« 直木賞候補作を読む(4) 『私に似たひと』 | メイン | 直木賞候補作を読む(6) 『満願』 »

2014年07月14日

直木賞候補作を読む(5) 『本屋さんのダイアナ』


お次は柚木麻子さんの『本屋さんのダイアナ』 (新潮社)です。


まず、この小説の最大の関門は冒頭にあると言っておきましょう。
この入口の部分で抵抗感を覚えた人は、うまく物語に入っていけないかもしれない。

この作品における最大の関門。

それは主人公の名前です。

矢島ダイアナは字が読めるようになるずっと前から、自分の名前が大嫌いだった。
外国の血など一滴も入っていないのにダイアナ、それもよりによって漢字で「大穴」と書く。
ダイアナの父は競馬が好きだったらしい。(略)
――パパと相談して、あんたが世界一ラッキーな女の子になれるようにと思ってつけたんだ。
世界一の名前じゃん。(略)
ティアラは得意そうに微笑むけれど、この名前のせいで、ダイアナは八歳にして未来に絶望している。

ここで、
「矢島大穴?んな名前の人間、いくらなんでもいるわけないじゃん!!」
とリアリティを感じられず、のっけからつまづいてしまう人もいるかもしれません。

でもどうか我慢して読み進めてください。

かなり無理があるのはここだけで、あとはすんなり物語に引き込まれるはずですから。

矢島ダイアナは、キャバクラに勤める母ティアラと二人暮らし。
父親の顔を知らずに育ったダイアナは、歌舞伎町のキャバクラ『ヘラクレス』の№1だという
ティアラに似た美人。髪の毛も幼いころから脱色させられ続けたせいで金髪です。
そんなギャル系な外見とは裏腹に、ダイアナは内気で本好きな女の子。
図書館でたくさんの本を読むことを無上の喜びとしています。


この小説には、もうひとり主人公がいます。

優等生でクラスの誰もが一目置く神崎彩子。
美しい黒髪に地味だけれどよくみるとセンスの良い服装をしています。
父親は児童書の編集者で、自宅で料理教室を開く母親も元編集者。
両親の愛情をいっぱいに浴びて育った彩子も無類の本好きでした。

ダイアナと彩子。

ふたりが無二の親友となるのに時間はかかりませんでした。

この作品は、
矢島ダイアナと神崎彩子というふたりの主人公をすえたダブル・ヒロイン小説なのです。


いやー素晴らしい作品ですね。

小学生で出会ったふたりが、、
ささいな行き違いから絶交して、
成人になってからふたたび友情を復活させるまでが描かれていますが、
作者は、ダイアナと彩子という対照的jなヒロインの人生に仮託して、
女性であれば誰もが成長するまでに経験するであろう困難を巧みに描いています。

それは、自分が置かれている環境へのコンプレックスであったり
(ダイアナと彩子はそれぞれ、互いの家庭環境に憧れを抱いています)、
男という性への嫌悪やおそれであったり、
あるいは女性としてどう生きていくかという難題であったり。

特に女性読者には、「そうそう、わかる!」と共感できる箇所が随所にあることでしょう。


いや、ヒロインだけじゃないですね。

ヒロインの母親たち、
ダイアナを16歳で生んだティアラ(ちなみにティアラは源氏名)や、
知的でセンスがよい彩子の母・貴子、それぞれの人生からも、読者は何かを感じ取るはず。

つまりこの本では、少女から母親まで、
女性の人生のさまざまなステージが描かれているわけです。

柚木麻子さんはいま注目されている作家ですが、
ちょっとした風俗描写の上手さに、
ベストセラー作家になる素質がじゅうぶんにあるなぁと感じさせられます。


作中、ティアラが、お店が終わった後に、
ダイアナを食事に連れて行く場面があります。

うまいなぁと思ったのは、
ダイアナを連れて行くのが歌舞伎町の「つるとんたん」なんですよね。

引っ張られるようにして店を後にし、区役所通りを歩いて<つるとんたん>を目指した。
何やら怪しげな地下の店では、仕事終わりとおぼしきホストやホステス風の男女が
大きな丼に頭を突っ込むようにして、うどんをすすっている。ダイアナはメニューを見て、
極力シンプルなものを指した。
「わたし、普通のきつねうどんでいい」
「はあ?<つるとんたん>に来てクリーム系いかないとか、マジありえないし。
なんか、あんたのほうがババアみたいじゃーん。ウケる」
やがて洗面器のような丼が、二人分運ばれてきた。向かいでうどんをすするティアラは
丼のせいで小さく見えて、いつになく儚げに感じられた。ティアラにも子供の頃があったんだと
やっと気付く。自分と同じ年のティアラはどんな思いで毎日を過ごしていたのだろうか。


