2009年07月02日

帰宅途中の景色        担当☆高橋民夫

梅雨空が続いています。お元気ですか?
高橋民夫@防災です。

東京都大田区の多摩川近くに住んでいます。

朝の通勤は、さほどゆとりもなく
ついつい車窓の景色を見る程度で通り過ぎますが、
退社時にゆとりがあるときは、たくさん歩くことにしています。


先週も無性に歩きたくなって、
浜松町駅前の会社から歩き始め、
田町駅を通過し、品川駅で電車に乗りました。

蒲田駅までの電車から外を眺めながら、
まだ明るいし、もう少し歩きたい気持ちに包まれて
東急・多摩川線に乗り換えたあと
下丸子駅で降りました。

この駅から多摩川の河川敷まで距離は短く
駅周辺の商店などと住宅地を通り抜けると
土手に突き当たり、その階段を登ると遊歩道に。

羽田空港(終点まで行ったことがない)から
上流は東海道新幹線の鉄橋の下にまで続く
この道は、近くの学校の生徒たちがランニングに
使ったり、近所の住民らが散歩したり・・・

そして時には、僕のように帰宅途中、
とうとうと流れる多摩川の流れや
両岸に広がる景色を楽しみながら歩く人が
行き交いながら挨拶を交わします。

どんな景色かこれをご覧ください。

多摩川・武蔵小杉.jpg

ちなみに、この景色は神奈川県側の武蔵小杉を
眺めたもので、川の手前はゴルフ練習場です。

その武蔵小杉はここ3~4年で大きく変わりました。

このうち1棟の1階に消防署が入っていて、
林立する高層ビルに対する備えが
できていることと思います。

周辺に高層ビル街がないため、
羽田空港を飛び立ったばかりの飛行機から
この武蔵小杉のマンションとビルの群れが
はっきりと見えました。

やがて遊歩道の終点、その近くの桜坂の自宅まで
この日の帰宅は、一部電車に乗ったものの、
あわせて2時間ぐらい歩き、
心地よい疲労感に包まれました。

投稿者 文化放送報道部 : 15:52

2009年06月17日

望まれる早期の耐震改修     担当☆高橋民夫

きょうも元気な高橋民夫@防災です。

きのう文部科学省から、耐震調査結果が発表されました。
これは、全国の公立小中学校の校舎や体育館
およそ12万5000棟を対象に、ことし4月現在で行われたもので
その結果、耐震性が不十分な4万1000棟余りのうち、
7300棟余りが震度6強で倒壊する危険性が
高いことがわかりました。

そんなに危険な校舎などが多いのか?と思いますが
これでも昨年に比べると3300棟も減ったというのです。

建物の耐震化率が改善したのは、中国・四川大地震を受けて
昨年6月に施行された改正地震防災対策特措法で、
国の補助率が上乗せされ、地方自治体の耐震改修が
進んだためとみられています。

しかし、命を守るための第1条件は、地震の一撃をかわすこと。

それで思い出すのは、昭和23年6月28日の福井地震です。

日本でもサマータイム制が導入されていたときで、
この直下地震の揺れが余りにも大きく、当時最大の震度6の
震度階では表せないとして、震度7が新たに設けられたものです。

このときの地震で、福井市内の建物は多くが倒壊し、
火災も発生したことから、およそ3800人の人命が奪われました。

国内で1000人を超える犠牲者が出た地震災害は、この福井地震以降、
平成7年の兵庫県南部地震、つまり阪神・淡路大震災までなく、
いわゆる地震の平穏時代といわれました。

その平穏時代も去り、活動期に入ったとみられている現在、
自分の命、また家族の安全を守るためにも大事なことは
「一撃から身を守る」ことで、耐震化がいかに必要かということです。

間もなく、6月28日がめぐってきます。

福井地震のときの文献や資料を見て、教訓を生かしたいものです。

投稿者 文化放送報道部 : 08:12

2009年06月02日

673万人の中のひとり     担当☆高橋民夫

高橋民夫@防災です。

長野県長野市の善光寺のご開帳が5月31日に閉幕。
数え年で7年に1度のご開帳だけに、今回こそは!と行ってきました。

ときおりしも、土曜日曜それに祝日の高速道路値下げもあって
4月5日からの57日間の期間中、673万人の参拝客が訪れ、
これまで最高だった2003年の前回を45万人以上も上回る
過去最高となったそうです。

閉幕間際になると、大混雑が考えられたため
私は、5月20日~21日と泊りがけで出かけました。
早朝5時すぎの「お数珠頂戴」も体験したかったためで、
幸い、前から2列目に並ぶことができた私は、
腰をかがめて、善光寺住職らの列を待ち、低いところに
下げていた頭にゴツン!と数珠を頂け(タッチ)たのです。

早朝だけに回向柱の周辺もまだすいていました。

QSLd5p2w3hZQo善光寺.jpg

長野・善光寺の次のご開帳は、2015年です。


ところで、この善光寺の裏に、すぐそばまで迫っているのが
長野市上松にある地附山です。

この地附山の南斜面で大規模な地すべりが発生したのが
1985年(昭和60年)7月26日の夕方でした。

そのときの地すべりで、斜面下側の団地では
住宅60戸近くが土砂にのみこまれたほか、
特別養護老人ホームでは寝たきりのお年寄り26人が
犠牲になるという、大きな災害が発生しました。

防災を続けている私にとって忘れられない出来事ですが、
その約2週間後、あの日本航空ジャンボ機墜落事故。

東京のスタジオで「レーダーから機影が消えた」の一報から
速報を伝えつづけた私は、やがて長野県の山中に光のかたまりが
落ちていくのを見た、という目撃情報をもとに
当時、報道部のG記者と長野県南相木村付近へ急行し
長野県警の発表をもとに初動取材しましたが、
その担当者が、地附山事故のときも報道対応だったということです。

その後は群馬県側の御巣鷹の尾根が墜落現場とわかり、
群馬県警に担当が代わったとき、長野県警のその担当者の表情に
わずかにほっとしたものが浮かんだ瞬間を私は見てしまいました。

もう24年も前のことです。

投稿者 文化放送報道部 : 10:00

2009年05月18日

09年 秋の三宅島へ        担当☆高橋民夫

皆さん、お身体大丈夫ですか?  高橋@防災です。

国内で新型インフルエンザの感染者が増えています。
兵庫県や大阪府で高校生らを中心に広がりを
見せていますが、5歳の子どもや、60歳代の成人の
感染者が確認され、銀行の行員や駅のキヨスクの従業員にも
感染していたことがわかったため、
学校は休校、銀行は別の支店の行員がカバー、
さらに、キヨスクは営業休止など、
さまざまな対応がとられています。

私たち、報道関係者も感染してはいけない!
感染させてはいけない!ということで、
取材などにも充分な注意をすること、
さらにマスクをしたり、うがい・消毒液を使った手洗いを
励行しています。

さて、きのう東京のお台場で、大きなイベントがありました。
私、行ってきましたので久しぶりに三宅島の話題をとりあげます。

チャレンジ三宅島’09モーターサイクルフェスティバルinお台場が
きのう行われ、朝のうち強い雨が降っていたイベント会場に
バイク好きな人々が集まりましたが、
雨も上がった10時過ぎからさらに増え、お昼前には
バイク試乗会エリアには長い列ができ、人気を集めていました。

小さな子どもたちが目を見張ったのが、スタントライドで、
強風の中、ビルの7~8階ぐらいの高さまでジャンプして
逆立ちなどもしてくれました。

そもそも今回のイベントは、噴火による火山ガス噴出が
止まらない、三宅島の復興に向けたイベントとして
去年も行われたもので、お台場に駆けつけてくれた
人々が、10月24日(土)と25日(日)の2日間、
三宅島で開催される、モーターサイクルフェスティバルに
来てくださいね!というもの。

きのうのお台場での会場のなかにも三宅島コーナーがあり
焼きたてのさざえを食べたり、焼酎や牛乳せんべい、明日葉など
土産品や特産品のまわりに客が集まっていました。

また、久しぶりに平野村長とも話しましたが、
お元気そうで、秋の開催成功を祈っていました。

船と飛行機と、三宅島を結ぶ路線の確実な運行が望まれます。

投稿者 文化放送報道部 : 13:59

2009年05月01日

この経験を生かさなければ      担当☆高橋民夫

一日中、横浜で取材した高橋民夫@防災です。

日本で初のインフルエンザ患者か?という速報が
飛び込んできたのは、きょう5月1日の零時半ごろでした。

非常にデリケートな内容だけに、どの程度まで
具体的な内容が発表されるか今後に課題を残す事例でした。

横浜市では、前日に発表し始めたもので、
きょう改めて経過を説明した横浜市によりますと、
新型インフルエンザの疑いがもたれたのは、
17歳の高校2年生の男子で、
この生徒は、4月10日から25日まで、
カナダ ブリティッシュコロンビア州 ヴィクトリアに
ホームステイを兼ねて研修旅行に参加し、
25日の午後1時45分成田着の飛行機で帰国しました。

その後、所属する陸上部の練習などで通学していましたが、
29日、39度台の発熱で医療機関を受診します。
このとき、インフルエンザ診断キットはA、B型ともに陰性で帰宅。

翌30日午前10時、37度台後半の発熱と、咳・たん症状があり、
再び、同じ医療機関に行き、受診しました。
ここでインフルエンザ診断キットでA型陽性だったため、
福祉保健センターに報告。
1時間後には、検体を横浜市衛生研究所に送り、検査開始。
そして福祉保健センターによる患者の聞き取りと指導を行い、
患者を自宅に帰し、待機させました。

やがて午後11時、患者を横浜市立市民病院に搬送、
日付変わって深夜零時過ぎ、聞き取り調査が行われます。

零時40分ごろ、衛生研究所から解析不能との最終報告があり
午前2時、患者の検体を再度採取し、これを
国立感染症研究所に搬送しました。

その結果が出るまでの半日余り、
果たして「白」か「黒」か、緊張の時間が続く中、
私は、横浜市役所および市民病院等で取材、レポートしました。

やがて午後5時半、「白」の判断が出て、
横浜市の中田市長は「まずはホッとした」と会見しました。

新型インフル、白の判定で中田横浜市長.jpg

中田市長はこの会見の中で、引き続き警戒は続けるとした上で、
舛添厚生労働大臣に振り回された一日だったと述べました。

この発言の発端は、舛添大臣が状況を知りたくて横浜市に
電話をしたところ、誰もでなかった。
横浜市長も横浜市も危機管理がなっていない趣旨の発言を
したことに対して述べたもので、中田市長は、
冷静に行動してと呼びかけている政府の舛添大臣が
カリカリし過ぎている、と苦言を呈したもので、
今後、実際に患者が発生したり、疑い例が出た場合、
厚生労働省と当該市町村などとの連絡が
うまくいくように、今回のケースを教訓にして欲しいと
発言しました。

こうして、このブログを書いている最中、
香港を旅行中のメキシコ人が、アジアで初めて
新型インフルエンザ発症とのニュースが入り、
さらには、名古屋市長が今夜11時に会見、
新型インフルエンザ関係の発表とみられると伝えてきました。

連日、こうしたニュースが続きそうで、混乱することなく
基本的な予防対策が必要のようです。

投稿者 文化放送報道部 : 21:52

2009年04月16日

忍者が出入りしていた抜け穴?    担当☆高橋民夫

12日の日曜日、長野県上田市に行ってきました。

長男が転勤し、引越し先がようやく落ち着いたときで、
上田あたりはソメイヨシノが満開。
上田城址では、まさに千本桜まつりが開催されていて
快晴の下の大勢の人々に笑顔があふれていました。

上田城は「真田太平記」や「真田十勇士」で知られている
真田氏の居城として天正11年(1583年)に築城されました。

猿飛佐助や霧隠才蔵の活躍にワクワクし、
二度に渡って徳川軍を退けるなどのドラマに興奮した私も、
上田城址を訪れたのは今回が初めてで、
大手門と西櫓がわずかに残っている程度の城址公園を
歩きながら、お堀端や本丸跡に植えられた満開の桜を
楽しみました。

大手門を入ったところに立っていた高札に書かれた
文字は、「抜け穴の井戸をご覧ください」とあり、
やがて西櫓の近くに、あったのがこれです。

上田城内抜け穴井戸.jpg

人が落ちないようにされているものの、
鉄の網目から下を覗くと、およそ10メートル下に
水がたまっており、どこから見ても普通の井戸で、
ここが抜け穴になっているとは信じられません。

しかし、想像力をふくらませるとロマンは広がり
初めて訪れた上田市がとても好きになりました。

また、山沿いにある森林組合では「植木市」を開催、
草や木が好きなことを知っている息子が会場に
連れていってくれ、念願だったマンゲツロウバイを
購入した私は、しばらく興奮状態、
その興奮がいまだに続いている私なのです。

投稿者 文化放送報道部 : 10:15

2009年04月01日

東京湾をのんびりとクルージング   担当☆高橋民夫

徹夜勤務明けでこのブログを書いている高橋@防災です。

きのう、勤務前にのんびりと東京湾をクルージングしました。
竹芝桟橋を正午に出港し、レインボーブリッジの下を通過、
お台場を左に見て南下、羽田空港沖で速度を落とし、
ユーターンして竹芝に戻るという2時間の遊覧です。

その東京湾内から羽田空港を眺めると、
政府専用機が2機、駐機しているのが見えました(写真)
飛び立っているのは違います。

麻生総理を待つ羽田・政府専用機.jpg

さすがに距離が離れているせいか、小さく見えますが
垂直尾翼に日の丸が描かれたジャンボ機です。

1993年4月、宮澤総理が総理大臣として初めて使用、
既に長く使われているように思われますが、まだ16年。
この専用機がスタートする前は、日本航空と全日空の
航空機を交互にチャーターして使用していました。

私はこのうち日本航空のチャーター機には乗ったことが
ありますが、政府専用機には一度も乗ったことがありません。

ところで、きのう羽田に政府専用機が待機していたのは、
夜、麻生総理大臣が金融サミットでロンドンに向かうため。

私が徹夜で仕事を続けている間、飛びつづけ
日本時間の今朝、ロンドンに到着。

麻生総理はロンドン滞在中、世界的な金融危機で
深刻な影響が出ているアジア経済の支援策として
政府開発援助を増額する方針を表明するほか、
北朝鮮が人工衛星と主張して打ち上げ準備を進めている
長距離弾道ミサイルについて、参加各国の首脳らと
対応を協議することにしています。

一方、レストランシップ ヴァンテアン号での
東京湾クルージングの高橋は、4月2日の62歳の
誕生日を前倒しで祝っちゃおうという企画。

女房と2人、窓のそばの席で食事をしながら
ほとんど波もなく、風も穏やかな、春の陽射しに
包まれながら、いつもと違う角度から見た
東京の景色に、ほぼ60年のうつろいを感じました。

海面には寒さから解放されて喜んでいる
カモメたちがたくさん漂っていました。

投稿者 文化放送報道部 : 09:03

2009年03月13日

久しぶりの快記録と回復の遅さ   担当☆高橋民夫

ほぼ半月後に62歳になる高橋民夫@防災です。

昨年10月21日のこのブログで、ボウリングの話題に触れ
300点目指してまだまだ頑張ると書いた私ですが、
今、興奮の余韻に浸っています。

9日、今年度のプレスボウルリーグの最終日を迎え、
その日の2ゲーム目、なぜかストライクが続き、
3つ、4つ、あらら良い調子!

近くのレーンの人は、ちらっちらっと少し気にし始めた程度、
5つ、6つとストライクが続いた時には、
えっ、高橋が?ということで、数人のプロボウラーも見にきたりして、

7つ目が出るか出ないかになると、さすがに緊張も違い、
自分はいつも通りと思いながらも、アプローチはぎこちない!?

