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2017年12月01日

知られざるスパイハンターの戦いを描く 『スリーパー』


先日オンエアされた『アメトーーク』の読書芸人特集では
「今年読んだ好きな本」という切り口で本が紹介されていましたが、
そろそろ当欄でも個人的に今年面白かった本を紹介していきましょう。

ミステリー&サスペンス小説のジャンルでむちゃくちゃ面白かったのが
『スリーパー 浸透工作員 警視庁公安部外事二課』竹内明(講談社)です。

竹内明さんはTBSの記者。今年3月まで夕方のニュース番組「Nスタ」の
キャスターを務めていたと聞けば、「えっ!?あの人が小説を書いたの?」と
びっくりされる方もいらっしゃるかもしれませんね。

竹内さんは報道記者として国際諜報戦、平たくいえばスパイの暗闘について
長く取材されている方で、彼が手掛ける公安小説は、実は本読みのあいだでは
高く評価されているのです。

警視庁で「カウンターエスピオナージ(防諜)」の役割を担うのは
公安部の外事課というところになります。
防諜というのは、外国のスパイを摘発したりスパイ行為を未然に防いだりすること。
かつてロシアの情報機関の人間に、防衛大出のエリート海上自衛官が
資料を流していたとして摘発された事件がありましたが、
スパイとの攻防は水面下で日々行われている現実の話なのです。

竹内さんにはこの事件の内幕を描いた
『秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実』(講談社文庫)という
とても面白いノンフィクション作品もありますが、
なんといってもおススメは、スパイハンターの筒見慶太郎を主人公とした小説です。

ほとんどの人にとって公安警察というのは馴染みがありません。
公安自体が極端な秘密主義で、その内側がうかがい知れないことや、
戦前の特高警察の苛烈な思想弾圧などのイメージもあって、
むしろ不気味なイメージを抱いている人も少なくないかもしれません。

公安の取材を重ねる中で、おそらく竹内さんはどこかで
現場で頑張っている捜査員たちの息遣いを伝えたいと思ったのではないでしょうか。
それにはまさにフィクションという形式がうってつけだったのです。

筒見慶太郎シリーズの入門編としては、
『ソトニ 警視庁公安部外事二課』(講談社プラスα文庫)がおススメ。
中国の諜報機関である国家安全部の工作員と、
警察に潜り込んだ「潜入者(モグラと呼ばれます)」の罠にかかって公安部を追われ、
ニューヨークの日本総領事館に左遷されていた筒見が、
現地で外務大臣毒殺未遂事件に遭遇したのをきっかけにふたたび戦線に復帰し、
中国のスパイたちと戦うというストーリーです。

この作品の中で「背乗り(はいのり)」という言葉が出てきます。
これは行方不明者の戸籍などを利用してその人物になりすますこと。
スパイが使う常套手段です。

『スリーパー』で描かれるのは、北朝鮮の潜入工作員との攻防。
相変わらず海外をたらい回しされている筒見は、
今回はバングラデシュの日本国大使館警備対策官として登場します。
現地で日本人の有名俳優の惨たらしい殺人事件に巻き込まれた筒見は、
事件を追いかける中で、日本人に背乗りした北朝鮮潜入工作員の存在を突き止めます。

このシリーズの面白さは、
筒見とともに戦う部下たちのキャラが立っていること、
そしてなんといっても作中で紹介される
数々のスパイの手口や公安の捜査手法でしょう。

機密書類などをすれ違いざまに手渡すフラッシュ・コンタクトや、
あらかじめ決められた公園のベンチの下などにぶら下げておく
デッド・ドロップと呼ばれる手法、また彼らをマークし追尾する
公安捜査員たちの目を見張るような尾行技術などが詳しく描かれます。

また本シリーズの魅力は、
筒見慶太郎という凄腕のスパイハンターの陰影に富んだ人物造型にもあります。
彼には幼い息子を事故で喪った過去があり(事故ではないのでは?という疑惑も
あるのですが)、その不幸な出来事によって妻や娘とも別れることになるのです。
とてつもない喪失感を抱えたままスパイとの壮絶な闘いを繰り広げる筒見は、
これまでのミステリー小説にはなかったタイプのダーク・ヒーローです。

殺人などの凶悪事件を手掛ける刑事部に比べて、
公安を舞台にした小説というのは数えるほどしかありません。
そんな中で、詳細な取材に基づいて書かれたこの外事二課(ソトニ)シリーズは、
ぼくたちに国際諜報戦の内側を教えてくれるきわめて貴重な作品なのです。

投稿者 yomehon : 2017年12月01日 06:30