« 直木賞候補作を読む(2) 『破門』 | メイン | 直木賞候補作を読む(4) 『私に似たひと』 »

2014年07月09日

直木賞候補作を読む(3) 『男ともだち』

続いては千早茜さんの『男ともだち』(文藝春秋)です。


物語の主人公は、
京都に住むイラストレーターの神名葵。

29歳の彼女には同棲している男性がいますが、
関係はとうに冷めていて、遊びなれた医師と時々密会してはセックスを愉しんでいます。

そんな彼女にある日、大学時代の先輩「ハセオ」から連絡があります。

学生時代、誘われればすぐに寝る女だった神名と同じように、
ハセオにもたくさんの女性がいました。

けれども数えきれない時間をともに過ごしたにもかかわらず、
ふたりのあいだにはいまに至るまで肉体関係はありません。

神名とハセオは、
誰よりも互いを理解しないながら、決して愛し合わない関係なのです。

そんなハセオとの再会が、
神名の人生にゆっくりとした変化をもたらします。


この本はもうすでにかなり売れているようですねー。
いくつかの大手書店の店頭で猛プッシュしているのを目にしました。
店員さんの手書きPOP広告が有名な有楽町の三省堂書店では、
「恋人も愛人もいらない。『ハセオ』が欲しい」と書かれたPOPを見かけました。
黒いレースがあしらわれたオシャレなPOPは明らかに女性の手になるもの。
女性店員たちからの熱烈な支持を受けているようですね。


文章はエレガントだし、
女性の内面が繊細に描けているし。
その支持も頷けます。

女性読者が「いいなー」と感じる神名とハセオとの関係はいかなるものか。
大学卒業以来、ひさしぶりに再会するくだりの中に、
ふたりのノリがよくわかる箇所があるので、ちょっと引用してみると…


「三時に店をでた。私がトイレに行っている間にハセオは私のラビットファーを首に巻き、
会計を済ませて、店の廊下に立っていた。上背があって長いコートを着ているから、
毛皮なんか巻きつけていると時代遅れのロック歌手みたいだ。
私はハセオの腕から黒いマフラーを引き抜くと、自分の首に巻いた。
カシミアらしいなめらかな肌触り。甘い煙草の匂いがふわりとたった。
『お前の匂いがするな』とハセオがファーに鼻を埋めながら言った。
『こっちもハセオの匂いがするよ』
匂いの記憶は褪せない。
ハセオが何かを確かめるように私の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
『やめてよ』と叩きながらファーを取りかえし、背伸びをしてマフラーを首にかけてやる。
ちょっかいをだし合いながら、すっかり人気のなくなった先斗町を歩く。
昔も犬のようにじゃれ合ったり、小突いたり、物を奪ったりしていた。飽きるタイミングも一緒だった。
よく岩佐さんに『お前ら小学生か』と呆れられていた」


うーむ......。

女ともだちに昔アドバイスされたことで、いまでも鮮明に覚えていることがあります。

「男って女の頭をくしゃくしゃってやると、女が喜ぶもんだと勘違いしているヤツ多いけど、
あれ大間違いだからね。髪バサバサになるし、ちょっと勘弁してよーって内心思ってんだから。
犬じゃないんだからそんなんでキュンっとなったりしないって。絶対やっちゃダメだよ」

はいっ!わかりました!

そう胸に刻み込んだその日からこんにちに至るまで、
決して女子の頭をくしゃくしゃっとやったことはありません。

ちなみにその女ともだちは、男性経験のバリエーションの豊富さにかけては群を抜く猛者で、
そちら方面のことに限っては、ぼくも師匠と仰いでいる人間だったりします。


まぁ実際にはぼく自身の経験値は貧弱なものですけれど、
そんな女ともだちの話をはじめ、
これまでいろいろな男女のあれこれを必要以上に見聞きしてきた者からすると、
この作品には「ん???」と首をかしげるところがあるのです。

この小説を読みながらまず思い浮かんだのは、「初心(うぶ)」という言葉でした。

なんて言ったらいいんでしょう、この主人公は、
どうしてこんなふうにセックスをたいそうなもののように考えているのでしょうか?

作中、
「失いたくなかったら絶対にセックスしちゃだめよ。しない限り、神名は特別でいられるんだから」
という台詞が出てきますが、
セックスというのは、そんなに人間関係を一気に変えてしまうような力のあるものでしょうか??