それでも、フォロースルーの手はまっすぐに伸びて
ピンに向かうボールは、まるで生きているよう・・・

ポケットにジャストヒットして軽やかな音とともに
10本のピンが一瞬にはらわれてストライク!!
7つ連続となった瞬間は、大きな歓声が上がりました。

そして注目の中の8投目、ちょっと厚めに入って9本!
あーぁ、アーァと「落胆」とも「やっぱりな」ともとれる嘆息。

集まっていた人たちが、それぞれ自分のレーンに戻ったあと
9フレーム、10フレームの1投目、2投目と再び3連続ストライク。

実は、今年度のリーグ戦でハンデ込みのハイゲームが301点!
私のハンデが25点でしたから、最後の1投が8本以上ならば・・・

結果は7、そう7本だったため、同点止まりに終わってまた笑い声。

でも、このスクラッチで276点は、私の2番目のハイスコア。
気持ちは高ぶり、体はコチコチながら、さすがに興奮しました。

プレスボウルで276点 09・3・9.jpg

数日前の試合だったのに、まだ筋肉痛が残っており、
回復までに、ずいぶん時間がかかるようになったなと感じながらも
あらためて、300点目指して頑張ろうと誓った春でした。

投稿者 文化放送報道部 : 12:40

2009年03月05日

いつもと違う景色          担当☆高橋民夫

高橋民夫@防災です。

おととい3日の夜、東京都心で積雪が観測された一方、
きのうは、九州から北陸、関東甲信にかけての
ソメイヨシノの開花予想が気象庁から発表されました。

ここ数日ぐずついていたお天気が回復し、
朝から太陽が顔をのぞかせていたきょう、
JR京浜東北線の鶴見駅で午前8時19分ごろ
人身事故があり、運転見合わせとなりました。

JR蒲田駅で乗り換えようとしていた私は、
振替輸送の切符をもらい、京浜急行蒲田駅へ。

この2つの駅は離れており、歩いて約10分、
いつもと違う景色の中を歩いて京急蒲田駅に

人身事故で振り替え輸送.jpg

ホームには早くも乗客が移動してきて
到着する特急、急行、普通電車に乗り込んでいました。

私も特急に乗れたものの、まさにすし詰め状態。
鮫洲、青物横丁の停車駅では乗り降りもままなりません。
車内放送は、JRの人身事故による振替輸送の影響で
電車に遅れが出ていると繰り返し伝えていました。

そうした放送の中で、JR京浜東北線の運転再開が
伝えられたため、私は品川駅でJRに乗り換え、
19分遅れで、職場の報道部に出社しました。

一方、午前7時半ごろには、JR国分寺駅でも
人身事故があったということで、中央線が
一時、運転を見合わせました。

ラッシュ時間帯ということで、同じような状況が
あちらでも、こちらでもあり、この影響で
通勤通学の客ら22万人以上の足が乱れました。

中央線の事故は自殺とみられていますが、
国民が自殺をしなくて済むような政治が望まれます。

投稿者 文化放送報道部 : 11:24

2009年02月13日

やはり?13日の金曜日     担当☆高橋民夫

国会、司法、都庁、試写会ときょうも充実の高橋民夫です。

これまで沈黙を守っていた小泉元総理が昨夜、
麻生総理の郵政民営化見直し発言を批判したことと
総理としての麻生総理の資質を批判したかのような発言は
あっという間に国会周辺に激震を呼び、一夜明けた今朝、
与党・野党それぞれの発言がトップニュースになりました。

朝8時過ぎ文化放送に出社、報道部で取材一式を持って
電車で国会議事堂に急行。
野党民主党の動きを確認してから、吹野記者と分担して
私は合同庁舎4号館に移動し、9時40分からの
野田消費者行政担当大臣の会見を取材しました。

ご存知、小泉総理の郵政民営化に反対した造反組。
けさの会見で野田大臣は、「定額給付金に反対なら
もっと早く麻生総理と話し合えるチャンスがあったはず、
今になって弱っている内閣をたたくのはいけない。
支えるほうが国民の共感を得る」と小泉発言に反発。
麻生内閣の閣僚だから当然とはいえ、
「いまさら逆行させる動きは共感を得ない」と
小泉氏を批判し、麻生総理を擁護しました。

これまで幾度か野田大臣の会見を取材し、
発言を聞いてきましたが、ぶれることのない
しっかりした言動にさわやかさを感じました。


この会見のあと、報道より連絡が入り、
11時から司法記者クラブで行われる会見取材のため
霞ヶ関の裁判所に急行しました。

早めに会見場に現れた3人です。

アラン・カルデロンさん夫婦とノリコさん.jpg

おわかりですか?
フィリピン人のアラン・カルデロンさん夫婦と
日本で生まれ、現在埼玉県内の公立中学校1年の
のり子・カルデロンさん13歳です。

日本に不法入国し、不法滞在が明らかになった
カルデロンさん夫婦は強制退去処分を受けました。
不法滞在中にのり子さんが生まれましたが、
東京入国管理局は一家3人全員の在留特別許可を
認めないことを決定。その判断期日を迎えたのです。

結論は、2週間の延長を認めたものの、次回には
フィリピンへの帰国の日を示すように、というものでした。

きょうの会見で、父親のアランさんも娘ののり子さんも
なんとか日本で3人一緒に生活したいと表明しましたが、
入国管理局は、のり子さんだけなら在留特別許可を
認める可能性を示しており、この決定は不動のようです。

中学1年生になっている、のり子さんは友達と離れ難く
かといって、1人だけ残ることは両親は納得していません。

このケースは特別に許しても・・・という声(嘆願書など)が
ありますが、これを許すと前例となり、不法滞在中に
日本で子供を出産するなどのケースが増えそうで、
入管としては、あくまで原則を守り続けるという姿勢
を貫きそうです。

午後には、都庁に移動し、日本時間の昨夜
IOCに提出した、2016年東京五輪の
立候補ファイル記者発表を取材しました。

都庁の大会議室には、国内外の記者・関係者らが
多く集まる中、コンパクトなオリンピック、
60年以上、平和が続いている東京で
オリンピックを開催したいとの内容を明らかにしました。

朝から夕方にかけて、国会、司法、都庁と回った
きょう一日、全国各地で時折、強い風が吹き荒れ
気象庁は夕方までに、九州、中国・四国、関東、北陸の
各都県で春一番を観測したと発表しました。

大荒れの一日、アメリカでは小型飛行機の墜落事故も。
あらためて13日金曜日だななんて考えながら
午後6時から、社内で行われた映画「ヤッターマン」の
試写会を見て、そうだきょうはブログ担当日だと思い出し、
どうせなら、13日が終わるまで報道部に
残っていようかなどと考えたきょうの民夫@防災でした。

投稿者 文化放送報道部 : 20:20

2009年01月29日

あの日本で第1号のパーフェクトが  担当☆高橋民夫

新年始まって、はや1ヶ月。
JRや気象庁などの新年会やボウリング賀詞交換会など
連日、超多忙で充実している 高橋民夫@防災です。


そんななか、東京大田区の早稲田大学卒業生で作る
大田稲門会が24日(土)開かれ、初めて参加しました。

今回、元最高検察庁検事で弁護士の清水勇男氏が
「ロッキード事件とその時代」というテーマで講演され、
昭和47~8年の米ローキード社のトライスター売込みで
各国政府代表者らに金をばらまいた事件の概要と
その時代背景を聞くために参加したのです。

講演会とそれに続く新年会に100人余りが集まり、
私の2年先輩で理工学部卒の歌手すがはらやすのりさんが
一気に会場の雰囲気を盛り上げてくれました。

大田稲門会にてすがはらやすのり氏.jpg

私が担当していた、毎朝5時から6時半までの生番組
「1134の民夫です」でもゲスト出演してくださった
すがはらさんとも、ひさしぶりにお話しができました。


さて、早稲田の諸先輩ならびに後輩らとの交流のあと
さほど間をおかない昨夜、元早稲田ボウリング部部長で
衆議院議員の安井潤一郎氏とお会いしました。

これは、武部勤元幹事長を会長にボウリング場経営者団体や
競技者団体などで構成し、あの小泉元総理らも所属する
「日本ボウリング評議会」から私たちマスコミと懇談会を
開催したいとの申し入れがあって実現したもので、
総勢100人ぐらいの中に、ひときわ輝いていたのが
日本プロボウリング協会会長の中山律子さんでした。

一貫してボウリングの振興、社会貢献、技術の向上に
尽力され続けている「さわやか律子さん」は、
ご存知、日本女子プロボウラーの中で
パーフェクト達成第1号!それもテレビ生中継で見せてくれました。

昨夜の会場の中に、テレビ朝日のプロデューサーも出席、
なんと、2月7日(土)の夜7時からの「伝説のスポーツ名勝負」で
その中山律子さんの「テレビ初パーフェクトゲーム」を
放送すると報告(宣伝)してくれました。

私たちボウリング大好き人間としては永久保存版の映像で、
今から三十数年前の、華麗で勝負にかける律子さんの
姿を多くのボウリングファンにお知らせしたく記しました。


今夜は、在京ラジオライフラインネットワークの
ラジオ7局、それにライフライン5社のメンバーが集まり
災害情報交差点の反省ならびに懇談会。


明日は、長いお付き合いのある「ビリーバンバン」や
湯原昌幸・荒木由美子夫妻、パックン・マックンらが
所属しているハブ・マーシーの新年会。


そして明後日は、「がんばれ三宅島」帰島5周年
板橋の集いが午後2時から
板橋区立 仲宿いこいの家で開催され、取材します。

こんな調子で、連日超多忙な民夫は
充実した毎日を送っているのです。


投稿者 文化放送報道部 : 11:19

2009年01月13日

元気をもらえる散歩道        担当☆高橋民夫

新年早々、ニューギニアで大地震があり、日本の
太平洋側で最大40センチの津波が観測されましたが、
それ以外は、穏やかなお正月を過ごした高橋民夫@防災です。

「今年は歩こう!」
これが、私の今年の目標です。

昭和22年生まれの私が、平成22年の来年を迎えるまでの1年
いかに楽しく、新しい道を発見し、前に向かって歩くか・・・
ここにブログに記し、約束をするものです。

きょうの昼間も仕事に出かける前に歩きました。

2009年1月、六郷用水の木漏れ日.jpg

ねっ、いいところでしょう。

東京都内にも本当に穏やかで素敵な散歩道がいっぱいあります。

それも大田区内なんですよ!

多摩川の駅近くから鵜の木の駅近くまでの約2キロ。

この六郷用水の散策路は大田区が整備しているもので、
春には紅梅、花桃、桜、枝垂れ桜が我々の目を楽しませ、
夏は子供のころによく遊んだ三菱の住宅とテニス場周辺の
山の雑木が、強い日差しをさえぎってくれ、そして
1年中、用水路の中の色とりどりの鯉がなごませてくれています。

きょうも、このみちを通りながら
元気を与えてくれる木漏れ日に包まれ、歩いた私でした。

投稿者 文化放送報道部 : 22:55

2008年12月29日

幹事業務も無事に終わりそう!?  担当☆高橋民夫

こんにちは、高橋民夫@防災です。


おや?きょうも仕事ですか?
えぇ、家にいると大掃除をやらなければならないので・・・

なんていう会話が聞こえてきそうな12月29日。

JR東日本の東北・上越・長野・山形・秋田の各新幹線が
始発から約3時間運転できず、利用客がうんざりという
表情をあらわにしたシステムトラブルでスタートした今日。

いつものように報道部のニュースフラッシャーとして
サブデスクに座りました。


年末のこの風景も、文化放送に入社した1970年以来
繰り返し見つづけてきたはずなのに、ここ数年何か違う!?

年齢のせいかも知れませんが、昔の年末年始の
うきうきするような気持ちが生まれてこないのです。

以前は、年末の時期に不景気だなどといっても
新年を迎えれば、きっと環境が変わり、政治家も目を覚まし
なんとか国民に期待をもたせるような材料が出てくるだろうと・・・

それが、今は政治家に期待はかけられないし、
誰しもが感じているような閉塞感に包まれているのです。


そんな中、なんとか明るいニュースはと探したところ

気象庁の玄関.jpg

この気象庁から26日にやや明るいニュースが・・・

気象庁が発表した年末・年始の日本列島は、
冬型の気圧配置となり、ほぼ全国的に冷え込むものの
太平洋側の関東から九州にかけて「初日の出」が
期待できそうだということです。

ならば、日本海側はというと、予報部予報課の
村中主任予報官は、強い冬型の気圧配置から
雪のところが多くなりそうですが、雲の間から
太陽を見ることができるかも知れないと語りました。

これは、気象庁で予定されていた今年最後の
会見で発表されたもので、この会見のとき
私は会見場でこの発表を聞いていました。


私たち文化放送の報道部は、政治班・社会班それぞれ
数多くの記者クラブに所属しており、幹事社を担当します。

その担当は、ほぼ1年に1回の割で回ってきて、
たとえば、気象庁の場合には、全国各地で
震度5以上の大きな地震が発生したり、
自然災害が発生した場合には、たとえそれが
真夜中であっても、会見が行われるときには
会見場にいなければならない務めがあります。

今回のように、12月に幹事社に当たった場合には
31日、大晦日が終わるまで気が抜けないわけで、
駆けつけなければならない担当に当たっている人は
うっかり酒を飲むわけにもいかないのです。


「意識はっきり、居場所はっきり」の
幹事社としての残っている時間はあと2日間です!!

投稿者 文化放送報道部 : 16:08

2008年12月10日

今年は20回目でした。       担当☆高橋民夫

寒いですね。お元気ですか?高橋民夫@防災です。

7日日曜日の午前9時、雲ひとつない青空に恵まれたものの
寒さの中で開会式が行われた東京品川区八潮団地の
第20回防災フェアに、今年も参加しました。


20回のうち、17~8回連続して参加している私は、
多くの人と顔なじみになり、挨拶を交わすようになりました。

八潮団地防災訓練.jpg

団地の自治会が主催し、品川区役所・大井警察署・
大井消防署それに第7機動隊の隊員や職員も参加

住民は、トリアージの意味を学び、AEDの使い方を実践し、
てんぷら油火災の消火方法を学び、119番通報を練習し、
起震車を親子で体験し、炊き出しのカレーライスを食べる。


このような防災の集いは、集まり具合が大切。
大勢の住民が集まる地域は、警戒の目が光っていることに
通じ、防犯の上でも大きな意味を持ちます。

そして、集まった住民同士が顔を合わせることになり
地域の防災力の原点になります。
外国では隣人祭りがあるくらいです。


この集いの中で私は、団地内の幼稚園の講堂を借りて
尊い命を守るために最低限、寝室の家具は固定する、
地震のとき「火を消すチャンスは3度ある」など話し、
みんなで減災に向けて頑張ろうと確認し合いました。


継続は力なり!といいますが、役員・理事らも
高齢化していく中で、20年間続いている防災の集い、
一旦、休んでしまうと建て直しにかなりのエネルギーが
必要となることを考えると、繰り返すことの大切さを痛感します。

投稿者 文化放送報道部 : 05:32

2008年11月17日

意外と思われるかもしれませんが   担当☆高橋民夫

こんにちわ、日本舞踊大好きな高橋民夫です。

まず、きのう撮影した、この写真をご覧ください。
08年いづみ会にて城之内氏と.jpg

私の隣りの方、どなたかおわかりですか?

