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2012年09月01日

石井徹也の「らくご聴いたまま」 2012年8月号

暑かった今年の夏、みなさまは如何お過ごしになられましたでしょうか?気候のほうもようやく落ち着いてきましたね。
今回はおなじみ石井徹也さんによる、ごく私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2012年8月号をお上網いたします。上席・中席・下席の合併特大号!稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、平成落語巡礼をどうぞお楽しみください!

また、このコーナーに関する感想、ご意見をお待ちしています。twitterの落語の蔵(@rakugonokura)か、FaceBookの「落語の蔵」ページ
http://www.facebook.com/rakugonokura)にリプライ、投稿をお願いいたします。

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◆8月1日 宝塚歌劇団星組東京公演『ダンサ・セレナーテ』『セレブリティ』(東宝劇場)


◆8月1日 雲助圓朝通夜第一夜(日本橋劇場)

馬石/『お露新三郎』~馬石・長井好弘「牡丹燈籠江戸地図」//~仲入り~//雲助『お札剥がし』

★馬石師匠『お露新三郎』

「出会い」から「新三郎の夢」、そして「カランコロン」まで。白翁堂勇斎の調子が
侍みたいだったり、伴蔵も固くて町人らしさが無いので、どうも噺にジワと来ない。
雲助師独特の口調に呑みこまれている感じ。新三郎、お露は柄にあるのだけれど、
「カランコロン」なども、雲助師は勿論、喬太郎師の無気味さにも遠く及ばない。噺
の作りが綺麗すぎる事もあるが、まだ、人物の描きわけが曖昧で、怪異の印象に乏し
いというところか。

★雲助師匠『お札剥がし』

一昨年の赤坂レッドシアター以来の口演とのことで,非常に丁寧に、お札剥がしの翌
朝から伴蔵お峰が栗橋へ逃げるまでを演じた。半面、「稽古して丁寧に演じた」時の
雲助師が陥りがちな、「出たとこ勝負」的な勢いの凄さ(それは明らかに先代馬生師
譲りの長所)には乏しく、『圓生百席』みたいでもある。とはいえ、暗い照明の中に
「夏の暑さ」を感じさせる雲助師の姿がジワッと浮かんで見える凄さ、良石和尚の
「千里眼的な怪異さ」などは独特で、語り口の重厚な魅力も、前の馬石師とは桁違い
に優れている(馬石師は普通に高座にいるだけでジワッと存在してはいなかった)。
更に、同じ燭台を両脇に立てていながら、雲助師だと蝋の燃える「ジジジ」という微
かな音がBGMとして聞こえ、怪異さを増すのは摩訶不思議。惜しむらくは、会場の
大きさの関係もあってか、第一次圓朝座の際のような蝋燭の灯りだけに徹した怖さは
出せず、前にマイクがニュッと立っていて視線に入るのも、雲助師の体から滲み出る
雰囲気を明らかに半減させていた。板マイクを使って、録音状況より客席を意識した
口演状況を優先させていない、という演出のミスは主催者側の問題か。結果的に、
レッドシアター口演の時野方が総体の出来は良かった。

◆8月2日 国立演芸場上席

半輔『間抜け泥』/朝太『熊の皮』/正楽/甚語楼『狸賽』/南喬『ちりとてちん』//~仲入り~//笑組/歌る多『桃太郎』踊り・大津絵「吃又」/小菊/志ん輔『唐茄子屋政談』

★志ん輔師匠『唐茄子屋政談』

少し刈り込んでるかな?でも通し。仲入りまでが端折ってたから、「あるかな」と感
じていたが…今日は小味な雰囲気でスッキリと、花魁の肩越しに見る仲の雪に表の猛
暑を忘れた。誓願寺店で泣きを抑えたのも今日の気分にピッタリの江戸前。唐茄子を
売ってくれる町の衆の表情に矢来町が時々ちらつくのが何とも良かった。


◆8月2日 第30回この人を聞きたい「鯉昇・遊雀ふたり会」(東京女子学園)

鯉ちゃ『桃太郎』/鯉昇『蛇含草』/遊雀『蛙茶番』//~仲入り~//遊雀『粗忽長屋』/鯉昇『ねずみ』

★鯉昇師匠『蛇含草』

餅の曲食いまでが長く、腹が膨れてからは短いけれど、全体にノンビリ感が漂うのは
鯉昇師ならでは。蛇含草の説明が簡潔なのは流石。

★鯉昇師匠『ねずみ』

飄々たるキャラクターに関しては他の追随を許さない甚五郎である半面、なまじス
トーリーの立つのが邪魔になてしまうのが勿体ない。村人が鼠を見てから諸国の旅人
が鼠見物に集まる件には新たな工夫をして笑いを増やしている。とはいえ、鯉昇師の
甚五郎をより一艘味わいたいとなれば『三井の大黒』を聞きたくなる。

★遊雀師匠『蛙茶番』

笑遊師と同じなのは当然権太楼師型がベースか。半ちゃんが舞台番の半畳の上で見得
をして、反りかえる姿が一番可笑しい。惜しむらくは前半、声が小さい。

★遊雀師匠『粗忽長屋』

喬太郎師の演出と雰囲気が似ている。但し、熊が後半、泣き困りキャラクターになる
辺りは独特。最後、遺体を完全に運び乍ら、熊が「分からなくなっちゃった」は遊雀
師の場合、動きのある分、よりリアルに感じられるのが面白い。

◆8月3日 国立演芸場上席

久蔵(小せん代演)『浮世床・夢』/正楽/甚語楼『彌次郎』/南喬『ちりとてちん』//~仲入り~//笑組(新ネタかな?)/歌る多『町内の若い衆』踊り・奴さん姐さん絵「吃又」/小菊/志ん輔『船徳』

★志ん輔師匠『船徳』

稍硬く感じたのは会話とリアクションがマジだからで、表情も含めて可笑しく、脂濃
さはない。だから序盤の船頭騒動もクドくない。客も単なる怒り口調にならない。徳
が「自分が漕げる」と分かって意気込む面白さ、涙で見送る女将、「あそこにも傘が
ある」と驚く船嫌いの客と愉しい。もちっと柔らかければ素晴らしい船徳。

★歌る多師匠『町内の若い衆』

女性がこの噺を演じて生臭くなくマンガチックに可笑しいのは如何に女を捨ててる
か、とも言えるが(失礼)、ツーツー語る口調の軽さ、速さも大きな要員。

※しっかし、化粧がちょいと濃かァない?顔が真っちろけに見えて、一寸キツネっぽい。。


◆8月3日 第三十七回特撰落語会「さん喬・雲助二人会その4 夏に味わう圓朝冬
ばなし」(江戸深川資料館小劇場)

辰じん『手紙無筆』/雲助『お菊の皿』/さん喬『大仏餅』//~仲入り~//さん喬『千両蜜柑』/雲助『政談月の鏡・発端』

★さん喬師匠『大仏餅』

丁寧で、泣かせに傾く訳ではなく、マクラで振った雲助師匠との因縁話同様、「人の
運命の不思議」を感じさせる部分が強い。もう少し、乞食に落剥した金卯の引け目を
抑えて演じられたら、佳作だろう。

★さん喬師匠『千両蜜柑』

本題における番頭の困惑も面白いのだけれど、マクラのトマトの食べ方や本題終盤の
蜜柑の食べ方が正しく「昔のトマトや昔の蜜柑が食べたくなって唾が口の中に溜ま
る」出来で、「季節外れの旬の味覚への欲望」という、噺の発端になる感情を喚起さ
せるのに驚く。『明烏』の甘納豆どころじゃない!

★雲助師匠『政談月の鏡・発端』

昔から雲助師は此処しか演らない(というか、発端以降は手直しをかなりしないと詰
まらない駄作なのである)。今夜は十年ぶりくらいの口演との事で、稍圓生百席的
な、キッチリ原作のまんま、というある印象が強い。とはいえ、悪侍が喜助に毒を飲
ませる視線の面白さ、喜助の酒にだらしない様子と巧いものであるし面白い。

※ミステリーとしても実に良く出来た発端だが、惜しい事に後の噺が詰まらないのは
菊田一夫の駄作とパターンが似ている。

★雲助師匠『お菊の皿』

軽くてサラサラしているとはいえ、最初に現れるお菊がちゃんと幽霊になっているの
は流石。元がまともに幽霊だからこそ、そんなお菊がクサくなってからの可笑しさは
雲助師ならでは。愉しそうに演じている姿からなおさら愉しい。

◆8月4日 ワッショイ!ワッショイ!圓橘の会(深川東京モダン館)※深川八幡の大祭に当たる事を記念した落語会とのこと。

橘也『位牌屋』/圓橘『百川』//~仲間入り~//橘也『短命』/圓橘『三年目』

★圓橘師匠『百川』

全体に軽く、祭気分がサラサラとしているのは江戸前で、小満ん師と二つ巴。二度目
に百兵衛が上がってくる際の「ウーシェッ」を省いて河岸の若い衆の「また上がって
来たぜ?…なんで?」と受けたのが抜群に面白かった。

★圓橘師匠『三年目』

先のかみさんが死ぬ前の約束で声と視線に幽気に近い怖さを出したのは圓生師にはな
かったかな(この日、試してみた演出だそうである)。圓生師の先のかみさんはもっ
と色気優先だった。色気では寧ろ二度目のかみさんとの初夜にかみさんが「何方かお
待ちなんですか?」と言った辺りの色気が今日の圓橘師では印象的。三年目、という
より三回忌の夜中に現れた先のかみさんは序盤の怖さからうって変わった可愛さが良
くて、何ともいじらしいのが愉しい。

◆8月4日 柳家さん喬独演会夜の部(三鷹市芸術文化センター星のホール)

さん坊『子褒め』/喬四郎『返信』(正式題名不詳)/さん喬『天狗裁き』/さん喬『片棒』//~仲入り~//夢葉/さん喬『死神』

※昼は『浮世床』『千両蜜柑』『らくだ』とのこと。

★さん喬師匠『天狗裁き』

 ロングヴァ―ジョン。物凄くテンション高く、天狗がマンガで馬鹿な可笑しさ。

★さん喬師匠『片棒』

序盤、これも凄くテンションが高く、長男のキャラクターと次男のキャラクターの描
き分けなど、可笑しさに流れて、割とゴッチャになりやすいこの演目では傑出したも
のだったが、終盤、三男の途中からテンションが下がっちゃったのは昨夜からの疲れ
か。

★さん喬師匠『死神』

40分強か。長さは全く感じなかった。最初から客電を落としている。死神が枝から
降りる動きの凄さに驚く。八五郎と死神の出会いは丁寧で、病人治し~妻子離縁~上
方見物~千両治しまではサラサラ進めて山を殆ど掛けない。死神の再登場から死神の
悪意が分かるまでが山場になっており、軽く残酷に明るい死神が怖い。地下に降りる
件で一度暗転して(降りて行く動きを見せないのも巧い)、蝋燭の部屋で明点。「消え
た」で八五郎が倒れるとスーッと暗転。客の大半は拍手をしたけれど、そこから死神
の笑い声が暗闇に響き、客席がシンと鎮まった所で笑い声が止むと、直ぐに下座から
「かっぽれ」(唄無し)がひとくさり鳴って、鎮まり返った客席にハネ太鼓が鳴り、
太鼓が終わると同時に明点。観客はここで再び拍手(今夜の観客には少し辛い演出
だったかもしれないが、実にどうも凝っていて洒落ている)。上野で聞いた演出の進
化型で「かっぽれ」が怪談噺の大喜利につきものだった手踊りの代わりになる演出に
唸る。噺の理の通し方、照明と下座の使い方の巧さなど、演出は天才的。ただ、この
理が通った演出だと(この辺りの神経の配り方は目白のお弟子である)、死神がいわば
罠に掛けた八五郎に蝋燭を手渡すことの意味が分からないのが惜しまれる。

◆8月5日 宝塚歌劇団星君東京公演『ダンサ・セレナーテ』『セレブリティ』千穐楽~「涼紫央サヨナラショー」(東宝劇場)

※宝塚音楽学校時代からの贔屓である男役・涼紫央さんの退団公演で、サヨナラ
ショーから東京會舘で催された「フェアウェル・パーディー」へ。

月組前男役トップ・霧矢大夢さんの退団に続いてで、これで兵庫県の宝塚大劇場まで
観に行きたくなる男役は私にとって遂に皆無となった。

◆8月6日 国立演芸場上席

木りん『やかん』/志ん八(交互出演)『七福神オーディション』/小せん『幇間腹』/わたる(正楽代演)/甚語楼『長短』/南喬『佐野山』//~仲入り~//笑組/歌る多『金明竹』(骨皮抜き)踊り・深川/小菊/志ん輔『幾代餅』

★志ん輔師匠『幾代餅』

「俺の遊びは愚の骨頂か」と独りごちる親方の自省と洒落っ気が、浮き世離れした恋
物語に大人の陰影を与えて、より味わいを深めつつある。

★南喬師匠『佐野山』

無邪気に馬鹿馬鹿しく愉しい。「遺恨相撲」の噂をする江戸っ子連中の能天気さが一
番。

◆8月7日 国立演芸場上席

木りん『寿限無』/志ん八(交互出演)『転失気』/小せん『鷺採り』/正楽/甚語楼『お菊の皿』/南喬『佐野山』//~仲入り~//笑組/歌る多『松山鏡』踊り・伊勢参り/小菊/志ん輔『佐々木政談』

★志ん輔師匠『佐々木政談』

 「綱五郎、良い息子を持ち、そちゃ果報者じゃのう」のスッキリした味わいの良さ
は他の追随を許さない。四郎吉の表情の良さ。他愛ない噺が鮮やかな佳作に昇華す
る。

★歌る多師匠『松山鏡』

稍地噺的な演出だけれども、人物像がクッキリしており、的確にサゲで盛り上がるのはお見事。

★甚語楼師匠『お菊の皿』

 序盤、若い連中がちゃんと幽霊を怖がってから、お菊の綺麗さにつられて裏を返
す、という人物像の面白さが描けているのは偉い。お菊が最後に居直るのも、度を超
えていないので愉しい。

