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2008年09月18日

ミステリー界に超・超・超大型新人が現れた!!!


新しい才能はいつも劇的に僕たちの前に姿を現します。

たとえば野茂投手がデビューした年のことを思い出してみてください。

ダイナミックなフォームからキレのあるストレートとフォークを次々に繰り出しながら
三振の山を築く野茂投手を前にして、僕たちはまったく新しい才能が現れたことを
思い知らされるとともに、これから「野茂の時代」とでもいうべき新しい時代が幕を
開けるのだということを確信したはずです。

「○○以前/以後」という言い方があるように、新しい才能は常に、
もはやその存在を無視してはジャンルを語ることができなくなってしまうほどの
インパクトをもって、僕たちの前に登場するのです。


そんなおそるべき才能の持ち主がミステリー小説のジャンルにも現れました。

その作家の名はトム・ロブ・スミス。

1979年生まれの29歳。
スウェーデン人の母とイギリス人の父を持ち、
名門ケンブリッジ大学の英文学科を首席で卒業。
在学中から映画やドラマの脚本を手がけるなど才能の片鱗をみせ、
初めて書いた長編小説が今年度のCWA(英国推理作家協会)賞を受賞しました。

その話題のデビュー作『チャイルド44』上巻 下巻 田口俊樹・訳(新潮文庫)
ついに刊行されたのです!!


初めに申し上げておきますが、これは傑作です!
新人作家が書いたなんてとても信じられない。
おそらく年末の『このミステリーがすごい!』海外部門をはじめ
主要なミステリーランキングの第1位を独占するのではないでしょうか。


舞台となるのは現代ではなくスターリン体制末期の旧ソ連。
主人公はKGBの前身である秘密警察、国家保安省のエリート捜査官であるレオ。


物語はレオが幼い息子を亡くした同僚のもとを訪ねるところから動き始めます。

この同僚の息子は線路上で、遺体を両断されたかたちで発見され、
鉄道による事故死として処理されていました。
ところが同僚が「息子は殺された」と主張をはじめたため、レオが説得のために訪れたのです。

レオはなぜ同僚の主張に耳を傾けるのではなく、説得するために足を運んだのか。
読者はここでおそろしい事実を知らされることになります。

なんとソ連では「社会に殺人は存在しない」というタテマエがまかり通っていたのです!


殺人をはじめとする犯罪をなくすためにはどうすればいいか。
レーニンは社会から貧困がなくなれば犯罪は消滅すると考えました。
では貧困をなくすためにはどうすればいいか。
そのためには完全なる共産主義社会を実現させればいい、ということになります。

この論法に従えば、革命を成功させ、理想社会を建設しつつあるソ連に
殺人犯など存在するはずがない、ということになってしまうのです。

この国において殺人事件などは「あってはならないこと」で、
同僚の一件もろくな捜査も行われないまま事故死の結論が下されていました。

いちど下された結論に異を唱えることは許されません。
それはすなわち死を意味することになるからです。
同僚の安全を慮ったレオは、遺族を説得し、息子の死は事故死であると言いくるめます。

(この「社会に殺人は存在しない」というタテマエはこの後、レオに対する大きな足枷と
なります。このあたりの作者の構成力は実に見事という他ありません)


その後、部下の謀略によって反逆分子のレッテルを貼られたレオは、
モスクワを追われ、片田舎の人民警察に左遷されます。

レオはそこで少女の惨殺体と遭遇することになります。
遺体の状況はかつてレオが事故と言いくるめた同僚の息子の遺体と酷似していました。

少年少女を狙った連続殺人犯の存在を確信したレオは
命がけの捜査に乗り出します――。


・・・・・・と、実はこんなふうにストーリーを要約しただけでは
この『チャイルド44』の面白さの半分も説明したことにはなりません。

『チャイルド44』を比類のない傑作たらしめているのは、状況設定の巧みさです。

まず舞台をスターリン体制下の1950年代前半としたことが効いている。

同僚を告発しあうような体制内部の醜悪な権力闘争によって
主人公のレオは命にかかわるピンチに陥るのですが、
この「身内にも敵がいる」という状況が物語に大きな緊迫感を与えています。

また先程もちらりとお話ししましたが、「社会に殺人は存在しない」というこの国のテーゼが、
これ以上ないというくらいレオの足枷となっている点も見逃せません。

国家が犯罪の存在を認めない以上、国家の意に反して捜査をすることは許されず、
逆らえば反逆分子として収容所送りになります。

本来、警察機構というのは、国家の後ろ盾によって権力を保障された存在です。
警察小説は世の中に数多くありますが、レオのように、警察としての職責を
まっとうすることが国家の否定につながるような矛盾を背負った主人公は、
いまだかつて存在しなかったのではないでしょうか。
これもスターリン体制下ならではの設定といえるでしょう。

そして殺人事件を捜査するという大筋に、「家族の再生」や「個人と組織」という
普遍的なテーマをうまくからめているところもお見事。

レオの妻ライーサ、レオを憎む部下のワーシリーなど脇を固めるキャラクターの造型も
しっかりしていますし、危険を顧みずにレオに協力する人々などの姿を借りて作者の
人間に対する希望も表明されていて、とてもとても新人作家のデビュー作とはいえない
くらい深い作品に仕上がっています。

今年出たミステリー作品のベストはこの作品で決まりです!!!


最後にマメ知識を。
この小説は実在の犯罪をモデルにして描かれています。

ソ連崩壊前の1980年代前半に、ロシア南部で8年間に50人もの
子供を殺したチカチーロという連続殺人犯がいました。

事件を担当した捜査官が精神科医の協力を得て犯人を追い詰めていく様子を描いた
傑作ノンフィクションが『子供たちは森に消えた』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)。

あいにく古本でしか手に入りませんが、とても面白い本なのでぜひ探してみてください。

投稿者 yomehon : 2008年09月18日 23:26