読売巨人軍V9時代の初期を中心に活躍した投手で、
エースのジョーの愛称で一世を風靡した城之内邦雄さんです。

1971年に巨人軍を退団、文化放送の野球解説者を経て
1974年、1シーズンだけロッテに現役復帰しました。


さて、きのうの撮影場所は、東京半蔵門にある国立小劇場。

えっどうして?という声が聞こえてきそうですが、
第59回 いづみ会舞踊公演のロビーでのスナップ。

この公演は、東京都大田区の花柳寿恵幸先生の一門の会で、
城之内さんの奥様と、私の母親が
ともに寿恵幸先生の名取であることから、
毎年、いづみ会でお会いしているもので、
ブログのことを話しますと、
城之内さんは気持ちよく了解してくださいました。

68歳とは思えないダンディーな城之内さんは顔が広く、
国立劇場の中でも、多くの方々と挨拶を交わしていました。

私が小学校に入る頃から日本舞踊を続けている母の影響で
日舞などの公演は数多く鑑賞しており、
今回も人間国宝の宮田哲男さんらの美しい声に
心が洗われる思いでした。

これだけ素晴らしい舞台が開けるのは、やはり寿恵幸先生の
実力と魅力によるもの。
名取の中には、俳優の大沢健くん(花柳恵右衛門)もいて
毎回、若いファンが大勢駆けつけてきています。

現在82歳の母は今回、長唄「松の緑」を踊りましたが
足元は大丈夫だろうか?という身内のハラハラをよそに
来年9月21日、国立大劇場で開催される
いづみ会の60周年記念公演にも元気に
出演したいと話しています。

私の劇場通いも続きそうです。

投稿者 文化放送報道部 : 11:45

2008年11月06日

三宅高校創立60周年式典     担当☆高橋民夫

寒くなりましたね。高橋民夫@防災です。

東京で木枯らし1号が観測された11月1日
同じ東京都の三宅島はおだやかな小春日和でした。

午前5時、私を乗せた船が三宅島に接岸し、
デッキに通じる扉が開くと、かすかながら火山ガスのにおい!

多くの島民が出迎えてくれた三池港は水溜りがありました。
聞けば接岸30分ぐらい前まで猛烈な雨だったとのこと。
そういえば、未明には船も大きく揺れていたっけ。

それが雨も上がり、空気はしっとり、やがてやわらかい朝日が・・・
朝ご飯と少しの休憩のためにお世話になった
民宿の新鼻荘には、赤いハイビスカスとサルビアの花、
そして縁側には、餌を求めて手のひらにも乗ってくる小鳥たち。

まさに、バードアイランドといわれている所以です。

やがて、迎えの車で三宅高校に入り、
午前9時から記念式典が始まりました。

今回、私は記念講演を依頼されたもので、
数々の噴火災害を取材したマスコミの中でも
入社した1970(昭和45)年から38年間、
変わらぬお付き合いをしていたことで依頼されました。

思い起こせば、入社当時、文化放送が
「スターと一緒に三宅島で遊ぼう」というイベントを企画、
ヒデとロザンナ、ダ・カーポ、青い三角定規など
歌手のみなさんと聴取者と三宅島に行って以来のお付き合い。

その後、1983年、2000年の噴火災害など取材
中でも秋川高校で生徒たちが避難生活を送っていた際、
番組を通じてテレフォンカードを送ってくださいと呼びかけ
多くの善意を秋川高校まで運び、当時の松尾校長先生に
お渡しし、お礼の声を放送でお伝えしたこともありました。

噴火活動が続いていることもあって、大々的な式典を
しなかったということですが、とてもこころ温まる式典でした。

お天気に恵まれて、学校をあとにしようとすると
在校生が近寄ってきて、噴火した溶岩を使って
焼いた茶碗です、といって私に渡してくれました。

生徒たちも前向きに島の復興に向けて
頑張っている姿が魅力的でした。

島から帰る港で、三宅島観光協会の
横山事務局長ともお会いし、エールを交換しあいました。

三宅島観光協会 横山知己事務局長.jpg

三宅島の状態は大きく変わっていませんが
着実に復興に向かって歩きつづけています。

投稿者 文化放送報道部 : 08:32

2008年10月21日

パーフェクトゲーム      担当☆高橋民夫

気候が良くなった秋以降、毎日1万歩前後の歩きと
持久力育成のためのトレーニングを心がけています。

この年齢になって体力の衰えを感じるからこそで、
これまでの暴飲暴食三昧の無茶を恥じるばかり・・・

少し前には、就寝中に足がつることがあったものの
トレーニングを始めてからはまったく無し。
1駅、2駅歩いた晩など心配したものの無用でした。

こうした中、勝負をともなうスポーツは一段と楽しいもの。
たとえばボウリング!

高校時代から試合に出場するようになったボウリング、
その理由は、1球1球の精神集中力にあります。
試合前の投球練習でレーンコンディションを確認
そのまま試合開始への緊張、
そして1球投げ終わるごとの緊張開放
相手がストライクやスペアを記録すれば祝福します。

文化放送に入社して初めての社内大会で優勝!
東京タワーにあったタワーボウリングセンターでの
ラジオ・テレビ交流大会でも何度も優勝!
とりわけ、ニッポン放送の人には敵対心メラメラ。
昔は良かった・・・ なんて懐古し始めると
年をとった証拠だとか!?

そのボウリングの楽しみと緊張感を求めて
毎年、東京プレスボウルリーグに参加しています。

これは、ラジオ・テレビ・新聞・通信社などからの
ボウリング愛好者と
ボウリング産業の業界関係者、
それにプロボウラーのそれぞれ1名ずつ
つまり、3人構成、16チームが対戦するもので、
私の文化放送チームは、私と
品川プリンスホテルボウリングセンターの結城氏、
そして女子プロ32期生の吉村美恵プロで、
今期、前半を消化してチーム第2位!!

このプレスボウルリーグで
このほどすばらしい記録が出ました。

テレビ東京のヒゲのT氏がパーフェクトを達成したのです。

このリーグ戦、数年間続けられていますので、
プロボウラーのパーフェクトは何度か記録されていますが
私たちのマスコミの中のアマチュアは初めてです。

2ゲーム目のT氏、1投目からストライクを続け
そろそろ意識をし始める8フレーム目、
緊張が高まる9フレーム目もストライクを出すと
リーグ戦に参加している他の選手らが後ろに集まり始め
10フレームの第1級でストライクを出すと
なんと、あとの2球もストライク。

合わせて12回のストライクを試合で続けることは
猛烈な緊張感に教われます。

最後の2球は、ほとんど意識がなかったと語るT氏と
同じレーンで投げていた並木恵美子プロです。
300点の武石英三氏と並木プロ.jpg

私のハイゲームは278!
最初から8個ストライク、やはり緊張して9フレは9本スペア、
10フレームに再びストライクを2つ続けた後、最後は9本。

300点のパーフェクトを目指してまだまだ頑張る夢を見ています。

投稿者 文化放送報道部 : 20:11

2008年10月03日

さわやかな秋空と夕焼け        担当☆高橋民夫

きょうは国会と都庁を取材しました。

国会での取材は久しぶりで、
閣議終了後の野田聖子大臣の発言を収録。
取材場所は、国会の中の食堂でした。

国会議事堂の中は、数え切れないほどの部屋があるのに、
閣議後の大臣の会見は、廊下で行われたり
食堂で行われたりするのです。

但しこれは、国会が開会中で、本会議や委員会がある場合で、
閉会中や大臣が出席しなくて良い場合には、それぞれ
執務する自分の省(われわれは本省と呼んでいる)で会見します。

けさの野田大臣はニコニコしながらも、どこかしら浮かぬ面持ち!
というのも「政治と金」関連で、公正取引委員会から排除勧告を
受けた企業から、21万円の献金を受けていたことが
明らかになったからです。

いくつかの質疑に続いて記者からそのことを問われると
野田大臣はきっぱりと「えぇ間違いありません。返還します」
じつに切れ味よく答えたのです。

問題の中身はともかく、そのときの野田大臣の表情には
青空の下、透き通った秋風に包まれたさわやかさがありました。
(と、私には見えました)

なにか隠そうという様子が見え隠れする多くの政治家の中にあって
いつまでも、そのさわやかさを忘れないでいて欲しいものです。

野田大臣の会見の中で放送に使う部分を、本社報道部に送り
国会をあとにしようとして、議事堂を振り返ったさい、
見学に訪れていた子供たちの姿を見つけました。

国会見学の子供たち.jpg

そういえば、国会議事堂の中も外も、見学者でいっぱい。
議事堂の中では、赤じゅうたんを踏んでは感心し、
天皇陛下のご休息所では興奮し、
列を作って廊下を歩くときには、大勢のグループなのに
声をひそめて、騒ぐこともありません。

やはり威厳のようなものが、そうさせるのでしょうか。

子供たちには、国会周辺で吹いたりやんだりしている
「解散風」は見えなかったことでしょう。

さて、都庁に移動して驚きました。
誰でも自由に出入りできる都庁ではありますが、
あちらこちらから外国語が聞こえてきます。

中国から、あるいは台湾から、さらには欧米からの
観光客がそれぞれ観光案内コーナーなどに集まっていたもので
展望室へのエレベーターにも長い列ができていました。

国土交通省の外局に「観光庁」がスタートして、
外国からの観光客を倍の2000万人誘致しようということですが
観光客には、心から喜んでもらえるよう、また私たちは
観光客の行動や様子を見ることで、海外へ出かけるときの
参考にしたいですね。

夕刻、都庁から西の空を眺めると上空の雲が真っ赤に染まり
はるか遠くに富士山のいただきのシルエットを見ることができました。

何度も通り過ぎている場所なのに、何か新しい発見ができた
秋の日の一日でした。

投稿者 文化放送報道部 : 20:43

2008年09月17日

ステアーレースを取材して     担当☆高橋民夫

体、鍛えてますか?     高橋@防災です。

イザという時のために体を鍛え、
それが、結果として表彰されることは大いなる名誉です。

その挑戦は、東京タワーのビル屋上から大展望台1階145mまで
外階段約600段の駆け上がりタイムレースで行われました。

東京タワー.jpg

大地震や高層ビル火災さらにはテロなど、突然の災害に対して
一般の人々の防災に対する意識を高めると同時に
消防士・レスキュー隊員らのモチベーションと士気向上を
目指す「全国ファイヤーファイターフェスティバル」が
おととい、東京タワーを舞台に開催されました。

三連休3日目の敬老の日ということで、多くの家族連れが
1階広場に展示された、はしご車や消防バイクと記念撮影!
また、午前中から全国各地の消防本部などから
ステアーレースに参加する消防士やレスキュー隊員らが
続々と集まりました。
「高層階に取り残された尊い人命を救出せよ!」の指令に従って
数百段の階段をどれだけ早く到着できるかのタイムを競うのが
このステアーレースで、ニューヨークのエンパイアステートビルの
駆け上がりがよく知られています。

少々蒸し暑さは感じるものの、曇りで気温は27~8度
中にはニューヨーク市消防局員(Ladder 49 FDNY)の
2人の姿も・・・

やがて、防火服・防火ヘルメット・ボンベなど実際の
救出活動時に装着する合わせて20Kgを身に付けて
東京タワービル屋上のスタートラインに準備します。

午後3時半、去年国内第1回の福岡大会で優勝した
静岡市消防防災局の望月将悟さん(31)がスタート!

階段が狭いために、1分ごとに1人ずつがスタートし、
女性4人を含む127人がタイムレースに挑戦しました。

なぜか調子が悪かった人は、後ろの人に抜かれることもあり
全体で2人が途中棄権した、激しいレースの結果、
神奈川県川崎市消防局の原子武紀さん(23)が3分6秒で優勝、
去年の優勝者、望月さんは2秒差の3分8秒で2位でした。

このブログを書いているだけでも息が切れてきますが、
最高齢者55歳の大阪・堺市高石市消防組合消防本部の
義本孝次さんが5分8秒の106位、
一番時間がかかった人でも、6分23秒でした。

今の時代、高層化し複雑多様に進化する日本の
近代的建築物での災害において、高層階へ上がる手段が
自分自身の「体力」しか方法が残されていない場合に備えて
普段から、この「体力」を育成保持している現実を見ました。

横浜から参加した消防士が言いました。
「このレースに参加するのは勿論勝つためですが、
私たちの一番の目的は人命救助です。
自分が救助されることにならないように
普段から鍛えているのです。」と・・・

投稿者 文化放送報道部 : 19:49

2008年08月29日

溶岩が冷えて固まったんです  担当☆高橋民夫

高橋民夫@防災です。

ついに、行くことができました。
というほど、大げさなことでは、ありませんが、
行ってきました。
日本のナイアガラといわれる、 「吹き割りの滝」に・・・

関東は群馬県の北部、沼田から尾瀬、日光方面への
ロマンチック街道を走ると、やがて土産店の集落があります。

道路の両側に並ぶ店の入り口に「無料」の看板!

この文字に惹きつけられるように、ハンドルを切り
車を駐めると、すっと店のご主人が近づいてくる。

いやー、無料はうれしいですね。頼みますね。と言うと
えぇ、お帰りに何か一品でもお買い求めいただければ!?

そうだよね。と得心しながら、周辺を眺めれば、
どちらの店の前にも、「駐車無料」の看板???

坂道と階段を降り、渓流沿いを上流に向かって歩くと
いました、いました、観光客が。

深山幽谷の中、流れ下ってきた清流が、突然、
ふたつに割れた川の真ん中に向かって
水飛沫をあげながら落ちていく様子を見ていると
しばし、時間がたつのを忘れるほどでした。

吹き割りの滝.jpg

「吹き割りの滝」とも「吹き割れの滝」ともいわれる
この滝は、およそ900万年前に火山が噴火し、
このときに流れ出した溶岩が冷えて固まったもので、
最初は平らであったものが、軟質部分を清流が
浸食して、現在のような滝になったものと思われます。

下から見上げる滝も良いけれど、足元から落ちていく滝も良いもの。
このときは幸いにも、水量が多く、楽しむことができましたが、
普段は、水が少なく、その迫力を感じられないとか。

近くに老神温泉があり、冬はスキー客が集まるのだろうと
思いながら、吹き割りの滝をあとにしましたが、
おいしい空気を吸えたこともあって幸せのひとときでした。


沼田方面に少し戻ると、「望郷の湯」の看板が見えてきます。
内風呂と露天風呂、サウナがあり、
ゆっくり食事もできて、ここはお勧めです。

道路から左折したところにあって、隣りは道の駅。
地元で収穫されたばかりの野菜や果物を安く手に入れて
非常に満足した「安・近・短の旅」でした。

投稿者 文化放送報道部 : 18:08

2008年08月08日

あの日から23年        担当☆高橋民夫

文化放送報道部の高橋民夫@防災です。

また8月12日がめぐってきます。
お盆休みということで、東京の空も澄み渡ります。
真っ青な空に、モクモクと白い雲も立ち上ります。

あの日も晴れで、夕方になっても暑さが
なかなか消えなかった記憶があります。


昭和60(1985)年8月12日、
当時アナウンサーだった私は、朝から定時ニュースを担当。

いつもは退社する時刻を過ぎても、
なぜかその日、アナウンス部に残っていました。

誰かニュースを読める人間はいないか?と言って
報道部員が走り込んできたのは、確か午後7時ごろ。

おお、民夫がいた。
ジャンボ機の行方がわからなくなった!?
報道で待機していてくれ!

