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2008年09月01日

現代中国をまるごとつかまえた傑作小説


中国は大きい。

そう思いませんか?

おびただしい数の人民を動員した演出で
世界をあっと驚かせたオリンピック開会式だけではありません。

この世の果てまで続いているかのような万里の長城、
巨大高層ビルが林立する上海、悠々たる流れの長江、
100種類を越える料理が並んだという幻の宮廷料理・満漢全席などなど、
そのどれもが常軌を逸した巨大なスケールを持っています。

なにもかもが圧倒的なまでにデカい国。

このような国では、そこに生きる人々も、巨大な振り子の上に
乗っかっているような人生を送らざるをえないのかもしれません。


『兄弟 Brothers』 上《文革篇》 下《開放経済篇》 余華・著 泉京鹿・訳(文藝春秋)は、
激動の中国現代史を生き抜く兄と弟を描いて人々の心を激しく揺さぶった傑作。
しかもただの傑作ではありません。
彼の国の世論を賛否両論、真っ二つにしたいわくつきの傑作なのです。


なぜ『兄弟』はそれほどまでに中国の人々を刺激したのか?

それはこの小説が、上巻と下巻とでは
「別の小説かよ!」とツッコミたくなるくらい
まったく違う表情をみせているからに他なりません。


上巻の《文革篇》は「悲劇」です。

親同士の再婚によって出会った李光頭(リー・グアントウ)と宋鋼(ソン・ガン)。
乱暴者で幼い頃からスケベなことには人一倍関心のある李光頭と、
物静かで思慮深い宋鋼。対照的なふたりはとても仲の良い兄弟になりました。

しかし幸せな生活は長くは続きません。

文化大革命の嵐が吹き荒れるなか、中学の先生だった父親の宋凡平は、
「地主の息子」ということで人々に糾弾され囚われの身となった後、
あることがきっかけで凄惨なリンチにあい殺されてしまいます。

遺された母親の李蘭と幼い子どもたちが懸命に生きていく様、
そして李蘭さえも死んでしまって、ふたりぼっちになった兄弟が
手に手を取って生き抜いていくくだりは、とてもじゃないですが涙なしには読めません。


事実、この上巻《文革篇》は、発売後あっという間にベストセラーとなり、
中国の各メディアから絶賛されました。
特に文化大革命を知らない若い世代には大きな衝撃を与えたといいます。

毛沢東が権力の奪還と自らの神格化を図るために仕掛けた文化大革命は、
中国全土を隣人が隣人をおとしいれる陰惨な告発社会と化し、
伝統文化の破壊、罪のない人々の粛正、略奪の横行など
国内に大混乱を招き、中国現代史に深い傷跡を残しました。
(文化大革命について知りたい方は、中国を代表する映画監督である陳凱歌氏による
『私の紅衛兵時代』や、現代中国論のエキスパート・矢吹晋さんの『文化大革命』
おすすめします)


文化大革命は1966年から10年にわたりました。
上巻《文革篇》を読んだ人が涙を流さずにはおれなかったのは、
文革がまだ中国の人々にとって「ついこのあいだのこと」のように感じられるからでしょう。

ところが!

上巻《文革篇》に涙した人々は、
下巻《開放経済篇》を読んで激怒することになります。


なぜなら下巻《開放経済篇》で描き出されていたのは、
誰もが金のことしか考えない、欲望がむきだしとなった
現代中国社会だったからです。


「悲劇」の上巻《文革篇》から一転、下巻《開放経済篇》は「喜劇」となります。
文革時代を健気に生き抜いた兄弟は、ある美しい女性をめぐって袂を分かち、
別々の道を歩み始めます。

商売に才覚のあった李光頭は、廃品回収業からのしあがって
やがて一大企業グループを築き上げ、中国全土にその名を知られる大富豪となります。

欲望にまかせて李光頭はあらゆる女性とベッドをともにし、
ついには全国規模で処女コンテストを開催するに至ります。


一方の宋鋼は、実直で不器用な性格そのままの人生を送ります。
国営企業をクビになり職を転々とし、腰を傷め、肺を病み、
しまいにはインチキ健康器具を売り歩く行商にまで落ちぶれます。


富を得るためには手段を選ばない悪人の李頭光と正直者で善人の宋鋼。

一見するとそんなふうに見えるかもしれません。

でも僕はこのふたりは同類だと思うのです。

愛する妻に楽をさせたいと行商に出た宋鋼は、
「どんなことだってやってやる」と歯を食いしばって、
インチキな精力剤や豊胸クリームを売り歩きますがうまくいきません。

宋鋼だってしっかり資本主義社会の中で一儲けしようと考えているのです。
ただお金儲けの才能がなくてうまくいかないだけ。
こういう人ってあなたのまわりにもいませんか?

社会が資本主義を選択する限り、格差は避けて通れません。
富める李光頭も貧しき宋鋼も、どちらも資本主義が必然的に生み出したもの。
両者は開放経済にわく中国社会のネガとポジではないでしょうか。


この下巻《開放経済篇》は、発表されるやいなや激しい議論を巻き起こしました。

「正直者はバカをみる」という身も蓋もない現代中国社会の現実を、
これでもかというくらいカリカチュアライズ(戯画化)して描いたために、
人々の反感を買ったようです。

でもぼくにはこの下巻《開放経済篇》はとても面白かった。
というか、凄まじい経済発展へと突き進む中国の人々の
パワーに圧倒されまくりました。


考えてみれば、中世からルネサンスと大航海時代と産業革命を経て
近代の資本主義社会が生まれるまで、西洋社会が約400年かかった道のりを、
中国はわずか40年でショートカットしたことになります。

この間に人々の人生は、まるで巨大な振り子に乗せられたように、
極端から極端へと、「悲劇」から「喜劇」へと大きく変わってしまいました。


中国はこれからどこへ行くのでしょうか。

作家の小林信彦さんは、 『私説東京繁盛記』など東京について触れたエッセイで
しばしばオリンピックを境に失われてしまった町について書いています。
(小林さんは高度成長期の建設ラッシュとバブル期の地上げを「町殺し」と呼んでいます)

オリンピックで日本人が多くを得てまた多くを失ったように、
中国は今回のオリンピックで何を得て何を失うのでしょうか。


『兄弟』はオリンピックで中国の現在を目の当たりにしたいまだからこそ
読んでいただきたい作品です。


最後に作者の余華(ユイ・ホア)さんについて少し。

余さんは1960年生まれ。
幼少期から思春期まで文化大革命をリアルタイムで経験した後歯科医となりますが、
川端康成やカフカの小説に強い影響を受け、みずからも小説を書くようになります。
代表作の『活きる』(角川書店)はオリンピック開会式を演出した
張芸謀(チャン・イーモウ)の手で映画化されています。またノーベル文学賞関係者が
中国を訪れたとき必ず面会するなど、現代中国を代表する作家のひとりです。

投稿者 yomehon : 2008年09月01日 00:01