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2008年03月16日

すべてが記録される時代


何かの本でこんな話を読んだことがあります。

「中世の農夫が一生のうちに見聞する情報の量は、
現代の新聞一紙に掲載されている情報量にはるかに及ばない」

たしかに僕たちは毎日信じられない量の情報にさらされています。
毎日やり取りされる膨大な電子メールや、ブログなどを通じて刻々とWebに
アップされる情報も含めると、その情報量たるやもはや想像もできません。

服部真澄さんの新作『エクサバイト』(角川書店)は、電子機器のメモリ容量が
飛躍的に増大し、ついには人の一生をまるごと記録することさえ可能になった
近未来を描いたエンタテイメント小説です。


2025年――。
電子機器が猛烈なスピードで進化を遂げたこの時代、
情報先進国では人々が「ヴィジブル・ユニット」と呼ばれる
超小型記録端末を身につけることが当たり前となっていました。

ヴィジブル・ユニットというのは極限まで小型化された記録端末のこと。
眉間や目元などに装着されたピアスほどの大きさの極小カメラが、
その人の視線とほぼリンクした範囲の画像と音声をとらえて、
体内に埋め込まれた端末に記録していきます。

メモリはひとの一生をまるごと記録しても十分にゆとりのある15テラバイト。
ちなみに本のタイトルになっている「エクサバイト」も情報の単位で、
1エクサバイトは100万テラバイト(10億ギガバイト)にあたります。

咄嗟にはイメージしづらいかもしれませんが、かつてカリフォルニア大が
行った調査では、人類誕生から紀元2000年までに全人類が残した
すべての記録データを総合しても12エクサバイトしかなかったそうです。

このような電子機器の進化に伴い、新しいビジネスも生まれてきます。
物語の主人公であるナカジが携わる映像制作ビジネスもそのひとつ。

彼はユニットを装着した一流の専門家の目に映る光景を番組化しています。
たとえば超一流の美術評論家が絵画をどのように見ているか。
カリスマ・モデルは街を歩きながらどんな洋服やアクセサリーに目を留めるか。
各ジャンルのエキスパートの視界を追体験したいという人々の欲望に応えたことで、
ナカジが友人と興した会社「イエリ」は大成功をおさめています。


そんな折、ナカジは『エクサバイト商會』の会長職にある
ローレン・リナ・バーグという女性から新しいビジネスを持ちかけられます。
彼女は人々が装着していたヴィジブル・ユニットを死後に回収し、
大量のデータを再構成することで、人類史上これまで存在することのなかった
「動画による世界史事典」を制作するという壮大なビジネスプランを打ち明けます。

世界中の人々の一生を蓄積し、再構成することでどんなことがわかるのでしょうか。

たとえば何の変哲もない人物のささいな一日に生じたある出来事が
実は世界を動かす大事件の遠因だった――そんな史実が判明するかもしれません。
複雑系の科学に「北京で蝶が羽ばたくと、めぐりめぐってニューヨークで嵐を引き起こす」という話が
ありますが、それと同じように歴史の隠された因果関係が明らかになる可能性があるのです。

そこまで壮大な話でなくとも、もっと生活に密着した部分でもビジネスチャンスが
生まれるでしょう。たとえばある天候のときに人々が好んで食べるものは何か。
そんな極めて正確なマーケティングデータだって容易に手に入れることができます。


ところがこのプロジェクトは、スタートした途端にユニットを独占的に製造する
アメリカの「グラフィコム」社から思わぬ妨害を受けます。
実はヴィジブル・ユニットにはある危険な秘密が隠されていたのでした・・・・・・。


服部真澄さんは、香港返還に隠された国際機密をテーマとした『龍の契り』
ダイヤモンドをめぐる特許の攻防を描いた『鷲の驕り』など、徹底した取材をもとに
大きな物語を構築する作家として知られていますが、 『エクサバイト』で彼女が挑戦
したのは、人間の記憶すらも蓄積できるまでに進化した電子メディアの登場によって
僕たちの社会がどのように変わるのかを描くことです。


僕が作家の想像力に脱帽させられたのはたとえばこんな場面。

服部さんは、ヴィジブル・ユニットが広まってからというもの、社外での食事の場に、
人々が仕事の話題を好んで持ち出すようになった、と書きます。

プライベートな時間に積極的に職場の話題を交わす人間が増えた理由は、
ヴィジブル・ユニットのセキュリティ機能にありました。
企業機密の漏洩に神経質な会社では、ユニットにスクランブルをかけて
録画・録音を制限できます。一生のうちに会社で過ごす時間というのは馬鹿になりません。
「生涯が記録できる」というのがヴィジブル・ユニットの売りだったはずなのに、
会社で過ごす時間が記録できないとなると、人生のかなりの部分が記録から
欠けてしまうことになります。そうなると人間の心理というのは面白いもので、
会社外で自分が携わっている仕事の話を進んでするようになるというのです。

僕はこのくだりを読んで感心しました。

物語の本筋とは関係のないささいなディテールですが説得力があります。
ヴィジブル・ユニットというアイデアを思いつく程度は素人にもできるかもしれない。
でもそこから先の、ユニットが人々の生活にどんな変化をもたらすかという細かな
ディテールは、やはりプロの作家の想像力にかないません。


こんなふうに説得力のあるディテールで編まれた物語を読み進むうちに
やがて「人間にとって記憶とは何か」という大きなテーマが浮かび上がってきます。

三島由紀夫は自伝的小説『仮面の告白』の冒頭でいきなり
自分が生まれたときの記憶に言及していますが、
そもそも人間の記憶というのは、きわめて輪郭が曖昧なものです。

曖昧だからこそ記憶は容易に改変できます。
不都合な記憶を自分に都合のいいように変えることもできるし、
相手はとっくに忘れているかもしれない昔の恋だって
甘いロマンスに作り替えて心の奥にしまっておけます。
三島由紀夫のように、よりドラマチックな物語に
個人史を仕立て上げることだって可能なのです。


でも、もし生まれてからこれまでに
見聞きしたことがすべて正確に記録されるとしたら?

人々は再び過去のある地点に戻って、その時の光景を再生しようとするでしょうか。


『エクサバイト』はエンタテイメントでありながら
そのような人間にとっての本質的な問いかけも含む物語です。


先日朝刊にこんな記事が掲載されていました。

どこに置いたか忘れたものを簡単に見つけ出すことができる
そんな「魔法のゴーグル」を東大の研究者らが開発したというのです。

ゴーグルには独自のプログラムが組み込まれており、
視野に入った画像を録画すると同時に、
見たものの名前を瞬時に認識するようになっています。
「メガネ」「リモコン」など探しものの名前を入力すると、
録画された画像の中から該当するものの画像を再生してくれるというのです。

まるで現実が小説を追いかけているよう。
『エクサバイト』が描く世界が僕らの前に姿を現す日はそう遠くないかもしれません。

投稿者 yomehon : 2008年03月16日 21:04