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2008年01月14日

 第138回直木賞直前予想!


またまたやってまいりました。
半年にいちどの直木賞直前予想です。

今回の第138回直木賞の候補作はこの6作品。


井上荒野(あれの)さんの『ベーコン』(集英社)
黒川博行さんの『悪果』(角川書店)
古処誠二さんの『敵影』(新潮社)
桜庭一樹さんの『私の男』(文藝春秋)
佐々木譲(じょう)さんの『警官の血』(新潮社)
馳星周さんの『約束の地で』(集英社)

いやー素晴らしい!なんと充実したラインナップでしょう。

長編が4作(『悪果』 『敵影』 『私の男』 『警官の血』)、
短編集が2作(『ベーコン』 『約束の地で』)。

これだけ読み応えのある作品が揃うと予想する側も気合いが入るってもんです。

今回の直木賞予想、まず結論から申し上げましょう。

第138回直木賞は桜庭一樹さんの『私の男』(文藝春秋)がとります!

ただしその前に立ちはだかる作品がひとつだけあります。
佐々木譲さんの『警官の血』(新潮社)です。

「恋愛小説の傑作」 VS 「警察小説の傑作」
または、
「新進気鋭」 VS 「大ベテラン」

両者の違いはいろんな対立項で表現できますが、
いずれにしろこの2作品が選考会の中心となるのはまず間違いありません。

この2作について話を始める前に、他の候補作もみておきましょう。


井上荒野さんの『ベーコン』(集英社)は、
食と性愛にまつわる9つの物語をおさめた短編集です。

食と性を結びつけた小説はたくさんありますが、
その多くは欲望や快楽を切り口にしています。
『ベーコン』はそうではありません。
人生の局面がふいに変わる時、そこに寄り添うように食べ物がある、という感じ。

主婦の日常にほんの一瞬紛れ込んだ非日常を描いた「アイリッシュ・シチュー」、
30年以上不倫関係にあった恋人の素顔が意外なかたちで明かされる「煮こごり」、
家族と関わろうとして空回りする父親を息子の視点で描いた「父の水餃子」――。

なかなかに味わい深い作品もありますが、いかんせん直木賞には地味すぎます。


黒川博行さんの『悪果』(角川書店)は、
大阪府警の悪徳刑事を主人公にした警察ハードボイルドの逸品。

個人情報を売ったり、情報を総会屋に流して企業を強請らせたりといった
悪徳刑事の日常のディテールを、テンポのいい大阪弁のやりとりとともに
これでもかというくらいに細かく描いて読ませます。

個人的にはもう少しピカレスク小説度が高ければ良かったのに、と思います。
ピカレスク(悪漢)小説というのは悪者を主人公にした小説のこと。
主人公が悪行の限りを尽くして派手に破滅したり、悪者のくせにささいな正義感で
巨大な敵に立ち向かったりというのがお馴染みのパターンです。

『悪果』では、警察の腐敗ぶりを徹底的にリアルに描くのが
主眼になっているのはわかりますし、そこが玄人ウケするところでもあるのですが、
直木賞ともなればもう少し派手さが欲しかったという気がします。


古処誠二さんの『敵影』(新潮社)は、
沖縄の収容所で敗戦を迎えた捕虜を描いた作品。

主人公は捕虜収容所でふたりの人間を捜す男。
彼が捜しているのは、瀕死の重傷を負った自分を救ってくれた女学生ミヨと、
彼女を死に追いやった阿賀野という男なのですが、やがてミヨの消息を知る
手がかりが現れ、阿賀野の正体が物語の中で意外なかたちで明かされます。

収容所では部下を見捨てて逃げたかつての上官への仇討ちが横行しており、
作者の狙いは、このようにたとえ囚われの身となっても周りに敵を見出してしまう、
人間のどうしようもない習性を描くことではないかと思います。

ただ、テーマの重さに比べて、作者の筆の運びが淡泊すぎるように感じました。
凄惨な戦場の場面なども描かれていますが、こちらの心を鷲掴みにするような強さは
感じられません。言葉を換えれば、この作品はきれいにまとまりすぎています。
『私の男』にあって『敵影』にないのは、読者を底なし沼に引きずり込むような力です。


馳星周さんの『約束の地で』(集英社)は、
北海道を舞台に、先の見えない日々を生きる人々の鬱屈を描いた連作短編集。

冒頭におさめられた「ちりちりと・・・・・・」の書き出しから、思わず「うまいなぁ」と
唸らされます。冬支度をはじめた山の描写なんですが、まるで映画をみせられて
いるように読んでいると映像が浮かんできます。さすがの描写力ですね。