★笑組先生

 「馬鹿だから」を単発のギャグにせず、わざと繰り返して使い、観客を巻き込む参
加型の笑いに展開・増幅するのは、より意識的に続ければ、一つの売り物・型になる
のではあるまいか。

◆8月7日 噺小屋session「三杯目 兄弟盃の会」(国立演芸場)

遊一『たが屋』/扇遊『三井の大黒』/扇辰『ねずみ』//~仲入り~//扇辰『麻暖簾』/扇遊『厩火事』

★扇遊師匠『三井の大黒』

扇橋師のクサ味は甚五郎から抜かれているが、それに代る「軸になる人物像やニュア
ンス」が見えてこないので、どうしても噺が平板に聞こえる。

★扇遊師匠『厩火事』

旦那と亭主は結構な物だけれど、お崎さんがけたたましくなる必要性は感じない。熊
八と違い鬱陶しい煩さなのである。

★扇辰師匠『ねずみ』

全体的に今夜は二席ともテンションがかなり高めで、また『ねずみ』では飯田丹下が
談志家元風なんて遊びもあるけれど、甚五郎が仙台の街に入ってくる場面で街並みが
左右に浮かぶ素晴らしさ、卯兵衛が甚五郎の声を聞いても客だと思わない面白さな
ど、現代の『ねずみ』では傑出した部分多く愉しい。

★扇辰師匠『麻暖簾』

時間が押していたせいか、テンション高く、かなり明るく、ハイスピードの展開。旦
那・杢市、口をきかないお清さんとキャラクターが確り造形されており、夜の静け
さ、蚊に悩まされる暗闇の雰囲気はキチンと伴っており、面白さと可笑しさを兼ね備
えた高座になった。

◆8月8日 国立演芸場上席

木りん『無学者~つる』/朝太(交互出演)『饅頭怖い』/小せん『南瓜屋』/正楽/甚語楼『お菊の皿』/南喬『元帳』//~仲入り~//笑組/歌る多『熊の皮』踊り・長崎騒ぎ/小菊/志ん輔『妾馬』

★志ん輔師匠『妾馬』

「子供が生まれた」と聞いて八五郎が目を真ん丸にして驚く表情から楽しく、大家が
「御目録が貰えるよ」と言う表情の愉しそうなのがまた可笑しい。八五郎の能天気が
終始軽く愉しく、門番・三太夫・殿様との遣り取りそれぞれが与太郎でなく、単にが
さつなだけの兄貴であるのが嬉しい。お袋の話で三太夫さんを泣かせてから、一転、
「唄おっかな」の軽く可笑しいのは絶妙。一朝師・雲助師・さん喬師・小満ん師匠・
志ん輔師と現代の『妾馬』は今や顔揃いである。

★歌る多師匠『熊の皮』

この噺をこんなにトントン、スラスラ、ペラペラと運んで軽快に面白いのは初めて聞いた。

★南喬師匠『元帳』

亭主がかみさんについてボヤく「いまだにうちの家風に合わない」が抜群に可笑し
い。亭主がぐだぐだかみさんに甘えてる、それでいて終盤にメソメソしない面白さは
素晴らしい。また、かみさんが化け物じみず、貞淑過ぎず、長屋のかみさんそのもの
で愉しい。

★甚語楼師匠『お菊の皿』

 昨日より更に演出が的確になり面白さを増している。

※木りんさんが前半は明らかに『無学者』又は『魚問答』である展開を演じてから、
八五郎が「隠居さん、話は変わりますが」といって『つる』に入った。「美味しいと
こ取り」というか、根問物と鸚鵡返しを前座さんがゴッチャにして演じるのは許され
るのかね?誰の教えた演出なんだろう?

◆8月8日 第372回日本演芸若手研成会葉月会(日本橋劇場)

辰じん『代脈』/遊一『道具屋』/こみち『一分茶番』/一之輔『堀の内』//~仲入り~//鯉橋『豆屋』/夢吉『大山詣』

★一之輔師匠『堀の内』

ひたすら主人公のそそっかしさを誇張・強調した『ギャグ堀の内』可笑しいから寄席
でも直ぐに使えるだろうけれど、愉しくなるには時間がかかりそう。枝雀師や鶴瓶師
の『いらちの愛宕詣』のギャグの入れ具合はどうだったかな。

★夢吉さん『大山詣』

困りキャラが似合うタイプでありながら、隈さんの居丈高な雰囲気は出ているし、こ
の噺に必要な線の太さやパワーも十分感じるのだけれど、落語芸術協会古典派に伝わ
る悪癖で、噺の運びが如何にも慌ただしいのが惜しまれる。先日の笑遊師の主任のよ
うに「尺の掛かる噺を仕込み、固める段階で無理に急ぐ必要はない」と腹を括るべき
だろう。省く所は巧く飛ばしてあるから、そんなに慌ただしく喋りまくる必要はな
い。熊の「物語」など印象に残らないくらいの速さで、結果的に面白さが立ち上がり
きらないのは勿体ない。最初、吉兵衛さんに先達を掛け合う件があるのは志ん生師型
が有名だけれども、先代可楽師にもあったかな?

◆8月9日 池袋演芸場昼席

市馬『普段の袴』//~仲入り~//三三『夏泥』/権太楼『町内の若い衆』/正楽/小三治『百川』

★小三治師匠『百川』

百兵衛の「行ってめえりやした」のセリフが実に嬉しそうなのは良かったが、全体に
は声が(息が)ちゃんと出ていないので人物像が曖昧になってイマイチ。

※一時間近い高座だったが、声が出ていないのに、オリンピックのマクラを長々と
振ったり、祭のマクラに入って四神旗の話をしても古墳の中の四神の絵の話など、枝
葉に話を飛ばすのは芸体力の無題遣いで感心しない。

◆8月9日 談春アナザーワールド17 三日目(成城ホール)

談春『ろくろ首』/談楽『おさん茂兵衛』//~仲入り~//談春『鰻の幇間』

★談春師匠『ろくろ首』

兄貴の嫁さんの話が序盤に全く無かったのに、終盤で与太郎が唐突に「兄貴の嫁さん
より綺麗だ」と言ったりするのは不可思議。与太郎は悪くないけれど、伯父さんが殆
ど叱り口調で与太郎に話しているため、この噺本来の愉しさを感じない。

★談春師匠『おさん茂兵衛』

金五郎のチンピラ小悪党ぶりに重点を置いた演出かな。三婦の貫禄はまずまず。茂兵
衛が特に良い人に見えない、というか『紺屋高尾』の久蔵系を一艘うぶにしたなだけ
で、馬石師の『駒長』の丈八みたいな魅力はない。金五郎と三婦が聞かせたかったの
かね。

 ※聞いていて、「この噺を十八番にしていた五代目の圓生師は茂兵衛が良かったん
だろうな」と感じた。

★談春師匠『鰻の幇間』

後半の小言になってからは、ニコニコしながら「どうなるかな?と思いまして」と
笑っている女中が面白いんだけれども、一八は「テヘヘ」などと笑ってもおよそ芸人
らしくないし、客は調伏なのか詐欺師なのか、人物の作りがセリフも表情も曖昧なの
で、前半は面白くも可笑しくもない。客に向かって(正確には客席に向かって)鰻の食
い方の講釈をする「上から視線」の幇間では、調伏されようが苛められようが知った
こっちゃないが。そんな講釈をしている暇があったら、どんなにセコな浴衣でも褒め
る方がよっぽど幇間気質(芸人の職業病)なんじゃないかな。

 ※50歳以下の世代では「芸人の出来る噺家さん」と「出来ない噺家さん」が物凄
くハッキリと分れている。「落語以外で食う」という経験の不足から来てる訳でもな
いだろうが・・・普通人的自尊心が邪魔するのかな。

◆8月10日 池袋演芸場昼席

市也『ひと目上り』/こみち『金魚の芸者』/ロケット団/燕路『トビの夫婦』/玉の輔『宗論』/小円歌踊り・深川/はん治『背中で老いてる唐獅子牡丹』/川柳『ガーコン』/仙三郎社中/小里ん(市馬代演)『碁泥』//~仲入り~//三三『雛鍔』/権太楼『蛙茶番』/正楽/小三治『天災』

★小三治師匠『天災』

名丸から厳つい感じが抜けて(楽日で肩の力が抜けてたのもあるかも)、単に心学を
やってる普通の隠居で、八五郎と食い違った話をしながら、名丸も「八五郎が理解し
てきた(と勘違い)」と感じてる辺りや、八五郎は八五郎で「…尻を捲って駆け出す」
「…居酒屋に入って一杯やって繋ぐ」など、何とか知恵を出して名丸の話を上回ろう
とする(企むってほどタチが悪くない)という形で、何となく二人の会話が成り立って
行くのがステキに愉しく、そのまとまりきらない頓珍漢さをお客はすぐ端で観ている
可笑しさがある。以前の馬鹿に力の入った『天災』より、遥かに下らなくて愉しく、
名丸が帰りかける八五郎に向かって(理解してきたと勘違いして)「これから段段と
話が面白くなります。道のお話をいたしましょう」と嬉しそうに言う件など抜群の愉
しさ。漸く『小三治風天災』の全体像が見えてきた感じがする。

★三三師匠『雛鍔』

旦那の「澄んだ瞳」に代表される、情の重さの全くない軽い愉しさが結構なもの。

★権太楼師匠『蛙茶番』

半ちゃんの意気がり方に大きさ、迫力があって、なおかつ物っ凄く馬鹿なのがステキ
に可愛く可笑しい。

◆8月10日 第四回(五回目じゃなかったっけ?)林家正蔵一門会(にぎわい座芸
能ホール)

つる子『子褒め』/なな子『桃太郎』/まめ平『金明竹』/はな平『欠伸指南』/正蔵『不動坊』//~仲入り~//たこ平『堪忍袋』/たけ平『景清』

★正蔵師匠『不動坊』

 少し抜けちゃった所もあるが、何度か演じているうちに整理されて尺は短くなりな
がら、噺の密度、可笑しさは増している。

★はな平さん『欠伸指南』

 馬生師⇒鉄平師経由とのことだが、こないだ白酒師が演じていたのも元は同じ系統
だと思う。まだまだ優れた演出ってのが世に隠れているのだなァ。口演自体にも、師
匠の困り方や稽古に行った男のリアクションの良さが光り、若手二ツ目らしからぬ面
白さがある。

★たけ平さん『景清』

 金馬師に上げて戴いたというだけに、禽馬師型演出の要諦は掴めている。特に、
元々二枚目芸だから定次郎が似合うのは強み。まだ、リアル過ぎて噺が硬くなってし
まう所もあるが、重さを感じさせないから、〆ている件でも聞き疲れはしない。全体
を鳥瞰すると「落語の笑い」にするポイントがまだ掴めてはいないのが分るけれど、
表現・聞かせる力は十分に感じられる高座だった。地噺より「筋物」の二枚目物を一
艘勧めたい。

★たこ平さん『堪忍袋』

 上方演出。亭主の徳さんの表現がやや極端で、セリフの聞き取り辛い箇所が幾つか
ある。持ち味に馬鹿馬鹿しい愉しさのある人だから、普通に演じても十分に可笑しく
面白い筈。遊雀師の『堪忍袋』における声の高低の使い分けを身につけると、「東京
在住の上方落語」としての得難さは更に増すだろう。

※前座さんたちが長足の進歩を遂げているのに驚いた。特に仕種の的確なことはこれ
までに見られなかった点。小里ん師に稽古をつけて戴き、上げも一度ではなく、何度
もして貰っているとの事である。若手同士の稽古ではなく、「基礎力のちゃんとし
た、落語ってものを理解しているベテランの師匠に稽古をつけて貰うと、若い人は伸
びるのが早い」という見本だね。

----------------------------------------以上、上席--------------


◆8月11日 落語教育委員会・夏スペシャル(よみうりホール)

コント『メダル獲得』/小痴楽『湯屋番』/歌武蔵『戎小判(鼻の上桂馬)~看板のピン』//~仲入り~//喜多八『癇癪』/喬太郎『カランコロン~お札剥がし』

★喜多八師匠『癇癪』

かなり印象が変わった。まず、小柄で短気で実は小心な旦那が如何にもチマチマして
いるのが可笑しい。奥さんに「お前は出来るんだから」とひと言加えたのは旦那の身
勝手な小言を些か緩めて、可笑しさに一寸した味わいを足す効果あり(度が過ぎると
「お局好み」にもなるけれど)。奥さんの父が娘を迎える様子に苦労人の風情があ
り、如何にも親子らしい遣り取りなのが良い(これまでは親子の割に硬かった)。最
後にかみさんを叱って(娘の亭主と“男ってものは”という共通点を感じる)の場面転
換も情を引き摺らずに良い。最後に旦那が叫ばずに「怒鳴れんじゃないか」という
「参りました」気分も愉しい。小三治師の『癇癪』から「も抜けた」印象あり。

★歌武蔵師匠『戎小判~看板のピン』

隠居の親分がいきなり上田吉二郎の真似で現れるという掴みが抜群。本題も張りがあ
り、トントン運んでリズムよく、「(オレは)蕎麦はいいよ」と断って、一人抜け出
し、看板のピンで新たにひと儲けしようという若い奴の了見が嬉しい。兎に角、面白
さのレベルが高い!

