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2012年10月22日

JDの新作『バーニング・ワイヤー』に大満足!


毎年秋風が吹く頃になると、ジェフリー・ディーヴァーがやって来る!
今年も楽しみにしていた新作がぼくらの元に届けられました。

ジェフリー・ディーヴァーがいかに素晴らしい作家か。
それは彼を形容するいくつかのキャッチフレーズを挙げるだけで、
十分おわかりいただけるかと思います。

「どんでん返しの魔術師」。
「現代エンターテイメント小説界のトップランナー」。
「故・児玉清氏がもっとも愛した作家」……などなど。

だから新作『バーニング・ワイヤー』池田真紀子・訳(文藝春秋)も、
「つまらない」なんてことはまず絶対にあり得ないのであります!


『バーニング・ワイヤー』は、
リンカーン・ライム・シリーズの第9作目にあたります。

ご存じない方のために説明すると、リンカーン・ライムは、
ニューヨーク市警の科学捜査コンサルタントを務める
科学捜査のプロフェッショナルです。
ただしライムは、かつて現場検証中に遭遇した事故の後遺症で四肢が不自由になり、
現在もベッドで寝たきりのままというハンデを負っています。
にもかかわらず、ライムは科学捜査に関する膨大な知識を駆使して、
次々と難事件を解決していくのです。

ライムの手足となって活躍するアメリア・サックスをはじめとする脇役陣の魅力、
それに毎回登場する残虐かつ狡知にたけた犯人像の魅力もあって、
リンカーン・ライム・シリーズは、
現代を代表する「アームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)」ものとして、
世界中で新作が待たれる人気シリーズとなったのです。

はたしてこの『バーニング・ワイヤー』もいつも以上に手に汗握るおもしろさでした!


ジェフリー・ディーヴァーは、新作を発表するたびに、
現代社会で起きているさまざまな問題をテーマとして扱います。
シリーズ前作の『ソウル・コレクター』では「個人情報」がテーマとなり、
リンカーン・ライム・シリーズから派生した
キャサリン・ダンス・シリーズの『ロードサイド・クロス』では、
「ネット上での誹謗中傷」がテーマとして扱われました。

そんなディーヴァーが本作で目をつけたのは、ずばり「電気」です。


地球環境について考える「地球の日(アースデイ)」を間近に控えたある日、
マンハッタンにある変電所のひとつで、巨大な閃光と爆発が発生しました。
“アークフラッシュ”と呼ばれる電気による爆発で、市バスが直撃を受け、
多数の死傷者がでたのです。

ライムたちの捜査によって、変電所に侵入した何者かが、
故意にアークフラッシュを起こしたことがわかりました。

犯人の目的はなにか。
電力会社に損害を与えることか。
特定の誰かを抹殺することか。
それとも環境テロか——。

アースデイに向けて警戒を強める捜査当局をあざ笑うかのように
第2、第3の事件が起こります。

犯人は目に見えない電気を自由に操り、
やがて送電網をも手中におさめてニューヨーク全体を人質にとります。

いつものように現場に残った微細証拠から犯人像に迫るライム。
しかし彼は、宿敵ともいえる天才犯罪者「ウォッチメイカー」の追跡劇も
同時に進めていました。

同時進行するふたつの大事件のあいだで、
体力と精神力のぎりぎりの瀬戸際に追い詰められるライム。
彼の生命はかつてないほどの危機にさらされていました……。

読みながら「さすがディーヴァー」と唸らされたポイントはみっつあります。


まずひとつめは、本作で作者がライムの敵として選んだのが「電気」だったこと。

作中、変電所の異常を発見して、電力の供給を制限するかどうかの決断を迫られた
電力会社の技術員の脳裏をよぎるのは、マンハッタンのような人口密集地域で
電気の供給を止めれば、情報インフラや交通機関がマヒするだけでなく、
強盗や窃盗、レイプなども急増してしまう、ということでした。

作者は「電気は、市民の道徳心にもエネルギーを供給している」と
表現していますが、電気がいかに都市のインフラだけはなく、
私たちの精神も支えているということを、
作者はこれでもかというくらい見せつけます。

だからこそ、それが凶器に変わった瞬間に人々が抱く恐怖心も大きくなります。
感電による生命の危険をおぼえるというのももちろんですが、
それだけではない、“信頼”で成り立つ社会を根底から脅かすような、
そんな根源的な恐怖を人々に抱かせるのです。

ライムの指示を受けながら現場検証を行うアメリカ・サックスが味わう恐怖には、
読者の誰もが同化して同じような恐怖をおぼえることでしょう。
なにしろドアノブひとつ、水たまりひとつに触れるのに恐怖心をおぼえるのですから。

さらに電気というテーマが本作に深みを与えていると感じたのは、
本書のなかで紹介されているこんなエピソードを読んだときでした。

1950年代に、シカゴ大学でふたりの化学者が、
試験管の中に何十億年も前の地球の環境を再現する実験をしました。
彼らは当時地球を覆っていた原子のスープと原始の大気を再現し、
そこに酸素とアンモニアとメタンを加え、稲妻を模した火花を散らしました。
すると何が起きたか。
数日後、試験管の中には、
生命の基礎的構成要素であるアミノ酸が生成されていたそうです。


「遠い昔、たった一ミリ秒の閃きでこの世に生命を誕生させた電気が、
明日は同じく一ミリ秒の閃きで生命を奪うのだ」


地球に生命が現れたきっかけが、電気だったという事実を知るからこそ、
犯人は私たちに根源的な恐怖を与えることができるのです。

そしてもうひとつ、本作でディーヴァーならではのひねりが利いているのは、
最近の犯罪捜査のトレンドをめぐる対立がサブテーマとなっていること。

捜査情報には、
人と人とのつながりを介して集められる情報(これをHUMINTといいます)と、
メールなどの電子信号の傍受によって得られる情報(SIGINT)があります。

リンカーン・ライム・シリーズお馴染みの登場人物、
FBI捜査官のフレッド・デルレイは、
変装の名手で潜入捜査を得意とし、
何人もの情報屋を使って事件の真相に迫る手法を得意としています。
いわばストリートからネタを拾ってくるわけです。

ところが本作では、そんなデルレイが窓際に追いやられます。
新しい上司がテクノロジーを駆使しした捜査を重視し、
ネット上を飛び交う情報の分析から、今回の事件の犯人は、
テロ組織の可能性があるという結論を導き出したからです。

SIGINT中心に捜査するFBIとは一線を画して
たったひとりでストリートに潜り込むデルレイ。

自分のやり方にこだわり時流に抗うデルレイの姿はどこかライムとも重なります。

このデルレイのサブストーリーがあることで、
物語全体が非常に読み応えのあるものになっていることも見逃せません。

さらに、本作では主人公のライム自身に、
障がい者である自分を見つめ直すある重要な出来事が起こります。
詳しくは記せませんが、ライムと同じように脊椎を損傷したある人物と出会うことで、
ライム自身の人生に重大な変化が起きるのです。

息つく間もないストーリー展開の中に、
このような主人公の内面の変化をじっくり読ませる箇所を盛り込んでみせる。
緩急自在の名人芸に、こちらは唸らされるばかりでした。


さて、もうこのくらいにしておきましょう。
このようなものすごく面白い作品を前にこれ以上くどくど言っても始まらない。
だってこの小説の面白さを説明するには、まだまだ言葉が足りないんですから。

まずは手にとってお読みください。
物語の面白さにどっぷり首まで浸かる気持ち良さを保証しますよ!

投稿者 yomehon : 15:25