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2009年04月12日

気になる噺 ~『三味線栗毛』~

旧くからの噺、新作合わせて1000を軽く超えるであろう落語。
その中で、どうしても気になる噺、その噺が演じられるとなると、何とか時間を都合して聞きに行こうとする噺が幾つかあります。
どうして、そんなにその噺を聞きたいか?といえば、実は「納得出来る演出で聞いた事がない噺」だから。
その一つが『三味線栗毛』。下記のようなストーリーの噺です。

■父親の大名・酒井雅楽頭(ウタノカミ)に疎まれ、下屋敷で家臣同然の暮らしをしている次男坊の酒井角三郎。
彼の下へ療治に呼ばれたのか按摩の錦木。何度か療治に訪れているうちに、角三郎の良き話相手となりますが、その錦木が「あなたは、侍なら大名になると学者から聞いた骨格をしていらっしゃいますが、殿様の御身内ですか?御家中ですか?」と訊きます。角三郎は「家中だ」と嘘をついたものの、「もし、自分が大名になるような事が起きたら、錦木を検校に取り立ててやろう」と約束します。

それから間もなく、錦木は風邪をこじらせ、生死の境をさまようほど長く寝込んでしまい、療治に出られなくなります。
何とか病から立ち直った日、同じ長屋の住人が錦木にこう告げます。
「酒井の御礼殿様が隠居。ご長男が病弱なので、御殿様は御姫様に養子を迎えて跡継ぎにしようとしたが、御親戚一同が“角三郎がいるのに養子とはけしからん”と大反対。その結果、下屋敷で家臣同様の扱い、部屋住み生活を送っていた角三郎が、一躍、跡継ぎとなって酒井雅楽頭に任官した。下々にも通じている大変優れた御殿様と、早くも評判になっている」

その話を聞くや、錦木は「角三郎様が大名になられた」と喜び、涙にくれます(これが元々の演出)。そして、「約束通り、検校に取り立ててもらおう」と、酒井様の御屋敷に出向きます。
酒井家の家臣一同が、病い上がりでヨレヨレの錦木を訝しげに見て、「殿様が下屋敷で暮らしている間、あの按摩に“烏金”でも借りたのではないか?」と口さがないうわさをしている中、酒井雅楽頭となった角三郎は「そなたの家を知らないため分からずにいた。約束通り、兼業に取り立てるぞ!」
錦木は一躍、江戸時代の盲人の最高位・検校に大出世します。

出世した錦木がある日、御殿様の下に御機嫌伺いに参上すると、角三郎の雅楽頭は「新たに栗毛の馬を買い、“三味線”と名をつけた。余は酒井雅楽頭である。雅楽(ウタ)が乗るから“三味線じゃ”」と洒落ます。錦木答えて、「殿様が乗りますので“三味線”。して、その御馬に御家来衆が乗りますと?」、雅楽頭「バチ(撥)があたる」

 ~といった内容で、セミ人情噺的落語、というところでしょうか。

戦後も活躍していた落語家さんでいうと、八代目文治師匠、五代目志ん生師匠、六代目柳橋先生、二代目円歌師匠、三代目小圓朝師匠が演じられ、黒門町の八代目文楽師匠が生涯、演りたがっていた噺としても伝わっています。
私自身は、亡くなった先代柳朝師匠が生で聞いた『三味線栗毛』の最初で、それから亡くなった文蔵師匠、現在の圓歌師匠、歌丸師匠、扇橋師匠、圓橘師匠、小満ん、正蔵師匠、喬太郎師匠、三三師匠などから伺っています。小満ん師匠と菊之丞師匠からも伺ったような記憶はあるのですが、これは定かではありません。あと、喜多八師匠が演じられるのは存じ上げております。

この噺は、明治時代の超名人・橘家圓喬師匠の十八番として伝わっています。
その圓喬師の『三味線栗毛』のポイントは、海賀変哲氏や小島政二郎氏が書き残されているように、角三郎酒井雅楽頭が任官したと聞いて、病み衰えた錦木が病床でサメザメと嬉し泣きすることにあり、それが観客をも泣かせたという事です。
ところが、私は実際にそこまで錦木が泣く演出を聞いた事がないのですね。

最近の演出だと、角三郎の出世を聞いた錦木は急に「オレは検校だ」と長屋の衆相手に威張り出したりして挙げ句、アタフタと酒井雅楽頭の屋敷に駆けつけると、「御約束をお忘れではないでしょうか?」と自ら切り出します。こう演出されると、何か、如何にもさもしいというか、嫌らしいんですよね。『らくだ』や『黄金餅』の無茶苦茶さのような爽快さがない。ウジウジと嫌らしい感じがします。演者の方たちのテレがあるのかもしれませんが、これは落語の登場人物に関して“業の肯定的性悪説”に傾き過ぎた演出ではないでしょうか。結果、この噺にはヤマが無くなってしまうのです。
侍と按摩、立場は全く違うとはいえ、友人(この噺に関してはそうだと私は思います)のために泣く事、他人の成功、出世を喜んで泣くって事はそんなにオカシイ事なんでしょうか? 最近でいうと、立川生志師匠が「苦節20年、やっと真打が決まりました!」と高座で語った時、客席で泣いて喜んだ観客がいた、と生志師から伺った事もあります。その時うれし泣きした観客は異常な人なんでしょうか?