★喬太郎師匠『カランコロン~お札剥がし』

圓朝忌らしい出し物。地を徹底的に省き、セリフの切り返しでカットバックするから
間延びせず、伴蔵夫婦の可笑しく、魔まが差す遣り取りをうまく盛り上げて、幽霊の
怖さに対照する形でアクセントを付ける。「お露殿の肌の温かさ、柔らかさ」はやは
り恋に浮かれた気分として巧いセリフ。良石の怖くない超然も独特の面白さ。翌朝、
白翁堂勇斎の胸騒ぎからは地で通してサゲるまで、「初代圓右師の圓朝物は、こうい
う省略の妙があったのかな?」と感じた。

※前日のなでしこジャパンをギャグに取り込み、二度ほど「撫子」といったが、「思
い出の河原撫子今もなほ 我が起き伏しを人に知られな」の辞世が頭に浮かぶとお露
と繋がる。牡丹燈籠だけどもね。

★小痴楽さん『湯屋番』

御当人に訊いたら「ほぼ遊雀師」とってのは可笑しな言葉だけれど、遊雀師の雰囲気
を巧く取り入れていて、かなりクサいけれど、声の高低が使えるし、色気はあるし、
湯屋の客は可笑しい。いずれ売り物になる可能性大。

◆8月11日 新宿末廣亭夜席

圓馬『つる』/コントD51(伸&スティファニー代演)/松鯉『玉子の強請』/桃太郎『唄入り結婚相談所』//~仲入り~//夢吉(交互出演)『徳ちゃん』/えつややすこ(ザ・ニュースペーパー代演)/柳好『看板のピン』/ぴろき/昇太『花筏』

★夢吉さん『徳ちゃん』

一之輔師からかな。困りキャラが似合うから主人公である売れない噺家の悲惨な状況
が物凄く似合い、怪物みたいな花魁も非常に可笑しくて、一寸切ないのが嬉しい。一
之助師以上に売り物になるのではあるまいか。

※夢吉さん・宮治さんの交互食い付きは落語芸術協会の未来に関わる番組作りだと私
は思う。これでなきゃ。

★柳好師匠『看板のピン』

「普通のお客」が沢山いると、こんなにテンションが違って非常に面白いんならば、
普段から寄席で、もっとテンション高くしなきゃズルい(笑)。

★昇太師匠『花筏』

最近の(特に落語協会)大ネタ中心の主任を続けて聞いていると、『花筏』でハネてく
れるのは愉しいなァ。勿論十八番で巧みに無駄を省いて楽しく演出されているとはい
え、提燈屋の軽くて困りキャラな作りと昇太師の持ち味が見事に一致しているのも強
味。また、千鳥ヶ浜の妙に熱い気質も昇太師そのもので違和感が全くない。三年ぶり
くらいに聞いたのだけれど、これだけ馬鹿馬鹿しくてストーリーが邪魔にならず愉し
く聞ける『花筏』はやはり一寸他に類を見ない。

◆8月12日 『ラ・マンチャの男』(帝国劇場)

昔に比べれば、高麗屋や上條さんは「歳を取ったなァ」と思うし、松たか子は「相変
わらず、お譲さんアルドンサだ」とも思うけれど、夜の庭でドン・キホーテが杖を掲
げて歩く姿、「だめだぞ、ドン・キホーテ」のセリフの良さ、「あるべき人生のため
に戦わない事だ」の台詞、アロンソ・キハーナがドン・キホーテに戻って行く終盤の
高揚、松たか子の「あたしはドルシネアさ」のセリフ(これが今日の松たか子では一
番良かった)などに触れると、知らず知らず嗚咽が漏れてしまう。

※演出もあるのか、小劇場的に観えたのや寓話性を強く感じたのは今回が初めて。本
来、オフオフ的な作品だから、小劇場的でもあり、また「いれこの構成」から寓話性
を感じても当然なんだけれども、ミュージカルというより演劇の印象が強まったのか
な。

◆8月12日 上野鈴本演芸場夜席「鈴本夏まつり 吉例夏の夜噺 さん喬・権太楼特選会」

喬之助(交代出演)『南瓜屋』/紋之助/一朝『桃太郎』/百栄(交代出演)『弟子の赤飯』/市馬『薮医者』/ロケット団/馬石『金明竹』/喬太郎『孫、帰る』//~仲入り~//仙三郎社中/さん喬・権太楼(交互出演)『船徳』/正楽/さん喬・権太楼(交互主任)『井戸の茶碗』

★権太楼師匠『井戸の茶碗』

清兵衛が「ワアッ!」と叫びながら金包みを放り出す可笑しさは志ん生師、枝雀師級
の可笑しさで腹が痛くなった。清兵衛の「35歳、物の道理が分からない、人の意見
に洗脳されやすい、パニックに陥りやすい」というキャラクターが炸裂して、それに
高木作左衛門やや千代田卜斎がリアクションして話が混乱するのが凄くマンガで愉し
い(高木や千代田は割と普通に口を利いている)。「手裏剣をピピピピピッ」の件は是
非とも笑遊師に移して戴き、落語芸術協会に爆笑ネタを増やして欲しい。

★さん喬師匠『船徳』

「端正な狂気」。この徳三郎は目付きもセリフもキレてる人で可っ笑しい。舟を嫌が
る方の客がズッと船酔いしてるのも可笑しいけれど、舟に誘った方の客が桟橋に上
がった途端、「助かった、助かった」と二度呟いた件の可笑しさと実感は忘れ難い。

★喬太郎師匠『孫、帰る』

祖父が屋根に上ると、そこから青い夏空が背景に見えるんだよなァ。その「ブルース
カイ」が孫の「もう少し生きていたかったよ」という悲しみをより深く心にしみさせ
る。最後に出てくる祖母が温かく、全く泣かせないのは原作なのか、演出なのか、ど
ちらにしても素晴らしい。井上ひさしの『父と暮らせば』を喬太郎師で聞きたくな
る。

★馬石師匠『金明竹』

「骨皮抜き」で、かみさんの混乱で楽しませる噺に変えているのは、如何に人物造型
が優れているかを物語る。白酒師、馬石師の人物造型の巧さ、想像力は50歳以下で
は図抜けている。

★喬之助師匠『南瓜屋』

真に屈託のない、暢気で奔放で可愛い与太郎で愉しく久々に地力を発揮した。

※一朝師、市馬師、百栄師も勿論愉しく、今夜の噺家さんは全員、「持ち場を心得た
上でのハイレベル」の愉しさを存分に発揮している。昨夜の末廣亭も面白かったが、
いかんせん、実力者の人数が違っちゃってる(その中で、仲入りの喬太郎師の前に馬
石師を入れているのが番組作りとして見事であり、また馬石師が見事に持ち場に応え
ているのは呆れるほどの偉さ。独演会ばかり演ってると、こういう地力はまず養えな
い)。事実、今回の中席上野夜の顔ぶれを見れば「さん喬師・権太楼師の“柳家タン
デム”中心の落語協会爆笑総力結集本隊」みたいなもんだから(今回、昼夜に入って
いない本隊は小三治師、小満ん師、小燕枝師、雲助師、小里ん師匠、志ん輔師、三三
師くらいか。喜多八師は昼に入っている)、こうなると間に入る色物さんは大変だよ
ね。下手すりゃ単なる息抜きになってしまう。流石に正楽師は別格の面白さだけれ
ど、かといって、色物さんまで死力を尽くされたら今度は客が疲れちゃう。

◆8月13日 柳家小三治独演会(よみうりホール)

〆治『ちりててちん』/小三治『湯屋番』//~仲間入り~//小三治『粗忽長屋』

★小三治師匠『湯屋番』

結果的に目白十八番爆笑二本立てになった訳だが、若旦那から飯の愚痴を聞かされた
熊の「嬶ァ叩き出して、あなたとあたしで暮らしましょう!」も笑ったが(下手す
りゃ同性愛落語だよ・笑)、若旦那の語る「ピタピタピタ」のセリフと見事に可笑し
い仕種とが相俟って、かみさんの御給士の様子がこれまでになく可笑しい。この件が
こんなに可笑しい『湯屋番』は初めてではないだろうか。若旦那の能天気は勿論だ
が、湯屋主人の「貴方が来ちゃったの?!」という困惑と迷惑と絶望は、若旦那が如
何に傍迷惑な人物かが如実に出てしまう。また、若旦那が男湯を見た時の「凍り付く
ように絶望的な表情と口調」の面白さも強烈。落語の愉しさは人物の了見次第であ
る、という見本だ。夢想を始めてからの若旦那は、些か疲れが出たのか、テンポがち
と落ちたが、若旦那の能天気と客たちの呆れた表情の可笑しさはテンポに影響され
ず、ひと言ひと言が面白く、噺が全く中断せずに進んだ。芝居掛かりになるのも、
ちゃんとメリハリがあるだけでなく、若旦那の気取りたくなる浮かれ気分が前に出て
いるから「型通り」のダレを感じない。昨年くらいから、小三治師の噺家としての非
凡な才能が底光を始めたなァ。

★小三治師匠『粗忽長屋』

可笑しいだけでなく、最後の「抱いてる俺は誰だろう?」でミステリアスな不可思議
さまで醸し出してしまった傑作。兄貴分が熊を問い詰めて行く件の息の詰んだ可笑し
さ、先代馬楽師みたいな熊の妙に弱々しい感じ(その弱々しさがラストの不条理さに
繋がる)の遣り取りが愉しく、「熊、俺だ」と熊が腰を浮かして慌てる可笑しさは目
白の師匠と全く違う、アクティヴな粗忽の愉しさがある。序盤、野次馬と兄貴分(最
初のひと言から既に“普通じゃない人”という、強烈なオーラみたいな物が出ている
のには驚いた)、世話人(単に弱っているだけで、解決策なんか見出す気は全く無い
のが無茶苦茶可笑しい)と兄貴分の会話もかつてないほど活き活きと馬鹿馬鹿しい。
これだけ人物が活きてる『粗忽長屋』は目白の師匠以来。

◆8月14日 池袋演芸場昼席

春馬(遊馬昼夜代り)『壺算』/歌助『やかん』/ひでややすこ/笑三『ぞろぞろ』/鯉昇『蛇含草』//~仲入り~//遊吉『五十銭茶番』/伸之介『ろくろ首』/東京ボーイズ/遊三『子は鎹』

★遊三師匠『子は鎹』

長屋の阿っ嬶然としていたかみさんが「阿父っつぁん」と亀から聞いた途端、柔らか
く女に変わる面白さは勿論、泣かせにかまけず、クドさの無い演出は『落語の子は
鎹』として、やはり得難い。

※大喜利「二人羽織」は観ずに仕事で移動。


◆8月14日 上野鈴本演芸場夜席「鈴本夏まつり 吉例夏の夜噺 さん喬・権太楼特選会」

我太楼(交代出演)『強情灸』/紋之助/一朝『子褒め』/白鳥(交代出演)『アジアそば』/市馬『南瓜屋』/ホームラン(ロケット団代演)/馬石『狸の札』/喬太郎『イナバさんの大冒険』//~仲入り~//仙三郎社中/さん喬(交互出演)『明烏』/正楽/権太楼(交互主任)『死神』

★権太楼師匠『死神』

死神のマジな陰気さ(低音で権太楼師には珍しい発声だった)と、主人公の落語らし
い能天気さの対照が面白い。演出自体はごく普通だが、運びに軽さがあるのでもたれ
ない。但し、シンプルなだけに、権太楼師の「落語らしさ」ゆえに、この噺の「主人
公が誰だか分からない」という曖昧さが耳立ってもしまったのも事実。「枕元にいる
死神に手を出すと大変な事になるぞ」と死神が最初に忠告しているし、「お前は欲に
負けて命(寿命)を捨てたんだ」という終盤のセリフも納得出来る。でも、死神がなぜ
替えの蝋燭を差し出すのかは分からない。スッパリと権太楼落語になっていない恨み
が残る。

※しかし、『死神』というのは呆れるくらい「噺の理」に関して穴の多い演目だな、
と感じる。してる事を考えれば主人公がなるのは医者でなく、祈り屋(今風に言えば
霊能者)でなきゃ変だし、前記した「替えの蝋燭」や「昔からの因縁」の曖昧さも
「ちょっとなァ」と感じてしまう。「死神が主人公に渡したのが蝋燭でなく、実は花
火でドカンと鳴ってコロリ」…なんて馬鹿馬鹿しい展開なら分かる。神との契約の概
念を翻訳出来ないまんま、全く違う禅の感覚で圓朝師匠が適当に処理しちゃったのだ
ろうか?。そういう歪みがいまだに直されていないでいるため、「出来損ないの人情
噺」みたいな作品に止まっている(さん喬師の「死神の計略版」は「理」が通ってる
と思うし、権太楼師の「落語らしい演じ方」も分かるけれど、基本的な構成が落語と
してはやはり変)。

★喬太郎師匠『イナバさんの大冒険』

犬を連れた長谷川さんのキャラクターがいつもほどハネていなかった(不思議)の
で、受けてはいたけれど、活き活きとした出来とは感じられなかった。

★さん喬師匠『明烏』

源兵衛・太助の役割がハッキリしている演出は珍しい。反面、源兵衛・太助が時次郎
と一緒にいると何か抑えた感じで、キャラクターが活き活きとしていなかった。但
し、源兵衛・太助も二人きりだとキャラクターが立って面白い。終盤の甘納豆食べな
がらボヤいてる件などは実に愉しい。女将や遣手も活き活きしてるし、親旦那と口を
全く聞かず親旦那の袖を後ろから引っ張る阿っ母さんの可笑しさも真に結構なのであ
る。時次郎が遣手に向かって「あたしも愉しいですよ」と言い訳するのなども愉し
い。のだけれど、何か吹っ切れなかった印象が残る。うだるような真夏の時季には似
合わない噺かのかな。

★白鳥師匠『アジアそば』

 今夜の客席に一番フィットしていた高座で、抜群に可笑しかった。一番客席をリードしていた雰囲気。

★馬石師匠『狸の札』

マクラで「(出演者中、唯一人の古今亭系で)楽屋に入ってもアウェイな感じで、客席
もアウェイかと思ったらそうでもないですね」と振った辺りから、微妙な違和感が高
座と客席の間にあって(余計なことを言ったな、という感触あり)、本来のリズムが
崩れ、面白くなりそこなった印象。寄席は怖いな。

