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2013年08月04日

まだ間に合う『半沢直樹』


ドラマ『半沢直樹』が快進撃を続けています。

ご存じない方のために簡単に説明すると、
『半沢直樹』は池井戸潤さんの小説『オレたちバブル入行組』
『オレたち花のバブル組』(いずれも文春文庫)を原作にしたドラマです。

主人公の半沢直樹は、メガバンク東京中央銀行大阪西支店の融資課長。
支店長命令で無理に5億円を融資した西大阪スチールが倒産し、
当の支店長からすべての責任を押し付けられそうになりながら、
理不尽な組織の論理に毅然として立ち向かっていくというストーリーです。

なかなかうまく作られたドラマだと思います。

たとえばいまやドラマの代名詞にもなった「やられたら倍返し」という決め台詞。

実はこの台詞、原作ではそれほど決め台詞っぽく使われているわけではありません。
『オレたちバブル入行組』では会話の中で1回出てくるだけ、
『オレたち花のバブル組』でようやく数回使われる程度です)
原作ではわずかに出てくるだけのあの台詞を、歌舞伎の見得よろしく
あのようにキャッチーな決め台詞として立たせてみせたのはお見事です。

また原作をよく読み込んで作っているところも好感がもてます。

ドラマの舞台設定自体は『オレたちバブル入行組』がもとになっていますが
いろんな細かい要素を2作目の『オレたち花のバブル組』から引っ張ってきている。
たとえば香川照之さん演じる大和田常務や、
片岡愛之助さん演じる国税庁の黒崎は2作目のメインキャラです。
(ただし黒崎は原作では金融庁の検査官として登場)

原作にない要素もうまく盛り込まれている。

ドラマでは半沢は剣道をやっていますが、これは原作にはありません。
でも無心に竹刀を振るシーンは半沢のひたむきさをよく現していて実に効果的でした。
また上戸彩さん演じる妻の花も印象に残ります。
(花は原作でも出てきますが、それほど重要な役割は与えられていません。
たしか3作目の『ロスジェネの逆襲』では登場すらしなかったはずです)


とまあこんな感じで、本当に良く出来たドラマなんですけれども、
それでも声を大にして言っておきたいのは、

「原作のほうがやっぱり圧倒的に面白い!!」

ということなんでございます。

放送時間という制約がある上に、
視聴者を飽きさせないテンポの良さを求められるドラマでは、
小説のようにひとりの人間を掘り下げて深く描くことができません。
とはいえ、おそらくそんなことは作り手は先刻承知なはずで、
だからこそ例の決め台詞に象徴されるように、
原作よりもより勧善懲悪的な側面を前面に出しているのではないでしょうか。

たしかに半沢直樹シリーズの魅力のひとつは「勧善懲悪」です。
人事にしか関心がなく上司の顔色ばかりうかがっている人間や、
組織の論理をさも自分の意見であるかのごとく居丈高に口にする人間などが、
次々と半沢の追及に屈伏し、時には涙を流しながら許しを乞い、
また時には土下座をして謝罪の言葉を口にするのを見るのは、実に爽快です。

でも半沢直樹シリーズの真の魅力はそんなところにはありません。
いや、それは半沢シリーズだけでなく、
池井戸作品全体に共通する魅力と言ってもいいかもしれない。

池井戸作品の魅力とは何か。
ひと言で言うならそれは、

「義憤」

という言葉で表すことができます。


かつて勝海舟は、
「アメリカは日本とさかさまでございます。偉い人が賢うございます」
と言いました。
日本は偉い人間が愚かだと。

半沢シリーズを読んでいると、
この言葉はあたかも銀行のためにあるようなものだと思えてきます。
銀行にほとほと嫌気がさしたという半沢の言葉を借りてみましょう。


「古色蒼然とした官僚体質、見かけをとりつくろうばかりで、
根本的な改革はまったくといっていいほど進まぬ事なかれ主義。
蔓延する保守的な体質に、箸の上げ下げにまでこだわる幼稚園さながらの管理体制。
なんら特色ある経営方針を打ち出せぬ無能な役員たち。
貸し渋りだなんだといわれつつも、
世の中に納得できる説明ひとつしようとしない傲慢な体質——」
          (『オレたちバブル入行組』353ページ)


「銀行の常識は世間の非常識」という言葉があるように、
たしかに銀行は特殊な業界なのかもしれません。

でも愚かな組織人というものはどこの会社にでもいるものです。

部下の手柄は自分の出世に利用し、失敗は部下に押し付ける。
減点主義でしか人を見ることができない。
派閥の論理でしか物を考えることが出来ない。
強い者には媚びへつらい、弱い立場の人間には横柄な態度をとる。

池井戸作品に出てくるこの手の人種は、
きっとあなたの身の回りにもいるはずです。

半沢直樹の「義憤」は、
そういう愚かな人々に対して向けられたもので、
だからこそ多くの読者がこの小説に共感を覚えるのでしょう。

それに勝海舟の言葉は、裏を返せば、
日本では、偉い人間が愚かでも、現場はまともだということ。

半沢直樹はそのまともな人間の筆頭です。

小説の中で、半沢の同期が集まってしみじみ飲む場面があります。
そこでこんな台詞が出てくる。
「結局、オレたち銀行員の人生っていうのは、最初は金メッキ、
それがだんだんと剥がれて赤地が出、最後は錆び付いていくだけのことかも知れない」

誰もが最初は前途有望な新人ですが、
それが世間に揉まれるうちに、妥協することや見て見ぬ振りをすることをおぼえ、
気がつけば最初の輝きはどこへやら、
いつの間にかくすんでくたびれた存在に成り果ててしまうのです。

たしかにそうかもしれません。
サラリーマンなどというのは特に、
そういう哀しい末路を辿る運命にある人種なのかもしれない。

でもだからこそ、立ち上がれ、あきらめるなと半沢直樹は訴えかけてきます。

『オレたち花のバブル組』の中に
病気で出向した先で執拗ないじめにあう、近藤という半沢の同期が出てきます。
仕事がうまくいかない日々を振り返りながら、
彼がこんなふうに自分を奮い立たせるところは、
きっと多くの人が共感を覚えるはずです。


「仕事は二の次で余暇を楽しめればいい、そう考えたこともある。
しかし、一日の半分以上も費やしているものに見切りをつけることは、
人生の半分を諦めるのに等しい。誰だって、できればそんなことはしたくないはずだ。
いい加減に流すだけの仕事ほどつまらないものはない。
そのつまらない仕事に人生を費やすだけの意味があるのか?」
                (『オレたち花のバブル組』217ページ)


まさに「仕事の質は人生の質に直結する」のです。
(この言葉は『ロスジェネの逆襲』に出てきます)

だからこそ、人生の質を高めるためにも戦わなければならない。
自分の人生は自分で切り拓くしかない。
それが半沢直樹シリーズ全体を貫くメッセージではないでしょうか。


ドラマに乗り遅れてしまった人は、いまからでも遅くありません。
ぜひ原作を手にとってみてください。
原作を読んだからといってドラマの魅力が減ったりする心配は一切ありません。

半沢直樹シリーズを読んで義憤にかられた人たちが、
日本各地で愚かな上司を締め上げ始めたとしたら、
きっとこの国はいまよりもずっとマシになるのではないでしょうか。

そんな愉快な光景を夢想しながら、
このすべての働く人に向けた応援歌を
ひとりでも多くの人に読んでいただきたいと願っています。


投稿者 yomehon : 12:03