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2006年10月18日

 「偶然」か「必然」か

う~いかん・・・また本を読むのが止められず徹夜をしてしまった・・・。
まぶたは腫れ、眼球は充血し、首と肩は鉄板のように凝っています。

体に無理がきかなくなったというか、急に体力の衰えを自覚したのは、
ぼくの場合35歳を超えたあたりからでしょうか。
それからというもの、面白すぎる本のせいで徹夜してしまった日などは、
昼間こっそり新橋の喫茶ル●アールなどで仮眠をとるのが
習慣になってしまいました。おかげで本日も●ノアール行きが決定!
・・・・・くれぐれも会社には内緒なのでよろしくお願いします。


ところで今日は眠い目をこすりながらみなさんに聞いてみたいことがあるのでした。


あなたが生まれてこのかた経験した「もっともありえない出来事」はなんですか?


【例1】
たとえば飛行機に乗ろうとして急に便意を催したために搭乗手続きが間に合わず
結果的に飛行機事故をまぬがれた、とか。

【例2】
あるいは映画館で隣り合わせた男性が小学校時代の初恋の人で
お茶したのをきっかけに交際がはじまり結婚までゴールインした、とか。

【例3】
街でチンピラにからまれていた女子高生を助けたらなんとそれが長澤まさみちゃんで
「こんどお礼にお食事にでもいきましょう」とメルアドを渡された、とか。


最後の【例3】にモーレツに心ひかれる自分をおさえつつ話を先にすすめますが、
以上のような「ありえない出来事」というのは、
ふつう世間では「偶然の出来事」であると考えられています。


「おこりえない出来事が偶然おこった」(だからドラマチックだ)


こんなふうにぼくたちは考える。
でも、そうではなくて、


「すべては起こるべくして起きている」


としたら?
すべては偶然ではなく必然である、としたら?


そんなアイデアをもとに書かれたサスペンスが
『数学的にありえない』上・下巻 アダム・ファウアー 矢口誠【訳】(文藝春秋)。

新人作家のデビュー作でありながら、世界16カ国でベストセラーとなった、
まさに読み始めると止まらない作品です。

この作品、ストーリーはとってもシンプルに要約できます。

主人公は統計学を専門とする天才数学者のケイン。
彼はギャンブル依存症で破滅寸前であると同時に
ある病気の発作にも苦しめられています。
ところがこの病気には実は人類の常識を根底からくつがえす秘密が隠されおり、
やがてケインは政府機関から追われるようになります・・・。

主人公が追われ、追われるうちに能力を開花させ、最後に真相が明らかになる。

このように作品の構成はとってもシンプル。
でもだからといって、内容までが単純かといえばさにあらず。
アイデアの核となっているのは、最新の物理学の知見です。


17世紀にニュートンが万有引力の法則を発見し、
ここから古典物理学の歴史が始まりました。
ニュートンはこの世界を神がつくったと考えていました。
神によってつくられたこの世界は不変の法則に支配されている。
そう考えたのです。

これから起きることは、これまで起きたことに起因する。
なぜなら両者はあるひとつの法則に支配されているからだ。
このような考えを「決定論」といいます。

ところが20世紀になって、ハイゼンベルグという物理学者が、
「不確定性原理」という革命的な理論を発表します。
ハイゼンベルグが主張したのは、
この世界は偶然性に左右されるということ。
彼の主張は現代の物理学にもおおきな影響を与えています。


『数学的にありえない』の面白さは、
この20世紀には否定されたはずの「決定論」を、
「ある理屈」をもとにして現代に復活させた点にあります。

ネタバレになるのであまり詳しくは書けないのですが、「ある理屈」というのは、
選ばれた者だけがこの世界を支配する法則にアクセスでき、
その結果、選ばれた者は未来の姿をみることができる、といったようなことです。

ドミノ倒しのように連なる因果の鎖がもしもこの目に見えたとしたら・・・。
その人はちょっとした行動で因果律に干渉することによって
予想もできないようなおおきな事態を引き起こすことができるでしょう。


「食堂車までくると、ケインはポテトチップスを何袋も買った。そしてナヴァが
質問を口にするより早く、歯を使ってポテトチップスの袋をあけながら、
車両後部に向かってよたよたと歩きはじめた。
ケインは黒いパネルスイッチを押して自動ドアをあけ、食堂車とつぎの車両を
つないでいる連結部の金属板の上に立った。金属板の狭い隙間からは、
飛びすぎていく線路が見えている。ケインはその場にしゃがみこみ、
その隙間にポテトチップスをぶちまけはじめた。最後の一袋を空にしたときには、
ケインの足もとにはポテトチップスの空き袋が山積みになっていた。
『気でも狂ったの?』とナヴァは訊いた。
『ああ』とケインは答えた。『どうやらそうらしい』 」 (下巻71ページ)


池に投じた小石が波紋を広げていくように、
追われるケインがばらまいたポテトチップスは
出来事の連鎖にどのような影響を与え、
どのようなありえない事態を引き起こすのでしょうか。


なお、作者のアダム・ファウアーは幼い頃に難病で視力を失い、
少年時代は病床で多くの小説をテープで「濫聴」して過ごしたそうです。
視力はやがて回復、大学で統計学を学び、
いくつかの有名企業でキャリアを積みますが、
ともに作家になるのを夢みていた幼なじみが
末期ガンに冒されたのを期に会社を辞め、
小説を書き始めたそうです。

作家自身の半生が「ありえない人生」ではないでしょうか。

投稿者 yomehon : 2006年10月18日 10:00