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2006年07月18日

サラリーマンと読書

本日より新社屋での勤務。
番組スタッフはまだ四谷から放送していますが、
営業部は一足早く、55年間親しんだ四谷に別れを告げ、
浜松町にやってきました。

この新社屋、営業部は8階にあるんですが、
なにが哀しいって、個人の座席スペースが超狭いのです!
まるで「営業マンは会社にいるんじゃない!」と会社から言われているみたい。
(実際、そうなんだろうな)

たしかに営業マンは会社にいちゃマズイとは思うけれど、
これまでこっそりデスクやロッカーを書庫代わりに使っていた身としては
この省スペースぶりは痛すぎます。


でも、だからといって本を買うペースが鈍るかといえば
そんなことはまったくありえません!
たとえ会社が移転しようが、
ヨメから家に本を持ち帰るなと言われようが、
これまでと変わることのないペースで本は読み続けるのです!


ところで、たびたび人から尋ねられるのが「いつ本を読むのか」という質問。
でもそれはとても不思議な問いだといわざるをえません。
なぜなら、サラリーマンだからこそ本を読む時間があると思うからです。


『〈狐〉が選んだ入門書』山村修(ちくま新書)は、
見事な文章で本読みを魅了し続けてきた匿名の書評家〈狐〉が、
はじめて世間にその正体を明らかにした話題の一冊です。


1981年2月から2003年7月末まで、
22年半にわたって日刊ゲンダイに連載された〈狐〉の書評は、
「紹介された本そのものよりも、書評のほうが面白い」、
そういうものでした。

〈狐〉の書評は、わずか800字ほどのなかに
手際よく本のエッセンスがまとめられたうえに
そこに〈狐〉独自の見解も添えられた、きわめて完成度の高いものです。

そんな書評の名人〈狐〉が、
初めて覆面をとってぼくたちの前に姿を現しました。


〈狐〉こと山村修さんは1950年東京生まれ。
慶應大学文学部のフランス文学科を卒業後、
都内の私立大学の図書館司書をながく務めていらっしゃったようです。
今年の3月末で職場を早期退職され、現在は随筆家。
著者近影を拝見すると、巣穴からでてきた〈狐〉の正体は
髭をたくわえた渋いオジサンでした。


『〈狐〉が選んだ入門書』は、
「入門書こそ究極の読みものである」
という観点から〈狐〉が各分野から選んだ25冊の入門書を紹介した一冊。
その素晴らしいセレクションぶりはぜひ本をお読みいただきたいのですが、
ぼくが深く共感をおぼえたのは、「私と〈狐〉と読書生活と」と題されたあとがきです。


世の職業人でいちばん自由に読書ができるのは、
研究者でもなく、評論家でもなく、勤め人であると著者はいいます。

それはこういうことです。
サラリーマンには長い拘束時間があるけれど、
いったん職場を離れれば自由が保障されています。
これが研究者だとそうはいきません。
篤実な研究者であればあるほど自分の専攻分野を掘り下げるのに忙しく、
趣味の読書をするヒマがないのです。


「本を読むくらいの時間は意外とつくりだすことができる」ということを
著者が知ったのは、書評を書き始めてからだそうです。

日刊ゲンダイ編集部にいた友人に書評を書けとそそのかされ、
当初は「サラリーマンにそんな時間があるわけない」と断ったものの、
どうしても引き受けざるをえなくなり、
のちに日刊ゲンダイ名物となる長期連載がスタートしました。
ここで著者は発見をします。
「読みたい、知りたいというわくわくする関心さえあれば、
たとえかつかつでも、なんとか時間はつくりだせる」ということを。


しかも、サラリーマンと書評家のふたつの時間を持つことは、
予期せぬ効果をもたらしました。山村さんはこんなふうに表現します。


「サラリーマンだからよかったのです。サラリーマンとしての仕事と、
本を読んで書評を書く仕事とは、それぞれ画然と異なる別世界に属することです。
だから毎夜、帰宅すれば自室のなかにべつの時間がひらく。
たとえば物理的な一時間が、関心と欲求とを動力にすれば、
じっさいに倍にもつかえる。その動力をフル回転させれば、三倍にもつかえる。
サラリーマンとしての時間から、あたうるかぎり遠い、
ふしぎに自由でうれしい時間です」(226ページ)


深く共感できるいくつものポイントがギュッと凝縮された文章です。

会社にいるときのぼくと、本を読んでいるときのぼくは、まったく別の人間です。
ですから仮にぼくが会社でイジメにあっていたとしても、
本を読んでいるときはきれいさっぱりそのことを忘れているでしょう。
一日のなかにもうひとつ別の時間を持つということは、
精神衛生上、素晴らしい効果をもたらしてくれます。

また時間が伸び縮みするということも、本を読んでいて実感します。
没頭すれば、1時間のうちに数冊の本を読むことだって可能です(ほんとうです)。

〈狐〉こと山村修さんの述懐は、本読みならきっと誰もが頷けることでしょう。


読書のもたらす豊かな果実。
その果実を味わえるのは、サラリーマンの特権なのです。

投稿者 yomehon : 2006年07月18日 10:00