※一朝師ですら、マクラから『子褒め』に入る所で妙な間が空き「大丈夫かな?」と
思った程で(注:翌日、たまたまお会いした一朝師に伺ったら、最初のセリフを一瞬
忘れちゃったのだそうである)、一朝師は噺に入ると、ちゃんと本来のリズムに戻せ
たから大丈夫だったけれどね。トリまで、落語の高座に関しては何か違和感を感じる
場合が多かった。何かそういう原因になるものが「満員立ち見」状態の客席にあった
のかなァ?白鳥師の高座だけ、訳あって後方の立ち見から観ていた事もあり、違和感
を感じる高座続きの中で、白鳥師だけが楽々と(楽々と簡単に言っちゃ白鳥師に申し
訳ないのだけれども)マクラから『アジアそば』に入り、飽くまでも自分のペースで
演じているのがよく分かった。

◆8月15日 上野鈴本演芸場夜席「鈴本夏まつり 吉例夏の夜噺 さん喬・権太楼特選会」

左龍(交代出演)『お花半七』/紋之助/一朝『たが屋』/百栄(交代出演)『寿司屋水滸伝』/市馬『長短』/ロケット団/馬石『元犬』/喬太郎『ハムバーグが出来るまで』//~仲入り~//仙三郎社中/権太楼(交互出演)『笠碁』/正楽/さん喬(交互主任)『百年目』

★権太楼師匠『笠碁』

「あたしゃほかで勝てるから」のセリフを両方に言わせ、「小僧を寄越せばいいの
に」「来ればいいのに」とそれぞれがジレる件に、目白の師匠譲りの「友情」があ
り、しかも爆笑になるのが愉しい。乞食の燕枝師から目白の師匠に伝わった「首を振
る仕種」は更に強調されているが(『お化け長屋』の「それから?それから?それか
ら?」と同じ展開の仕方である)、「人間ってさ、こういう、他人から見て馬鹿馬鹿
しい事しちゃう時もあるから愉しいよね」って感じさせてくれる。この点に関して
は、先代小圓朝師の眼で追う演劇的写実重視の演出だけでは「友情」が醸し出せない
のではないだろうか。「碁敵」と「友情」という噺のベクトルの違いもあるのだろう
けれども、「友情」を表現し、同時に「人間の愉しさ」を醸し出す、という点では、
乞食の燕枝師も目白の師匠も本当に偉い。ジョージ秋山氏の『流浪雲』中で最高のセ
リフだと私が思っている「たった一つの弱味がおたふく風邪か…友達になりたい男
だ」を思い出す。

★喬太郎師匠『ハムバーグが出来るまで』

つまり、これは子供のいない『子は鎹』だと、こうなるって噺なのかな?主人公から
以前と比べて男側の甘えの要素が薄くなり、切なさに止まらず、ほのかな温かみの感
じられるサゲになってきた。「ドラマ」でなく、「人生のスケッチ」になってきたの
は好印象。女の人は、こういう「正義の立場」に自分を置くの好きだし。

★さん喬師匠『百年目』

上方系演出から悪夢の部分だけをカット。花見の場面では鳴り物を入れて演じた。こ
れまでに聞いたさん喬師の『百年目』ではベスト。旦那が終盤、番頭に語る言葉が圓
生師のように説教がましくないのは、花見の場面で「あたしも若い頃は馬鹿な遊びを
して」というセリフが人物像の背景でちゃんと繋がって存在しているからで、なるほ
ど芸者が大旦那のことを「粋な方」と感心するのも無理はない。米朝師の「如何にも
大店の大旦那」に対して「洒落の分かる大旦那」である。その点は権太楼師の大旦那
と、表現方法は違っても似ている所があるのは同世代感覚・目白の芸感覚故だろう
か。つまり、大旦那が「コミュニケーション=人間関係重視の人」なのである。番頭
が「直ぐ行くって言っとけ」を上方風に叫ばず、小さな声で言った「窮鼠の心」にも
唸った。叫ぶのと違って、受けはしないけど、番頭が大旦那から受け継いでいる「商
人としてのあり方」が見事に出てくる。細部まで人物表現が目白風に配慮されている
のだ。サゲを言った途端、座蒲団を横に飛ばして立ち上がり「なすかぼ」を見事に
踊って打ち出す辺りも、「感心したままでは終わらせたくない寄席の芸」の含羞をさ
ん喬師から感じた。それがフィードバックして、大旦那の「熱い熱いと泣いたんだ
よ」の繰返しや、番唐の号泣から、甘い気障さと感傷を消してくれる辺り、見事な高
座構成である。更に言えば、フィードバックの効果として、大旦那と番頭の関係に目
白の師匠とさん喬師の師弟がだぶってくる(喬太郎師に「早く弟子を持て。いつまで
も弟子のままでいらな」と語っているのだろうか?)。『百年目』から「鴬の子は子
なりけり三右衛門」、「師弟は似るもの、伝わるもの」という魅力が溢れてきたのは
初めてである。さん喬師や権太楼師の充実した『百年目』が聞ける時代に生きてる運
の良さを感じてしまう。

※本日もレベルの下がるような高座皆無。やはり、お化け番組である。一朝師の素晴
らしくキレ鰺の良い『たが屋』が5時50分からで、市馬師匠は少なくとも私は20
09年以降、一度も寄席で聞いていない『長短』、百栄師は巧みに手をいれた『寿司
屋水滸伝』、馬石師は十八番の『元犬』をたった9分で演じて押していた番組を『百
年目』へ向けて戻す、と来るんだから凄いや。確かに仙三郎社中や正楽師に息を抜か
せて貰わないとキツいくらい。「本寸法、本気の15分」が見事と続くこの番組の面
白さ、愉しさ、充実感は現在のホール落語や独演会では決して味わえまい。誰一人と
して「一人よがり」になってないもん。

◆8月16日 池袋演芸場昼席

小圓右(歌助代演)『湯屋番』/ひでややすこ/笑三『まちがい』/鯉昇『ちりとてちん』//~仲入り~//遊吉『浮世根問』/伸之介『長短』/東京ボーイズ/遊三『水屋の富』

★遊三師匠『水屋の富』

水屋が夢に魘された後、うつらうつらして明け方になる辺りをタップリ目に演じるよ
うになったのは変化か。その分、ドラマ性が強くなったかな。しかし、仕事の出しな
に水屋が挨拶を交わす時の職人声の良さ、サゲの「これでゆっくり寝られる」の良さ
と本質的に演劇臭くない良さは変わらない。

◆8月16日 月例三三独演(イイノホール)

市楽『やかん』/三三『悋気の独楽』/三三『怪談乳房榎~おきせの口説き』//~仲入り~//三三『怪談乳房榎~重信殺し』

★三三師匠『怪談乳房榎榎~おきせの口説き』

そつも無ければコクもない、という印象。色気の無さが祟り、おきせの口説きの場面
の詰まらないこと甚だしい。『不孝者』の金彌にある色気が出ないのは、おせきに金
彌のようなひがめ、はたまた「柳島路考と呼ばれるあまりの無意識な驕慢」から来る
隙も感じられないためだろうか。『虞美人草』の藤尾くらいな驕慢が浪江に口説かれ
てから出るくらいであってもよかろうと思う。また、浪江が可愛くなってからのおせ
きはもっと「女の怖さ」があって然るべきで、なんだか大正時代の女学生みたいな声
音を出されちゃ困る。浪江も上野鈴本演芸場で聞いた時にくらべて怖さが薄れた。口
調の面で一層、三下的な怖さが前に出てしまっては侍にならない。

★三三師匠『怪談乳房榎~重信殺し』

正介を騙る件の遣り取りは悪くないが、浪江に関しては、ひと言ひと言に配慮した上
での言葉の流れ不足。正介の受けの方が良い。蛍狩りが言葉ばかりで、肝心の景色が
浮かばない。セリフでは言っても、飛んでいる蛍を見ている重信の上気した心が伝
わってこない。心情の変化を伴う空間を現すのが不得意なのは大きな課題だろう。浪
江が襲い掛かる場面、これを重信が受けて叫ぶ場面が一つの典型だけれど、肝心な所
の発声で「喉を絞める」のは下手な講釈や浪曲みたいであり、音が開かないから人物
像が卑しくなるし、空間の雰囲気が出なくなると私は思う。この噺に喉を締める必要
のある件はあるかね?

※『乳房榎』は元々、戦後の演者が少ないため、圓朝全集の速記はあっても、それは
いわば院本で、口演用の床本に当たる物が意外と少ない。今の馬桜師が85年から8
6年へ掛けて「発端」「おきせの口説き・重信殺し」「子捨て」「瀧壷」「大団円」
と通して演じた時も、一時間ずつ五回くらいで、長編としては逆にやや短い。発端か
ら梅若花見は丁寧に演れば小一時間はあろうが、本題と関係ない円山応挙の話が冒頭
に長々とついているし、磯貝波江はチラッとしか出て来ない。演者自身がかなり手を
加えないと、重信と地紙折りの竹六の会話を延々と聞かされる羽目になってしまうの
である。かといって、磯貝波江の入門前夜からおせきの口説きまでを繋げるのは、高
座の尺が掛かり過ぎる。伸び縮みさせる能力が演者自身にかなりないと、圓朝物をは
じめ、人情噺の口演は「みどり」形式っぽくならざるを得ないのである。また、三三
師の芸質に「執着心の粘っこさ」はあるが、歌舞伎芝居と違い、江戸・明治の人情
噺・怪談噺の敵役はいみじくも、さん喬師が『鰍澤』で伝三郎に言わせた「魔が差し
てしまった男と女」が大半で、梅若花見で磯貝波江の執着心を余り出してしまうと
「幕末ピカレスク芝居」のなぞりめいてもしまうだろう(おせきの側に浪江を狂わせ
る「魔)が必要だともいえる)。またその場合、初代小團次等の「幕末小悪党物」に
関する三三師の知識の少なさが人物造型を見当違いのベクトルに招じかねない不安も
の残る。

★三三師匠『悋気の独楽』

以前より遥かに可笑しくなり、定吉が声色を使う「違いますよ」などの工夫も活きて
いる。おかみさんの嫉妬はもう少し濃い目でも良いかな。『権助魚』が聞いてみた
い。ただ、この噺は誰が演っても故・文朝師の軽快でシニカルで可愛らしい定吉の魅
力が出せない。「子供の残酷さ」は三三師なら出せると思うんだけれどね。

◆8月17日 池袋演芸場昼席

遊馬『青菜』/歌助『漫談』/ひでややすこ/笑三『頭ン中ァからっぽ』/鯉昇『千早振る・モンゴル編』//~仲入り~//遊吉『肥瓶』/伸之介『粗忽の釘』/東京ボーイズ/遊三『井戸の茶碗』

★遊三師匠『井戸の茶碗』

少し急き加減ではあったけれども、屑屋仲間の言う「首がポロッ」の声と仕種の自然
な可笑しさ、卜斎の「儂は高木殿に惚れた」の良さ(この話は清兵衛、作左衛門、卜
斎の話だから、娘の了見などに配慮する必要はないんだね)、清兵衛の「そうです
か」の面白さなど装飾過剰気味の最近の『井戸の茶碗』にない愉しさがあるのは流
石。

★遊吉師匠『肥瓶』

「ニニニニィ」には笑った。瀬戸物屋から兄貴分が台所へ瓶を見に来るまでだが、真
に軽快で、くすぐりに門を付けたりなぞったりしない爽快な愉しさである。

★鯉昇師匠『千早振る・モンゴル編』

「井戸届け」というサゲは初耳かな。進化を追求し続けるから、細部の変化まではよ
く分からないが、隠居の怪しい可笑しさは素晴らしい。

◆8月17日 上野鈴本演芸場夜席「鈴本夏まつり 吉例夏の夜噺 さん喬・権太楼特選会」

甚語楼(交代出演)『猫と金魚』/紋之助/一朝『壺算』/白酒(交代出演)『新版三十石』/市馬『蟇の油』/ロケット団/馬石『四段目』/喬太郎『ぽんこん』//~仲入り~//仙三郎社中/権太楼(交互出演)『青菜』/正楽/さん喬(交互主任)『鴻池の犬』

★権太楼師匠『青菜』

誇張はされているけれど、全体のトーンを今夜は跳ねさせなかった。従って、爆笑の
中から目白の師匠の本筋からズレていない構成が見えてきやすかった。植木屋が旦那
の真似がしたくてしたくて仕方なく、それが思った通りに上手く行くと嬉しくて仕方
なく、顔が綻んでしまう!という人間の可愛さが権太楼師にピッタリで愉しい。建具
屋の友達が、その様子に呆れて心配したり怒ったりし乍ら、ちゃんと職人同士の友達
であるのも楽しく、かみさんも目白のおかみさんみたいで、単なる怖いオバチャンで
はないのが結構結構(目白一門の「長屋のかみさん」は、目白のおかみさんの影響が
強い、というか、典型的なベストモデルだもんなァ)。権太楼師は歌手で言うと、日
本では珍しい「Happy Song Singer」なんだね。

★馬石師匠『四段目』

正蔵師の演出が元だと思うけれども(遊雀師かも?)、定吉の可愛さのタイプが、正
蔵師より、もっと愛玩動物的に可愛いので、「芝居にかまけて遊んでいた自業自得」
の可笑しさが飛んでしまうのはちと気になった。

★さん喬師匠『鴻池の犬』

深川で公演された「思うままに」の会の時より道中が少し短いが、お蔭詣りの犬と連
れ立っての旅が『スケアクロウ』を思わせる点に変わりはない。終盤、上方の犬たち
が兄弟再会を前に、ソッと去って行く気遣いが嬉しい。枝雀師の可哀想で可哀想で涙
が止まらなかった『鴻池の犬』とは明らかに感触が違う。まだ、それに当たるセリフ
はないけれど、彦六師匠の『旅の里扶持』の終盤ででお正が言う「おじさん、とうと
う会えました」のひと言に近い感覚が、兄弟再会に漂ってきた印象。時間でなく、空
間を隔てた再会だが、感激は近い。