まず、「ただいま入りましたニュース」で第一報を伝え、
やがて、午後6時12分発の日航ジャンボ機
東京発大阪行きの123便がレーダーから消え、
行方不明に。

燃料がなくなる時間が近づいている、など
次から次へと入ってくる情報を続報として伝えました。

その後、泊まり勤務やデスククラスのアナウンサーと交代し、
午後9時過ぎ、報道部のG記者と私は、
いくつかの目撃情報をもとに
長野県と群馬県の山中に向かって、O運転手のハイヤーで急行。

なにせ、墜落現場が特定されていないのです。

頼りは長野県の北相木村方面という情報のみ。

O運転手は中央自動車道を急行。
車の量は多かったものの、渋滞がなかった記憶があります。

須玉インターで降り、暗い夜道を北に走ります。

目的地は深い山の中、
学校に長野県警の現地対策本部が設置されていました。

しかし、対策本部にも正確な墜落場所など
詳しい情報は一切入っていません。

そういうわけで、周辺の山道では、少しでも他社より早く
現場にたどり着きたいという各社の取材車のヘッドライトが
右に左に揺れ動きます。


対策本部では、長野県警の報道担当がマスコミ対応に
あたっていました。
この担当者は、2週間ほど前に発生した
長野市の地滑り事故で26人が死亡した事故の
マスコミ対応をしたばかり。

夜から未明にかけて、情報が入ってこないことに
気持ちばかりがあせっていましたが、
確か、夜が明けかけたころでした。

「皆さん、お集まりください」と大きな声、
「現場が判明しました。群馬県御巣鷹山の頂上付近です。
これより、対応は群馬県になります」と発表。

その担当者の声がこころなしかホッとしていたことに
私は、気が付いてしまいました。
(今初めて明らかにすることです)

電話で、本社報道部に「群馬県御巣鷹山の尾根です」と連絡後、
O運転手の車で、隣の県の上野村に向かいましたが、
あたりはまだ夜明け前。
道なき道を急行して、なんとか上野村役場に到着。

(あとで、O運転手が明るいときに、その道を走ってみたら
両側が断崖絶壁のところがあり、ぞぉ~っとしたそうです)

(それを聞いて、G記者も私も命が縮みました)

現地対策本部となった上野村役場には警察・消防、
それに自衛隊の救助チームらが続々と集まり、
あっという間に、密集状態。

そうした中、ここが前線本部になるため
ラインをひいてマイクをセット!!
各社、競争でした。

G記者と私は、対策本部の発表する最新情報を
定時ニュースに入れるとともに、報道部とも情報交換。

やがて、山歩きに強い先輩の報道部員も到着。
それまでの情報を確認し合って、取材のため
山に登っていきました。

それまでにやることは、いっぱいあります。
長丁場になることを覚悟し、われわれは近くの
生活用品を売っている小売店で下着を購入。

一方、テレビ局などは各社、数十人体制で取材に
きているので、宿をあっという間に押さえられてしまい、
われわれは、民宿のような、普通の民家のような家に
交渉し、部屋の中といわず、廊下といわず、
雑魚寝のように、交代でわずかな睡眠をとりました。

確か、すぐそばを神流川が流れていて、普段ならば
静かな山間地を思わせる村が、
いきなり人で埋め尽くされた感がありました。

昭和60年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故は、
乗客・乗員524人のうち、520人死亡という
世界の航空史上、単独事故としては最悪の事故でした。

あれから23年、
二度と同じようなことを繰り返さないために、
空の安全神話を取り戻すためにも
風化させてはならないのです。

合掌

投稿者 文化放送報道部 : 15:36

2008年07月25日

深夜の震度6強!

防災キャスターの高橋民夫です。

24日朝のニュースを用意していた午前零時半ごろ、
文化放送の局舎が、ユラリユラリと揺れました。

その数秒前、NHKテレビが「緊急地震速報」を伝えたため、
こころの動揺を抑えながら、揺れと地震情報を待ちました。

そのときの報道部の速報システムの写真がこれです。

08年7月岩手北部地震.jpg

写真は、岩手県沿岸で地震があったことを示しており、
左側の数字6.9は推定マグニチュード、2は東京の推定震度、
右側の数字37は、東京到達までのカウントダウン秒数です。

東京でユラリユラリと揺れを感じたとき、
スタジオで生放送中のパーソナリティー、K太郎くんが
その揺れの状況を放送してくれていたので、
最初の情報を手にするや、私もスタジオ入り。

「はい、東京でもかなり揺れましたが、東北地方です!
 
お伝えします。
午前零時26分ごろ、東北北部を中心に強いじしんがあり、
岩手県で震度6強、青森県で震度6弱を記録しました。

先月14日の土曜日にも大きな地震があったばかりの
岩手県で、また震度6強の地震です。」

と、第一報を伝え、新しい情報を取りに報道部にもどると
社員からと思われる電話がなっていましたが受話器をとらず、
宿直室に行っていたアルバイト君を起こし、続報を手に
再びスタジオ入り。

その間は、K太郎くんが第一報を繰り返すとともに
あわてずに対処するよう、放送でよびかけていてくれました。

続報では、震源情報と各地の震度、
および津波の心配なしという内容でした。

最初の段階で震源の深さが約120キロということで、
深いがために、広い範囲で揺れを感じた可能性ありと放送。

ここから、1時の時報の前まで、地震速報を放送。
幸か不幸か、番組がネットコーナーでしたため、
東北北部はもとより、北海道など被災地に向けた内容を
盛り込むことができました。

「停電の中で、家具などの下敷きになった場合、
家族がお互いに声を出し合って、無事を確認しよう。

明かりがあると落ち着きます。
懐中電灯を見つけ、けがをしないようにしよう。

近くに恐怖におびえている小さな子供がいたら
大人がしっかりと抱きしめて落ち着かせるようにしよう。

自宅の建物が無事だったとしても、余震でくずれるかも知れません。
家から避難所などへ避難するときは、必ず安全器(ブレーカー)を
切ってから出かけるようにしよう。
停電したとしても電気の復旧は比較的早いものです。

(現に地震に伴って青森・岩手・宮城・福島4県で
発生した計8611戸の停電は、午前6時40分ごろまでに
すべて復旧しました。)

あわせて緊急地震速報とNTTの災害用伝言板などを
含む内容で1時の時報前まで放送して、報道部に戻ると
そこには、既に報道部員5人の姿があり、ホッとしました。

その後、5人とともに情報を集めるなどするとともに
走れ歌謡曲、笑顔でおは天!!吉田照美ソコダイジナトコ、
くにまるワイドごぜんさま~の各番組内で
地震情報をまとめ、レポートしました。

震度6強、マグニチュード6.8という大きな地震でしたが、
死者は出ず、全壊家屋など一棟もなかったことは不幸中の幸いでした。

さて、今年の9月1日(月)11時~12時は
全国38局を結んで、防災の日スペシャル 
「尊い命を守るために」を放送します。
番組では、6月の「岩手・宮城内陸地震」、今回の岩手北部地震、
それに5月の「中国・四川大地震」を検証し、
合わせて『こころのケア』を探ります。

ゲストに、四川大地震の被災地で子どもたちと触れ合い
直接『こころのケア』にあたってきたアグネス・チャンさんを
お迎えして、番組を展開します。

もちろん、私も出演します・・・
ぜひ、お聞きください。

投稿者 文化放送報道部 : 12:23

2008年07月08日

非日常の訓練?         担当☆高橋民夫

報道の長老で防災キャスターの高橋民夫です。

昭和22年4月、神奈川県・寒川神社のそばで生まれた私は、
間もなく、同じ神奈川県の大和市に引越しました。

戦後間もなく、食べ物がほとんどない時代で、
大和市の小田急江ノ島線・鶴間駅から約1キロの自宅は
松林や雑木林の中で、木の少ないところを開墾し、
ほぼ自給自足の生活をしていた記憶があります。

野ウサギが駆け回り、その餌となるオオバコが
密生していました。また松ヤニもたくさんとれ、
シャボン玉で遊んだ思いでもあります。

隣りといえる家まで数百メートルの距離があった地域で、
電気が配線されておらず、ランプの生活でした。

やがて、東京都内の電気のある生活に移りましたが、
子供の頃は、何度も停電があったことを覚えています。
ちゃぶ台を囲んで家族が集まったものでした。


時は移って平成20年7月7日。つまり、きのうの七夕の日。
洞爺湖サミットの初日にちなんで、地球環境を考える日に設定された
「クールアース・デー」の夜、東京タワーなど全国の名所や店舗で
一斉に電気を減らす「七夕ライトダウン」が行われました。

このライトダウンは、環境省などが呼びかけたもので、
昨夜8時から10時までをめどに、全国7万6000の施設が参加。
ある町では、駅前の商店街の看板や街路灯が消されたため、
自分の自転車を探したり、鍵をあけるのに手間取る人が多く、
懐中電灯を持ったボランティアの活躍が目立ちました。

昨夜のライトダウンによって、どの程度の二酸化炭素の排出が
抑制されたかは、後日の発表を待つこととして
災害などが発生していない「日常的な」生活の中で
停電に似た「非日常的な」生活がつくられたことは、
ある意味で、災害が発生したときの対処を学ぶ
訓練になったともいえそうです。

実際の停電のときには、被害の程度によるものの
しばらくは、真っ暗闇におしつぶされそうになります。

そんなときのために、私がいつも持っている防災3点セットがこれです。
笛など防災3点セット.jpg
これまでにも、何度かお話をしている通り、
家屋が倒壊して下敷きになって動けない場合、
助けを呼びつづけていると声帯をやられ、声が出なくなります。

自宅の前に、重機とともに救助隊が来ても声が出なくては・・・

そんな時のために、自分の存在を示す「笛」
停電でも自分の手元などを明るくする「ミニライト」
そして、大切な情報をもたらしてくれる「携帯ラジオ」

いつ、自分の身に降りかかるかわからない災害
それに打ち勝つためのサバイバル!
そんな話が、昨夜の「七夕ライトダウン」で
家族会議の話題に上ったならば、防災上、大成功なのに・・・

投稿者 文化放送報道部 : 13:26

2008年06月20日

バーチャルなコミュニケーション  担当☆高橋民夫

家の中から、ちゃぶ台が消えて久しい。


夕方、どの家の台所からも夕餉のしたくの音が聞こえ、
やがて、母親が子どもを呼ぶ声が聞こえる。

「○○ちゃーん、ごはんよ!」

「はーい、いま行く。」

「○○ちゃーん、何してるの?」

「はーい、今行くってば・・・」


東京秋葉原の無差別殺傷事件の加藤智大(ともひろ)容疑者は
少年のころ、こういう会話を交わしていたのだろうか?

小さいころは、さすがにこれらの会話はあったかも知れないが、
やがて、「うるさい!ご飯は食べたいときに食べるよ!」となり
一切、会話の成立しない状態に変わっていったのではないだろうか?


携帯からインターネットに殺人プログラムを送信し、
「気が付いた誰かが止めてくれると思った」と言う。

「甘えるんじゃない!」と思った。

その一方で「それほど話し相手が欲しくなったのか?」とも思った。

推測に過ぎないが、家庭内の会話を断ち切ったのも、
面倒くさいことは、我関せずでいこう!と思ったのも自分じゃないのか!


機械を使ったバーチャルなコミュニケーションは、体温が感じられず
相手が喜んでいるのか、不快感を表しているのか表情をつかめず、
結局、依存しすぎると本質的に孤独になっていくに違いない。

その、加藤智大容疑者がきょう、殺人容疑で再逮捕された。

毎日、職員から食事を知らされるとき、
感謝の気持ちをもって会話をしているのだろうか?


あの事件がきっかけで、秋葉原の歩行者天国がしばらく休止に。
町が判断することで、私が是非を論ずることではないと石原都知事。

石原都知事.jpg

現代の日本の社会が豊饒で、先端技術が急速に進み
便宜性に満ちていても、悲しいかな本当のコミュニケーションを阻害する。


これだけ便利になった世の中なのに、想定外の出来事が多く発生。
町の中を歩いていても、何が起きるかわからない。

そんな中「何がなんだかわからなかったが救命の講習を受けていたので
気持ちを切り替えて、倒れていた人に駆け寄りました。」という女性。

「何から手をつけてよいかわからなかった。パニックでした。」
と語る、たまたま通りすがりの医師。

呆然と立ち尽くしたり、写真を撮るなどしていた多くの人たちの中で
被害者を救護した人たちにきょう、感謝状が贈られた。

果たして、そこに居合わせていたらできただろうか?
自問自答しながら、亡くなった方々に合掌するとともに、
救護に協力した人の多さに、救われた思いがした。

投稿者 : 18:08 | コメント (0)

2008年06月04日

教訓の継承           担当☆高橋民夫

1970年入社の高橋民夫@防災です。

入社以来、数々のニュース現場に居合わせたり、
現場のその後を訪ねたりしています。

きょうの報道部日記を担当するにあたり、
17年前の6月3日のことを思い出し、
書くことにしました。


「雲仙普賢岳・大火砕流で43人死亡」です。

長崎県の雲仙普賢岳の頂上付近で
噴火によるものとみられる白い煙が上がったのは
その前の年の確か11月でした。

火山学者らは198年ぶりの噴火の様子に驚くとともに
厳重な注意を払い始めました。
頭の中に「島原大変、肥後迷惑」の文字が浮かんだからです。

しかし、約2世紀ぶりの噴火は、別な意味で多くの尊い命を奪い、
行政、学者、マスコミに大きな教訓を残しました。

普賢岳の裾野周辺は時間の経過とともに降灰が覆い、
強い雨が降るたびに、巨石などを巻き込んだ土石流が相次ぎました。
やがて噴火が続く普賢岳では、特徴である溶岩ドームが形成され、
土石流とは違う災害、火砕流が発生し始めました。

この噴火災害に見舞われた地域に住む住民らに避難するよう
指示が出され、火砕流の規模が大きくなるにつれて、
警戒地域が設定され、鐘ヶ江市長は立ち入り禁止を出しました。

連日の火山活動に国内のマスコミは取材を続けていましたが、
この雲仙・普賢岳の火山活動を注目したのが、世界的に有名な
火山学者の夫婦で、その活動を観測するのに最も良い地点を選び
研究を続けました。
その場所がこの写真の三角地点です。

雲仙普賢岳の三角点.jpg

なぜ、三角地点が?
それが、今から17年前の1991年6月3日の大火砕流で
43人の命が奪われた場所を示している碑となっているからです。

立ち入り禁止となっていた地域内ですので、
誰もいないはずでした。

ところが、あの火山学者夫婦と取材中の記者・カメラマン、
さらに警戒にあたっていた消防団員や警察官それに
タクシー運転手ら合わせて43人が午後4時過ぎ、
一瞬にして大火砕流に飲み込まれ命を奪われました。


この噴火災害に文化放送報道部の記者も連日、
現地で取材を続けており、この日もM記者がいました。

ところが、当日報道部のKデスクが、4時前のニュースで
最新情報を電話レポートせよ!と指示を出したため
それまで三角地点で取材をしていたM記者は、
島原市内へ移動して、生放送で状況を伝えました。

レポートを終えて、また取材地点へ戻ろうとしていた
午後4時3分、大火砕流があの三角地点を襲ったのです。

結果的にKデスクが、M記者の命を救いましたが
立ち入り禁止となっていた警戒区域で、
多くの人命が奪われたことを鐘ヶ江市長は悔やんでいました。

被災地では、火山との共生を合言葉に治山・砂防対策を進め
住宅地の再開発なども進められました。

17年前の火山噴火災害で、地元の住民らからは、
留守宅に勝手に入り込んで電源コンセントを使用した、
被災者たちの気持ちを十分に考慮しないで取材したなどの
批判の声があがりました。

取材する側としては基本的に守らなければならないことです。

また、危険が予測できる地震や噴火の被災地での取材や
原子力事故、さらには鳥インフルエンザでの取材などでは、
安全を考慮した取材を指示するのもデスクの役割です。

きのうの6月3日で17年、
現場や過去の取材は多くの教訓を残してくれています。


投稿者 : 20:37

2008年05月19日

中国四川省で巨大地震   担当☆高橋民夫

今あらためて地球エネルギーの脅威を感じている
文化放送防災キャスターの高橋民夫です。

中国四川省を襲った地震から8日目を迎えました。
発生直後から、被害の大きさを予想することはできましたが、
時間の経過とともに入ってくる現地からの情報は
想像以上に厳しいものばかり。