馳星周という作家が着実に進化していることがうかがえる作品です。
デビューした頃の馳さんの作品には、疾走感と暴力描写が溢れていましたが、
この『約束の地で』から感じられるのは、「抑制」とか「深み」とか「成熟」といった
言葉です。たぶん馳星周は新しいステージに入ったのでしょう。

でもそれならばなおのこと、馳さんが大きな物語に挑むのを見てみたい。
次に書かれる長編でこそ直木賞に挑んで欲しいと思います。
とはいえ、これまでにもたびたび直木賞の候補になっていますし、
ご本人にしてみればもううんざりかもしれないですが・・・・・・。


さあお待ちかね。ここからは本命の2作品のお話です。


桜庭一樹さんの『私の男』(文藝春秋)
これにまでにも当ブログで何度も取り上げてきましたが、
近親相姦の関係にある父と娘を描いた前代未聞の恋愛小説です。

ともかく読み始めると異様な世界に引きずり込まれます。
なんというか、作品全体に「ただならぬ雰囲気」がみなぎっていて、
いちど読み出すとやめたくてもやめられなくなるのです。

それもそのはず。、『桜庭一樹読書日記』(東京創元社)には、
この作品をどうやって書いたかが出てくるのですが、これが凄い。
どうしようもない世界を描くために、桜庭さん自らがその世界に入っていこうとします。

部屋を暗くしてロックを流し続けながら、どうしようもないことを考え続ける。
食欲がなくなり背中にはうっすらとアバラ骨が浮き出てくる。
そしてゆっくりと世界が近づいてくる。やけにスモーキーないやな色の空が見えてきて
ようやくその世界に足を踏み入れていく――といった具合に。

別に桜庭さんは暗い人なんかではなくて、
読書日記で描かれる日常生活はとてもユーモアに富んでいます。
でも作家の業というか、作品によってはこんなにも身を削るんですね。

『私の男』にみなぎる異様な迫力は、
作家自身がどうしようもない世界を体験して書いたところからきています。
そしてここまでの迫力を持った作品は、今回の候補作の中では『私の男』だけです。


『私の男』に対するは佐々木譲さんの『警官の血』(新潮社)。

『2008年版このミステリーがすごい!』で堂々第1位に輝いたこの作品は、
終戦直後から現代まで、3代にわたって警察官という職業を選んだ安城家の
男たちを描いた警察小説の傑作です。

復員後、昭和23年に警官となり上野警察署に配属された安城清二。
管内で発生した「男娼殺害事件」と「国鉄職員殺害事件」に疑念を抱いた
清二は、跨線橋から不審な転落死をとげます。
清二の遺志は息子の民雄に受け継がれますが、やがて彼も凶弾に倒れます。
ふたつの事件の謎は孫の和也にゆだねられ、最後に驚くべき真相が明かされます。

駐在所のおまわりさんとして戦災孤児や闇市など終戦直後の混乱期を生きた清二。
過激派への潜入捜査員として高度成長期の激動の時代を生きる民雄。
同僚の不正を暴くよう特命を受け、同時に祖父と父の死の真相をも突き止める和也。

この小説が凄いのは、3代の人生がそのまま警察の戦後史となっているところ。
並大抵の筆力ではここまで物語を築き上げることはできないでしょう。
しかも警察の光と影をきっちりと描いて、物語に深みを与えることにも成功しています。


『警官の血』『私の男』とがっぷり四つに組める傑作です。
このどちらが直木賞に選ばれても不思議ではありません。
でも受賞作は『私の男』だと思います。なぜか。

ここからはぼくの勝手な想像ですが、
今回の候補作に警察小説が複数エントリーしていることが
『私の男』に有利に働くのではないかと思うのです。

いくら『警官の血』が「警察小説の傑作」だといっても
同じ警察小説の秀作である『悪果』があることによって
若干とはいえインパクトが薄れるのではないか。
そして結果的に『私の男』がより強く選考委員の印象に残ることになる――。

どうでしょう?このシナリオ。
同時受賞という予想に逃げてもいいんですけど、
今回はいさぎよく『私の男』の一点買いでいきたいと思います。

選考委員会は1月16日(水)に行われます。

投稿者 yomehon : 2008年01月14日 18:42