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2014年07月01日

「最後の12人」の物語

映画でも小説でもいいのですが、
誰にでも目にするたびに泣いてしまう作品があると思います。

たとえばぼくは細田守さんのアニメ作品が大好きなのですが、
彼の『サマーウォーズ』(2009年)なんかはまさに泣ける作品のド定番でしょう。


ご存じない方のために、ごくごく簡単にストーリーを紹介すると、
世界中の人々が日常的に利用するインターネット上のOZ(オズ)と呼ばれる
仮想空間があるのですが、これがハッキング機能を持つ人工知能に乗っ取られてしまいます。

行政手続きやら金融決済やら、あらゆることがOZ上で行われていますから、
現実社会は大混乱に陥ってしまう。

この人工知能に主人公たちが一致団結して戦いを挑みます。

ところが敵は仮想空間の中であまりに巨大化してしまっていて、
そんな強大な敵を前に、主人公たちはついに矢折れ刀尽きてしまう。

ところがその瞬間、それまで両者の戦いを傍観していた世界中のユーザーたちが、
ひとり、またひとりと、協力を申し出る感動的な場面があるんですね。


毎度このシーンにさしかかると、
我ながらいい歳をしてと恥ずかしくなるくらい涙が溢れてきます。


このように、誰にだって
「そこはダメ!」という涙のツボがあるかと思いますが、
ぼくの場合のそれは、どうやら
「窮地に追い込まれた人々が力をあわせて事態を打開する」という展開のよう。

なぜその手の展開に弱いのか考えてみると、
おそらくそんなふうに皆で力をあわせて困難と戦うなんてことが
現実世界ではほぼあり得ないからではないでしょうか。

つまりそんなことはファンタジーであり、奇跡であると知っているからこそ、
逆にそのような場面をみせられると、心が震えてしまうのだと思います。

清武英利さんの『しんがり』(講談社)を読んで胸が熱くなったのも、
ここに書かれている登場人物たちが現実にはいそうにない人々だったからではないでしょうか。

でもこのノンフィクションに登場する12人の人物は、
たしかに実在し、そして信じられないような困難な戦いを戦い抜いたのでした。

1997年11月24日、
日本を代表する証券会社のトップが、
カメラの放列の前で、マイクを握りしめ泣き叫びました。


「社員は悪くありませんから!悪いのはわれわれなんですから!!」


2600億円にものぼる債務隠しが発覚し、
大蔵省(当時)に引導を渡された山一證券が自主廃業を発表した瞬間でした。

日本の大企業のトップが嗚咽しながら謝罪するシーンは
世界に衝撃をもって受け止められ、ワシントンポスト紙は、

「Goodbye,Japan Inc.(さよなら日本株式会社)」

と題する社説を掲載したほど。

思えば、現在へと続く日本経済の凋落を世界に印象づける象徴的な記者会見でした。

創業から100年を超える企業が一夜明けたら潰れていた――。

山一證券の社員とその家族には、青天の霹靂だったことでしょう。


ある男性社員にとって、その日は娘の9度目の誕生日でした。
「お父さんの会社がね、無くなったんだよ」
母親の言葉は、内気な娘の心に突き刺さりました。


ある女性社員は、父親の会社もまた倒産の憂き目にあったことを思い出しました。
山一破たんのニュースをみながら父は、「もう普通の世の中ではなくなるんだ」とつぶやきました。


厳しい営業ノルマを課せられていた支店の女性社員たちは、
同僚のマンションに集まって「悪いことは何にもしていないのに」と火が付いたように泣きました。


けれどもどんなに瞼を腫らそうとも、次の日からは行動を起こさなければなりませんでした。

食べていくために、家族を守るために、再就職の口を確保しなければならなかったのです。


ところが、そんな中、沈みゆく船に残った者たちがいました。

1年半を要した会社の清算業務を担った社員たちです。

しかも彼らは、会社の中枢からは離れたところで仕事をしてきた非エリートばかりだったのです。

「しんがり」というのは、
戦に敗れた軍が敗走する際に、
軍の最後尾に踏みとどまって戦う兵士たちのこと。

山一證券における「しんがり」の役割は、
まずは24兆円にのぼる預かり資産を顧客に返還していく仕事がひとつ。
(当時、顧客相談室長の男性社員が何者かに刺殺されたり、
顧問弁護士の奥さんが顧客に殺害されたりするという悲惨な事件が起きました)