※枝雀師とさん喬師が全く違う「涙」を与えたこの噺、白鳥師が独自の「下から視
線」で演じたら(改作したら)、どうなるんだろう?と感じた。

★一朝師匠『壺算』

 一朝師より先に「一朝懸命!」と声を掛けた馬鹿客がいたのでリズムが狂い掛かっ
たけれど、そこから非常に丁寧な演じ方をして見事な高座になった。買い物を頼む男
が兄貴分に言うセリフ、兄貴分の応えるセリフ、瀬戸物屋のセリフと、くすぐり無し
でも、会話だけで三人の可笑しさか出て来る。こういう演り方で見事に面白い『壺
算』というのは、かつて東西の誰からも聞いた事がない。基本的に人物の腹が全く違
うんだなァ。

 ※今夜は「お盆は終わった」という雰囲気で、完売満員で立ち見もかなり出ていた
にも関わらず、場内の雰囲気は15日と全く違って落ち着いており、「普通の寄席」
の感じだった。一朝師は客に邪魔されたものの、そこから一転して、配慮された丁寧
な高座に仕上げ、続く白酒師は「今夜は普通だ」の把握が非常に早かったらしく、
『新版三十石』で雰囲気をより一艘安定させた。市馬師の『蟇の油』~馬石師『四段
目』~喬太郎師『ぽんこん』~仙三郎社中~権太楼師『青菜』~正楽師~さん喬師
『鴻池の犬』までの落ち着いた流れは、一朝師の馬鹿客に煽られない冷静さと白酒師
の頭の良さが作ったものだ。

◆8月18日 第一回枝光・歌武蔵二人会(なかの芸能小劇場)

けい木『やかん』/歌武蔵『馬のす』/枝光『骨釣り』//~仲入り~//枝光『紙入れ』/歌武蔵『唐茄子屋政談』

★歌武蔵師匠『唐茄子屋政談』

通しではあるけれど少し短めの寄席尺。唐茄子を売ってくれる男、「かぼちゃ」と怒
鳴られて怒る代わりに「唐茄子屋でございってんだ」と売り声を教えてくれる男と登
場人物それぞれに、然り気無く意味を持たせてある演出が心憎い。「唐茄子は要らな
い」といった男が重さや密度を計って選るシーンが具体的にあるのは初めて見たが、
歌武蔵師だと如何にもとぼけた味わいがあって愉しい。徳を送り出す伯父さんの声に
も既に涙があるなど、情に篤い人物ばかりの割に噺全体が決してジトジトしないのも
持ち味だろう。誓願寺店の(「今戸辺り」は間違い?)おかみさんと子供も泣きに堕ち
ないのが良い。再び誓願寺店に現れた徳が、灯の消えた戸を涙顔でガンガン叩くのも
気持ちの分かる仕種である。誓願寺店の隣人が男なのは、お婆さんが得意な唄武蔵師
としては珍しい。細部に粗さもあるけれど、練れば間違いなく得意ネタになる演目。

★歌武蔵師匠『馬のす』

中身の世間話は『支度部屋外伝』の最近ヴァージョン(笑)。馬の尻尾を抜くまでにも
味のある可笑しさがあって面白い。馬方が似合うから『馬の田楽』が聞きたくなる
ね。

★枝光師匠『骨釣り』

米朝師くらいでしか生で聞いた事はないけれど、噺の合間に変な間が空くのでリズム
に乗れなかった。また、テープでハメモのを入れるのは甚だ感興を削がれる。米朝師
がかつて東京の寄席定席に出演した時のように、ハメモのの入からない噺を演れば良
いだけだろう。

★枝光師匠『紙入れ』

新吉には家元型の影響が感じられたが、かみさんに上方風にペタペタして色気のある
所が面白い。亭主はハッキリ、「その最中」に帰ってくる。かみさんの色情狂的に変
なとこが独特。このかみさんが「若くも、綺麗でもない」と亭主がハッキリ言う演出
は初めて聞いた。

◆8月18日 道楽亭出張寄席「あやめ30周年!桂あやめ東京独演会(牛込箪笥区
民ホール)

三四郎『世間の車窓から』/あやめ『妙齢女史のビミョーなところ』/染雀『音曲風呂~豊竹屋』/あやめ『線香の立切れ』//~仲入り~//喬太郎『極道のつる』/姉様キングス

★あやめ師匠『線香の立切れ』

てっきり「小糸編」かと思いきや、普通の『立切れ』だった。勿論、文枝師型が元だ
ろうが、派手に感じるのは兎も角、品が悪く聞こえたのは気になった。落とし噺の要
素が強いとも言えるけれど、若旦那に若旦那らしさが乏しい。蔵住まい百日目の番頭
との遣り取りなど、大店の若旦那らしい「おんぼり」したとこがからっきしない。終
盤の「生涯女房というものは持たん」というセリフもまだそぐわない。セリフ自体は
男の一時的な方便だとしても、一応、この場では本気に見えないとまずかろう。番頭
も「大番頭」の貫禄を感じない。『百年目』と『線香の立切れ』の番頭は貫禄がない
と噺の世界が小さくなってしまう。小糸の母である女将は気丈さは感じるけれど、扇
橋師の「娘を亡くした親の悲しみ」とか、茶楽師の「笑顔に辛さを隠し通す色街の意
気地」といった「人物の味付け」がまだ感じられない。また、小糸や朋輩の芸妓仲間
の品の悪さは驚くばかり。単なる「浪花のねえちゃん」である。文枝師の『立切れ』
で、小糸の朋輩が入って来た時の艶と華やぎ、「お化粧めちゃめちゃ」の明るい悲し
みの効果、「あの人殺し!」の可笑しさ(この、後の悲しみを引き立てる上方演出に
東京の『立切れ』はまだまだかなわないでいる)と、文枝師の『立切れ』の良さが殆
ど外れており、代りになるものもないのに驚く。ある意味で、まだ試演レベルなのだ
ろうだけれど、「女性が女性を演じるとシビアになるだけ」というありがちなマイナ
ス要素が前に出てしまった感があり、上方ならではの人情噺『線香の立切れ』の世界
が成り立っているとは思えなかった。また、下座がえりさんだったようだが、30周
年ならば、上方の下座さんを連れて来なきゃ嘘だろう。

★あやめ師匠『妙齢女子のビミョーなところ』

「魂の叫び三部作」とは良く言ったものである。わかぎえふさんの名著『秘密の花
園』(この本は女性の書いた下ネタエッセイとして大傑作だと思う)の「アラ更年期
版」というべきか(女性同士って年齢に関係なく、男同士だと恥ずかしくて出来ない
ような「家庭内暴露風下ネタ話」を平気でしてるんだよね)。40代女性三人と娘世
代二人の井戸端会議に爆笑しながらも、料理教室をしている設定の一人が『立切れ』
の小糸より品が良いのには感心した。

★染雀師匠『音曲風呂~豊竹屋』

この世代の上方の噺家さんでは「四天王世代の噺家さん」の雰囲気があるのは貴い。
具体的にいうと、先代文我師に色気が加味されたような味わいがある。その割に噺そ
のものは魅力に乏しい。今回の噺の流れは正雀師譲りか。耳に馴染んだ圓生師と比べ
ると義太夫の節も音も歪んで聞こえる(正雀師には似ている)。それと、胴八があんな
に体を動かしてエア三味線をする必要があるかな。

★喬太郎師匠『極道のつる』

御当人が高座で言っていた通り、行儀良く演じている上野鈴本夜席の仲入りでは出来
ないテンションで大発散していた、という雰囲気。

★姉様キングス

最後に「阿呆陀羅経」を演ったけれど、こんなに節(メロディ)の無い唄だっったか
な?百生師の『天王寺詣』の最後に出て来る乞食坊主の唄う阿呆陀羅経やCDで残っ
ている音曲漫才の阿呆陀羅経(レコードだったかな)、宝塚歌劇団花組が芝居の中で
取り入れていた『阿陀羅経』でも「仏説、阿呆陀羅経!」から、もっとメロディが
あったと記憶している。姐様キングスのは言葉の意味中心である辺り、違う系統の阿
呆陀羅経なのだろうか。それもだが、今夜の姉様キングスの唄はどれも、耳馴染みの
ある東京の小菊師の唄に比べると、メロディの愉しさを余り感じなかった。基本的に
「余興」だろうから仕方ないけれど、内海英華師を初めて聞いた時も思ったように、
女性の音曲芸としては、人形・お鯉さんみたいな愉しさや巧さ(音の良さ)は感じな
かった。上方の「音曲芸」って、もっと面白くなかったっけ?宮川左近ショーは勿
論、東洋朝日丸・日出丸師匠の浪曲漫才とか、男性の音曲演芸では面白いのを結構聞
けたんだけれど(実を言うと、吾妻ひな子師もピンの高座に関しては余り面白いと
思った事がない)。

◆8月19日 ZEROから始めよう2012プロジェクト春風亭一之輔真打昇進披
露興行(なかのZERO小ホール)

朝也『新聞記事』/三之助『堀の内』/小三治『一眼国』//~仲入り~/春風亭一之輔真打昇進披露口上(小三治・一朝・一之輔)/一朝『一分茶番』/一之輔『青菜』

★一之輔師匠『青菜』

爆笑は変わらないけれども、植木屋が旦那の真似にひたすら集中した揚げ句、建具屋
相手にキレるから、計画着々進行を嬉しがる件が無い。そのため「青菜をおあがり
か?」「嫌いだよ」でトッとは受けないのは勿体ない。そこで一度笑いが下がるか
ら、たがめのかみさんの登場から盛り上げ直しになるんだね。

★一朝師匠『一分茶番』

序盤の田舎芝居、「オスだんべ」をカットして番頭と権助の遣り取りから。気合いの
入った高座で、携帯で二度も邪魔されたが、歯牙にもかけず。権助がひたすら物知ら
ずの傍若無人ぶりで番頭さんや奴役の提灯屋をジレさせるのが面白い。最後に縛られ
た形から権助が手を出す仕種も、他の演者と違い、動きのキレの良さで受ける辺りが
一朝師ならでは。

★小三治師匠『一眼国』

全体のトーンが遥かに明るくなったのに驚く。彦六師的に不気味中心でなく、親方と
六部が世間話をしていた結果、一つ眼の話が出て親方がノコノコ出掛ける、という雰
囲気。「ひと足踏み出す度に暗く…なった!またひと足…なった!ひと足…どんどん
暗くるね」の繰り返しが馬鹿に可笑しい。役人も『鹿政談』の笠智衆モデル系のフワ
フワした役人で、「怪異譚」ではなく「奇妙なファンタジー落語」の愉しさがある点
では、これまでに誰からも聞いた事の無い『一眼国』である。何か、70代に至っ
て、噺家として絶好調になってきた感じの小三治師ではある。

◆8月19日 上野鈴本演芸場夜席「鈴本夏まつり 吉例夏の夜噺 さん喬・権太楼特選会」

左龍(交代出演)『お菊の皿』/紋之助/一朝『湯屋番』/百栄(交代出演)『露出さん』/市馬『雑俳』/ロケット団/馬石『王子の狐』/喬太郎『お~い、中村くん~オトミ酸』//~仲入り~//仙三郎社中/権太楼(交互出演)『大工調べ』/正楽/さん喬(交互主任)『妾馬』

★権太楼師匠『大工調べ(上)』

棟梁が啖呵を切る所から展開が高揚してグッと面白くなった。前半は与太郎のモゴモ
ゴした感じは面白いのだけれど、棟梁と大家の遣り取りに、権太楼師らしいメリハリ
が付きすぎて、空気が割と最初から険悪であり、言い争いを端から見ている面白さに
乏しい。啖呵を切った棟梁が振り返ると与太郎がおらず、棟梁の見幕に驚いて大家の
かみさんの隣に座ってた・・というのは笑った笑った。啖呵では「(指差し乍ら)そこ
にいる婆は六兵衛のかみさんじゃねえか」の辺りが仕種もセリフも明確で面白い。

★一朝師匠『湯屋番』

先代柳朝師の型かと思うが、先代圓遊師から文朝師へ伝わっていた演出とも似たとこ
ろがある。若旦那の妄想に出てくる妾が語尾の一寸した変え方などで見事に色っぽく
なるのには驚いた。『湯屋番』の妾の場合、ゴロニャア口調の色気は良く聞くのだけ
れど、普通の口調でいながら、仇で歪みの無い(しかも全く押し付けがましさの無い)
色気なんて表現は初めて聞いた。レベルが違うのだ。

★さん喬師匠『妾馬』

「跡を継ぐのは大変な事だ」という話をマクラに本題へ入るのは初めて聞いた。御屋
敷の庭に咲いているのは夏らしく水蓮。おふくろの話に三大夫が貰い泣きする件はな
く、赤ん坊の可愛さに八五郎が感激して嬉しくなり唄いだすのは近年の演出通り。大
家や三大夫さんのリアクションの丁寧さなど、やはり優れた出来である。

◆8月20日 らくご@座・紀伊国屋2012夏休みスペシャル「白鳥 三三両極端
の会vol.5」(紀伊国屋ホール)

白鳥・三三「御挨拶」/白鳥『隣の町は戦場だった』//~仲間入り~/三三/『殿様の海』

★白鳥師匠『隣の町は戦場だった』

私には2011年の「Wホワイト」で聞いて以来の演目。頻繁に聞くネタではないか
ら前回の細部を忘れているけれど、前半のダレを余り感じなかった辺り、かなり手を
加えてあるとは思う。その前半、新潟の片田舎で生まれ育った暴走族高校生が進路相
談の場でボヤく件は完全に後半の仕込みになっているのだが、下から視線のスネ方が
可笑しい。後半のイラクでの展開となれば。もう爆笑の連続。つまりは先生のこじつ
け講釈を知らずに聞いていた八五郎が「これは歌の訳ですか?!」と驚くようなもの
で、謎解きのような感覚を伴い乍ら、観客は白鳥師が作った「千早振るのこじつけ」
の世界に嵌まっているようなものなのである。こういう、シェルタリング・スカイみ
たいな落語世界を作る事の出来る豪腕は白鳥師くらいだなぁ。そりゃ「700人を泣
かした落語!?チャンチャラ可笑しい」と言ったとしても無理はない。「足立区、荒
川区、イラ区」の馬鹿馬鹿しい可笑しさはセンスの違いを感じさせる。