同じ店でも六本木店とはまた違った、
キャバ嬢でごった返しているあの深夜の雰囲気を知っている人には特に、
「あの雰囲気の中、うどんをすする母娘・・・あぁわかるなぁ」と光景が思い浮かぶでしょう。

「つるとんたん」という固有名詞をを知らない人でも、
洗面器のように大きな丼(実際、それくらいあります)との対比で、
シングルマザーとして懸命に生きてきたティアラの半生を感じ取ることができるはずです。
(この描写の前に、ダイアナが控室のロッカーで母のある秘密を知る場面があるのでなおさら)

小説の中での固有名詞の使い方については千早茜さんのところでも触れましたが、
柚木さんのこういう使い方はとても上手いと思います。

そしてなによりも、この小説の最大の仕掛けである
「主人公と本とのかかわり」!

これが素晴らしく効いています。


ダイアナと彩子を結びつけるのは本。
ふたりが別れて、それぞれの青春時代を送る際に支えとなるのも本。
そして、ふたりをふたたび結びつけるのも本です。

この本には次のような箇所が随所に出てきます。

「桃のコンポートよ。桃を洋酒の入ったシロップで煮て、良く冷やしてあるの。お口に合うかしら」
「知ってる!森茉莉さんの本で読んだ!」
我慢できずにそう叫ぶと、彩子ちゃんのお母さんは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「そうそう。鴎外はドイツ帰りの医師だったから茉莉さんに生のくだものをたべさせてくれなかった
のよね」
かつてないほど心が浮き立ち、ダイアナは恍惚となる。こんな会話に心の底から飢えていた。
この時間が永遠に続けばいいと、涙が滲むほど強く願う。
「今、好きな作家は幸田文に森茉莉か・・・・・・。ダイアナちゃんは、どうやらお父さんとの絆が
強い作家が好きみたいね」
どきりとして、まじまじと彩子ちゃんのお母さんの顔を覗き込む。確かにそうだった。
幸田露伴に森鴎外――。幸田文も森茉莉もそれぞれの父親の影響が強すぎるせいか、
結婚がままならなかったり、生きづらそうに見える部分も多々ある。それでも、心の中に
常に絶対的な存在があることが羨ましい。何があっても守り、導いてくれる。
人生の先輩であり、恋人でもある。その濃密な関係に憧れていた。


いつも本が大切なことに気づかせてくれる。

「大穴」という名前や金色に染められた髪、父親が行方知れずの家庭環境など、
自分の人生を否定していたダイアナの孤独を支えてくれるのが「本」でした。

この小説には、実在の作家や作品も出てきますが、
物語の中で大きな鍵を握るのが、
『秘密の森のダイアナ』という架空の児童文学作品です。

意地悪な魔法使いのせいで、両親と生き別れた少女ダイアナが、
森の動物や妖精たちに助けられ、自分の力で生き抜いていく物語ということですが、
この『秘密の森のダイアナ』に出てくる、
「自分の呪いを解くことができるのは、自分だけ」というメッセージが、
『本屋さんのダイアナ』の重要なモチーフになっている。

ダイアナと彩子は、どんなふうに自分で自分の呪いを解いていくのか。
このへんの物語のもっていきかたがとても上手い。


またこれはまったくの偶然でしょうが、
この作品はいま放映中のNHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』ともリンクしています。

ダイアナと彩子の関係は、ドラマの村岡花子と柳原白蓮との関係にも重なり、
また『赤毛のアン』のアン・シャーリーとダイアナ・バリーの関係にも重なります。

そしてなによりも、物語のクライマックスで作者は、
村岡花子のある文章を引用し、
ダイアナと彩子の人生それぞれを肯定してみせるのです。

このくだりはお見事!と唸るしかなく、読んでいて深い感動を覚えました。


文学作品たいする深いリスペクト。

本屋さんにたいする深い愛情。
(書店に就職したダイアナは手書きPOPが評判になります)

そして女の子の人生にたいする優しいまなざし。

直木賞予想の場なのに予言してしまいますが、
この『本屋さんのダイアナ』は来年の本屋大賞を受賞するのではないかと思ってしまいました。

ともあれ、柚木麻子さんの品のなかでは最高傑作と断言して間違いありません!!

投稿者 yomehon : 2014年07月14日 15:26