そしてもうひとつの重要な仕事が、
山一の息の根を絶つことになった2600億円の「簿外債務」の真相究明でした。


「しんがり」を率いたのは、嘉本隆正さんという常務。
常務といっても本流ではなく、当時社内で「場末」と呼ばれていたビルにあった
業務管理本部のトップとして赴任してきたところ、火中の栗を拾うことになってしまったのです。

ところが、この人物がたいへんな硬骨漢なのですね。

社内調査委員会を組織し、
かつて山一證券にドンとして君臨した人物からも厳しくヒアリングをし、
破たん原因を究明していきます。

「組長」と呼ばれた嘉本さんのもとにはひと癖もふた癖もある12人の部下たちが集結します。

そのプロセスは、英雄豪傑あいまみえる歴史小説のように面白い。

本書を読んでいる時、ぼくはしばしばこれがノンフィクションであることを忘れて、
手に汗握る物語を読んでいるような気になったものですが、
それは著者が登場人物の個人史を丁寧に取材していたからでしょう。

彼らの言葉ひとつひとつから体温が感じられ、
まるで物語の主人公に同化するかのように、
いつしか嘉本組の人々に深く共感している自分に気づかされるのです。


著者は本書のなかで、「会社を支える力とは何だろうか」と問いかけます。

山一證券という大企業が息絶えようとしているとき、
現場には、権力者であるとか、エリートと呼ばれる人間はほとんど残っていなかったそうです。

かつての戦争のときもエリートほど逃げ足が早かったそうですが、
山一でもそういう連中ほどさっさと再就職先をみつけて転職していったそうです。


著者はそんな中、踏みとどまって戦うことを選んだ12人に深い共感を寄せています。

「魂の報告書」と題された本書の第九章を読んで初めて知ったのですが、
嘉本組が調べ上げた山一證券が破たんに至るまでの詳細な経緯は、
「社内調査なんてどうぜ形だけのものになるだろう」というマスコミの思い込みを
粉々に打ち砕くものでした。

彼らの報告書の冒頭には次のような言葉が記されていました。

【今回の社内調査報告書が、従来、我が国で多く見られた結果の公表を伴わない調査、
あるいは、自ら行った事実認定を示さずに単に抽象的な「反省」の言葉を並べただけの
報告書であってはならないという決意の下で、目的を達成すべく調査してきた】

報告書では、債務隠ぺいに関与した首脳陣が実名で特定されていた他、
債務隠しの原因の解明、それまで知られていなかった海外の簿外債務、
監督官庁である大蔵省の関与や検査の甘さまで指摘されていました。

素人の社員たちが、
優秀なプロの記者の調査報道でもこうはいかないというくらい、
詳細かつ公正な報告書をまとめあげたのです。

企業が不祥事を起こすたびに、
第三者委員会などによる真相究明が試みられますが、
この山一證券の報告書ほどのクオリティのものはいまだかつてないという声も聞きます。


著者が取材をしながら何度も繰り返したのは、
「なぜ、あなたは貧乏くじと思われる仕事を引き受けたのですか」
という問いかけでした。

その答えは、ぜひ本書を読んで確かめてみてください。

最後に、著者が共感をもって記したこんな文章を引用して、結びに代えさせていただきます。

「ここに登場する『嘉本一家』の十二人はいずれも平凡なサラリーマンやOLである。
それまでは驚くようなことをしたわけではなく、何事もなければ他人に知られることはなかった
人々であろう。たまたま企業敗戦とう時に、しんがりを務めたために隠れた能力と
心の中の固い芯が表れた。
彼らの生き方はサラリーマンの人生の糸をよりあわせたものであって、
私たちと無縁なものではない。言葉を換えれば、
彼らの姿は苦しい時代を生きるあなたにもきっと重なっている」


投稿者 yomehon : 2014年07月01日 16:56