作中、神名が愛人の医師の病院を訪ねて、彼の部屋で交わる場面が出てきます。
おそらく作者は、「ハセオ以外の男とはこんな大胆なこともやってしまうんですよ」
と示したかったのかもしれません。

でもぼくにはかえって、この場面はとってつけたように感じられました。
決して大胆ではなく、むしろ保守的に感じられたというか。
現実の世間の男女の方が、もっと大胆で奔放で変態なことをしていますよ。


小説というのは、作者が想像力を駆使して書くものですから、
本来は作者の実人生が反映されているかどうかなんてことは関係ありません。
(人を殺した経験がなくとも、殺人の場面を描けるのが作家ですし)

でもこの作品に関しては、
ぼくは作者自身の男性の好みやセックス観が色濃く反映しているように思えてならないのです。

作者の経験値がどうだとか、そんな失礼なことを言いたいのではありません。

そうではなくて、この作者は、
「セックスのことをものすごく理屈っぽく考えている」
ということが言いたいのです。

ここがこの小説の最大のポイントであり、
読む者の判断が分かれるところなのではないかと思います。

セックスをなにか特別なことのように考える一方で。
神名とハセオの関係の描写をみると、
アラサーの男女とは思えないほど幼い感じだったりする。

同棲相手がいるのに愛人の医師と時々逢い引きしているとか、
学生時代は誘われれば誰とでも寝たとか、そんなところをいったん脇において眺めると、
この小説の底には、まるで少女小説のような初心な男女観が横たわっているように思えます。


たとえば、神名とハセオが抱き合って眠る場面が出てきます。
ここもちょっと甘ったるい感じというか、神名が心安らぐ感じに描かれていますけれども、
現実にはこれだけ体を密着させると、男は意志に関係なく下半身が反応してしまったりするもの。
でも、作者はそういう生々しい要素というのは排除しているように思えるのです。

生々しいことは排除して、セックスを思弁的にとらえているというか.......。

いや、そうではないという反論も当然、あり得るでしょう。

セックスを特別視しているわけではなく、
セックスが介在する関係が面倒臭いから、それがない関係を描いてみたのだと。

だとするなら、いつも本気で心配してくれていて、
会えば青春時代に戻ったようなノリで接してくれて、
それに太い腕でがっしりと包み込んで安心させてくれる、
ハセオのような男性が欲しいという女性たちの声も理解できます。

現実にはそんな男はいないでしょうが、
でもいないからこそ、女性読者はファンタジーとして、
この作品を支持しているのだという見方もできるでしょうね。

繰り返しになりますけれど、
セックスの扱われ方をどうとらえるかで、
この作品の評価は分かれるような気がします。


あとひとつ、この作品では、「固有名詞」の使われ方も気になりました。

たとえば作中、神名がたびたび訪れる店があります。
ここは神名が心を開いている数少ない人間で、元SM女王の露月が営むバーなのですが、
「なんか濃いのちょうだい」という神名のオーダーに対し、作者は露月に「ポール・ジロー」を選ばせる。

あるいは、ハセオが関係のある女たちに、いちいち選ぶのが面倒だからと
まとめてあげているプレゼントの品として「クロエの香水」が出てくる。

ここで「ポール・ジロー」を選択することが指し示す「趣味の良さ」であるとか、
「クロエの香水」に象徴される「イマどきの可愛い女の子がよくつけてる感じ」と
その裏返しともいえるある種の「大衆性」を、
いったいどれだけの読者が即座にイメージできるだろうかと思いました。

ある固有名詞を書くことで、
それが意味するところを理解できている読者に、
ある種のイメージをショートカットで共有させるという手法も確かにあります。

でもともすればそれは、
「わかるヤツにはわかる」といったふうに
作品の間口を狭くすることにもなりかねません。

そういえば、我が国の文学史上、
もっとも固有名詞が頻出する小説と思われる
田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』が傑作なのは、
ブランド名やショップ名など、あれだけの数の固有名詞を作中であげる一方で。
巻末の膨大な註でそれらに適切なツッコミを入れていたからでした。
(発表当時、文芸評論家の江藤淳さんはその批評性をものすごく評価しました)

固有名詞に関しては、舞台となっている京都についても気になるところがあって、
登場人物がみんな京都弁ではないんですよね。

それはそれで、京都と書いてあるのにどこの街だかわからないような、
不思議な効果もあったりはするのですが......。この点は最後まで謎でした。

投稿者 yomehon : 2014年07月09日 16:40