倒壊した学校や工場などの下敷きになっている住民が多数!
といっている状態からすれば、1秒でも早く被災地への
救助隊到着が望まれました。
しかし、これほど道路や橋などが寸断されているとは
考えられなかったのかも知れません。

中国国内はもとより、近隣諸国への「SOS」は
もっと早く出して欲しかったですね。
リーダーには、この判断が求められます。

さて地震の規模を示すマグニチュードもきょうになって
M7.8からM8.0に修正されました。
0.2の変化は、揺れの大きさでいうと約2倍で、
1923年の関東大震災を超える巨大地震となります。

これを書いている今も、現地からの情報が入っていて
四川省綿陽市の北川県で164時間ぶりに女性1人救出、
また、四川省徳陽市でも165時間ぶりに1人が
                  救出されたそうです。
人間の生命力のすばらしさにも敬意を払います。

新潟県中越地震やパキスタン地震のような山岳地震では
救援活動が思うようにいかないことに加えて、
余震と雨による土砂崩れ、あるいはせき止められてできた
池や湖などの堰が切れて、村を押し流すことも考えられます。

普段は、プラス志向で生きている私ですが、災害に関してだけは
「悲観的に備え、楽観的に対処する」ようにしています。

今回の巨大地震に心からお見舞い申し上げますとともに
学ぶべき点については、きちんと記憶にとどめたいと思います。


一方、国内に目を転じると、5月8日の午前1時45分、
茨城県や栃木県の一部で、震度5弱の地震がありました。
そのとき私は報道部で仕事中。

実は、同じ茨城県沖を震源とする地震は前日7日の
午後から幾度か起きていたのが後でわかりました。
そして深夜の1時45分ごろにはいくつか相次いだため
しばらく、私の体は気持ち悪い揺れの中にありました。

5月8日午前1時45分の揺れ分布図です。
茨城など震度5弱.jpg

このときの地震で、最大震度5弱が観測されたことで、
NHKのテレビ・ラジオ、それに民放テレビは
気象庁が出した「緊急地震速報」を伝えました。

昨年10月に運用を開始してから、関東地域で出たのは
初めてですが、地震発生から58秒後だっただけに
ほとんどの地域で揺れた後に発表された形で、
気象庁は「すぐに出せるよう努力する」としています。

なお、ご承知のように文化放送、TBSラジオ、ニッポン放送、
ラジオ日本、東京FM、それにJ-waveの在京民放ラジオ6社は
「緊急地震速報」を出す基準を最大震度5強としており
8日未明の地震に関しては「地震情報」として放送しました。

在京の民放テレビでも、震度5強以上を基準にしようとの
動きもみられるようですが、
被災者のために良かれという情報だけに、国、気象庁、
マスメディアそれに防災機関を含めて、わかりやすいものに
しなければなりません。

多くの人々の生命を守るためにも、
多大な努力を惜しまず、ともに頑張りましょう。


投稿者 : 13:25

2008年05月02日

7年8ヶ月ぶりに空路再開     担当☆高橋民夫

文化放送報道部の高橋民夫@防災です。

地震活動期に入った国内、各地で震度4程度の地震が続き、
宮古島の時には、初めて地元地域に緊急地震速報が出ました。
いつ、どこで、どの程度の地震が起きるかわかりません。
脅かすわけではありませんが、正しく畏れ、備えてください。


一方、私が注目していた火山噴火災害の被災地三宅島に
4月26日(土)、全日空のボンバルディア機が飛びました。
待ちにまった空路再開ということで、羽田空港には、
冬柴国土交通大臣や平野三宅村村長、それに全日空社長らが
出席してセレモニーが行われました。

この羽田空港に取材に行きましたが、特に目立ったのが
都立三宅高校の3年生の男女19名でした。
生まれたときから三宅島で生活している高校生、
2000年夏の全島避難で島外生活も体験したその高校生らが
空路再開を喜び、周囲の努力に感謝し、
         三宅島への来島を呼びかけました。


その正式な空路再開を前に4月23日、羽田から三宅へ
チャーター機が飛び、長年飛行機を待ちわびていた
三宅島空港などで記念式典が行われました。
写真はチャーター機で駆けつけた東京都の石原知事らが
三宅村の平野村長らとテープカットしているところです。
                     (写真提供 東京都)

080502_tamio.jpg

三宅島に飛行機が飛んだのは、2000年8月以来7年8ヶ月ぶり。
ヘリコプターが就航しているとはいえ、羽田を結ぶ時間や乗客数で
定期便の再開をどんなにか待ち望んでいたことか。

チャーター機が飛んだ4月23日も火山ガスの量、ならびに風向きに
恵まれ、さらに再開初日も同じように条件に恵まれ、運行しました。
全日空では風向きなど条件が悪ければ引き返すこともあるとしており、
島の住民も観光客も、飛ぶか飛ばないかはお天気次第と不安げです。

現に、就航再開後の運行状況は、再開日の26日が○、
27日×、28日×、29日○、30日×、5月1日○で5割という厳しさ。
ここにも自然との共生の大変さを感じ取ることができます。

また、毎日定期便が就航していたころは、YS11型機だったのが、
そのYS11型機も日本の空からすっかり姿を消し、
今ではボンバルディア機に変わりました。
空路中断の期間がいかに長かったかこのことでも知ることができます。

空路が再開されたことでもあり、
        また三宅島に行きたくなった高橋@防災でした。

投稿者 : 09:14

2008年04月15日

春は菜の花、秋にはコスモス   担当☆高橋民夫

浜松町の文化放送から歩いて約10分
汐留の近代ビルを背景に
菜の花が咲き乱れているところをご存知ですか?
浜離宮の菜の花.jpg
そうです。浜離宮です。

正式には、浜離宮恩賜庭園といい、
国指定の特別名勝及び特別史跡です。

私の生まれるちょうど1年前の昭和21年4月1日に
開園した浜離宮は、もとはといえば、
江戸時代の代表的な大名庭園で、
最近の海辺の庭園の中でも珍しく、現在でも
実際に海水が出入りしています。

以前、隅田川を通行している水上バスで、
この浜離宮に行ったことがあるのですが、
陸上からはどのように行くのかな?と思っていました。

そんななか、宿直明けのとき、お昼過ぎに築地で
仕事関係の人と会う約束があり、会社を歩いて出発。
竹芝桟橋に向かい、やがて首都高速1号羽田線の下を左折、
汐留川に沿って、汐留・築地方面に歩くとすぐ、ありました。

中の御門口!感激して入園料300円を払い中に入ると
うわさにたがわぬ広さ。
庭園の中ほどから振り返ると近代ビルがいっぱい。

すぐそばには、むせかえるような菜の花畑。
数えると30万本ありました??
この菜の花畑の隣りには、ボタン園が並び、
春の日差しを浴びながら、外国人の観光客や
家族連れらが、散歩をしていました。
この菜の花畑も、秋にはコスモスが咲き乱れるとか・・・

4月12日から園内では、八重桜ライトアップが実施されており、
20日の日曜日まで、このときだけは夜8時半まで入園が可能で
たっぷりと花をつけた約70本の八重桜を楽しむことができます。

また、これから夏の季節にかけて、水上バス発着所を利用する
若者たちにとっても、素敵なデートコースになります。

しばしのんびりと散策して大手門口から外へ出ると別世界。
新橋駅あるいは築地市場駅のそばの喧騒の中に戻された
自分を、ふと見つけた春のある日でした。

PS. その後築地での仕事上の関係者との出会いも
ゆったりと、充実したものであったことを付記しておきます。

投稿者 : 15:09

2008年03月28日

あす満開を宣言します。       担当☆高橋民夫

桜坂放送局(仮称)の花とおじさんの高橋民夫です。

東京などできのう、桜(染井吉野)が満開になりました。
なるほど開花して約1週間、桜ってえらいな!?

気象庁によりますと、東京の桜の満開は、
1953年に統計を取り始めてから3番目に早く
去年に比べ、2日早いということです。

「花のくも 鐘は上野か 浅草か」
咲きそろった桜は、まさに雲のようにたなびきます。

数え切れないほどのつぼみがいっせいに開き
ほぼ1週間、ながくて半月ぐらいの寿命の桜は
その短命さゆえに感動を与えてくれ、
青空の下でも、また闇のなかの灯りの下でも
主張することなく、存在を示してくれます。

そんななか、福山雅治さんの歌で有名になった
東京都大田区の「桜坂」は、けさ4~5分咲きでした。

大田区の蒲田駅と多摩川駅を結ぶ東急多摩川線・沼部駅
その改札口のところに、恒例「桜坂地図」が貼りだされています。
桜坂の案内地図.jpg
まさに略図ですが、蒲田からきた人は改札出て右方向へ約5分!

ちなみに、間違えて左へ行けば、1分で多摩川河川敷、爽快です。

けさの桜坂の染井吉野は4~5分咲きと書きました。
あす(29日)の土曜日、私は満開を宣言します。(勝手に)

土曜日曜は大勢の若者や福山ファンが集まることでしょう。
でも車は避けたほうがよいと思います。

たかだか300メートルぐらいの桜坂に車がぎっしり!
道路は片側1車線の狭い道、駐車スペースもありません。
渋滞に巻き込まれると大変なことになります。
ご注意ください。

この桜坂も良いのですが、私のお勧めは
沼部駅から1分、桜坂のふもとを直角に流れる六郷用水の水辺です。

東光院のわきには、昔なつかしい水車がコトンコトンと音をたて、
用水の水辺には甲羅干しをしている亀が首をのばし、
大きな鯉は気持ちよさそうに泳ぎまわり、
六郷用水わきの歩道の上は、桜のトンネル。

沼部駅から多摩川駅までの7~800メートルも続き、
行き交う見知らぬ人たちと挨拶を交わす。

「春の小川」のような景色が続く、この六郷用水の水辺、
いつでも私のこころを癒してくれる場所となっています。

また、沼部駅の反対側は多摩川河川敷、
私がこどものころは、泳いでいた人がおぼれるなど
事故もありましたが、
ブランコや野球場で遊ぶこどもと、それを見るおとなたち。
川の上をわたる鉄橋は、新幹線がひっきりなしに行き交い
遠くのゴルフ練習場からは、ボールを打つ音が
風にのって聞こえてきます。

昔、丸子の渡しがあったこの付近は、時間の経過を忘れられる
観光の名所がいっぱいです。

以上、桜坂放送局(仮称)の花とおじさん、高橋民夫でした。

投稿者 : 09:51

2008年03月12日

桜坂の取材ならおまかせくだい。    担当☆高橋民夫

いつもは高橋民夫@防災です。
今日は角度を変えて書きましょう。

私は別名「花とおじさん」として早朝番組に出ていました。

数年前から私の住まいの周辺がにぎやかになりました。
あの福山雅治さんの歌で有名になったからです。
正直、驚きました。
だって子供のころから育っていた我が家の周辺が
テレビのワイドショーで取り上げられる舞台になろうとは・・・

大田区田園調布本町の桜坂。実在します。

でもなんていうことのない、普通の坂道です。
確かに昔から道の両側に桜の木が植えられていたので
福山さんの歌の出る前から「桜坂」と言われていました。

ほんとになんてことない普通の桜坂なんです。

それなのに、福山さんの歌が有名になったら
突然、全国各地のナンバープレートの車や、
近くのおばさんたちのグループが集まってくるようになりました。

もよりの東急多摩川線沼部駅の駅員もこの時期になると少々迷惑顔。
改札口の窓ガラスに「桜坂は、改札出て右、徒歩3~4分の坂です。」
と書いたビラを貼っているほど。
道を聞く人が本当に多かったんでしょうね。

その桜坂もまもなくテレビのワイドショーなどで取り上げられると思いますが、
それらのどの放送局よりも早く、今の状況をお伝えします。
略して桜坂放送局!!・・・

でも、咲いてないじゃん!!
たったひとひらの花さえ咲いてないじゃん!?

そうです。だから地元の情報として取り上げました。
どのマスコミも取り上げない生の情報です。

写真は、桜橋と桜坂の様子です。
桜咲く前の桜坂.jpg
きっと、まもなく気象庁から開花宣言が出るころ
この桜坂に取材陣が集まってくることでしょう。

でも、桜の花が咲いていないのに取り上げたのは
この文化放送報道部のブログだけではないでしょうか。

勝った!!
ではないのです。私が住んでいる周辺のことですから、
だからこそ、報道部日誌に取り上げ、やがて多くのマスコミが
取り上げるであろう「桜坂」の様子をお伝えしたのです。

あと2週間もすれば、東京都内のどこでも桜の情報が
流れると思いますが、冬から春へ移行するつぼみの状態の
桜坂の様子を全国各地の桜坂ファン、いえ福山雅治ファンに
伝えることができれば幸いです。

桜が咲き、見にきてくれる人に「我が家に寄ってね」とは申しませんが、
くれぐれも桜橋に落書きなどしないようにお願いします。

地元では、大きな悩みになっていますので・・・・

投稿者 : 21:00

2008年02月25日

竜巻注意情報が来月スタートです  担当☆高橋民夫

高橋民夫@防災です。

昨年から、突風等短時間予測情報利活用検討会の
メンバーとして、気象庁での会議に参加しています。

この検討会は、平成18年9月の宮崎県延岡市、
同じく18年11月には北海道佐呂間町などで
竜巻などの突風による大きな災害が相次いだため
雨と風の動きを三次元で連続して監視できる
気象ドップラーレーダーの整備や数値予報モデルを
より詳しいものにして、竜巻などの発生を察知し
地域住民に注意を呼びかける情報を提供しようと
検討してきたもので、
この動きの中で、来月=3月26日から
「竜巻注意情報」が発表されることになりました。

すでにこのニュースは1月半ばに気象庁から
発表されていますので、ご存知かもしれませんね。

2月22日に気象庁で行われた検討会で私は、
「減災の意味から、システム整備などが整った状態では
注意情報の発表も良いけれど、竜巻注意情報の意味、
それに、情報を聞いた住民はどう行動するのか、
これをきちんと理解してもらうことが急務」と提言しました。

「竜巻注意情報」のパンフレットがこれです。

竜巻注意情報.jpg

これは表紙で、開くと内容はA4型で全6ページ。

これまで、落雷や突風などによる被害が予想される場合には、
「気象情報」や「雷注意報」が発表されていましたが、
アメリカでの「トルネード」のようなものが少ないことから
「竜巻」の危険性については触れられていませんでした。

それが今度からは、半日か1日前に「竜巻など激しい突風の
恐れがある」との気象情報が発表されます。

その後、発生の恐れのある数時間前に、「落雷、ひょう等とともに
竜巻の恐れがある」との雷注意報が発表されます。

そして1時間前か直前「今、まさに竜巻の発生しやすい気象状況に
なっている」との竜巻注意情報が発表されます。

ところが、ご承知の通り、竜巻は発生した場合、1箇所に
とどまっているわけではありません。
このため、竜巻注意情報は発表から約1時間経過する
時間まで注意が必要です。と明記するということです。

そして、屋外で竜巻注意情報が発表された場合、
すぐに近くの頑丈な建築物に避難してやり過ごすこと。
窓のすぐそばにいると割れて大怪我をする危険があり、
窓のない部屋に移動したり、カーテンをしっかり閉めること。
電柱や太い樹木も倒れることがあるので近寄らないこと。

これらを知っておく必要がありますが、もうひとつ!
普段の生活の中で、突然真っ黒い雲が近づいてきて、
周囲が急に暗くなり、ヒヤッとした冷たい風が吹き、
雷鳴が聞こえたり、雷光が見えたりして、
大粒の雨やひょうが降り始めたときには
発達した積乱雲が近づいた兆しで、
自分の身を守る行動が必要です。

