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2007年05月17日

米朝落語の凄さの秘密

 最近、「落語ってなんじゃいな?」と考える度に米朝師匠のドライさが頭に浮かぶ。
 その典型が『一文笛』。貧乏長屋の子供のため、駄菓子屋の一文笛をスリが盗み、結果、子供が井戸に身を投げる悲劇が起きる。責任を取ったスリは自分の右手の指を2本、切り落とす。その上で、スリは子供を助けるため、高慢な医者の懐から見事に金を掏り取ってくる。「指を2本切り落として、それだけの仕事が出来るとは、お前、偉いやっちゃな」「スマン兄貴、ワイ、ギッチョやねん」。コントなら、「チャンチャン」とSEが入る所で、今までの悲劇はなんだったの!って具合。いわば最後のドンデン返しのため、悲劇が用意されている。だから、『一文笛』は見事に落語なのだ。最近、東京でも『一文笛』を演る方は増えたが、どうも皆さん、「悲劇」=「佳い人情噺」で演じているように思える。片や、米朝師はしばしはリアリティを捨てても、「笑い」という本来の素材の楽しさを優先させるが、確かに落語はリアリティだけで演じると大半が悲劇になって笑えなくなる。

 米朝師の噺で最初に東京で流行りはじめた『持参金』も、二十円の金を目当てに妊婦を行ったり着たりさせる、女性を徹底的に物扱いした(笑)酷い噺だが、イケシャアシャアとして面白い。この噺、先代圓馬師匠や小南師匠が東京でも『金は回る』の演題で演じていたが、全然流行らなかったのにね。『算段の平兵衛』でも、死体を使った詐欺が次々と成功する、実にドライな展開を米朝師は楽々と演じてみせてくれる。

 この米朝師の「ドライさ」、故・枝雀師、ざこば師をはじめ、一門の腕達者には伝わらなかった。枝雀師もざこば師も米朝師の見事な「ドライさ」に適わないと意識したのか、噺の世界は寧ろ凄くウェットである。枝雀師は「情(の表現)は薄ければ薄いほどよい」と書かれたが、それは、薫陶を受け続けながら、米朝師の高みには及ばない自分に対する自責の言葉だったのかもしれない。一方、東京では談志家元から噺が全体にウェットになり(自分の意見を噺の中で述べるのはウェットの典型)、その影響・反撥が多くの人に現れ、近年漸く、喬太郎師のように「イケシャアシャアと人情噺で笑わせる落語家」が出てくるまで、20年程の空白が出来たのは、落語にとって、余り為になっていない。

 また、米朝師はマクラや噺の中でさりげなく観客に聞かせてくれる、様々な「捨て耳情報」は下手な時代考証なんぞ読むのとはケタ違いに面白いが、それでいて何処かに「こんな事を知ってても、実人生には全く役立たない」って諧謔の漂う辺りが見事にドライだ。噺の心理表現でも、「ドライなスタンス」は縦横に活かされる。『土橋万歳』で若旦那が忠義な番頭にいう、「芸者・幇間はオレの命を守るため、金を貰ってるのではない」という言葉からは、「主君の御馬前で身代わりとなる武士的忠義」からは、離れた所で遊ぶ若旦那のしたたかさがアリアリと浮かび上がる。「若い頃から、“旦那が似会う”とはよく言われましたな」と米朝師ご自身、仰っていたように、『千両蜜柑』の蜜柑問屋主人、『はてなの茶碗』の茶金さん、『線香の立ち切れ』の大番頭、『鹿政談』の御奉行様など、米朝師は「総帥」の名人だが、それも「ドライさ(非情ではない)」ゆえ。『百年目』でいえば、親旦那が番頭に意見をする程度で圓生師のようにメソメソしてちゃ人の上には立てない。米朝師の親旦那は一瞬ホロリとはするが泣きはせず、恐れ入る番頭に「今年の天神祭りは逃がさへんで」と笑いかける。そこには「番頭の内職など旦那は最初からお見通し」「下の者への意見は段取がいる」という、『百年目』の皮肉な本質がある。
 落語は、米朝師のようにドライな芸によって、初めて落語になるのではあるまいか。


                                  石井徹也

投稿者 落語 : 2007年05月17日 21:41