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2015年08月10日

境い目の文学

又吉直樹さんの『火花』は200万部を軽く突破して、その勢いはとどまるところを知りません。

でも又吉さんに華々しくスポットライトが当たる一方で、
個人的に気になって仕方なかったのは、芥川賞を同時受賞した羽田圭介さんのこと。


『火花』が素晴らしい作品であることは論を俟たないけれど、
とはいえ、同時受賞でこれほどまでに注目度に差が生じてしまうのはどうなんでしょう。

メディアは単純ですから、
芸人が書いた小説というだけで大騒ぎしてしまうのだといえばそれまでですが、
「それにしても……」と思ってしまいます。


だって羽田さんも芸人に負けず劣らず変なことを考えている面白い方なんです。

たとえば、羽田さんのデビュー作『黒冷水(こくれいすい)』(河出文庫)
これはとても変わった小説です。
いや、異常な小説と言ってもいいかもしれない。

小説のテーマはなんと兄弟ゲンカ。
それも度を越えた兄弟ゲンカです。
家庭内で互いの動向を執拗に監視しあう兄弟間の緊張関係を描いたこの作品で、
羽田さんは文藝賞を受賞しました。

驚いたのはこの時、羽田さんが17歳だったこと。

「とんでもない新人が現れた!」とコーフンすると同時に、
わずか17歳でこのようなダークな作品を書いてしまう作者の将来が
ちょっと心配になったのをおぼえています。

もちろん小説はフィクションですから、
どんなに悪辣非道なことを書いたからといって、
作者の性格も極悪だなんてことには決してなりません。

そういう作品内容と作者の人間性をただちに重ねてしまうような
稚拙な読み方をしているわけではないけれど、
それにしても17歳でこんな歪んだことを考えているなんて、
いったいどれだけ変わった人物なんだろうと思ったわけです。


誰だったか著名な作家(大江健三郎さんだったかな。自信なし)がむかし言ってましたが、
無頼なふるまいを演じているような作家はむしろ紛い物で、
きちんとした社会生活生活を営んでいるにもかかわらず、
頭の中では異常なことを考えているほうが本物の作家なのだと。


その伝で言えば、羽田圭介さんは正真正銘、モノホンの作家です。


この人はそうとう変だぞ、と確信を深めたのは、
芥川賞候補にもなった『メタモルフォシス』(新潮社)を読んだときでした。


受賞には至りませんでしたが、
マゾヒストの世界を極めるという衝動に突き動かされる男性を描いたこの作品は、
ノーマルとアブノーマル、日常と非日常、生と死の境界面に肉薄しながら、
読者を未知の世界にまで連れて行ってくれる素晴らしい作品でした。

ここにつまびらかに書くのは控えますが、
結構な変態プレイが出てくるにもにもかかわらず下品な感じは微塵もなく、
むしろそこかしこに出てくる哲学的な人間洞察にこちらが居住まいを正されるようなところがあって、
一読して、「ああ、この作者はついに化けたかも」と感じさせられました。

そんな勢いに乗る作者だからこそ、
芥川賞受賞作『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋)がどんなものなのか、
その刊行を楽しみに待っていたわけです。

28歳の主人公・健斗は、新卒で5年勤めた会社を退職し、
自宅で資格試験の勉強をしつつ、次の就職先を探しています。

東京の郊外にある家で暮らすのは、母と長崎から引き取った87歳の祖父。

祖父はことあるごとに「じいちゃんなんか、早う死んだらよか」というのが口癖で、
主人公はある時、祖父の願いを叶え、
「苦痛や恐怖心さえない穏やかな死」を迎えられるよう手伝ってあげようと決意します。

そして祖父の運動機能を奪うために、過剰なまでに世話を焼くようになるのです。

要するに祖父がからだを動かさないで済むよう、
上げ膳据え膳で過剰な介護を行い、
その結果、祖父の死期を早めようと目論んだわけです。

当初は祖父を邪魔に感じるささやかな悪意からはじまった過剰介護ですが、
やがてそれが本気で祖父を死なせてあげるための純粋な行為へと変化していきます。

でも、主人公の意に反して、祖父はなかなか死にません。
「死にたい」という言葉に反して、生への執着を隠さなかったりもする。

このあたりの主人公の行動と現実のズレから生まれる滑稽味がまさに羽田テイスト。
本書の魅力です。

本書を読んであらためて感じたのは、
羽田さんというのは「境い目」を丁寧に描く作家なのだなぁということ。

日常の向こうにある変態の世界へと足を踏み入れたときに
そこから何が見えてくるかを描いた前作のように、
『スクラップ・アンド・ビルド』では、
介護する者とされる者、若者と高齢者との境い目に作者は分け入っていきます。


本書をあまり社会問題の文脈に位置づけるのもどうかと思いますが、
社会保障の問題が日本の大きな課題となっているいま、
このような小説が広く読まれる意味はけっして小さくはありません。

本書のラストで主人公が祖父に対してある種の理解に至るところなどは、実に示唆に富んでいます。


又吉さんきっかけでひさしぶりに芥川賞に関心が集まっているせっかくのタイミング。
ぜひ本書も手に取っていただきたいと思います!

投稿者 yomehon : 2015年08月10日 12:02