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2012年10月01日

人はいかに「おぞましさ」と対峙するか


ジュリア・クリステヴァという人がいます。
ブルガリアのユダヤ人家庭に生まれ、
その後パリで文学者や哲学者として活躍するようになった彼女は、
『恐怖の権力』という本のなかで「アブジェクション」という概念を唱えました。

「アブジェクション」は一般に「おぞましさ」と訳されます。

人が嫌悪感をもよおし目をそむけたくなるもの、
あるいは理由ははっきりとしないのになぜか忌避してしまうもの、
クリステヴァはそのような「おぞましきもの」を排除したり抑圧したりすることで
文化は成り立っているのだと考え、「アブジェクション(おぞましきもの)」を
復権させることで、文化を再構築できるのだと主張しました。


『冥土めぐり』(文藝春秋)で芥川賞を受賞した鹿島田真希さんの
大学での卒論がクリステヴァだったことを知ったとき、
真っ先に思い浮かんだのが、この「アブジェクション」でした。

この小説で描かれるのは、おぞましき家族の記憶です。


主人公の奈津子は、あるとき区の保養所が一泊五千円で泊まれることを知り、
脳の病気を患い四肢が不自由な夫の太一とともに、一泊二日の旅に出かけます。

熱海を連想させる保養地にあるその施設は、もとは高級リゾートホテルで、
奈津子が幼い頃に両親と弟と四人で出かけたことがある思い出の場所でした。

いまは寂れてしまい往時の面影もないホテルで、奈津子は家族との日々を回想します。

父親が病死し、一家は困窮しているにもかかわらず、
気位が高く贅沢な暮らしがやめられない母と弟は、奈津子を私物化し、
カネをせびり、暴力をふるい、暴言を浴びせ、自尊心をズタズタに引き裂きます。

肉親からもたらされる災厄から逃れるように太一と結婚し、
ささやかな幸せを手に入れたかのように思えたのもつかの間、
こんどは太一が不治の病にかかり仕事を辞めざるを得なくなってしまいます。


物語の当初、夫婦の旅立ちは、
まるで無理心中を予感させるような不穏な雰囲気を漂わせていました。

けれど家族との悲惨な日々を回想しながら、太一と一緒の時間を過ごすうちに、
次第に奈津子の心に変化が起きはじめます。

深刻な病を患い、身体の自由も利かないにもかかわらず、
太一は無邪気に旅を楽しみ、また誰もが太一に親切にします。

そんな太一と一緒に旅をしているうちに、
奈津子は少しずつ大切なことに気がつき始めるのでした。

奈津子の心に訪れた、ある種の宗教的な啓示にも似た場面を以下に引きます。

「二人は黙って海を眺めた。いつもの沈黙がそこにあった。
海は常に漂っていて、正体のつかめないもののように思える。
(略)
波が押し寄せる。それは永遠に繰り返されるようで、恐怖を感じる。
その波の正体がわからないからだ。
(略)
太一の寝顔を見ながら奈津子は思い返す。自分があんな生活について、理不尽とか、
矛盾とかいう言葉を使っていたことを。そんな言い方したって、わからないや、
と太一に言われそうだ。
でも以前、太一は言っていた。
——海のことなら、小さい頃から知っているよ。満ち引きがあるんだ。潮だよ。
きっと太一は海を怖いと思ったことがないに違いない。奈津子は暴力のように
あらゆるものが変化することを恐れる。この海ですらも。だけど太一は、そんなことは
ないみたいだ。今までもそうだった。きっと彼にとっては、全ては満ち引きなのだ。
この人は特別な人なんだ。奈津子は太一を見て思った」

脳の機能や知能にハンデキャップのある人間がある種の聖性を帯びるというのは、
たとえば大江健三郎の小説や『フォレス・ガンプ』のような映画にみられるように、
これまでいろいろな作品で描かれてきたお決まりのパターンであるとはいえるでしょう。

けれども、この『冥土めぐり』が他と一線を画していると感じられるのは、
奈津子の身の上に起きることがいまの社会を暗示しているように思えるからです。

裕福だった過去が忘れられず、借金を重ねる親子の姿は、
かつての経済大国の姿は見る影もなく、
いまや「途上国化」しているという専門家もいるほど経済が停滞して、
閉塞感に息が詰まりそうな現代の日本社会を映す鏡のようでもあるし、
奈津子の日常に理不尽に侵入してくる暴力は、
私たちの手からたくさんの命を奪ったあの巨大な災害を思わせます。

それらはすべて「おぞましい」ものです。
出来れば目をそむけたい、直視したくない現実です。

でもぼくは、この小説の中から
「おぞましきものを見つめよ」
という作者の小さなつぶやきが聞こえてくるような気がするのです。

凄惨な体験を経た人間が、自らのおぞましい記憶といかに対峙するか。
ひとりの女性のセラピーの過程を描いたかのようでもある『冥土めぐり』は、
一方でまた現代の日本の優れた寓話にもなっているのです。

芥川賞受賞作ひさびさの傑作といえるのではないでしょうか。

投稿者 yomehon : 2012年10月01日 23:47