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2015年11月19日

頭をマッサージしてくれる作品集なのだ!!

世の中というのは不公平なもので、
大変なことを苦もなくこなす才能ある人間がいる一方で、
能力に乏しい者は、どんなに時間と労力を注いでも、
めぼしい結果が出ないということがままあるわけです。

なんの話しかって?

いや、面白い番組企画を思いつかないって話ですよ!

さっきからスタバでコーヒーグランデ2杯もおかわりして
額に汗しながらウンウン唸っているにもかかわらず
一向にアイデアが浮かばないわけですよ。
しまいにはストレスでお腹もちょっと痛くなってきちゃったりなんかして。
隣の席の女の子は「この人、具合悪いんじゃないかしら」と
心配してくれているみたいだけど、「安心してください、下痢じゃありませんよ」。


才能がないというのは悲しい。
だって、努力したって結果なんて出ないんですから。

だから悩んでもしょうがない。
ちょっと頭を休ませて気分転換でもしよっと。

というわけで、おもむろに取り出したのが、 『赤塚不二夫 実験マンガ集』(Pヴァイン) 


一読、ブッ飛びましたね。
赤塚作品はこれまでずいぶん読んできましたが、
「実験的な作品」しばりでは読んだことがなかった。

実験マンガとはいかなるものか。


たとえば、
「ともだち」という作品。

登場人物は作者がペン入れを忘れているということでラフな輪郭だけ。

「やあ!!こんにちは!!」
「きみだれ?」
「ぼくだよ きみの 友だちじゃないか!!」
「その顔じゃわからないよ もうすこしペンをいれろよ」
「めんどくさいなあ」(やや輪郭がハッキリする)
「わかった?」
「もうすこし」(さらに輪郭がハッキリする)
「わかった?」
「あっ もしやバカボンじゃないか?」

という具合。

その後、登場人物はきっちり描かれるものの、
背景がないために、バカボンたちは踏み出した途端に転んでしまい、
「バックをかかないから足をふみはずしたぞ」
「もっとしっかりかけ!!」と作者にクレームを入れる。

その後も、ホットケーキを食べようとしたら口を描き忘れていて食べられなかったり、
メガネを描きわすれて相手がみえなくなったり。
最後は「なにごともあきっぽい人間ってだめだね」「ぼくもそう思うよ」と言いながら、
両目の点ふたつだけになって消えてしまうのでした。

メタフィクションの手法を導入し、
作者を作品に登場させることで……とかなんとか、
サブカルチャーを文学理論とか現代思想の用語を使って分析するのが
大昔には流行ったものですが、いまやると恥ずかしいのでやめますね。

そんな分析などどうでもよくて、
ただただ、赤塚不二夫の発想の自在さを楽しむべし!


「バカボンのパパ」という作品は、
内緒話をしようとすると声が大きくなり、
デカイ声を出そうとするとささやき声しかでない病気にかかった
バカボンのパパの後輩が起こす騒動を描いています。

小声で言おうとしたエッチな言葉が巨大なふきだし文字で表現される。
そのセリフは少年誌にまったくもってふさわしくない四文字言葉だったりするところが
まことに素晴らしい。(子どもはそういうものをみて大人の世界を学んでいくのだ)


「実物大のバカボンなのだ」は、
バカボンとパパが実物大で描かれ、
これでページを浪費し過ぎたために途中で軌道修正がなされるものの、
結局しわ寄せで後ろへ行けば行くほどコマが細くなっていくという展開。


「ていねいなバカボンなのだ」は、

「最近、読者のみなさんから『“バカボン”は手をぬいてザツにかいているんでは
ないか?」といった内容のお手紙をいただきました。そこで、今話の“バカボン”は
できるだけていねいに念をいれてかくことにします」

という作者の宣言が冒頭に掲げられた後、
トイレにいくまでの時間が超絶ひきのばしで描かれ、
結果的にウンコとおしっこを漏らしてしまうのです。
しかも作者は、

「この作品についてのご感想はなるべくていねいにこまかく念をいれておかきください」

と読者に注文もつけている。

これ、まじめに感想出した人いるんだろうか。
ぜひいてほしいなぁ。
まじめというのはすなわち滑稽ってことで、
作者もまじめに感想を求めていると思うから。


「夏はやせるのだ」は、
うだるような暑さのなか、登場人物がどんどんやせていくお話。
動物園を訪れると、すっかりやせてしまったカバやウマやサイが簡略化した線だけで表現される。
ほとんどもうサハラ砂漠のタッシリ・ナジェールの古代壁画のよう。
アートな感じがなんともカッコいい!


「遠視と近視の愛護デーなのだ」は、
目の愛護デーということで、その逆を行く見づらい漫画を目指した作品。
遠近法が狂い、ネガフイルムのように白黒が逆転したコマの連続にめまいがします。


「(文字表記不可能なタイトル)」は、
漫画のルールを無視して、フキダシの中に絵を描き、絵の場所に字を書いた作品。
ケータイの絵文字が生まれる何年前に描かれた作品なんだろう・・・・・・と初出をみると、
なんと1973年!!この先見性たるや凄すぎ。


「説明つき左手漫画なのだ」は、
アシスタントが全員骨折したということで(もちろんウソ)、
なんとすべて左手で描かれています。


とまあ、こんな具合に、
実にクリエイティヴィティに富んだ作品が並びます。
(上に紹介した分だけでもまだ全体の3分の1ですからね)

昔、立川談志師匠が、
「歴史上で天才だと考える人物」として、
レオナルド・ダ・ヴィンチと葛飾北斎、そして手塚治虫の名前を挙げていらしたけれど、
赤塚不二夫も間違いなく天才です。


突き抜けた発想。
世間の常識を逆手に取った手法。
くだらないことをまじめに追究する探究心。
幼児のような自由奔放っぷり。

ここにまとめられた作品群を読んでいると、
いかに自分が狭い枠の中でものを考えていたかを思い知らされます。

アイデアにつまったときなどに頭を揉みほぐすのにおすすめの一冊。
勉強し過ぎで頭がパンクしそうな受験生諸君にもおすすめだよ!


……というわけで、長い気分転換の時間を終えて、
ふたたび現実の世界へと戻って来たのではありますが。
凡人の悲しさ、待てど暮らせどアイデアは出てこないのでありました。

ぜんぶ絵文字で企画書を書いて提出したら、やっぱバカって言われちゃいますかねー?

投稿者 yomehon : 2015年11月19日 15:00