★三三師匠『殿様の海』

普段だと、端正なだけに却ってシニカルに聞こえがちな三三師の口調が、この噺の展
開の強烈かつ馬鹿馬鹿しいエネルギーに影響されて、本当に可笑しくなるのが凄い。
話術も真っ当に発揮されており、釣竿・殿様・三太夫・船頭・魚鱗堂主人がちゃんと
描き分けてあるから、可笑しさが重層的になる(とはいえ、キャラクター分けがハッ
キリしないのに、爆弾的に可笑しい、という白鳥師の凄さも感じてしまう)。部分的
に三三師らしい、「納得出来ないと話せない説明口調」を感じる所もあるとはいえ、
骨で作った釣竿が口をきき、江戸湾で釣れた大間の本鮪に張っられて殿様を海の中で
引きずり回す、というハチャメチャな展開が勝って、大ドタバタコメディになる。と
同時に「喬太郎師と同じで、三三師も実は現代の口調で落語を話せるんだ」と思わせ
てもくれた。百栄師がモデルの魚鱗堂主人(途中から普通の口調になっちゃうけれど)
がまた馬鹿に可笑しい(陰な、ボヤッとした印象から入るので最初は喜多八師の真似
かと思った)。この演目を三三師が自ら選んだなら、それは噺家とてのセンスを現し
ていると思う。言っちゃなんだが、先日の『乳房榎』よりも、演じた事の持つ意味は
遥かに大きい。

------------------------------------------以上、中席-------------


◆8月21日 池袋演芸場昼席「ほっかほか寄席」

まめ平『六銭小僧』/志ん吉(交互出演)『元犬』/歌奴『新聞記事』/小菊/馬石『粗忽の釘(下)』/小里ん『夏泥』/三三『南瓜屋』//~仲入り~//才紫(交互出演)『たが屋』/木久蔵『権助魚』/小雪(交互出演)/正蔵(交互主任)『七段目』

★三三師匠『南瓜屋』

一見、基本に忠実なようではあるけれども、実は与太郎に的確な喜怒哀楽驚怖のリア
クションが殆どない。南瓜を担いで歩きだしても、本当に暑がっていたり、重たがっ
てないし、「(上を向いてる間に売れてしまい)南瓜が無い!」と言う件で驚きもしな
いのでは与太郎が知覚不全になる。また、市馬師の『南瓜屋』と同じで、普通にして
いる時の表情に魅力がない上、市馬師の与太郎のような「笑顔の魅力」もない。語り
としては巧いのだけれど、まだ面白い『南瓜屋』ではない。

★小里ん師匠『夏泥』

浅草夜主任高座の絶妙さまでは行かなかったけれど(客席のリアクションも浅草ほど
の絶妙さはなかった)非常に良い出来の高座。「なんで俺はこんなうち、入ってき
ちゃったんだろ?!」の泥棒のボヤキが素晴らしい。

★正蔵師匠『七段目』

大分形になってきたとはいえ、芝居掛かりになると、まだ噺が走ってしまう。お軽・
平右衛門の件は、下座のそのさんが弾いている「踊り地」がピタリと合うくらいの早
さでないと芝居らしさが出ない。

★木久蔵師匠『権助魚』

 この出番で、いつもの自己PRのマクラを振って、『権助魚』を演るのならば、こ
の出番に入る意味はない。歌奴師と出番を入れ替わった方が良いと私は思う。

◆8月21日 らくご@座・紀伊国屋2012夏休みスペシャル「喬太郎の古典の風に吹かれて・六」(紀伊国屋ホール)

喬太郎『仏馬』/貞水『おとせ殺し~村井長庵』//~仲入り~//貞水・喬太郎「対談」/喬太郎『粗忽の使者』

★喬太郎師匠『仏馬』

この演目、喬太郎師本人から聞いたのは初めてかな。弁長や珍念よりも百姓次郎兵衛
が最初の登場からファンタジーで面白い。また、馬が何だか訳が分からないでいる、
という件も可笑しい。長閑で馬鹿馬鹿しくて結構な落語である。

★喬太郎師匠『粗忽の使者』

かなり時間的に押していたから大急ぎで、頭の別当と治部衛門の件を演ってから留っ
子の件へ移ったが、三太夫さん自ら尻を抓る件を飛ばし掛かり、慌てて戻ったりもし
た。留っ子の能天気がエキセントリック気味で可笑しいのは前から感じていたけれ
ど、治部右衛門の「どなたでござる?」辺りの度外れた暢気な可笑しさや(袴を捲っ
て尻を出す形が物凄く可愛くて可笑しい)、尻を釘抜きで捻られた際の「ホホッ?」
とか「アッ、そこは初めて」というリアクションの新鮮な愉しさは絶妙である(対談
で、貞水先生が「キャバレーで修羅場を演る時はセリフをバレに代えて演ってた」と
仰られたので、「何でもあり」の気分になれたというべきかも)。

◆8月22日 池袋演芸場昼席「ほっかほか寄席」

緑太『垂乳根』/志ん吉(交互出演)『転失気』/歌奴『お花半七』/馬石『強情灸』/小菊/小里ん『禁酒番屋』/三三『南瓜屋』//~仲入り~//朝也(交互出演)『そば清』/小せん(木久蔵代演)『欠伸指南』/小雪(交互出演)/正蔵(交互主任)『景清』

★三三師匠『南瓜屋』

南瓜を売ってくれる男は良いけれど、与太郎と伯父さんが昨日同様、物足りない。与
太郎が路地を歩いてるのは分かるが、日向を歩いてる感じがしない。

★小里ん師匠『禁酒番屋』

1981年に訊いた記録はあるけれど、それ以降では初めて聞いた演目かもしれな
い。その珍しさの分、流れがまだスムースではないとはいえ、酔った感じを鮮やかに
描き出した「侍の肩の動き」は実に見事なものである。

★正蔵師匠『景清』

定次郎がハッキリと明るくなり、同時に職人らしさも増した分、黒門町以来の「盲人
の悲哀強調」が薄れて、落語らしい『景清』になってきた。「綺麗な月だな」は些か
感情の入り過ぎたキザなセリフに聞こえる所があり、もっと軽く言うか、「月が出て
ら」くらいに止めないと、その後にくる驚きと喜びが引き立たないと感じた。

★歌奴師匠『お花半七』

柄にないお花が面白く、後半が愉しいのは頼もしい。

★小せん師匠『欠伸指南』

軽味を狙ったが、師範の欠伸が巧くないので、だらしない噺に聞こえちゃった、とい
う印象。

★朝也さん『そば清』

さん喬師匠のコピーとしては既に優秀なものであるが、そろそろ朝也さん自身の持っ
ている面白さを清兵衛さんに出して欲しい。

◆8月22日 東京マンスリー古今亭菊志ん独演会vol.55「十八番作り(7)」(らくごカフェ)

菊志ん『金明竹』/三木男『だくだく』/菊志ん『竃幽霊』//~仲入り~//菊志ん『お初徳兵衛』

★菊志ん師匠『竃幽霊』

古今亭系の噺家さんには珍しい三代目三木助師型。右朝師経由とのこと。刈り込んで
無駄を省いてあるのと、家元風ながら、熊さんや銀ちゃん、幽霊のキャラクターが気
軽なマンガになっているから(圓菊師の芸筋の良さだね)、家元の『竈幽霊』に付きま
とっていた「三木助師の粋に憧れた野暮さ」がなく、馬鹿馬鹿しい愉しさが勝つのは
結構なこと。三木助師型や圓生師型につきまとう「段取り沢山の鬱陶しさ」がないか
ら、磨いて行くと十八番になりうると感じた。

★菊志ん師匠『金明竹』

与太郎が可愛く、おばさんもてんてこ舞いしてる割に、可笑しさがズンと響かないの
は、妙な隙間が遣り取りに混じる癖のせいかな。それと上方弁の使いの男が少し怒り
過ぎる。

★菊志ん師匠『お初徳兵衛』

先代馬生師が作り上げたこの噺の世界は、或る意味、圓朝物より演者を選ぶ。その
点、徳兵衛が船頭になってからが、暗くはないけれども陰影があるってのは強味で、
最初から二枚目芸の馬石師とはかなり違う味わいの『お初徳兵衛』になる(古今亭
系、金原系を見渡しても、馬石師と菊志ん師しかこ先代馬生師型のこの噺が出来てる
人はいないと思っている。他の一門で出来ているのは…小満ん師匠くらいか。雲助師
はお初が可愛くならないのが弱み)。『汐留の蜆売り』が良いのも、二枚目ぶらない
良さからだろう。語り口に歌舞伎的な影響が少ないのも幸いしていると思う。男嫌い
のお初が可愛くなる辺りは先代馬生師のあり方を受け継いでいる。言えば、お初の表
情をもっと意識的に作った方が良い。この噺が出来るという事は先代馬生師の遺した
「切ない若旦那三部作」『白ざつま』『火事息子』も受け継げる、という事だと思
う。

◆8月23日 池袋演芸場昼席「ほっかほか寄席」

扇『しの字嫌い』/小太郎(交互出演)『猫と金魚』/歌奴『手水廻し』/馬石『安兵衛狐』/小菊/小里ん『竃幽霊』/正蔵『松山鏡』//~仲入り~//才紫(交互出演)『欠伸指南』/木久蔵『薬罐舐め』/小雪(交互出演)/三三(交互主任)『不孝者』

★三三師匠『不孝者』

金彌の色気がいつもより少し濃い目加減だったが、旦那の隠している「好色なとこ」
が金彌の言葉に対するリアクションの中で自然と出てくるのが三三師の『不孝者』が
他の及ばない強味なのだな。

★小里ん師匠『竃幽霊』

軽くて可笑しな幽霊と博奕打ちぶらない熊さんの遣り取りがサラッとしているのに、
不思議な人間関係のコクを伴うのが愉しい。若い頃の『竃幽霊』には無かった味わい
である。

★正蔵師匠『松山鏡』

非常にシンプルで長閑な噺の世界に何の抵抗もなく入って楽しめる。ニンにある噺の
典型だろう。

★歌奴師匠『手水廻し』

張りがあって面白い。最後だけ、旦那のセリフが納まるのは惜しい。もっとアタフタ
して良いのでは?

★才紫さん『欠伸指南』

喜多八師型。誰に教わるかで芸が変わってしまう典型を感じた(直接教わったかどう
かは分からないけれど、喜多八師演出の基本は伝わっている)。張り過ぎて噺や面白
さの流れる癖はまだまだ残っているけれども、師範が無言でタップリと間を取り、夏
の欠伸をしてみせる場面はメリハリだけで噺を進める悪癖が消えて、雲助師的な面白
さが出てくるし、表情の大きさも活きる。「舫った船の上で微妙に揺れる動き」がこ
んなに面白く出来たのは偉い。主人公が師範のかみさんの前で気取る件と、かみさん
が目の前にいない場合とで調子に差が感じられないのは、メリハリ病のためだが、
ジックリと馬鹿馬鹿しさを描く話術を喜多八師から学ぶと、古今亭系のメリハリと相
俟って、大きな進境を得られるのではあるまいか。

◆8月23日 喜多八膝栗毛「夏の瞬き」(博品館劇場)

ろべえ『グツグツ』/喜多八『粗忽長屋』/喜多八『青菜』//~仲入り~/初音//喜多八『おきせの口説き』

★喜多八師匠『乳房榎~おきせの口説き』

「梅若の花見」を手短にダイジェストして、竹六と浪江の出会いから、重信が高田砂
利場村南蔵院へ泊りこみで仕事に出るまでを地で語り、浪江・竹六連れだっての留守
宅来訪から会話に戻り、おきせの口説きへ、という流れ。声と語りに色気があるか
ら、浪江の二枚目敵ぶりと口説きが耳立つ。但し、梅若の花見での重信にも色気が
あって二枚目だから、浪江と印象が被る。対比として、重信はもっと普通でありた
い。口説きに関しては喜多八師自身のテレもかなりあるみたいだけれど、大人の芸で
ある点、三三師とは比較にならず、柔らかな色気では雲助師をも凌ぐのではあるまい
か(圓朝物臭くない、硬い野暮さの無い語り口である)。同時に、圓生師的なスタイ
リッシュでもないから、「侍としては、かなりみっともない口説き」だというリアリ
ティも感じられるのは珍しい。けっかとして、「侍とは思えないほど、みっともない
口説き方をしてしまうほど、おきせが美しい」という事が言外に出るのは偉い(圓生
師でもそこまでは感じ無かった)。それだけに「浪江は元より悪人」のセリフが無意
味ではある。おきせに「花は使いに出しますから明日も」と言われ、浪江が「この逢
瀬も重信が戻れば終わるか」と心情的に思い詰めての「重信殺し」という辺り、料簡
の組み立てに隙がなく、また「花は使いに」のおきせのセリフに色気があるから納得
も出来る。そういう「女の怖さ」「魔が差す悪縁」を描ける辺りが「大人の芸」なの
である。

※喬太郎師と喜多八師で「おきせの口説き~重信殺し」のリレーが聞きたくなっ
ちゃった。

★喜多八師匠『粗忽長屋』

熊はまあ普通に熊なのだけれども、気の短い粗忽者がえらくトッポイのに大分違和感
あり。テンションが高いのではなく「変」に見える。小三治師の『粗忽長屋』から離
れようとし過ぎている感じだなァ。今の喜多八師なら御自分のテンションで十分大丈
夫だと思うが。

★喜多八師匠『青菜』

旦那が金持ちというよりインテリに聞こえてしまうのは喜多八師らしいとも言えると
はいえ、旦那の雰囲気としてはインテリが前に出ちゃうのはどうかね。植木屋もトッ
ポイ感じで、かみさんの感じは『町内の若い衆』のかみさんに近い。良いのは友達の
建具屋で「(何度も言われるので諦めてしまい)俺は植木屋だ」「(押し入れから出て
きたかみさんを見て)水を欲しがってるから飲ませてやれ」の可笑しさは筆舌に尽く
しがたい程。同時に「こいつ、大丈夫か?暑さでどうかしちゃったんじゃないか?」
と凄く心配している友情が感じられるのがステキである。

