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2007年04月02日

あの歴史的傑作がついに、ようやく、とうとう文庫に!


このところとんでもなく忙しい毎日が続いていました。
どのくらいの忙しさかといえば、毎日のように続けてきた
「本屋パトロール」が1週間ごぶさたになるくらいの忙しさ。
(わかります?これがどれくらい異常な事態かってことが)

でもその不幸な日々をなんとか耐え忍んで
ひさしぶりに本屋さんに足を踏み入れたときの感動といったら!
どのくらいの感動かといえば、妻と別居中で会えずにいた最愛の息子との
面会をようやく許され会うことができた瞬間のヨロコビというか。
(わかります?これがどれだけ感動的かってことが。えっ?わからない?)


まぁそれはともかく。
ひさしぶりの本屋さんは通い慣れた店がまるで別の店のように感じられました。
たった1週間やそこらでこんなに新しい本が出るものかと驚くくらい棚の景色が違っていたのです。
ぼくは初めての店を訪れたときのような新鮮な気分になり、夢中で店内を見て回りました。

そして文庫本の棚の前でぴたりと足がとまったのです。

そこに並んだ一冊の文庫本を目にして、ぼくは深い感慨をおぼえました。
「知らなかった・・・・・・あの傑作がついに文庫化されたのか!!」


『精霊の守り人』上橋菜穂子(新潮文庫)は、
国産ファンタジーの最高峰に位置する、
いや、世界レベルでみても胸をはって傑作といえる、
いやいや、もはやどれだけ賛辞を捧げても足りません。
それほどまでの名作です。


まだ読んだことのない方のために説明しますと、
『精霊の守り人』 (もりびと、と読みます)はファンタジー小説、
なかでも「異世界ファンタジー」というジャンルの小説です。

「異世界」というからには、
そこには現実とは違う別の世界が描かれていなければなりませんが、
その異世界のつくられ方、作家のつくりあげた異世界の質が、
作品の出来不出来を大きく左右することになります。

上橋菜穂子(うえはし・なほこ、と読みます)さんが
『精霊の守り人』を発表したのは1996年のことでした。

当初この本は児童文学として発表されたのですが、
たちまち本好きの大人たちのあいだで評判となりました。

なぜ評判となったのか。
それは上橋さんのつくりあげた世界があまりに素晴らしい出来だったからです。


物語の舞台は「新ヨゴ皇国」という架空の国。
主人公は短い槍の達人で
数々の修羅場をくぐり抜けてきた女用心棒バルサです。

偶然、新ヨゴ皇国の皇子チャグムが
川に投げ出されたところを救出したバルサは、
母親である妃からお礼の宴に招かれ、
そこでチャグムを連れて逃げて欲しいと頼まれます。
実はチャグムには精霊の卵が宿っており、
それを疎ましく思う帝が命を狙っているというのです。

バルサは帝がさしむける刺客や卵を狙う異界の魔物と身体を張って戦います。

バルサの幼なじみで薬草師のタンダ、当代最高の呪術師トロガイ、
若き星読み博士のシュガら登場人物の見事なキャラクター造形もさることながら、
読者をぐいぐい引き込んで離さないのは、
作者が構築した異世界の緻密さによるところが大です。

新ヨゴ皇国の建国神話に隠された秘密、先住民ヤクーに伝わる伝承、
そして100年にいちど現れる精霊の卵とその守り人など、
作者が迫真のディテールでつくりあげた異世界のクオリティの高さに
ぼくらは驚愕したのでした。


なぜ上橋さんにこれほどまでに世界を構築する能力がおありなのかといえば、
それはきっと彼女が小説家の他に持つもうひとつの顔と関係があるでしょう。

上橋菜穂子さんはオーストラリアの先住民アボリジニを研究する
文化人類学者でもあるのです。

文化人類学が研究対象とするのは、ぼくらが暮らす世界とはまったく違う
近代以前の世界に住む人々の生活様式や思考様式ですから、
そういう知識をバックボーンに上橋さんが描いた物語世界が
迫力に満ちているのは当然のことといえます。


でもここで大切なことがひとつ。

舞台は異世界でも、そこにぼくたち自身が描かれているかどうか。
言い換えれば、物語のなかで描かれていることが
ぼくたちの世界にも通じる普遍性や切実さを持っているかどうか。
これが一流の「異世界ファンタジー」とそうでないものを分けるふたつ目のポイントです。


では『精霊の守り人』で上橋さんが描きたかったことはなんでしょうか。
それはたぶん作中の次のような文章に集約されているはずです。


「なぜ、と問うてもわからないなにかが、突然、自分をとりまく世界を変えてしまう。
それでも、その変わってしまった世界の中で、もがきながら、必死に生きていくしか
ないのだ。誰しもが、自分らしい、もがき方で生きぬいていく」(342ページ)


バルサもチャグムもある日突然苛酷な運命のなかに投げ込まれ、
流れに必死で抗い、自分の進むべき道を見出していきます。
それはまた、ぼくらの日々の格闘の姿そのものでもあります。


『精霊の守り人』以降、上橋さんは10巻にわたって
「守り人」シリーズを書き継いでいくことになります。
シリーズが完結するまで文庫化の誘いを断っていたそうですが、
こうして文庫として手軽に読めるようになったのはほんとうに喜ばしいことです。

いま国産ファンタジーの世界では次々と傑作が生まれています。
いずれも世界レベルで通用する作品ばかり。
(たとえば最近では『獣の奏者』がそう。これも上橋さんの作品)
『精霊の守り人』はその嚆矢となった記念すべき一作。
そんな超一流の小説がわずか552円で読めるのです。
未読の人はぜひこれを機会にご一読ください。

投稿者 yomehon : 2007年04月02日 10:00