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2018年01月05日

第158回直木賞直前予想(1) 『くちなし』


彩瀬まるさんの『くちなし』を読み終えたとき、はたと考え込んでしまいました。
「この小説の個性を、どうすればうまく伝えることができるだろう?」
そう思ったのです。

この本には7つの短編がおさめられています。いずれも「愛」を題材にしているといっていい。
ただ、それは誰にでも説明できることに過ぎません。この本におさめられた短編は、
どれもそんなくくり方からははみ出してしまうような個性的な相貌を持っています。
むしろ大事なのは、この「はみ出してしまう」ところをどう説明できるかなのです。

実際に雰囲気を味わってもらったほうが、話が早いかもしれません。
以下に「山の同窓会」という作品の冒頭を引用します。



同窓会前日になってもまだ、私は出欠の連絡を入れられずにいた。
「クラスでまだ一回も卵を作っていないのは、ニウラを入れて三人だって」
そう、連絡を回してくれたコトちゃんが世間話のはずみで口を滑らせた。
自分にとって居心地の悪い会になることは初めからわかっていた。
それでもすぐに断らなかったのは、クラスの半分近くの女の子たちがもう三回目の妊娠を果たし、
お腹に卵を抱えていたからだ。そんな優等生の一群には、一番仲の良かったコトちゃんも
含まれている。三回の産卵を果たした女は大抵力尽きて死んでしまう。
これが、彼女らにお別れを言える最後の機会になるかもしれない。

おわかりいただけたでしょうか?
「クラスでまだ一回も卵を作っていない」だの、
「三回の産卵を果たした女は大抵力尽きて死んでしまう」だの、
同窓会の話にしては随分と奇妙な言葉が出てきます。
その後もこの奇妙な設定についての説明は特になく、
女たちが卵を産む不思議な世界がごく当たり前のように描かれます。

他の作品も同様です。
表題作の「くちなし」では、長年の不倫関係を解消するにあたってなにか贈りたいという男に、
女は男の「腕」を希望します。それを当たり前のように受け入れた男は、
自分の左腕をパーツのように外して女に与えるのです。

また「けだものたち」という作品では、女が獣に変化して、好きな男をバリバリと食べてしまう
奇妙な世界が描かれます。

そう、この「奇妙な味わい」こそが、彩瀬さんの作品の魅力なのです。
わかりやすくジャンル分けするなら「幻想小説」になるでしょう。
直木賞以外では泉鏡花賞なんかを受賞してもおかしくない作品です。

ですが作者はただ幻想的で不思議な世界を描いているわけではありません。
作者の導きのままに作品世界に身を浸していると、
この奇妙な異世界での営みを、読者はいつの間にか違和感なく受け入れ、
現実の世界と同じように登場人物に共感し、驚き、感動していることに気がつくでしょう。
この本におさめられた奇妙な味わいの作品たちが読む者の胸に迫ってくるのは、
ここで描かれているのが、どれも私たちが生きている世界のことだからです。

たとえば「けだものたち」でいえば、
「食べる女」と「食べられる男」という設定から浮かび上がるのは、
異性間のディスコミュニケーションです。
決して交わることのない、女性と男性それぞれの世界の常識が描かれています。
ものすごく奇妙な設定の物語にもかかわらず、
ここでは私たちがよく知っていることが描かれている。

「山の同窓会」にしてもそうです。同窓会で主人公の感じる孤独は、
子育て話に花を咲かせる同級生たちを前にした
子どもを生んだことのない女性の孤独そのものでしょう(でもこの主人公はやがて自分なりの
人生の使命を見つけます。ぼくはこの心に沁みる物語が本書の中でいちばん好きです)。

奇妙な設定だからこそ、私たちが普段当たり前だと思い込んでいる
常識のおかしさを浮かび上がらせることができる。実にうまくできています。

幻想小説というのは、単純に現実ではあり得ない世界を描けば成立するものではありません。
そこには世界観がなくてはならない。
世界観とは、私たちの世界と地続きでありながら、私たちが気づかなかった
アナザーワールドを垣間見せてくれる作者の視点のことをいいます。

彩瀬さんの『くちなし』は、見事な世界観のもとに描かれた一冊です。
直木賞に幻想小説という取り合わせ。
なるほど、これも「あり」かもしれません。

投稿者 yomehon : 2018年01月05日 20:29