気象庁での利活用検討会で今後も提言し続けます。

投稿者 : 21:13

2008年02月08日

「すっごい人です!」の連発でした  担当☆高橋民夫

2008年2月8日金曜日、久しぶりに都庁に行きました。

大阪府の橋下知事が東京都庁を訪れ、
大先輩にあたる石原都知事に就任の挨拶をしたからです。

都庁舎に入るなり、「でっかいな!?さすがに金がある}と
ひとりごとを言いながら、エレベーターで上に上がり、
石原知事との「ご対面」を取材しようと待ち構えていた
われわれの前に姿をあらわした橋下知事の笑顔はひきつりぎみ。

この写真が、その「ご対面」の様子で、われわれの前では
あたりさわりのない二言三言を交わしただけでした。

橋下・石原両知事.jpg

時間にして約5~6分、この直後に冒頭取材は終わり。
別の部屋で待機するわれわれ取材陣の前に
再び橋下知事が姿をあらわしたのは午後2時近くでした。

最初から上気していた橋下知事はおよそ30分の会談後
取材陣の前に姿をあらわしましたが、
その目は少しうるんでいるようにみえました。

会談の具体的な内容こそ明らかにしませんでしたが、
橋下知事は「すごい!なんていってもすごい人ですね!」を連発。

「時間が少なくて非常に残念です。石原知事のお宅に伺ってでも
たっぷりお話を聞きたい。大先輩の一言一句が勉強になりました。」

興奮しながら、すっかり石原知事のカリスマ性に魅せられた様子でした。

なんとか具体的な言葉をと食い下がる記者の質問にようやく
「東京はひとり勝ちといわれているが、東京と大阪が盛り上がることで、
日本が盛り上がる。できる限り連携したい。」と答えていました。

橋下知事は全知事の中で最年少の38歳。
石原知事の一番下のご子息よりも若い年齢と弁護士という職業に
石原知事は会見で、「官僚など役人でないところが良い。
また、裁判で相反するような立場の人を弁護する感覚を生かすと良い。」
と、語るとともに、都知事に就任したときに、中曽根元総理大臣から
伝授された「五カ条の忠告」を橋下知事にも伝授したと述べました。

そして、「大事なのは役人にだまされないこと」と話したものの、
「橋下知事はもうだまされているようだった!?」と苦笑い。

きょうの東京もうでに大阪府の職員5人、大阪からの同行記者12人。

分刻みのスケジュールに橋下知事の手にはノートが握られていました。

投稿者 : 18:30

2008年01月04日

1年前は大雨でした       担当☆高橋民夫

入社して38回目のお正月を迎えた
文化放送防災キャスターの高橋民夫です。

毎年1月6日は東京消防出初式の日。
取材を含めてここ十数年間、有明あるいは
東京ビッグサイトの会場に足を運んでいます。

災害への備え 今がその時!をテーマに行われる
今年2008年の出初式も、1月6日、
あさっての日曜日、東京ビッグサイト東駐車場で開催されます。

今のところ、東京の天気予報は晴れときどき曇り、
最高気温も14度ぐらいということで、
条件の良い中、分列行進や大規模救助活動、
さらに震災消防活動演習などが繰り広げられそうです。

また、出初式の起源が江戸時代の1659年、
明暦大火の2年後に定火消し隊が結成され、
上野東照宮前で「出初」を行い、気勢をあげたことに
よることから、毎年の出初式の会場で、
江戸消防記念会による伝統の木遣り行進・はしご乗りが
披露されています。

去年の東京消防出初式でも披露されたのですが、
あいにく大雨が降っていたため、写真のように
屋内でのはしご乗りとなりました。

2007年出初式 雨.jpg

今年は、晴れて太陽の下、透きとおった木遣り節と
はしご乗りが大勢の観衆の前で披露されることでしょう。


ところで、9時45分から始まる出初式と同時に
隣りの広場では、はしご車・消防車両の乗車などが
抽選で体験できます。(抽選は11時まで)
この、はしご車は私、何度乗っても怖さを感じちゃうんです。

さらに上空には消防庁のヘリコプターが飛来し、
東京湾上からは、一斉放水演技が行われるなど
カメラを持った観客も大喜び。

会場には誰でも行くことが可能で、交通機関は
JR浜松町駅から都バスで約30分、「東京ビッグサイト」下車
JR東京駅八重洲口から都バスで約40分「東京ビッグサイト」下車
あるいは、
臨海副都心線「国際展示場駅」下車徒歩10分
ゆりかもめ「国際展示場正門駅」または「有明駅」下車徒歩10分です。

私、高橋民夫も出初式会場にいます。
では、会場でお会いしましょう。


投稿者 : 10:08

2007年12月21日

三宅島、復興へまた一歩前進!?  担当☆高橋民夫

文化放送報道部の防災キャスター、高橋民夫です。

きょうは、東京から南南西へ約180キロにある三宅島についてです。
あの噴火開始から7年半、今なお火山ガスの噴出に悩まされる島で、
島に上陸する際には、ガスマスクが必要で竹芝桟橋で購入できます。

一方、帰島した島民らの努力で、農業や観光業も徐々に戻りつつあり
島内の学校に通う若者たちも、噴火災害を前向きに考え,
復興策を提言した都立三宅高校の取り組みが、このほど
ぼうさい甲子園(1・17防災未来賞)で優秀賞に選ばれました。

そして、なによりもうれしいのは、緑の面積がどんどん増えていることです。
立ち枯れた木の三宅島.jpg
確かに写真のように、ガスのため立ち枯れた木も多く、台風のような
猛烈な風雨の中では、土石流となって山すそへと流されます。

しかし、その流された山肌に、木の緑が芽吹き始め、着実に
真っ青な空、真っ白い雲、陽光を反射する緑が戻ってくることでしょう。

こうした中、三宅島観光協会が一般の人を対象に公募していた
三宅島観光協会の事務局長が決まり、12月19日に発表されました。

新しい事務局長に選ばれたのは、神奈川県小田原市の横山知己さん48歳!
横山さんは、NPO法人の職員で、スポーツイベント関係の会社に
勤めたことのある経験や、三宅島観光再生への熱意がかわれたということです。

観光協会が一般から事務局長を公募しているということは、吉田照美さんの
番組内、朝イチデリバリーで放送しましたから注目していましたが、
このほど、横山さんにきまったもので、きっと近いうちに会えるものと思います。

現在、三宅島の阿古の港近くにある観光協会。
今回の噴火災害に見舞われる以前から、島内サイクリングレースや
磯釣り大会、さらには島の名産品をと努力を続けてきました。

最近では、観光協会の会長が交代しましたが、
前の会長も、現在の会長も、親しくお付き合いさせていただいています。

新しく事務局長になった横山さんも、数多くの人々の輪の中で、
火山との共生を探りながら、大いに打って出てほしいものです。

来年の春からは、1日1便とはいえ、羽田と三宅島の空路、再開予定。
季節ごとに目を楽しませてくれる花々、海ではダイビングも釣りも・・・
そして山の中心の雄山の上の方では、牧場も戻ってくることでしょう。
全国から観光の皆さんが集まってきてくれることを望みます。
私も、応援し続けます。

投稿者 : 10:00

2007年12月05日

連続19年の努力に敬意       担当☆高橋民夫

寒くなりました。お元気ですか?
報道、最長老で防災キャスターの高橋民夫です。

今年も12月最初の日曜日の2日午前9時、
品川区八潮パークタウン内、しおじ公園に行ってきました。

第19回の防災訓練に参加するためです。

この団地に住む、テレビ関係者と知り合いだったため
声をかけられたことが、そもそものきっかけでした。

この日は、12月とは思えないほど暖かい、良い天気に恵まれ
団地のそれぞれの棟から、家族・親子連れらが集まり、
午前中いっぱい行われた防災訓練に取り組みました。

訓練は参加型で、プラカードを先頭に各号棟から集まった
住民が整列、開会式に続いて「トリアージ」。
青いビニールテントの上に負傷者を演ずる住民が横たわり
やはり団地内で開業する医師が説明を始めます。

手元から取り出したカードには緑・黄・赤・黒の色分けがしてあり、
これは、治療が必要な負傷者を効率よくさばくもので、
緑は軽傷者、黄は軽傷ではないものの、さほど急を要しない者、
赤は緊急に手術などが必要な重傷者、そして黒が死亡した人です。

トリアージは大きな災害が発生した際、軽傷でも治療を受けたい患者が
比較的早く医療機関に駆けつけ治療を受けていると、重傷患者が
きたときに、すぐに対応できなかったという阪神・淡路大震災の
教訓を生かそうと整備したものです。

しかし、ついつい軽傷者でも早く治療をして欲しいと思うのが人の常、
ぜひ、この「トリアージ」を全員が知ってスムーズな治療を望むものです。


トリアージ 八潮防災.jpg

このトリアージに続いては、全体が3班に分かれて、
①天ぷら油の火災に備えて、初期消火訓練
②団地のベランダから避難が必要な場合の隔壁破壊訓練
③電話機セットが用意されて火災・救急通報訓練
が行われ、こちらの場所では「火事だ!火を消せ!」の声。
また、あちらではフライパンを持った住民がバシッと隔壁を破壊。
通報訓練では、思わず自分の住所を忘れて笑い声!?

幼稚園の講堂を使って、私の防災講座もあれば
起震車で震度7の揺れを体験したり、
そして無事、終了式を終えて参加賞をもらい、
炊き出しのカレーライスをおいしく食べて笑顔で解散でした。

こうした防災訓練は地域の、あるいは同じ号棟の住民が
顔を合わせて行うことが大切で、子供たちにも参加意識を
持たせる意味で、消防自動車のミニカーを公園に用意したり
大きな鍋でカレーを作り、三々五々集まって食べるなどの
工夫がこらされています。

こうした訓練が、品川区役所や地元消防署、
さらに地元警察署の担当者が異動などで変わっても
連続19年も続いていることに敬意を表するとともに
ささやかながらもお手伝いできることに誇りを感じます。

また、1月17日がめぐってきます。

災害に対する初動は、訓練を体験している人と
体験していない人とでは、まるっきり違います。

大きな地震災害が明日にもあるかも知れません。

大事なことは「正しく畏れ、いたずらに怖がらない」ことです。
そして、災害のとき、イザというときラジオです。
少しでも被害を少なくする「減災」に向けてともに頑張りましょう。

投稿者 : 10:00

2007年11月20日

第1回廣井賞を受賞しました    担当☆高橋民夫

文化放送防災キャスターの高橋民夫です。

去る16日と17日の2日間、私は「日本災害情報学会」出席のため、
長崎県島原市の復興アリーナに行ってきました。

私は、日本災害情報学会の発足時からの会員で、
今回、第9回の総会と研究発表会、廣井賞授与式が行われました。

この学会は、東京大学新聞研究所・社会情報研究所・大学院情報学環の
教授だった、廣井脩氏らが発足させたもので、学者・研究者、行政担当者、
防災機関、それにマスコミのメンバーら約670人・機関で構成されています。

廣井脩氏は、災害情報・社会心理などの研究者で、国の数々の委員会座長を
歴任したほか、日本災害情報学会の初代会長を務められるなど激務が重なり
去年4月、帰らぬ人となってしまいました。
日本の、イヤ世界の防災研究者の第1人者を失ったことは大きな損失でした。

日本災害情報学会の「廣井賞」は、廣井氏のご遺族から学会振興の一助にと、
基金をご寄付いただいたことを機会に、廣井氏の社会的功労を偲び、学術的功績を
たたえ、志を後世へ伝えるために記念事業として、広く災害情報分野に関連する
優れた貢献をした個人または団体に対し、毎年授与するとしたもので、
今回が記念すべき第1回となりました。

会場の復興アリーナ前で、廣井賞のトロフィーを胸に記念写真の筆者

廣井賞を胸に記念撮影.jpg

なぜ、私が廣井賞のトロフィーをしっかりと抱いているかといいますと、
このブログでも、たびたび触れてきました「ラジオライフラインネットワーク」の
活動のうち、大きな地震災害が発生した場合、NHK・TBS・文化放送・
ニッポン放送・ラジオ日本・エフエム東京・Jーwaveの東京のラジオ7局と
東京電力・東京ガス・東京都水道局・NTT東日本・NTTドコモの
ライフライン5社が協力して放送する被災者向けの「ラジオ災害情報交差点」が
廣井脩氏の指摘された課題の解決策に応える実践事例と呼ぶにふさわしいと
高く評価され、受賞したためでした。

これには、阪神・淡路大震災直後にスタートして以来、ライフライン各社も、
放送局も担当者が変わりながらも、途切れることなく引き継がれ、
毎年、1月17日と9月1日には訓練とはいえ、7局同時生放送を実施。

来る2008年1月17日(木)にも朝の8時代に生放送しますので、
ぜひお聞きください。

私たちが団体で受賞した「廣井賞」は、このほか個人の部で、
静岡大学教授の小山真人氏、それに東洋大学講師の関谷直也氏の2人が
受賞されたことを付記しておきます。

ところで、長崎県島原での日本災害情報学会は、60もの研究発表が
行われたほか、17日(この11月17日は雲仙普賢岳噴火からちょうど
17年目の日にあたる)は、一連の噴火災害の被災地を視察して、
防災体制の現状や住民らの現在の生活ぶりなどを知ることができました。

とりわけ、1991年6月3日の午後4時8分の大火砕流で犠牲になった
43人を悼み、今回の参加者全員で黙祷をささげた定点は忘れられません。

その同じ会場で、19日(月)から23日(金)まで「火山都市国際会議」が
行われています。
これは、火山がある世界の都市の行政、防災関係者や研究者が
火山活動と人々の暮らしのあり方を話し合うもので、
噴火は火山の宿命とはいえ、被害の軽減に向けて
過去の災害の教訓を、防災の教本にと話し合っています。

世界で約900ある活火山のうち、日本には108個もの活火山。
難しいとはいえ、共生の道をさぐることは大事なことです。

投稿者 : 06:32

2007年11月05日

浜松町の人気者        担当☆高橋民夫

文化放送、防災キャスターの高橋民夫です。

今週金曜日、9日は何の日かご存知ですか?
そう、11月9日で、火事と救急の緊急電話番号「119」の日です。

そしてこの日から「秋の火災予防運動」が始まります。
防火小便小僧.jpg

浜松町の人気者は先月の終わりから準備が整っていました。

ところで、この浜松町駅にある人気者は、
鉄道開業80周年にあたる昭和27年の10月、
ある歯医者さんから寄贈されたもので、
当初は白い陶器製であったものが、
約15年後に、今のブロンズ像に変わったそうです。

背の高さは43cm、
ベルギーのブリュッセル市庁舎にあるのが本家で
身長は56cm、世界的な知名度に比べて
像が小さいので、「世界三大がっかり」の
ひとつと呼ばれているとか・・・

そして「小便小僧」の由来を調べてみると、
古い昔、町を侵略しようとした賊が、城壁を爆破しようと
しかけた爆弾の導火線を、小便をかけて消しとめ
町を救った少年がいたという伝説があり、
この少年の名前がジュリアンであったことから、
小便小僧の愛称が「ジュリアン坊や」なんだって。

やっぱり!
火を消していたんですね。
けなげにも、浜松町駅で消防服に身を包んでいる姿が
なぜかぴったりしているなって思ってました。

ことし平成19年 秋の火災予防運動の
東京消防庁の防火標語は
「備えよう 防火の心と 住警器」

この住警器というのは、住宅用火災警報器のことで、
警報器を設置して住宅火災による死者の発生防止を
呼びかけています。

家財や家屋、さらには命さえも奪いかねない火災を
一人ひとりが、そして地域の力を合わせて防ぎましょう。

投稿者 : 10:00

2007年10月19日

テロに対する危機管理        担当☆高橋民夫

テロは予告なし!
完全には防ぐことができない。

だから、やりにくい状況にする!!

