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2015年03月02日

ピケティよりも読むべき本


ある日、地元の居酒屋のカウンターで飲んでいたら、
隣に座った商店街のおやじさんが赤ら顔で驚くべきことを口にしました。

「いま評判のピケなんとかって本、あれどんなことが書いてあるんだい?」


このおやじさん、落語や歌舞伎、粋筋の遊びなんかには造詣は深いけれど、
いかんせん本の類はまったく読まないと日頃から公言している御仁。

しかも大手チェーンに店舗を貸して、
テナント料で悠々自適の生活を送っている人なだけに、
「むむ、よりによってピケティについて説明しろってか」と
ちょっとうろたえてしまったのでした。


そういえば、雑誌とコミックと自己啓発本しか置いていない近所の書店にも
『21世紀の資本』が並んでいたし、
なるほど、ピケティブームというのは本物なんだなぁと実感したのでした。


もうさんざんあちこちで解説されているので、
まだ読んでいないという方も、なんとなく内容は頭に入っているのではないでしょうか。


ひとことで言うならば、
「富裕層にはますます冨が集中し、そうでないものとの格差が開いていく」こと。

こうしたメカニズムが資本主義には組み込まれているのだということを、
この本は膨大なデータをもとに実証してみせたのです。

もとになったデータは、
世界20か国以上の200年にわたる納税記録。

これを詳細に分析することで、

「資本収益率(r)>経済成長率(g)」

という不等式を導き出し、
格差拡大のメカニズムを説明したというわけです。

「要するにさぁ、おやじさんみたいな土地持ちはこの先も安泰だけど、
ぼくみたいな貯えのない人間は、いくら働いてもおやじさんには追いつけないってことだよ」

不動産や株などの資産から生み出される収益(r)のほうが、
コツコツ働くことで得られる賃金の伸びなど(g)よりも大きい、ということ。

このままでは格差が拡大してしまう!ということで、
ピケティはグローバルなレベルでの資産課税の強化を提言しているのです。


そんなことを教えてあげると、
楽隠居のおやじさんは
「おいおい、また税金増やそうってのかよ。おだやかじゃねーなー」と
急にそわそわとしはじめました。

個人的には学生時代から親しんでいるみすず書房から
このような大ベストセラーが出る日が来たことに感慨をおぼえたりもするのですが、
その一方で、「ここまで騒ぐ本じゃないんじゃないかなー」という思いもあります。

たしかに膨大なデータでもって、
資本主義にビルトインされた格差拡大のメカニズムを抽出してみせたのは凄いですし、
それをこれだけの世界的な規模で比較検討しているのはある種壮観ですらあります。


けれども、たとえば富める者はますます富むという現実は、
出身階層の違いが教育の格差にもつながっているということを実証的に明らかにした
苅谷剛彦さんの 『階層化日本と教育危機』などの研究で以前から指摘されていたし、
資本主義がその内側に限界を抱えていることも、
最近、 『資本主義の終焉と歴史の危機』でブレイクした水野和夫さんなどが昔から指摘していたことです。

たしかにピケティは「旬の人」です。

でもその理論は、
ぼくらがなんとなくモヤモヤと感じていたことに
明確に言葉を与えてくれたという性格のものではないでしょうか。


そういう「言われてみればたしかにそうだよなぁ」という本もいいけれど、
ぼくはもっと目からウロコがボタボタ落ちるような読書体験をみなさんにしていただきたい!

というか、ピケティがこんなに売れるのなら、
もっとこの人の本が読まれてもいいのではないか。

というわけで、いまピケティよりも読むべき本をご紹介いたしましょう。

いまピケティよりも読んでほしい人。

それはエマニュエル・トッドです。

フランス国立人口統計学研究所というところにいて、
各国の家族制度や人口の分析をもとに
歴史の大きな変化を予言してはバシバシと的中させている人物で、
1976年に弱冠25歳で世界でもっとも早くソ連の崩壊を予言したことは特に知られています。

「ソ連が崩壊するなんて誰でも予測できたんじゃないの?」と思ったあなた。


それではいまトッドが、
「イスラーム過激派は自壊する」と予言していることについてはどうでしょう?


『文明の接近 「イスラームvs西洋」の虚構』石崎晴己・訳(藤原書店)
トッドが述べているのは、
イスラーム諸国におけるイスラム教が、
やがて欧米におけるキリスト教のような世俗化へと向かうということ。
西洋社会とイスラーム社会が衝突するなどということはありえないこと。
欧米のイスラーム脅威論は虚構であること、などです。


これらを実証するためにトッドが持ち出してくる分析ツールが、
各国の「識字化」と「出生率の低下」の時期の関係です。

それぞれのタイムラグの違いこそあれ、
各国で「識字化」が達成されると、
しばらくして「出生率の低下」が起きるという普遍的な流れがあります。

簡単に言えば、
新しい知識を得ることで、伝統的な信仰への疑念が生じ、
(出産調整も含め)自分で自分の生き方を選ぶようになる、というわけです。

トッドによれば、
男性の識字率が50%を超え、出生率が下がり始めた社会には、
やがて革命などの大きな社会変革が起きるとのこと。

つまり旧体制と新しい世代とが衝突を起こすわけです。


トッドによれば、
現在、世界で問題となっているイスラーム原理主義は、
イスラーム諸国が近代化への移行途上にあるがゆえに生まれたものだとのこと。
自分たちが信じていたものが崩壊していくのを前にした最後の反動だというわけです。

この流れは止められません。

トッドの理論に当てはめれば日本も例外ではなく、
明治維新から廃仏毀釈運動のような宗教危機、そしてファシズムの台頭がこれに当たります。
(日本で男性の識字率が50%を超えたのは1850年頃、女性は1900年頃で、出生率は1920年頃に
下がります)


トッドは言います。
かつて日本はヨーロッパからは「常軌を逸した存在」と見られていたと。

けれども、現時点で、日本の近代性に異議を唱える者は誰もいません。
しかも、その近代性は単なる西洋化ではなくて、どこまでも日本的なものです。


トッドは、日本が移行期の社会的な危機を経て近代化したように、
イスラーム諸国も否応に無しに近代化していくのだと説いています。

そして、欧米社会のイスラームへの強迫観念は、イスラーム自体とは何の関係もなく、
むしろグローバル化などによって生じている西洋そのものの危機と関係があるのではないかと
指摘します。

原著は2007年に出たものなので、
いま世界で起きていることに関する直接的な処方箋が書かれているわけではありませんが、
イスラーム社会とどう向き合うべきかという点についてはとても示唆に富んだ一冊です。

少なくとも、イスラーム圏に軍隊を派遣することなどよりも、
子どもたちへの教育支援などを辛抱強く行うほうが、
一見まわり道のようでいてその実、
イスラーム社会の変化を加速させる絶大な効果があるのだということがよくわかります。

トッドは、いまヨーロッパで生じている右傾化の動きについても、
『不均衡という病』で非常に説得力のある議論を展開しています。
(意外なことに右傾化の動きは田舎ではなく、都市から生まれている!)


また、トッド理論の真骨頂は、各国の家族制度の分析にあるのですが、
(イデオロギーは家族構造に規定される=人々の「考え方」は家族のありかたに規定される!)
そのあたりのことは『世界の多様性』という大著に詳しく書かれています。

ピケティ並みに分厚い本ですが、こちらもぜひ読んでいただきたい一冊。
少なくとも政治家の威勢のいい煽り文句には騙されなくなりますよ。

投稿者 yomehon : 2015年03月02日 13:00