◆8月24日 池袋演芸場昼席「ほっかほか寄席」

まめ平『子褒め』/小太郎(交互出演)『欠伸指南』/歌奴『初天神・団子』/馬石『金明竹(骨皮皆無)』/小菊/小里ん『蜘蛛駕籠』/三三『夏泥』//~仲入り~//朝也(交互出演)『短命』/木久蔵『唖の釣り』/小雪(交互出演)/正蔵(交互主任)『子は鎹』

★三三師匠『夏泥』

序盤は小三治師に雰囲気が凄く似ていた(当たり前だが)。泥棒は終盤、凶状持ち的な
ヤクザっぽさの出るは惜しいが、中盤までは愉しい。「なんでこんなうち入っちゃっ
たんだろう」が受けなかったのはセリフが思わずボヤいたセリフになってないから。
糊代の感情がセリフに付き過ぎてる。大工は泣き落としの入る感じが、職人というよ
りは詐欺師っぽいけれど、それはそれで持ち味。

★馬石師匠『金明竹』

益々「人物造形が巧くて可笑しい金明竹」になってきた。おかみさんの慌てた仕種の
面白いこと。

★小里ん師匠『蜘蛛駕籠』

序盤、茶店主人と駕籠屋の遣り取り、侍と駕籠屋の遣り取りが素晴らしく、中盤、
酔っ払いから踊る男の動きに関して些かメリハリに欠けた。しかし終盤、駕籠の中に
入り込んでいだ二人の前後する動きの面白さ、会話の息の良さは出色。

★正蔵師匠『子は鎹』

話し始めた時は正直、「またかい?!」と思ったが、木場に出掛ける場面から熊が明
るいのにまず驚き、全キャラクターが明るい感じになったのには感心した。こういう
『子は鎹』は誰からも聞いた事がない。人情噺に堕落させ、メソメソ泣きたい客人に
は向かないかもしれないが、熊もお徳も亀も落語国の人物らしさが強まったのは結構
なこと。亀がまだ玄能の件で少し泣くけれど(お徳には今のまま泣かせて良い)、ここ
でも泣かない方が亀の強さと、大人二人の切なさの対比が強まるだろう。また、全体
がこの明るいトーンだと、亀から亭主の変身を聞いた辺りから最後まで、お徳が「優
しい母親」なだけでなく、「いい女」に見えるのにも驚いた。『芝浜』のかみさんの
「今、なんてったの?」に通じる可愛さがある。熊が出会った時に「迎えに行く」と
亀に約束し、鰻屋でお徳に「また一緒になってくれ」と頭を下げるのも、メソついた
孤独感から来る情や男の身勝手な言い訳ではなく、如何にも「職人気質のキッパリし
た人柄」の魅力を感じる。昨日の『松山鏡』にも言えるけれど、こうした明るさ中心
の噺に変わるとと、先代三平師譲りの明るさと、自然に漂うペーソスが活きて、より
骨太な落語になるのは目出度い。「鴬の子は子なりけり三右衛門」

★歌奴師匠『初天神・団子』

明るく骨太で、しかも何か変な親子なのが、聞いていて愉しく感じられる。「落語向
き」の芸質だなァ。団子を亀がなかなか受け取らないので親父が蜜を舐め始める演出
は初めて聞いたが、如何にも親子っぽくて良いね。

★朝也さん『短命』

うちに戻った亭主が鼻血を出してたけど、誰の『短命』が元だろう?「33歳」「女
の厄年だな」の会話がなく、最初の旦那が一年強、二人目の旦那が二年強と亡くなる
までの年数だけ言うので、伊勢屋の娘内儀が年増になり過ぎず、「湯上がりを見た事
がある」のセリフも効いて、伊勢屋の娘の綺麗さを感じる『短命』は珍しい。余程、
「女好き」の噺家さんに稽古して貰ったのか(笑)。植木屋のかみさんにも可愛いとこ
のあるのは後口が良い。先生と植木屋の会話がややメリハリ頼みなのは惜しい。


◆8月25日 第21回三田落語会昼席

市也『金明竹』/白酒『化物遣い』/権太楼『お化け長屋(上)』//~仲入り~//白酒『欠伸指南』/権太楼『鰻の幇間』

★権太楼師匠『鰻の幇間』

一八の終盤の怒りが、権太楼師匠自身が腹に溜まった憤懣を晴らしているような怒り
方になってしまったのは残念。演出的には笑遊師が演じている型の原型だから、普通
に権太楼師が演じれば爆笑の筈なのだが。

★権太楼師匠『お化け長屋(上)』

マクラの不機嫌な感じをそのまんま、噺に入っても引きずってしまい、伝承ホールの
三人会で目白の師匠以来の爆笑ネタだったこの演目が、序盤からカチコチに硬くて、
二人目の借りに来た男も盛り上がらずに終わってしまった。

★白酒師匠『化物遣い』

スイスイ運んで、細部にも目の行き届いた良い出来栄。

★白酒師匠『欠伸指南』

雲助師匠と馬生師匠の演出を折衷したみたいな展開なのだけれど、「茶席の欠伸」な
ど、巧さ可笑しさが光る。

※権太楼師の出演する三田落語会で、こういう変な雰囲気に終始したのは初めてであ
る。一席目のマクラでいきなりボヤかれていた内容も、意味合いとしては分るのだけ
れども。

◆8月25日 第21回三田落語会夜席

さん坊『つる』/市馬『芋俵』/喬太郎『擬宝珠』//~仲入り~//喬太郎『義眼』/市馬『ちりとてちん』

★市馬師匠『芋俵』

泥棒二人の間抜けさと俵に入った与太郎の可笑しさはお見事。それに比べると小僧と
女中の件がイマイチ、夜更けの店先の雰囲気に欠ける印象。

★市馬師匠『ちりとてちん』

六さんがある種の偏屈ではあるけれど、嫌みにはならないところ、それが仕種などで
簡潔に表される辺りは市兎師ならではの魅力だろう。

★喬太郎師匠『擬宝珠』

若旦那の奇癖(現代の感覚では“奇癖”とまでいえないとも感じるが)が妙に共感出
来る雰囲気で描けるのは強いなァ。

★喬太郎『義眼』

三田の話から慶応普通部と日本大学高校の比較話を経て、山手線の駅の印象を半周り
ほど語った話から、当初は『錦の袈裟』に入るのかな?と思ったマクラになったのだ
が、そこから無理矢理『義眼』に入ったような印象である。噺に入ってからも演出が
些か混乱していた。

※昼席とは違う意味で夜席も、何となく雰囲気が変だった。暑さのせいでこちらも昼
夜聞いていて感覚が変だったのかもしれないけれど。

※さん坊さんの演じた『つる』で、『道灌』の序盤と同じ展開から「つる」の話にシ
フトする、という演出は誰から始まったのだろう?最初は『小町』か『道灌』かと
思ったいた。小南師の『つる』や扇橋師の『つる』は、こんな入り方をした事があっ
たかな?勿論、原典の『絵根問』は全く違う入りである。最近、『道灌』『ひと目上
り』『つる』の三演目が同じような入り方になっていると感じるのだが、私だけの勘
違いだろうか。

◆8月26日 小満んおさらい会 其の一(荒木町・橘家)

小満ん『桂文楽の一日』/小満ん『錦の舞衣(一)』//~仲入り~//小満ん『青菜』

※自分が関わる会なので詳細な感想は書かないけれど、『錦の舞衣』で毬信の許御家
人らしさ、宮脇数馬が御高租頭巾で女に化けている件の不思議に妖しい感じは実に印
象的。数馬を芸者小菊と勘違いしたお須賀が焼き餅から毬信に食ってかかる嫉妬が醸
し出す色香の面白さも出色だった。『青菜』は目白の小さん師より硬い調子だが、旦
那の品が良くて、笑わせに掛かるとこなんか無いのに、植木屋夫婦がありありと描か
れているから面白いのなんの。小満ん師の面白さは絶頂期に入りつつある。

◆8月27日 池袋演芸場昼席「ほっかほか寄席」

扇『金明竹』/小太郎(交互出演)『やかん』/歌奴『反対俥』/馬石『元犬』/小菊/小里ん『磯の鮑』/正蔵『巌流島』//~仲入り~//朝也(交互出演)『七段目』/木久蔵『目黒の秋刀魚』/ストレート松浦(交互出演)/三三(交互主任)『締込み』

★三三師匠『締込み』

泥棒が一番普通の人物でかみさんは割と能天気。亭主は焼き餅焼き、というトライア
ングルで、夫婦喧嘩はスラップスティックに展開する。『湯屋番』『お化け長屋
(上)』『妾馬(上)』に共通する「情表現を廃した可笑しさ」の中、亭主にチラッと小
三治師の性格付けが出る辺り、スラップスティックなおやかし方だと落語に近付きや
すいみたい。

★馬石師匠『元犬』

兎に角、シロの造形の面白さは他に類を見ない。

★小里ん師匠『磯の鮑』

前半、与太郎が騙されて先生のとこへ御櫃を背負って女郎買いのコツを教わる辺りが
抜群に可笑しく、実際に店に上がると言い間違いがあったり、噺が走り気味になった
りして面白味が落ちたのは残念。

★正蔵師匠『巌流島』

形良く、老武士と若い侍の様子も真っ当。稍説明セリフが多いのと先代可楽師のギャ
グを急いで言ってしまとたのは惜しい。

★歌奴師匠『反対俥』

最初の俥屋が変に年寄り臭くならず、単にトンマな病人なのが可笑しく、暴走する二
人目の俥屋との違いも出て活気ある高座で愉しい。

★朝也さん『七段目』

動きなども覚えているが、女方を女方らしくしようとグニャグニャ動くのが邪魔。ま
た、「遅なわりしは拙者重々の」のセリフを仁木弾正みたいな敵役科白の口調で喋っ
ているのは変だろう。今日はツケ打ちが素晴らしく、噺がツケに敵わなかった。

◆8月27日 鯉昇・喬太郎ふたり会『古典こもり(その7)』(渋谷区文化総合センター大和田さくらホール)

※この会場は落語向きではないのが良く分かる。ここで聞いて面白かったのは権太楼
師くらいである。講演会かセミナー用ホールだね。

鯉和『子褒め』/鯉昇『持参金』/喬太郎『初天神』//~仲入り~//喬太郎『饅頭怖い』/鯉昇『竃幽霊』

★鯉昇師匠『持参金』

面白いけれども、三田落語会の時のように、甚兵衛さんがお鍋を紹介するのに欠点を
ごまかそうと四苦八苦する演出ではなかったので些か物足りない。マクラの柳昇師が
仕切った鯉昇師の結納の話の方が、はるかに隠居が彌次郎の話を聞いているような
「暇つぶしの世間話の愉しさ」があった。

★鯉昇師匠『竃幽霊』

熊さんが紙を落として若旦那に貰う件を省いたが、何の不足も感じなかった。あの
件、必要ないんだな。幽霊のキャラクターや熊さんに座らされる行動は面白いんだけ
ど、熊さんと若旦那に面白いとこが足りず、ズーッとストーリー説明を聞いてるみた
いだったので、落語としては物足りないまんま。

※熊さんが竃をわざわざ自宅に運ばせる必要もあるのかな?若旦那の家で待てば良い
だけに感じた。柳家・古今亭系の『竃幽霊』に比べ、三木助・圓生系の展開は肝心の
「幽霊と博打をする馬鹿馬鹿しさ」までに無駄が多すぎる。上方的にギャグ沢山にす
れば、また違うのかもしれないけれど。

★喬太郎師匠『初天神・飴~団子~凧』

親父が「上げてこか?」といって、親子で凧を上げにかかってからが殊の他良かっ
た。というか、「上げてこか?」のひと言がステキだった。落語に出て来る親子の中
で『初天神』の凧上げの場面の親子が私は一番好きかもしんない。小三治師の『三人
ばなし』での初演を聞いた印象のおかげだけれどもね。それまで『初天神』って好き
な噺じゃなかったんだもん。

★喬太郎師匠『饅頭怖い』

 「先頭の蟻と蟻が話をするのが不気味で」という件や(今更乍ら、この件を思いつ
いた噺家さんは天才だったんだなと感じてしまう)、目を輝かせて饅頭を六さんが食
いだす場面は凄く面白い。その代り、序盤のワイワイガヤガヤで特に友情や友達関係
を感じる作りではないので、聞いててダレ加減になる。「死んじゃってもいいんじゃ
ない?」というスタンスを軸に、登場人物の関係性を「嫌な奴を懲らしめようとした
ら、逆に騙されちゃった」という「詐欺噺」に作り直しても良いんじゃないかな。

 ※完全なパロディではあるけれど、「お互いに嫌いな噺家さんとその理由(「怖い
師匠」などを上げる)事にすると前座さんの楽屋話になるね。そういう風に「.苦手
な噺家さん(芸人さん)の名前を言い合う」という噺があったら笑うよなァ。噺家さ
んの中にも「嫌いな噺家」をハッキリと高座で口に出す師匠、結構いるから。

◆8月28日 池袋演芸場昼席「ほっかほか寄席」

緑太『小町~道灌』/志ん吉(交互出演)『熊の皮』/歌奴『棒鱈』/馬石『王子の狐』/小菊/小里ん『提燈屋』/三三『五目講釈』//~仲入り~//朝也(交互出演)『武助馬』/木久蔵『薬罐舐め』/ストレート松浦(交互出演)/正蔵(交互主任)『悋気の独楽』

※こういう、「特に山の掛かる高座のない、平坦だけど暢気に愉しい寄席」というの
も悪くない。

※とはいえ、東京の『悋気の独楽』は主任でも聞く演目だが、五代目桂文枝師匠が演
じていらしたような、主任ネタとしての尺や克明さの或る『悋気の独楽』も誰か一人
くらいは必要なのではないだろうか。「誰が演っても受ける」という意味では、前座
噺並に良くまとめてある噺だが、この噺を十八番にしていた桂文朝師が亡くなって以
降、本当に得意にしている噺家さんが東京にいるとは思えない。たとえば、『垂乳
根』や『金明竹』と比べても、「ある程度のレベル」で止まってしまった高座ばかり
で、「図抜けている」と思わせる高座がないのである。