文化放送報道部の高橋民夫です。
きょう、平成19年度テロ等の危機に関する事業者連絡会
「危機管理に関する事業者セミナー」に参加してきました。

会場は、危機管理産業展2007も開催されている
東京ビッグサイト内のレセプションホールAで、
午前10時開会、
まず、前の内閣危機管理監 杉田和博氏が
 昨今のアルカイダを中心とした世界のテロネットワークに触れ
 日本は島国といえど、水際で見つけ出すのはかなり困難がある。
従って、治安当局が頑張って、出入りできない体制をつくり、
国内に入った場合には情報を出して、テロを未然に防ぐことが必要
などと語りました。

危機管理セミナー.jpg

セミナーでは、参加した事業者
つまり、企業のリーダーや社員ら一人一人のなすべきことなど
示唆にとんだ話が相次ぎました。

続いて演壇に立ったのは
「国際テロの状況について」警視庁警備部の管理官、
「洞爺湖サミットに向けて」警視庁警備部の理事官の2人で、
それぞれ、最近のテロはテロそのものを起こすことも目的だが、
テロを起こし、メディアを利用してジハードを呼びかけている。

日本は安心と思われているようだが、そんなことはない。
 現に、アルカイダ幹部は、かつて名指しで日本を非難した。
そんな中、来年は北海道で洞爺湖サミットが開催される。

会場が北海道だからといって、東京など大都市は油断するな。
東京では、閣僚会合が開催されることになっている。

そこで、各事業者はテロを未然に防ぐための方法として、
①地元の警察警備課長と連絡を密にし、情報交換する
②社員に対する教育の徹底
   マニュアルによる訓練・図上訓練の実施
      ・テロを発生させないための措置
      ・テロが発生した場合の措置
③日ごろの対策
    会社そばに不審な車が駐車している場合には
    すぐに警備員が確認や聴取しに行く。
④人間の注意力の弱さを補う機器の整備
    監視カメラ設置など

テロ予防のために
 継続的なセキュリティーはお金がかかるが
 未然に防ぐためには必要経費と考えて・・・

どうです?皆さんの会社でも参考になりましたか?
あまり詳しく手の内を明らかにすると
テロリストが見ていないとも限りません。

それぞれの事業者なりに対策を考え、
マニュアルを作られることをお勧めします。

東京ビッグサイトから帰るバスの中で私は、
20数年前、アメリカ・ロサンゼルスでバスに乗車中
窓でピシッと音がした瞬間、乗客すべてが
体を低くして何者かに備える姿勢をとったのに、
日本人である我々数人はボケーと立ち尽くしていた
危機意識の無さを思い出しました。

投稿者 : 14:44

2007年10月05日

花は何も言わないけれど・・・   担当☆高橋民夫

文化放送報道部の「花とおじさん」こと高橋民夫です。

世の中、あしたから三連休なんですね。
しかし、問題ですよね?
体育の日は10月10日だったはずなのに・・・!
なんで日本の祝日がこうも変えられてしまうんでしょう!?

それはともかく、きょうは10月5日金曜日、
東京の最高気温は26.5度と夏日になりました。

その暑さを楽しんでいるかのように、この花が咲いていました。
10月5日のサルスベリ.jpg
さて、この花はなんでしょうか?

そう、サルスベリです。
夏に花が咲く落葉高木で、木の皮が滑りやすいことから
この名前がついたもので、漢字では「百日紅」と書きます。

名前から想像できるように、花の寿命が長く、
7月中旬から8月下旬までが見頃とはいうものの、
百日以上も咲き続けることは間違いなさそうです。

漢字で「紅」とは書いても花の色はピンク・紫・白などさまざま。

東京港区の道路わきで東京タワーを見上げながら
じっと咲き続ける姿は実にいじらしい感じです。

彼?彼女?どちらかわかりませんが、
ピンクの花びらの港区芝のサルスベリは、
日本相撲協会の緊急理事会で時津風親方が
きょう、永久追放されたことや、
今シーズンの成績不振の責任をとって
西武ライオンズの伊東監督が辞意を表明したことなど
なにも知らぬげに、花を咲かせ続けています。

自然体で季節の移ろいを受け止めているような草木たち

暑い!とか、祝日を勝手に変えるな!なんて
怒っていてはいけないんですね。

投稿者 : 15:16

2007年09月19日

生活感が戻ってきた三宅島     担当☆高橋民夫

文化放送防災キャスターの高橋民夫です。

昭和45年に入社した当時、文化放送には
「スターと一緒に三宅島で遊ぼう」というイベントがありました。
歌手のヒデさんが元気で、まだ結婚する前のヒデとロザンナ、
こちらも結婚する前のダ・カーポらコロンビアの歌手の皆さん参加。

文化放送聴取者の皆さんとともに竹芝桟橋からのツァーで、
毎年、司会進行と添乗員を兼ねて参加していました。

その後、幾度となく出かけたことのある三宅島が
大きな噴火活動と全島避難に見舞われたのが2000年。

その噴火災害から7年をテーマに15日、都立三宅高校で行われたのが
日本災害情報学会・三宅高校共催のロングシンポジウムでした。

ときおりしも、3連休に重なり、14日(金)夜出発の竹芝桟橋は
釣り道具一式やダイビング用品を手にした観光客や
三宅、八丈島などに出かける人たちであふれんばかりでした。

三宅島に着岸したのは15日の午前5時で薄暗いので
この写真は16日午後2時ごろ、三宅島を離れる観光客の様子です。
3連休で観光客多い三宅島.jpg

ロングシンポジウムが行われた三宅高校の体育館は
冷房がなく、扉などは開け放たれていたものの猛烈な暑さ

よくぞ、誰も熱中症で倒れなかったなあー!と思いながらも
発言者、報告者の発言に耳を傾けました。

中でも平野村長が行政責任者として情報を村民に提供する際、
大事にすることは防災行政無線と各家庭の無線連絡の活用と
いかにマスコミと仲良くなり、活用するかに努めたそうです。

さらに報告のマイクを握った三宅高校の生徒からは、
噴火災害を逆手にとって、火山灰を釉薬として活用した陶器や
溶岩を粉末にして染液をつくり、Tシャツや手ぬぐいの染物など
他校ではできない授業を取り入れているなど披露されました。

民宿の経営者夫婦やお土産屋さん、明日葉の畑を手入れする農家、
2005年2月に避難指示が解除され島民が帰り始めたころに比べ、
当然とはいえ、生活感が十分に感じられるようになってきた三宅島。

来年4月に、1日1便だけですが羽田との「空の便」再開のニュースは
島民の間に大きな期待がふくらみました。

火山ガスの噴出が依然として続いている三宅島
帰りたくても帰れない島民がおよそ千人の三宅島

そのような実態がある一方で、噴火した雄山の中腹ぐらいまで戻った緑
バードアイランドと呼ばれた鳥の楽園に鳥がもどってきていること、
などから、あとは観光客が増えることが島の復興の要因です
と、島の人は語ります。
私も約束してきました。マスコミも忘れないよ!って。

投稿者 : 11:54

2007年09月04日

ときめきの時           担当☆高橋民夫

平成19年9月4日火曜日の早朝、窓の外は晴れ!
お天気が良いから心も晴れ晴れですが、そればかりではなく
昨夜から現在まで、ずっとほのぼのとしたときめきが続いています。

なぜかって、私たちの年代なら大体知っている
さわやか律子さん、こと中山律子さんとお会いできたから。

きのう午後6時からの「岩本勉のまいどスポーツ」に
生出演した中山律子さんは、ガンちゃんとのスポーツ談義に
快調なテンポで参加。ご自分のボウリングとの関わりなどを
楽しそうに話してくれました。

現在、プロボウリング協会会長の中山律子さんと一緒に
中山律子さんと.jpg
無断転載禁止

コマーシャルソングでも歌われた、さわやか律子さんも65歳。
しかしその年齢をまったく感じさせない健康的な美しさは
やはりスポーツを愛し続けているからこそなのでしょう。

鹿児島出身の律子さんは、バレーボールに熱中していたそうですが
ある日、友達に誘われて初めてやったボウリングにのめりこみます。

やがて上京し、東京タワーボウリング場で日夜投げ込み、
第1回女子プロボウラーの試験に第2位の成績で合格。
みごと第1期生として注目を浴びました。

一方、律子さんより5歳年下の私は、中学生のころから
年齢の近い叔父とともにボウリング場通いをし、
高校時代には、行くたびにシートを何枚も追加するほどでした。

大学に入ったころには、明治通り沿いにあった早稲田ボウル、
ここには、男子第1期生の粕谷三郎プロ(故人)がいました。
あるいは、神宮にあった東京ボウリングセンター、
よく岩上太郎プロが投げていたっけ。
さらに新宿武蔵野ボウルなどによく通っていました。

1970(昭和45)年4月に文化放送に入社した私は、
すぐに社内のボウリングクラブに入部、
部員の練習場所は東京タワーボウリングセンターでした。
当時、社長杯争奪のボウリング大会もあって、
6月に行われた大会では入社早々、個人優勝とともに
所属していたアナウンスチームが団体でも優勝しました。

その同じ年の8月21日、あの中山律子さんがテレビ中継の
決勝戦で、女子プロ公式大会初のパーフェクト達成。

これで名実ともに第1人者となった中山律子さん、
当時ライバルだった、須田開代子さん(故人)は、
パーフェクト達成を目指すもついに達成できないまま
帰らぬ人となってしまいました。

その須田さんが、プロボウリング協会の発展などに
大いに貢献されていたことを見つめていた律子さんが
須田さんの死後、その遺志を継いでがんばってくれています。

話は前後しますが、入社1~2年のころ、私は中山律子プロと
関東一円のボウリング場を訪問しては、地元のアマチュアの
挑戦を受ける律子さんの話を中心に録音し、音楽を交えての
番組を放送した思い出があります。

昔に比べておしゃべりも軽妙になった中山律子さんは
来週、9月10日(月)のふたたびガンちゃんの番組に
出演してくれるということで、どうぞお聞きください。

最後に、今年もボウリングのジャパンカップが20日の
予選大会を皮切りに開幕、最終日23日(日)の決勝大会は
千駄ヶ谷駅前の東京体育館の中に特設レーン4レーンが
作られ、アリーナ席や2階席などから熱戦を見ることができます。

日本人選手の活躍を祈りながら私も東京体育館に行きます。
ボウリングが大好きな方はぜひお出かけください。

投稿者 : 06:21

2007年08月20日

審査委員を務めました。       担当☆高橋民夫

文化放送報道部で防災キャスターの高橋民夫です。

記者クラブに所属している気象庁からの要請を受け、
私は先日、緊急地震速報「全国小中学校標語コンクール」の
審査委員を務め、最優秀作品などを選んできました。

審査委員は、日本大学の中森広道准教授、
タレントの大桃美代子さん、
気象庁の谷山次長、
それに防災キャスターの私の4人で、
大桃美代子さんとは、思わず2ショット!!
ブログ掲載に了解をもらいました。
大桃美代子さんと.jpg

大桃美代子さんは、新潟県魚沼の方。
3年前の新潟県中越地震で自宅が被災してから
防災に前向きに取り組んでいる、と語ってくれました。

さて、審査会の雰囲気は和気藹々。
気象庁が10月から運用開始予定の緊急地震速報について
いかに周知・徹底を図るかということの一環で、
全国の小中学生から応募された約3000点の作品から
イメージ・理解・ことば使いなどで優れた標語を
選出しました。

最優秀作品ならびに優秀作品などの発表と表彰式は、
あさって22日に予定されていて、
受賞者は本人、ご家族、先生らの参加者の前で
表彰されることになっています。

また、当日は気象庁の子供見学デーも開催されるということで、
夏休みの宿題をと思っている生徒たちも多く集まることでしょう。

さて、その緊急地震速報の意味・目的、あるいは
速報が出されて各自どのように行動するか?
それらがわかっていないと、混乱を生じかねない速報だけに
すべての人に周知・徹底、理解してもらうことが必要です。

9月1日(土)の文化放送、午前11時からの全国ネット、
「防災の日スペシャル、毎日がボウサイ」の番組で
防災アドバイザーの山村武彦とともにわかりやすく
展開しますので、ぜひお聞きください。
僕も頑張ります。

また、質問などで番組に参加していただきますと、抽選で
防災ラジオなども当たります。

投稿者 : 08:43

2007年08月03日

いまどきの高校生もやるじゃん    担当☆高橋民夫

報道部・防災キャスターの高橋民夫です。

私はきのう、神奈川県伊勢原市の向上高校新聞部の
山田先生と、3年生・2年生計4人の訪問を受け
高校生のボランティア活動に関する取材を受けました。

そのときのスナップです。
向上高校新聞部が取材.jpg

山田先生とは、防災関係で共通の友人を持っており、
学校が夏休みに入ってから、生徒を連れて
弊社を訪問したいとの希望があり、
きのう、実現したものです。

質問は主に、3年生の成田さんと2年生の三富さんで、
それぞれ福井の水害被災地や、三宅島の噴火による
被災地でのボランティア活動を経験しています。

防災キャスターに就いたきっかけや、役割などの質問に続いて
これまでの地震災害や火山噴火災害の被災地での感想、
そして本題のボランティア活動について。

高校生のボランティア活動は必要かどうか悩んでいるようだったので、
阪神・淡路大震災の被災地で取材した、高校生や中学生たちが
地元避難所で目を輝かせて活動していた様子をお話しました。

昔と違って家の中でのお手伝いをしなくなっていた若者たちが
あの災害のとき、自分たちでも貢献できることがあるんだ、と言って
パンやお弁当の食料品を配ったり、掃除をして感謝されたことを話し、
また、3年前の新潟県中越地震では、新潟の被災者がなかなか
ボランティアに心を開かず、女子大生が困ったお話をしました。

それは、3日間の予定で避難場所でボランティア活動を計画した
女子大生のケースですが、
1人で避難場所で生活している70歳くらいの女性に
しきりに話し掛けても、どんなに問い掛けても、返事がもらえず、
2日目もお昼のあいだ、ずっとそばにいて話し掛けても同じ。
自分が若すぎるから答えてくれないのか、嫌われているのか、などと
悲しさが募っていました。やがて帰らなければならない時間が迫り、
きょうをもって帰ります。お話ができなくてごめんなさい。
と言ったところ、
その女性は、帰らないでほしい。今までそばにいてくれてありがとう。と
初めて、小さい声で、話してくれたそうです。

その女子大生は、そのひとことで、きて良かった。と思ったそうです。

向上高校の女子生徒たちも一生懸命、話を聞いてくれました。
ボランティア活動について、みんなで話し合ってくれるものと思います。
私を取材した内容は、学校新聞「こゆるぎ」に載るそうです。
楽しみです。

投稿者 : 14:44

2007年07月20日

悲観的に準備して、楽観的に対処する!はずなのに・・・   担当☆高橋民夫

文化放送報道部、防災キャスターの高橋民夫です。

また、新潟県を中心に大きな地震が起きてしまいました。
6月16日の月曜日、たまたま海の日で三連休でした。
その午前10時13分。

東京にいた私は、今新潟方面で大きな地震!の一報を
聞いた直後、揺れを感じ、その揺れは約1分続きました。

台風4号の通り過ぎたあとでよかったな、などと思っているうちに
被害が拡大、時間とともに全容が明らかになっていきました。

その中で驚きは、柏崎刈羽原子力発電所の地震に対する基準の甘さ!?

