« ソフトバンク VS 広島 日本シリーズ 3~6戦 解説 | メイン | ガンちゃんに質問! ガンガンクエスチョン★★ »

2018年11月12日

豊田 清さん 西武時代の 名場面

 11月12日の『岩本勉のまいどスポーツ』
 ゲストにライオンズのかつての絶対的守護神で、
 投手コーチを務めていた巨人を
 今シーズン限りで退団した
 豊田 清さんをお招きして
 西武時代の名(迷)シーンについて
 当時の実況音源を交えながら
 振り返っていただきました。

 span

◆◆ 豊田 清さん プロフィール ◆◆

 1971年2月2日生まれ
 三重県亀山市出身、47歳 (放送日時点)

 鈴鹿高校、同朋大学を経て
 1992年のドラフト3位で西武に入団。

 2000年まで「先発」で活躍したのち
 2001年に「抑え」に転向。
 2002年、2003年は2年連続“セーブ王”。

 FA権を行使し、2006年から巨人でプレー。
 「抑え」「中継ぎ」で活躍し
 2011年、広島に移籍し、この年限りで現役引退。

 プロ19年、通算66勝50敗157セーブ。

 2012年から今シーズンまで巨人の投手コーチ。

******************

  2004年 日本一の胴上げ投手

 豊田さんは
 西武時代の2004年の日本シリーズ(対中日)で
 ライオンズの4勝すべての試合を締めくくり(3セーブ)
 “日本一”の胴上げ投手になりました。

 最後のバッターの打球は、
 ピッチャーズマウンド後方に舞い上がり・・・

豊田 「自分のところにボールを
     もってこよう
(打たせよう)と思ったら
     どうしたらいいかなと思って
     江川さんのアレ
(※)
     頭に浮かんだんです」


 span

 (※)1981年の日本シリーズ(巨人対日本ハム)胴上げ投手の
    巨人・江川 卓投手はウィニングボールを手にするため
    狙ってピッチャーフライを打たせ、自らキャッチしました


豊田 「普通は捕らないんですけど、
     両手上げて『オーライ、オーライ』
     って言ったんですけど
     カブレラが横取りしていった、
     っていうことで。
     『来たな!』と思ったんですけどね」


岩本 「キャッチやったら(キャッチしていたら)
     もっとカッコよかったけど、カブレラ、、、。
     これは、ピッチャーの意見です。
    
(カブレラが豊田さんにゆずって)
     輝かせてくれてもエエやないか
     と思うけども」


 span

 放送では、このライオンズ日本一の瞬間の
 実況音源をお聴きいただきました。

 なお、実況アナウンサーは、14年前で声が若々しい
 松島 茂アナウンサーでした。

 ※ ラジコのタイムフリー機能で
   2018年11月20日5時までお聴きいただけます。

******************

  21-0 の大差で完封勝利

 1997年5月7日 ダイエー 対 西武(福岡ドーム)
 ライオンズ21-0 で大勝したゲームで
 豊田さんは2安打完封勝利をマーク。

 味方が大量得点をした試合の先発投手は
 ともすると、緊張の糸が切れてしまい、
 たとえ白星を挙げたとしても
 何点か失点するもの・・・。
 ところが、豊田さんは一方的な試合展開となった
 このゲームで見事シャットアウト勝利。

松島 「普通、21点も味方が点取ると
     1点2点3点・・・取られますよね?」


岩本 「こんなに点取ってて
     バランスを保ちながら投げ切る
     というのは、すごいな。
    
(西武打線もすごいが)
     『心 動かずに完封するピッチャーが
      もっとすごいな』
と言ったの
     覚えてる」


 29安打、毎回の21得点を挙げただけあって、
 この試合は終始、味方の攻撃が長かったため
 ベンチ横でのキャッチボールも長時間にわたり、
 また、アンダーシャツを
 2度着替えたイニングもあったそうです。

豊田 「アンダーシャツを着替えても
     また汗が ぶり返してくるんですよ」


岩本 「これ『ピッチャーあるある』の中でも
     なかなか ない『あるある』の話やで。
     あ、『ピッチャーないない』か、これ」


 span

******************

  噛み合わないヒーローインタビュー

 ガンちゃんは、レギュラー番組
 『ガンちゃんの世界一面白いプロ野球の番組』
 パートナー、
 HBC北海道放送・渕上紘行アナウンサーから託された
 豊田さんへの“謝罪”メッセージを伝えました。

 今からさかのぼること14年前・・・

 2004年6月19日 日本ハム 対 西武(旭川スタルヒン球場)
 延長11回の末 6-5 で
 ライオンズが競り勝ったゲームに豊田さんは
 5番で登板し、2イニングスを投げて勝利投手に。

 「ヒーローインタビュー」のインタビュアー担当だった
 当時2年目の渕上アナは、
 決勝のタイムリーを含む2安打1打点と活躍し
 この日が誕生日の和田一浩選手が
 「ヒーロー」だと信じて疑いませんでした。

 しかし、お立ち台に上がったのは豊田投手。

 豊田投手に対する質問を準備していなかったため
 的外れの質問を連発する
 “噛み合わない”インタビューとなってしまい、
 豊田さんを怒らせてしまった――と
 長年、申し訳ない気持ちを抱いていたのです。

 実際のところ、豊田さんはその時、
 意図がわからない質問に対して
 聞き返すことはあっても、けっして
 不機嫌になっていたわけではありませんでした。

 20181112_maido_05B_Toyoda_Kiyoshi_360x270.jpg

 放送では、渕上アナの必死さが空回りした(失礼)
 ヒーローインタビューをお聴きいただきました。

 ※ ラジコのタイムフリー機能で
   2018年11月20日5時までお聴きいただけます。

******************

  今後の野球人生は・・・

 「また、どこかで野球を教える機会があれば」
 と語る豊田 清さん。

 近い将来のビジョンとしては・・・

豊田 「深くは考えてないんですけど
    
(取材で)グラウンドの方に降りて
     いろいろ話もしたいですから
     “スーツ”は着たいなとは思ってますけどね」


 span

岩本 「解説業?
     また球場でお会いすること あるわ。
     嬉しいわ」


 span
 ガンちゃんは1995年7月14日にプロ初勝利
 豊田 清さんは1996年7月14日にプロ初勝利を記録(プロ4年目)
 また「7月14日」は豊田さんのお母様の誕生日という特別な日でもあります

豊田 「それまで全く(1軍で)
     勝ててなかったんで
     親孝行もしたかったし、
     最高の日でしたね」

投稿者 文化放送スポーツ部 : 2018年11月12日 18:30