◆8月28日 第288回県民ホール寄席『立川生志独演会』(神奈川県民センター
小ホール)

春樹『六銭小僧』/志の八『青菜』/生志『反対俥』//~仲入り~//『』/生志『地獄八景亡者戯2012版』

★生志師匠『地獄八景亡者戯2012版』

90分強はあったろう。三途の川を越えてからの観光案内所で観光場所や興行街の話
を尋ねる件に「AKB49日」など、ふんだんに時事ネタが入っているが、個人的に
は三途の川の渡船に乗っていた亡者たちが、ロケットに乗って天に昇って行くアーム
ストロング船長を見送る件が、以前の「三途の川を泳いで渡る古橋広之進」同様に私
は好きだ。「鎮魂のロマンティシズム」とでもいうのかな。ギャグセンスは終始優れ
ているが、やや「入れすぎ」の観ありで、特に観光案内所で喋りっぱなしになるのは
勿体ない。時事ネタの遣り取りにも囃子を入れるとか、例えば故人の噺家さんの話題
になったら出囃子を鳴らすとか、もっと「鳴り物沢山の噺」である方が本来の「超大
型旅ネタ」の要素が出るのではないだろうか。喋りっ話しになるのは枝雀師の『地
獄』などに近いが、枝雀師の方がもっと鳴り物観は強い。言葉のギャグ対応がの凄く
連続するので観客として些か疲れて中ダルミする。反対に、初演の際の軽業師の件同
様、今回も「閻魔の出行」「地獄の責苦脱出」「人呑鬼」等の件で見せる古風な可笑
しさ、動きの面白さには米朝師を凌ぐ魅力がある。特に人呑鬼が亡者に悪戯されて、
えずき乍ら嚔をして腹痛を起こし乍ら屁をこく場面の見た目に抜群の長閑な可笑しさ
は傑出している。

※談志家元の登場場面はもっとインパクトがあるかと思っていたが普通。「地獄のテ
レビ界で『笑点メンバー』が待っている」のも可笑しいけれども、どうせなら、待ち
受けていた五代目小さん師と早速親子会をした、なんてのが聞きたかったな。

★生志師匠『反対俥』

この噺、エネルギッシュで可笑しい人は幾らでもいるけれど、今夜の生志師のよう
に、軽快で愉しい高座というのは意外と珍しい。

◆8月29日 池袋演芸場昼席「ほっかほか寄席」

小菊/小里ん『碁泥』/正蔵『七段目』//~仲入り~//才紫(交互出演)『臆病源兵衛』/歌奴『佐野山』/ストレート松浦(交互出演)/三三(交互主任)『殿様の海』

★三三師匠『殿様の海』

この噺を寄席で演ってくれる日(そういう意識を持つ日)を待っていた!白鳥師らし
い、前フリした伏線を全部拾って行く、段どりの多い噺だが、兎に角、釣名人の骨で
作った釣竿と殿様が海の中で大間の鮪と格闘する無茶苦茶な可笑しさを的確に描き出
す落語話術の良さがあり、鮪の背に乗って殿様が帰還する場面には、白鳥師らしいポ
エジーを香辛料に添えた、客席大喜びの馬っ鹿馬鹿しい愉しさがある。噺に差別な
く、分別臭くなく観客を楽しませる事を三三師が体で知れば、小三治師離れも出来
で、「自分の落語」が語れるようになるのではあるまいか。こうなると『任侠流山動
物園』が寄席で聞きたくなる!

★才紫さん『臆病源兵衛』

『武助馬』『欠伸指南』(これは喜多八師型だが)にも感じていたけれど、何処かで
雲助師のコピーみたいな面が付きまとうのである(雲助師が『武助馬』を演るかどう
かは知らない)。顔立ちの相似は良いが、高座に出てくる歩き方、御辞儀の仕方、声
の出し方と余りにも雲助師っぽくて(つまり外側だけ似てて精神は伝わってない)、オ
リジナリティを感じない。コピーに見えるのが優れた噺家さんだから聞いていられる
が、直弟子なら兎も角、「プロの芸」としては聞いていて些か恥ずかしくなる。もし
も、御本人の意思で「そこまで似たい」のかなァ?


◆8月30日 池袋演芸場昼席「ほっかほか寄席」

まめ平『六銭小僧』/小太郎(交互出演)『鷺取り』/歌奴『胴乱の幸助(上)』/馬石『鮑熨斗(中)』/小菊/小里ん『棒鱈』/三三『二十四孝』//~仲入り~/才紫(交互出演)『武助馬』/木久蔵『権助魚』/ストレート松浦(交互出演)/正蔵(交互主任)『夢の酒』

★三三師匠『二十四孝』

八五郎が能天気なキャラクターで面白い割に、大家の言ってる事を面白がって聞いて
はいないのや、悪戯小僧みたいに突っ込んでいないのね分かってしまう。「目白の小
さん師はこのセリフを言いながら面白そうに笑ってたな」という件が幾つかある。一
朝師の噺にある「面白がり」の雰囲気が筋の無い噺には大切なんだろうな。

★小里ん師匠『棒鱈』

この噺では珍しく少しトチっていたが、表情などは非常に丁寧で、気合いの入ったリ
アクションの面白さ十分の高座。

★歌奴師匠『胴乱の幸助(上)』

この明るい愉しさは得難い。噺が手に入って人物が活き活きしてる。小南師より面白
いかもしれない。後半をまだ聞く機会のないのが悔しい。

★正蔵師匠『夢の酒』

夜の『落語研究会』用のお浚いか。お花がポッチャリ系オブスなんだけど可愛く見え
る、という辺り、黒門町型にこだわらず、正蔵師の世界になってきた。親旦那がちゃ
んと文句を言うつもりで向島に行きながら、「酒」と聞いてだらしなくなる変化も段
取りにならずに出ている。半面、燗を待つ途中から親旦那が若くなってしまう欠陥も
ある。若旦那は寝起きの辺りが『ハンカチ』の亭主じみて、新作っぽくなってしまっ
た。若旦那の妄想としての「夢の女」にも憧れなどから来る色気が欲しい。

★小太郎さん『鷺取り』

ほぼ枝雀師型演出だけれど、主人公の「まともじゃない人」の可笑しさが奇妙に似合
うのは、確かに枝雀師以来ではあるまいか(技術や演出は別よ)。馬石師の「動物ネ
タ」的な「独自の個性との一致」が喜六系キャラクターにはある。『ちしゃ医者』等
も聞いてみたくなる。

◆8月30日 落語協会特選会第51回三遊亭金兵衛の会(池袋演芸場)

いっぽん『桃太郎』/山緑『徂徠豆腐』/金兵衛『江島屋~藤ヶ谷新田老婆の呪い』//~仲入り~//れ紋/金兵衛『大山詣』

★金兵衛さん『江島屋・~藤ヶ谷新田老婆の呪い』

ほぼ原作に近い抜き読みか(私の聞いた範囲では蝠丸師匠に近い演出)。御当人も仲入
り後に語っていたが、「普段と違う声」を使っていたためか、調子が後半バラけた。
声の強弱、特に迫力は呪いで片袖を千切る件や火鉢を火箸で突く件に良く出ていた
が、稍脅かしの強弱に傾き過ぎて、怖さそのものは余り出ていなかった。江島屋主人
の悪党声は似合う。一方、番頭は些か五月蝿い。全体には試演段階かな。

★金兵衛さん『大山詣』

時間が押しまくっていたのでマクラから35分弱。本題は20分台だから、かなり端
折ったと思う。冒頭、「町内に残れ」と言われて熊さんが畳を叩くから古今亭型か。
序盤の出来はイマイチだったが、熊の髪を剃る辺りから面白くなった。喜怒哀楽驚怖
の簡潔な表現やリアクションの的確さ、台詞の狙いの的確さが整っているので自然と
リズムが生まれ、人物造型も芝居になり過ぎずに良い。熊のキャラクターにもう少し
個性が欲しいかな。声柄からクサ目に聞こえる所もあるけれど(急ぎ加減だったから
熊の物語も締めない)、浮足立つかみさん連中を熊が押し止める件など、仕種全体に
キレがあるのは見事で笑いの起き方に無理がない。旅帰りの二人が「なんか町内が陰
気じゃねえか」「どっかから念仏が聞こえてくるぜ」と遣り取りする辺りも雰囲気が
出ていて感心した。中盤以降は立派な真打芸。

◆8月31日 池袋演芸場余一会昼の部「柳家喬太郎独演会」(池袋演芸場)

朝呂久『芝居の喧嘩』/喬太郎『鸚鵡の徳利』/粋歌『銀座ナマハゲ娘』/喬太郎『牡丹燈篭~栗橋宿』//~仲入り~//喬太郎『肥辰一代記』

★喬太郎師匠『鸚鵡の徳利』

この噺、誰かから昔、聞かなかったかなァ。喬太郎師では初耳の演目。前の『芝居の
喧嘩』をマクラにして、直ぐ一八と旦那の会話に入った辺りは巧い高座構成。歌舞伎
を良くは知らないためか、『仮名手本忠臣蔵』の中身があやふやなのは御愛嬌。

★喬太郎師匠『栗橋宿』

どちらかと言えば、小満ん師の人情噺に近く、更に加えると小満ん師より「ドラ
マ」っぽい。歌舞伎の世話物は勿論、「杉村春子風の新劇的な枠組みを意識しない芝
居」という雰囲気が会話の呼吸にあるのが特徴。歌舞伎的でない分、お峰・伴蔵の
「魔の差し方」が明瞭になる。それだけに伴蔵で声を張りながら絞るのは違和感あ
り。もっと普通の虚仮脅かしの感じで良いのでは?「古典味」には乏しいのかもしれ
ないけれど、どこかで「喬太郎落語は同時代人」という、シェイクスピア作品に感じ
るような、形而下のリアリティという部分がある(これはさん喬師譲りだろう)。

★喬太郎師匠『肥辰一代記』

逢い引き場面に下座で『ある愛の詩』が入る(勿論、えり師匠)という珍無類の遊びが
あるけれど、『栗橋宿』の次に『肥辰』を演って何の違和感もないのが喬太郎師の凄
さだ。無茶苦茶に汚い言葉を羅列しているようで、実は『肥辰』の雰囲気(運び方・
語り口)が端正なのである。

※この噺、無理矢理にでも三三師に稽古を付けて欲しいなァ。

★粋歌さん『銀座ナマハゲ娘』

喬太郎師が「楽屋でネタ帳を見ていたら、“銀座ナマハゲ娘”という題名を読んで
“久しぶりに大馬鹿者が出て来てな”と思って出演を頼みました」と語っていたが、
確かに白鳥師の作品並に滅茶苦茶なんだれれど、粋歌さんの雰囲気が作品にリアリ
ティを持たせてしまう。『Woman‘s落語会』で白鳥作品を演じる時もそうだけ
れど、ある意味、あやめ師に近い感覚を粋歌さんにも感じるのである(前座時代、古
典を演ってる時は全然感じなかった)。会話の発声にまだ「上ずる」という問題はか
なりあるが、展開の馬鹿馬鹿しさが素直に伝わってきて面白い。特に「ハリー・ウィ
ンストン」と「ナマハゲ」のギャップは堪らなく可笑しい。

◆8月31日 池袋演芸場余一会夜の部「噺坂その七」

緑太『やかん』/左龍『花筏』/菊之丞『井戸の茶碗』//~仲間入り~//甚語楼『町内の若い衆』/三三『万金丹』

★三三師匠『万金丹』

噺の足取りが早いため、序盤から中盤、「旅の噺らしさ」に乏しく、山中の(村外れ
というべきか)古寺の雰囲気も感じない。視線が上下しないから、寺の門や本堂を見
上げる感じがしないのだね(良い『蒟蒻問答』には択善の見返る門が感じられる)。初
五郎、梅五郎のキャラクターは能天気で軽く愉しく、三下臭さもないのは結構だけれ
ど、帰る場所のない旅をするような、やけっぱちの感じが殆どしないため、檀家が葬
礼を頼みに来るまでは噺が動かない。「絞め殺す方にまとまりましたが」のセリフな
どはあった方が良いのでは?今のまんまだと普通の八熊噺と余り変わりがない。寺の
池の鯉を食っちゃうような罰当たりな二人なんだからさ。

★左龍師匠『花筏』

「行司は花筏が提燈屋だと承知してますから」は穴を拾った感あり。提燈屋が土俵上
の段取りにまごついて、土俵下の親方に訊いているのを千鳥ヶ浜が見て「素人相手だ
と思って馬鹿にしている」と一度は猛るのも納得あり。それが提燈屋の念仏を聞い
て、反発的に大きく落ち込みのも面白い。前半から中盤、地が多くなりがちな所、勧
進元と親方の会話にして、提燈屋がそれを聞く流れにするなど、噺の流れ、キャラク
ター造形に無理がなく、自然に楽しめる結構な出来栄え。

★甚語楼師匠『町内の若い衆』

かみさんの「荒くれ者みたいなキャラクター」(文左衛門師が女になったみたいであ
る)以上に、「起きてから動いてないから埃の上に足跡がない」というセリフや、か
みさんを怖れて呪いをして入って来る友達など、細部に馬鹿馬鹿しい可笑しさが工夫
され、権太楼師演出とは全く違う印象で面白い。

★菊之丞師匠『井戸の茶碗』

早口のマイナス面が大きく、高木作左衛門も千代田卜斎もズーッと怒り口調、叱り口
調なのは如何にも安易。二人のキャラクターに差異が感じられない。受けてはいたけ
れど「誰が演っても受ける噺ほど、誰が演っても図抜けた出来になりにくい」の見本
みたいに感じた。一朝師やさん喬師、権太楼師は偉いや。


----------------------------------------以上、下席------------------


石井徹也 (落語”道落者”)

投稿者 落語 : 2012年09月01日 12:06