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2007年07月01日

運は努力で支配できるか


くじ付きの自動販売機で缶コーヒーを買ったら「当たり」が出たとします。
そのときのあなたの気分はどんな感じでしょうか?

ぼくの場合はなんだかビミョーです。
「やった!得した」と嬉しい反面、「もっと大きな幸運のために運をとっておきたかった」とも思うからです。

小さな幸運を喜ぶか、それともささいなことに運を使ってしまったと悔しがるか、運についての考え方、
感じ方は人それぞれでしょうが、もしも身近にこんな考えの持ち主がいたら、あなたはどう思いますか?

「努力で運は支配できる」


1989年5月28日、秩父宮ラグビー場。
この日、日本代表チームは、世界最高峰に位置する強豪スコットランド代表とのテストマッチを戦い、
28-24の僅差で歴史的勝利をおさめました。ラグビーファンの間で今も語り継がれるこの伝説的な
試合でジャパンの監督を務めたのが、宿澤広朗(しゅくざわ・ひろあき)氏でした。


宿澤広朗――ラグビーファンでこの名を知らぬ者はいないでしょう。

早稲田大学時代は天才スクラムハーフとして活躍、2年連続で社会人チームを破って日本一に導く原動力となり、38歳の若さでジャパン監督に就任してからもスコットランド戦での歴史的勝利、ワールドカップでも初勝利をおさめるなど数々の金字塔を打ち立てました。

ある日、そんな輝かしい経歴を持つ宿澤氏の急逝が報じられました。昨年6月のことでした。


『宿澤広朗 運を支配した男』加藤仁(講談社)は、ラグビー界に大きな足跡を残しながら志半ばで逝った宿澤広朗氏の生涯を追ったノンフィクションです。

著者の加藤仁さんは、サラリーマン・ノンフィクションとでも言うべきジャンルをひとり開拓していらっしゃる
書き手。特に定年後の元サラリーマンの人生を丁寧に追いかけた一連の仕事は一読に値します。

ぼくが意外に感じたのは、これまでどちらかといえば無名のサラリーマンを取り上げることの多かった
加藤さんが、取材対象として選んだのが「宿澤広朗」というスーパーサラリーマンだったことです


宿澤広朗氏は早稲田大学を卒業後、住友銀行(当時)に入行しています。
ラガーマンの宿澤氏が企業社会でどんなサラリーマンであったかということは
ぼくはこの本を読むまでまったく知りませんでしたが、いやはや大変な活躍ぶりです。


27歳でロンドン支店に配属された宿澤氏は「全戦全勝型」の為替ディーラーとして頭角を現します。
そしてディーラーとして活躍する一方、元日本代表としてラグビーの本場の人々にも人気者として受けいれられます。(ちょうどこの頃、宿澤氏に可愛がられていたのが、早稲田の後輩でオックスフォードに留学していた奥克彦氏でした。彼はそれから20年後、在英大使館参事官としてイラクに赴任中、何者かに銃撃され命を落とします)


帰国後は豊島区の大塚駅前支店長を経て、市場営業第2部の部長に就任。
ここは住友銀行が保有する預金などを国際市場で運用する部署で、当時銀行が抱えていた不良債権の損失を穴埋めするためにも稼がなくてはなりませんでしたが、宿澤氏はここでもまた結果を出します。
彼は全行員の1・5%に満たない部下を率いて銀行の収益の3分の1を稼ぎ出したのです。


2000年には49歳の若さで執行役員に就任。
翌年の9・11テロ発生時は、市場統括部長としていまでも行員の間で語り草となっているリーダーシップぶりを発揮します。(このあたりの見事な対応についてはぜひ本でお読みください)


2004年には三井住友銀行常務執行役員・大阪本店営業本部長として大阪に転勤。
松下電器のグループ企業・松下興産がその当時抱えていた巨額の不良債権を処理せよという困難な「特命」を帯びての転勤でした。銀行としては少しでも多く融資残高を回収したいけれども、企業側は少しでも多く銀行に債権放棄をしてもらいたい。この真っ向から利害が対立する難しい交渉も宿澤氏はなんとかまとめあげます。(この時松下側の交渉者だった川上徹也副社長は、後に宿澤氏の死に際し万感の思いを込めて追悼文をお書きになっています。本気で戦った者にしか書けないいい文章です)

このように宿澤氏は銀行の仕事において次々と結果を出していきます。


外から眺める限りでは、出世の階段を駆け上がり、頭取の椅子まであと一歩というところにまで来ていた宿澤広朗氏は、文字通りスーパーサラリーマンということになるのでしょう。加えて名ラガーマンにして、家庭では妻や息子たちに愛される夫であり父親でもある。こんな男は滅多にいません。


「努力は運を支配する」――これは宿澤氏が卒業時に学内誌に寄稿した文章に書かれた言葉です。
不断の努力を重ねていれば、いざという時に運を味方につけることができる。
学生時代に身につけたこの哲学のもと、彼は社会人になってからも人知れず努力を重ねていたに違いありません。宿澤氏のスーパーサラリーマンぶりもそのような努力の賜物といえるでしょう。


けれどもぼくはこの本を読み進めるうちに、巷間伝えられている華やかなイメージとは違った宿澤氏の
実像に触れ、粛然とした思いに駆られました。


リーダーというものは常にそうなのかもしれませんが、宿澤氏もさまざまな決断の場においていつも孤独にさらされていました。しかもあれだけ有名でしかも多くの部下に慕われた人物であるにもかかわらず、本音をさらけ出し弱音を吐けるような友人は少なかったようです。

それだけではありません。
この本で丹念に描き出された宿澤氏の生涯を追っていくと、決定的な場面で彼が運に見放されたとしかいえないような不運に見舞われていることに気がつきます。

ラグビー協会の強化委員長として改革を進める中での突然の解任劇。
頭取まであと一歩というところで突如彼を襲った心筋梗塞。


名声の衣を剥ぎ取ったところに現れた宿澤氏の実像とは、フィールドでも組織でも孤独な闘いを続けたあげくに、55歳の若さで力尽きた元ラガーマンの等身大の姿でした。

著者の加藤仁さんが描きたかったのはセレブリティの宿澤広朗氏ではなく、むしろ運を支配できなかったひとりの男だったのではないか。勝手な推測に過ぎませんが、ぼくはそう思うのです。


最後に運についての名著をご紹介しておきましょう。
人間の運については、これまでいろんな人がいろんな考えを述べていますが、ぼくがその中でも最高の本だと思うのは色川武大さんの『うらおもて人生録』(新潮文庫)です。

ばくちで数々の修羅場をくぐり抜けてきた人間にしか書けない体験知がいっぱいに詰まったこの本は、
世にあまたある人生論の数々など足下にすら及ばない名著中の名著です。
運について考えてみたい方は、ぜひ手に取ってみてください。

投稿者 yomehon : 2007年07月01日 10:00