落語は確かにドライな笑芸ですけれども、共に厚情を抱いてきた友達が出世した時に、取り残された自分の寂しさや辛さ、恨みを内包しながらも、その瞬間には感情に流されて泣いてしまう。それも社会的存在である人間の「業」ではないのでしょうか。立川談志家元の唱えた「業の肯定」を、私は100%遵守するつもりはありませんが、「嬉し泣きしてしまう事」も、また人間ならではの「業」なのだと私は思います。
「取り残されてしまった自分の寂しさや辛さ、恨みを内包して嬉し泣きする」は、表現としては確かに至難の技でありますが、決して不可能な事とは思えません。余り演じすぎると「演劇」に堕落して、「落語」ではなくなってしまいますから、「落語のほど」「落語の軽さ」の範囲で止めるのはかなり大変だとは思いますけれどね。
但し、錦木の心情は、石川琢木の「友がみな 我より偉く見ゆる日は 花を買い来て妻と楽しむ」のような心理ではありません。嵐山光三郎氏が『文人悪食』で喝破されたように、「我より偉く見ゆる日は」というのは、普段は「自分の方が偉い」と思っている、仲々タカビーな心理だからです。

もちろん、錦木が「取り残されてしまった自分の寂しさや辛さ、恨みを内包して嬉し泣きする」ためには、その前段階として、錦木と角三郎の交流をかなり丁寧かつ細やかに描く必要はあるでしょう。この件に関しても、私が聞いた範囲では角三郎と錦木の関係は、縁者の皆さんどなたも通り一遍で、冗談口にせよ、「わしが大名になったら、そなたを検校に取り立ててつかわそう」というまでの関係には見えないのですね。『芝浜』の夫婦関係の描き方と同じように、二人の絆を描くにはワンポイント、言葉か場面のフックが要るのですね。

また近年、錦木を殺してしまう演出を採る演者の方も多いのですが、これも結果的には、「人を殺して泣かす」という、真にお安い“お涙頂戴”に陥ってしまう思えてなりません。20年くらい昔、演出家の宮本亜門氏に「君は人を殺さないとドラマを動かせないの?」と質問した事がありますが(亜門氏は覚えてないでしょうけれど)、錦木を殺しては、それこそ、落語ではなくなってしまいます。
同様に、錦木が「検校に取り立てる、という約束は戯言」と、角三郎に会いに行こうとしない、という演出もありますが、これまた余りに錦木が“単なる良い人”になり過ぎて面白くありません。落語の登場人物はもっと普通で良いのではないでしょうか。友達のためにうれし泣きもするけれど、出世もしたい、というようにね。正岡容氏が三代目圓馬師匠が『三井の大黒』で演じた左甚五郎を称して、「金は欲しいが、金のためにはうごきたくない職人気質」といった内容の文章を書かれていましたが、そういうアンビバレンツな“普通の心情”を描けるのが、落語と講釈が違うところではないのかな。

あと、「落語」としての『三味線栗毛』で、なんたって歴代落語家の凄い所は、錦木が友情に泣く件で噺を終わらせなかった点にあります。友情に泣く所で終わると、こりゃ確かに人情噺で落語にはなりません。歴代の落語家は「出世」するとどうなるか?に視点を変えて行ったのです。
友の出世に嬉し泣きした錦木が、自らも検校に出世した途端、角三郎の「“三味線”と名づけた」という洒落に対して、「佐々木、梶原が宇治川の先陣諍いで乗りました名馬が“いけづき”“するすみ”」などと、何やら偉そうな故事来歴を語りたがる俗物になってしまいます。しゃれにマジで答えるなんて野暮の極みではないですか。生まれ育ちの低い者が成り上がった時の類型を皮肉に笑う、というべきかもしれません。
一方、角三郎の酒井雅楽頭は大名に出世したものの、逆に生まれ育ちの良さで下屋敷時代の自由さを失わず、堅苦しい暮らしや偉そうになっちゃった錦木に飽いて、新たに求めた駒に洒落の名前をつけている。この対比がちゃんと描ければ、かなり可笑しい。もちろん、カライ噺にはなるし、万人受けはしないでしょうが、そこには『はてなの茶碗』のラストに近い、ドライな笑いがあるのではないでしょうか。“なるほど名人圓喬が十八番にしたのも無理はない”と私は思います。海賀変哲氏や小島政二郎氏がそこを書いていないのは残念ですが、まァ、二人とも、普通に真面目な方ですから、「落語の洒落」は分からなかったのかもしれません。まァ、そこまでドライに演じられる可能性のあった落語家さんというと、近年では桂米朝師匠くらいでしょうか。
因みに、先代小圓朝師や文蔵師のように、ラストで錦木を出さないようにして、角三郎の酒井雅楽頭と、養育係から側用人に出世した清水吉兵衛の遣り取りに変えてしまうのも、余りに人情噺的な価値観に捉われた演出で、「嬉し泣き」とは裏腹のドライな笑いが消えてしまい、噺の狙いがアヤフヤになると私は思います。喜多八師匠の演出のように、錦木が死に、その葬列が通りを行くと金魚売りが逆方向から現れる。その売り声が「金魚ォ~ェ金魚ォ(検校ェ検校ォ)」と聞こえるってのも、小噺としては綺麗なんですけれど、一編の落語としては、如何にも取って付けた印象を私は免れえません。

もし、カライ噺にするのが嫌で、『井戸の茶碗』的な「侍と町人の良い噺」に改訂したいのならば、病み衰えた錦木の貧乏長屋に、任官した酒井雅楽頭が「三味線栗毛」に乗って現れ、検校に取り立てるといった展開も考えられるのではないでしょうか。「落語」というよりは、『暴れん坊将軍』みたいですが、そういう展開で、馬の背に相乗りした酒井雅楽頭と錦木のセリフで「バチが当たる」と落とさせる展開を考え、とあるベテランの落語家さんに伝えたこもありますが、それは「素人としては余りにでしゃばり過ぎた」と反省しました。そして今は、“名人圓喬以来の『三味線栗毛』”を聞かせてくれる方が、今後、現れて欲しいと、願っております。

石井徹也(放送作家)

投稿者 落語 : 2009年04月12日 02:33