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2010年08月02日

 「中島京子」を読もう!

先日の直木賞予想は大ハズレ。また赤っ恥をかいてしまいました。
まぁでも、本命は中島さんか姫野さんという読みだったし、結果には納得です。

それよりも、今回の受賞を機にぜひみなさんに「中島京子」という作家を知って
いただきたいと思うのです。なぜなら、中島さんはデビュー当時から実力派として
知られながら、これまであまりにも賞に恵まれずにいたからです。
直木賞をきっかけに旧作もぜひ読まれるようになってほしい。
そんなわけで今回はあらためておススメの中島作品をご紹介いたします。


とはいえ、まずは直木賞受賞作『小さいおうち』に触れないわけにはいきますまい。

『小さいおうち』(文藝春秋)は、昭和初期に東京山の手のとある中流家庭で、
住み込みの家政婦として働くことになったタキの回想録のかたちを借りながら、
戦時下の暮らしぶりを生きいきと描いた作品。
国が悲惨な戦争へと向かうのとは対照的に、まるで大きなイベントを
楽しむかのように浮き足だっていた当時の世相を巧みに織りまぜながら、
奥様の恋愛事件をはじめとする奉公先の平井家での出来事が描かれます。

白眉は最終章。
ここで語り手がタキからタキの甥の息子に代わるのですが
(タキは生涯独身だったので、この甥っ子の息子が孫のようなものなのです)
彼の調査によって、タキが語らなかった(もしくはタキ本人も気が付いて
いなかった)タキ自身の心の秘密にたどり着く構成は見事というほかありません。
最後の見開き2ページで物語全体の見え方が変わるというか、
「ああそうだったのか・・・・・・」と思わず深いため息が口をついて出てしまうような、
余韻のあるラストになっています。


この作品で作者が書きたかったのは、「人が生きていく過程でいつのまにか
胸の奥底に抱え込んでしまい、容易には言葉にすることができなくなった思い」では
ないでしょうか。(そうした事柄を描くのは昔から女性作家の得意とするところで、
ぼくはこの『小さいおうち』は、田辺聖子さんや、もっと遡るなら吉屋信子のような
作家の系譜に連なる作品ではないかと思います)


言葉に出来ないことを言葉にすること。
森博嗣さんは『小説家という職業』(集英社新書)という大変面白い本の中で、
小説の存在理由を、「言葉だけでは簡単に片づけられない」ことを、
「言葉を尽くして」表現しようとする、その矛盾に対する苦悩の痕跡にある、
と言っていますが、言葉にしづらい思いをなんとかすくい上げて物語の上に
定着させようという姿勢は、中島さんのデビュー作にもみることができます。


中島さんのデビュー作『FUTON』(講談社文庫)は、
そのタイトルからもおわかりのように、自然主義文学や
私小説の嚆矢として知られる田山花袋の『蒲団』に想を得た作品です。

『蒲団』は、中年の小説家が自分のもとを去って行った弟子(もちろん若い女性)の
蒲団に顔をうずめて泣く、というストーリーで有名ですが、中島さんは『FUTON』の
主人公に教え子を追っかけて来日した日本文学研究者のアメリカ人教授を据えて、
『蒲団』を見事に換骨奪胎(あるいは「本歌取り」とか「REMIX」といってもいいです)
してみせたのです。

『FUTON』のストーリーは主に、
学生のエミを追いかけて日本にやってきたアメリカ人学者デイブのエピソードと、
『蒲団』を小説家の妻の視点で語りなおした「蒲団の打ち直し」という作中内小説、
それにエミのひいおじいさんのウメキチと彼を介護する画家イズミの関係などを
軸に構成されています。

なかでもペースメーカーを埋められて介護生活を送る95歳のウメキチは、
長く生きてきただけに胸にいろいろなものを抱え込んでいる。
画家のイズミは、ウメキチが胸に抱え込んでいるものをなんとか理解しようとして、
作中こんな台詞をこぼします。


「おじいちゃんの胸には傷があるの。胸部を開いて、ペースメーカーを
埋め込んで現代に適応させてるんだけど、その横で窮屈にちいちゃくなって、
血や肉のある過去が疼いているの。それがなんだかあたしにはね、
忘れたふりをして縫い合わせちゃって『はい、もうペースメーカーありますから
オッケーですよ』って言っちゃいけないもののような気がするのよ」


このイズミの述懐は、作者の声そのものであると思います。
ウメキチは震災や戦災で東京が瓦礫の山になるのを二度も目撃した
歴史の生き証人ですが、中島さんはこのウメキチの人生を丁寧に辿ったり、
『蒲団』をリノベーションしたりしながら、とてもユニークなかたちで
日本の近代100年の歴史を描きだしてみせるのです。

デビュー作でこれほどの傑作が書けるというのは大変なことで、
もしかしたらこの時点で将来の直木賞は約束されていたのかもしれませんね。


ところで、中島さんは大学が史学科ということもあってか、
歴史資料の読み込み方と作品への活かし方に長けていて、
その成果は『小さいおうち』にも『FUTON』にもみることができますが、
歴史資料のあっと驚く活かし方ということでいえば、なんといっても
デビュー2作目の『イトウの恋』(講談社文庫)を挙げないわけにはいきません。

タイトルの「イトウ」とは、明治時代に実在した伊藤鶴吉という通訳を
モデルにした人物のこと。(小説の中では亀吉になっています)
伊藤鶴吉は、文明開化期の日本を旅して『日本奥地紀行』という美しい本を残した
イギリス人女性イザベラ・バードの通訳をつとめたことで知られています。

『日本奥地紀行』は、文明開化直後の東北の農村や北海道のアイヌの人々の
暮らしぶりがまとめられた貴重なドキュメンタリーで、「日本」に関心のある人は
いちどは読んでおくべき名作です。
著者のイザベラ・バードは旅行家で、明治11年(1878年)に47歳で来日しました。
『イトウの恋』は、彼女の通訳ガイドを務めたイトウ青年が、諍いを繰り返しながら
徐々にこの年上の婦人に惹かれていく様子を、イトウの手記を発見した新米教師と
イトウの子孫の漫画原作者が追う、というストーリー。

それにしても『日本奥地紀行』では、イトウ青年は、顔が「日本人の一般的な特徴を
滑稽化」したようにみえるとか、「愚鈍に見える」が「ときどきすばやく盗み見する」とか、
あまりいい書かれ方をしていないにもかかわらず、彼を主人の英国婦人に恋する
青年へと変えてしまうのですから、小説家の想像力はたいしたものだと思います。

この『イトウの恋』も、歴史に埋もれた人物にスポットをあてて、
日本の近代史の一断面をユニークに描きだした作品。


中島さんの小説の特徴は、『蒲団』の主人公の妻やイザベラ・バードの通訳など、
目の付けどころが抜群にいいということ。(言葉を換えればセンスがいいということ)
そしてその発想を裏付ける資料の読み込み方と活かし方が素晴らしいということ。

『小さいおうち』で中島京子さんに興味を持った方には、
ぜひ『FUTON』『イトウの恋』の2作品も手にとっていただきたいと思います。

投稿者 yomehon : 2010年08月02日 01:04