催されている「柳家小満んの会」にも駆けつけ、『らくだ』『二階素見』、かもめ亭の時とはちと内容も変わった『あちたりこちたり』の三席を楽しく伺い、「再び小満んの会に通おう」と心に決めた。

 一方、圓橘師匠は5月5日の圓朝座で『怪談牡丹燈籠』のうち、「栗橋宿のお峰殺し」を口演されたが、私が師の高座を生で聴くのは何と20年ぶりくらいだった。若い頃の圓橘師は「先代小圓朝師匠譲りで手堅いけれど、無闇と地味で面白くない」という印象を私は持っていたが、今回は大違い。久しぶりに六代目三遊亭圓生師匠系の「巧い人情噺」を堪能したが、特にお峰・伴蔵夫婦が醸し出す「人生のコク」には物凄く共感した。「私が見聴きしないでいた20年の間に、こんなに巧くなられていたのか!?」と我が身の不明を恥じると共に、「圓生師の栗橋宿は巧かったけれど、圓橘師ほどは夫婦に共感出来なかった。圓生師は芸も人物も二枚目過ぎて仁になかったのか!その意味では、圓橘師の栗橋宿の方がはるかに切なく面白い」と感嘆したほどだ。
 圓橘師より少し下の世代の師匠連以降は、噺が巧く、面白くても、何処か「自己顕示欲の漂う巧さや面白さ」であるのが私は気になるのだが、圓朝座の師にはそうした「一種の嫌らしさ」がないのにも驚いた。そこで、これまた直ぐ、深川江戸資料館で催されている「圓橘の会」に馳せ参じて、『ミイラ取り』と『半七捕り物帳~奥女中(上)』を伺ったが、これまた十分に面白く、「この会、これからも通わせて戴くことになりそうだ」と嬉しくなった。

 もちろん、清新な若手の登場も嬉しい。中堅の成長も楽しみだが、ベテランの安定した「その人ならではの味わいと手堅い旨味を兼ね備えた存在感」は、「寄席らしさ」「落語らしさ」を味わう楽しみに直結する。共に還暦も過ぎた御二人だが、いわば“熟年落語”ならではの味わいに胸ときめくなんて、50歳を過ぎて、再び落語聴きに熱中しはじめた我が身の幸せというしかあるまい。

                                        石井徹也(放送作家)


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三遊亭圓橘師匠は10月開催の「浜松町かもめ亭」に出演予定です。


投稿者 落語 : 2007年06月06日 11:03