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2016年06月06日

『翻訳できない世界のことば』 世界は多様で素晴らしい!


好きな日本語をあげろと言われたらおおいに迷いますが、
子どもの頃から妙に惹かれる言葉をあげるとするならば、
それはもう迷うことなく「たそがれどき」だと答えます。

日が沈んだ直後、西の空がまだうっすらと赤味がかっているわずかなひとときを指す言葉。

ご存知の通り、漢字で書けば「黄昏時」ですが、
もともとは「誰(た)そ彼(かれ)」からきています。

つまり「あなたは誰ですか?」と尋ねてしまうくらい
相手の顔が判別できない状態、ということですね。
薄暮というやつです。

一方、「彼(か)は誰(たれ)」となると「かわたれどき」で夜明け前をさします。
こちらは薄明ですね。


でも夜明けよりも「たそかれどき」のほうに惹かれてしまうのは、
この時間が一方で「逢魔時(おうまがとき)」とも呼ばれるからです。

文字通り、物の怪であるとか、
人ならぬものと出会ってしまう時間帯ということで、
ものすごく想像力をかきたてられる言葉です。

夕暮れ時に相手の顔がみえないことをもって、
昔の人は「もしかしたらあの人は人間ではないかもしれない」と想像したんですね。


いつ頃この言葉を知ったかはもはや記憶が曖昧ですが、
子どもの頃は、黄昏時に道で誰かとすれ違うたびに、
「いまの人はお化けだったかもしれない」と妄想してはゾクゾクしたものです。

幼い頃の記憶で鮮烈におぼえているのが、
真夏の週末にひらかれていた夜市の光景です。

その頃、ぼくは山奥の小さな町に暮らしていました。
周囲を真っ黒な山に囲まれた中、
商店街の電飾の光に、
金魚すくいやお面の並べられた出店がぼうっと浮かび上がる様は、
まさに異界との境界があいまいになったかのごとき光景で、
大人になったいまでも、あの夜市には相当数の物の怪たちが紛れ込んでいたと信じています。
(恒川光太郎さんの傑作ホラー小説『夜市』にそういう雰囲気がよく出ていますのでぜひお読みください)


このように、日没から夜に移行するまでのわずかな時間に特別な言葉を当てるところに
日本人の独特な感性を見て取ることができます。

でもそれは別に日本人が特別に感性が優れているということではなくて、
世界中の国や地域に、その土地の言葉でしか表せないような
独特なニュアンスの言葉があるんですよね。


余談ですが、
もしかしたらここで、
「そうそう!イヌイットには『雪』を表現する言葉がたくさんあるだよね」
なんて思った人がいるかもしれません。

この「たくさん」は人によって「30個」とか「100個以上」とかバリエーションがあるのですが。

実はこれはアメリカのアマチュア言語学者のベンジャミン・ウォーフという人が、
1940年に書いた論文がもとになって広まったガセネタのようです。

言語学者のマーク・C.ベイカーという人が、
『言語のレシピ』(岩波現代文庫)という本の中でこのエピソードを紹介しつつ、
この話が「(アメリカ人の)民間信仰の中にしっかりと根をおろしてしまった」と嘆いています。


さて、そんなわけで今回ご紹介したいのが、
世界中の微妙なニュアンスの言葉を集めた素敵な一冊、
『翻訳できない世界のことば』エラ・フランシス・サンダース 前田まゆみ訳(創元社)


これ、素晴らしい本です。
著者は各国を旅する旅人&イラストレーター。
彼女が世界中で収集した言葉がかわいらしいイラストともに掲載された
とてもチャーミングな本です。

ちなみに原書のタイトルは「Lost In Translation」。

ソフィア・コッポラに同タイトルの映画作品があるけれど(2003年 ビル・マーレイ主演)、
あの作品が言葉の通じない異国の地で孤独を感じる主人公を描いていたのに対し、
本書はまったく違います。

著者いわく、
「(読者にとってこの本が)忘れかけていたなにかを思い出すものであったり、または今まではっきりと
表現したことのなかった考えや感情に言葉を与えるものであればと願っています」と書いているように、
パラパラと本書をめくっているだけで、
世界には人間の行動や感情を表現するこんなにも多様な言葉があるのかと驚かされるはず。


そしてこういう言葉が生まれたその国の文化についても想像をかきたてられるのです。

たとえば、さっき触れたついでに、イヌイットの言葉をみてみましょう。

イヌイット語にはこんな言葉があるそうです。

「Iktsuarpok(イクトゥアルポク)」
意味は、
「だれか来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出て見てみること」

雪深く、訪れる人も少ない土地に住む人ならではの
人恋しい感じが出た言葉だと思いませんか?


逆に暑い南の国の言葉もみてみましょうか。

マレー語には、
「Pisanzapra(ピサンザプラ)」
という言葉があるそうです。

意味はなんと「バナナを食べるときの所要時間」!

そんなの子どもと大人じゃ違うんじゃないの?と思いますが、
あちらでは一般には「だいたい2分くらい」とされているそうです。
日本でいうところのカップラーメンの3分みたいなものかもしれませんね。


深いなぁと思う言葉も。

スペイン語で「Vacilando(ヴァシランド)」は、
「どこへ行くかよりも、どんな経験をするかということを重視した旅をする」

なんか親が子どもにこんな言葉をかけたりしていそう。


ヒンディー語の「Jugaad(ジュガール)」という言葉は、
「最低限の道具や材料で、とにかくどうにかして、問題を解決すること」。

先人の知恵をかんじさせる言葉ですよね。
これから人がどんどん減っていく「課題先進国」の日本にこそ必要な言葉かも。


いまの日本に必要な言葉といえば、こんなものもありますよ。

オランダ語の「Struisvogelpolitiek(ストラウスフォーヘルポリティーク)」

直訳すると「ダチョウの政治」。
意味は、「悪いことが起きているのに、いつもの調子で、まったく気づいていないふりをすること」


いったいどういう文化的な背景からこういう言葉が生まれたんだろうと
あれこれ想像をたくましくして楽しくなってしまう言葉もあります。

ドイツ語の「Drachenfutter(ドラッヘンフッター)」

直訳すると「龍のえさ」。
意味は、「夫が悪いふるまいを妻に許してもらうために贈るプレゼント」。

なんと気の毒な風習……。

カリブ・スペイン語で「Ctisuelto(コティスエルト)」

意味は、「シャツの裾を絶対ズボンの中に入れようとしない男の人」。

え?ダメなの?


ロマンティックな言葉もありますよ。

ひとつだけ紹介すると、
ブラジル・ポルトガル語の「Cafune(カフネ)」

意味は「愛する人の髪にそっと指を通すしぐさ」。

あいにく「恋は遠い日の花火」なんだよね……って若い人にはわからんか。
傑作CMコピーの歴史を勉強してください。


本書には日本語もいくつか採用されています。
「なるほどそうきたか」という言葉もあれば、意外な言葉もあります。
著者の琴線に触れた日本語は何か、それは読んでのお楽しみ。


最後に個人的にグッと来た言葉を紹介しておきましょう。

スウェーデン語で「Resfeber(レースフェーベル)」

この言葉をみて初めていまの自分に不足しているものがわかりました。
日頃のストレスの原因はこれだったのか!

意味は「旅に出る直前、不安と期待が入り混じって、絶え間なく胸がドキドキすること」。

今年の夏は絶対に旅に出よう。
それも誰にも邪魔されない一人旅に。

そう固く誓ったのでした。

投稿者 yomehon : 2016年06月06日 17:00