すべてで想定を超えた揺れであったという発表
それも、かなり時間がたってからでした。

危機管理の範囲から言えば、震度7の揺れを想定すべきなのに・・・
と、愕然としました。

ところで、新潟県を襲った地震といえば、3年前の10月の
新潟県中越地震が記憶に新しいところ。

さらに、1964年、昭和39年6月には、あの新潟地震がありました。

このときは、人的被害は死者が28人で済みましたが、
特徴は、液状化現象による鉄筋コンクリート住宅の傾きでした。

今回も、同じように液状化現象が各地で発生し、
道路や鉄道に被害をもたらしました。

私たちは過去、多くの災害に見舞われています。
つらい、悲しいことを多く体験しただけに
同じような悲しい思いは繰り返さないよう
努力することが大切です。

のどもと過ぎれば熱さ忘れる、ではなくて・・・

投稿者 : 08:45

2007年07月06日

早朝取材はお・ま・か・せ       担当☆高橋民夫

文化放送報道部、最長老の高橋民夫です。

年をとって、早起きだからではありませんが、
きょうは4時過ぎに起きて、ゆっくり準備をし、
午前6時半、本社に立ち寄って取材セット一式を
持って、台東区の入谷へ行きました。

取材は、もちろん「朝顔市、始まる!」です。

朝顔市・団十郎.jpg

上の写真は、相変わらず人気の「団十郎」です。

こうした風物詩の取材の場合、
大事なことは、ラジオという音の世界で、
いかに情景を表現できるかということです。

入谷の鬼子母神の境内およびその周辺に
およそ120ものよしず張りの店が並び、
地面から屋根までの間に所狭しと
色とりどりの朝顔の鉢が並びました。

値段は小さな鉢植え1000円ぐらいから
大きなものの5000円ぐらいまでで、
人気はやはり、2000円のあんどん造りです。

早朝に取材に行ったのは、朝顔の花が咲いているためで、
都内はもちろん、近県の愛好者らが咲きそろった朝顔の
鉢植えを買い求めていました。

最寄の駅は、JRの場合は鶯谷、
地下鉄は日比谷線の入谷駅となっており、
7月8日までの3日間、開催されています。

そして9日と10日は、浅草寺の「ほおずき市」と続き、
東京に本格的な夏がやってきます。

投稿者 : 12:12

2007年06月19日

さて、どうなりますか?       担当☆高橋民夫

文化放送報道部、都庁担当キャップの高橋民夫です。

東京都の石原知事とは、定例の会見以外にも
顔を合わせたり、会話を交わすことがあります。

誰もが言うように、発言で少々過激な面があります。
私が見る限り、都の職員にも口うるさく指示をだすことも
ありますが、一所懸命汗を流して頑張っている職員のセクションが
悪く言われたりするような場合、知事は必死に擁護します。

つまり、防波堤になることもあるのですが余り知られていません。

石原都知事会見.jpg

そんな石原知事が、先週金曜日民間からの副知事候補を明らかにしました。

その副知事候補というのが、予想通り猪瀬直樹氏でした。

確か、猪瀬氏は「東京ひとり勝ちはおかしい」などと発言していた人。
その点について、石原氏は「東京の現実を知ってもらえれば理解を
得られるだろうし、なんといっても「国に対してハッキリいえること。
それに国の委員会のメンバーになっていたことから、良いアドバイスが
得られる」と判断したものとみられます。

東京都では、今年5月11日から副知事が刷新されました。
財務局長だった谷川健次氏、主税局長だった菅原秀夫氏、
それに知事本局長だった山口一久氏の3人が決まり、
残るひとつのポストを民間からと説明していました。

3人の副知事は、それぞれ担当部局・担任事項が決まっています。

ところが、副知事要請を受諾した猪瀬氏は知事の説明によりますと
「他の副知事と立場は違うし、キャリアも違うので、無任所つまり
フリーランスの形で思い切りやって欲しい」とのことです。

手続き的には、知事提出の人事案件は、都議会の議員運営委員会の
理事会で諮られ、本会議で承認されれば良いことになっており、
今の第2回東京都議会の最終日の今月27日の本会議で採決され、
多分、石原知事の提案が承認されるものと思われます。

そうなりますと、猪瀬氏も都庁の中に常駐するわけでもなく
必要なときに召集される会議に出席するぐらいでしょうから、
意思の疎通、まあ石原知事とはかなり激しくやりあう場面も
出てくるかも知れませんが、都の職員らとの意見交換は
少なくなってしまうかも知れません。

あっ、そうそう石原知事は、猪瀬副知事が実現したとしても
4年後の知事の後継者とは考えていないと言明しました。

都民だけでなく、多くの人々に注目される副知事職、
まだ決定ではありませんが、お手並み拝見とまいりましょうか。

投稿者 : 08:03

2007年06月15日

都庁では毎日、会見が・・・       担当☆高橋民夫

都庁記者クラブ、文化放送のキャップ、高橋民夫です。

今、都庁クラブでは、日刊工業新聞社と文化放送が
幹事社にあたっています。
クラブ内、およそ30社の仕事がスムーズにいくように
内外各団体、各局、などとの調整窓口をつとめています。

それらの中では、現在の状況を説明してくれるために
記者会見を設定したり、また進行役をつとめたり・・・
会見場があいているかどうかなど調整もするのです。

きのうも、いくつか会見がありましたが、なつかしい人たちと会えました。
三宅再生ネット会見.jpg
写真は、真ん中が三宅島ふるさと再生ネットワークの
副会長、酒井一豊氏(見た目と違ってとってもやさしい)。
右側は事務局長の伊藤奈穂子氏、
そして左側が、女優でボランティア活動をしている
京町(みやこ)さんです。

この京町(みやこ)さんは、今年1月17日の
防災とボランティアの日に文化放送に出演してくれた人です。

まず、きのうの会見の内容ですが、ともに被災地である
兵庫県神戸と東京都三宅の交流について、
それに、8月に予定している神戸訪問、
ボランティア活動の交流に関する発表でした。

しかし、当然私たちが気になるのは、被災地の現状です。
12年半が経過した神戸では、今なお自分の家がもてない
人々がいるほか、京町(みやこ)さんの両親と同じように
以前の家のローンに加えて新しい家の借金が重圧となって、
将来に明るさが見えない人々が多いようです。

一方、噴火災害に見舞われ、全島避難こそ解除されたものの
依然として火山ガスの放出が続いているために、島の自宅に
帰りたくても帰れない人々が約700人もいるそうです。

そうした人々は、避難指示が出ていたときには住所もわかり
連絡も取り合えていたそうですが、避難指示が解除されてからは
転居先が不明という人が多くなり、音信さえ途絶えてしまいました。

三宅島ふるさと再生ネットワークは、東京都板橋区内で活動を
続けているボランティア団体で、会長は三宅島に自宅がありながら
家族が島に帰れない状態の佐藤就之氏が努めています。

防災キャスターとして、ここ数年間は三宅島のことを注目している
私としては、なんとか元の生活に一歩でも近づけるようにと願うばかり。

8月の神戸との交流には同行し、取材したいと思いながら
きょうの会見を聞いていた私でした。

もし、身近に三宅島に帰ることができないでいる人々を
ご存知の方がいらっしゃったらネットワークに知らせていただくなり
その方に、三宅島再生ネットワークに連絡するよう教えてあげてください。

私たち一人一人ができることも結構ありますから・・・

投稿者 : 10:00

2007年06月01日

OBでも入れないそうです      担当☆高橋民夫

平成19年春の6大学野球はいよいよ大詰め。
明日から早慶戦が始まります。

少しお化粧に時間がかかりそうな「お姉さん」から
女の子まで、幅広い人気を集めている「ハンカチ王子」の
おかげで、あの神宮球場は大入り満員とのこと。

去年の甲子園球場での活躍で、全国の注目を浴びた若者は
高校卒業式の時の取材に行った私の目にも、さわやかさを
吹き込んでくれました。

そのときの斎藤祐樹投手です。

ハンカチ王子.jpg

このときの取材で感じたことは、なんと素直で、
きちんと、はきはきと話のできる若者だなあ、ということでした。

私が、早稲田大学に入学したのは昭和41年の春。
おりしも、学費値上げ反対で学生運動が激しく、
大学はロックアウトで対抗。休講が続いたときでした。

当時の学生は、何事にも熱く燃えていた記憶があり、
友人同士誘い合って、神宮球場に足を運び、
早稲田の勝敗に一喜一憂したものですが、
神宮球場が満員で入れなくなることはなかったと思います。

40年の月日が流れ、明日からの早慶戦には、
野球部のOBらですら、入場券が買えないそうで
その加熱さが伺えます。

私が在学中にも優勝経験があり、ちょうちん行列に加わった
覚えがありますが、残念なのは一部の無軌道な行動。
他人を傷つけることはもちろん許されませんが、
本人がけがをするのも損なこと。

ハンカチ王子の斎藤投手のようにさわやかにいきたいものです。

投稿者 : 09:35

2007年05月15日

火山噴火被害軽減へガイドライン     担当☆高橋民夫

文化放送で1980年から防災キャスターの高橋民夫です。

気象庁などを管轄している国土交通省は、昨日までに
溶岩流や火山泥流など噴火災害の減災に向けた
砂防計画をまとめる上でのガイドラインをまとめました。

これは、噴火の前兆現象から終息に至るまでの様子を
過去の火山活動などから予測して、考えられうる噴火の
影響範囲や被害を踏まえ、具体的対策をまとめる方法を
示しているもので、緊急時の対策と平常時の備えについて
具体的な対策を盛り込むよう都道府県に求めています。

また、火山活動が活発化した際の緊急対策として土砂の流れを
一定方向に導く堤防などを作ったり、噴火後の危険区域を示した
ハザードマップの作製などの検討の必要性を指摘しました。

そこで思い出すのが、山梨県河口湖町でのハザードマップです。
富士山.jpg
火山周辺の観光地として、昔は噴火災害に関するハザードマップなど
マイナスに働くとして、決して作ることはありませんでした。

今からおよそ10年ぐらい前、客が集まる観光地だからこそ
客の安全第一にと、地域住民が立ち上がり、防災の専門家と一緒に
富士山周辺のハザードマップが作られました。
実に画期的なこととして記憶に残っています。

さて、火山活動でもうひとつ思い出すのは、1993年6月の
大火砕流災害です。このとき、文化放送報道部のM記者が
現場で取材活動をしていましたが、偶然にもKデスクが
午後4時前のニュースで情報を入れろと指示を受け、
電話レポートを入れるために、現場を離れて島原市内に移動。

このおかげで、M記者は火砕流に巻き込まれずに済みました。

学者夫婦、報道関係者、地元消防団員、警察官、タクシー運転手ら
合わせて43人が犠牲になった、6月3日がまたやってきます。

地震や火山などの自然災害は「正しく恐れ、いたずらに怖がらない」ことが
大切です。
私たち人間は、おごることなく、謙虚に、そして力強く、
災害に立ち向かうことが必要です。

投稿者 : 07:06

2007年03月23日

首都決戦は4月8日         担当☆高橋民夫

報道部で都庁担当の高橋民夫です。
平成11年の選挙で都知事に就任した石原慎太郎氏。

二期8年が経過しようとしていますが、その石原氏は
去年、2016年の夏のオリンピック国内候補地として
東京が選ばれた直後、はやばやと三選出馬を表明しました。

4年前の選挙には、まさにギリギリまで態度表明をしなかったことを
考えれば、まさに意表をつく行動でした。

そして3月22日、北海道、岩手、神奈川など13都道県知事選が告示され
統一地方選挙がスタートしました。

知事選前の都庁.jpg

東京都知事選では、告示日の22日、
都庁の中で、午前8時半から午後5時までの間、
立候補の受付が行われ、あわせて14人が届出を済ませました。

届け出順に、
1、不動産鑑定士の山口節生さん(57歳)
2、歯科医師で元足立区長の吉田万三さん(59歳)
3、ストリート・ミュージシャンの外山恒一さん(36歳)
4、現職の石原慎太郎さん(74歳)
5、大学教授で元宮城県知事の浅野史郎さん(59歳)
6、建築家の黒川紀章さん(73歳)
7、国際創造学者のドクター・中松さん(78歳)
8、タクシー運転手の高橋みつるさん(61歳)
9、勝訴証拠評論家の佐々木崇徳さん(64歳)
10、タレントの桜金造さん(50歳)
11、易学者の高島龍峰さん(71歳)
12、風水研究家の内川久美子さん(49歳)
13、ディレッタントの鞠子公一郎さん(33歳)
14、作家のおがみおさむさん(65歳)
    (東京都選挙管理委員会発表)

文化放送報道部では、
永野景子記者と私が都知事選挙担当記者として
取材・レポートを行っているほか、
投開票日の4月8日の夜には
報道部員総出で放送します。

都庁の次の主は誰になるのか?
首都・東京を誰にまかせるのか?

有権者は投票という権利を放棄せず
ぜひ、投票所に足を運んでください。

投稿者 : 15:50

2007年03月02日

卓球少年も還暦に       担当☆高橋民夫

平成19年2月21日(水)の夜、東京新宿区高田馬場にある
「BIG BOX]で落語家の三遊亭小遊三師匠杯争奪
ボウリング大会が開催されました。

これまで幾度か行われているボウリング大会で、
このブログでも取り上げたことがありますのでご承知の方も
多いと思いますが、今回は特別の意味をもつ大会でした。

そうです、小遊三さんの還暦を祝う大会でもあったのです。

そして、優勝の栄誉に輝いたのは
小遊三師匠と.jpg
そうです、なんと同じ昭和22年に生まれた私、高橋民夫だったんです。
でも私は、昭和22年4月2日生まれですから、師匠より1学年下でした。

さて、この会の主役、三遊亭小遊三師匠の誕生日はそう、きょう3月2日!

みんなで声をそろえて「オメデトウ ゴザイマス!」

先日のボウリング大会のときには、みんなで赤いスポーツシャツを
プレゼントしました。そしたら、試合のあとの居酒屋で着てくれたんです。

小遊三師匠は、昭和22年3月、山梨県出身で、少年時代は卓球少年でした。

昭和39年、あの東京オリンピックが10月10日に開催されましたが、
その直前、全国各地を聖火が大勢の人たちの手によってリレーされました。

その中の一人が、小遊三少年だったのです。

あれから52年後の2016年に、再びオリンピックが東京で
開催されるかも知れないという話が持ち上がっている中、
もし実現し、元気だったら、聖火ランナーをやりましょうか?
と、目と目で会話した団塊の世代同士でした。

スポーツ万能で、古典芸能を伝え続ける小遊三師匠に
いつまでもエールを送り続けたいと思っている、
まもなく還暦を迎える、私、高橋民夫なのでした。

投稿者 : 19:24

2007年02月15日

心から哀悼の意を表します(担当☆高橋・石森の合作)

昭和22年生まれの高橋民夫です。
そうです、団塊の世代です。

私が小学校に入学したのは昭和29年、
洋服も今のようにきれいじゃなかったな!

東京都大田区にある桜坂が私の家で、
小学校入学当時、隣が交番でした。

その交番に詰めていたおまわりさんが
周辺近所の人気者で、いつでも
話し相手になってくれていました。

そう、朝も、昼も、夜も 挨拶があったのです。

宮本警部(亡くなって2階級特進しました)も
そういう、おまわりさんだったようです。

きょう、最後のお別れ、告別式が営まれました。
石森記者が取材してくれました。バトンタッチします。

葬儀.jpg

はい、石森です。参列者の足元は昨夜の雨でまだ濡れていました。
地方の警察官やOBも、はるばる訪れており
同じ警察官として「いてもたってもいられなかった」というのです。

宮本警部と警察学校で同期だった警察官もいました。
卒業の日、宮本さんは涙を流しながら「この道」を歌っていたといいます。
「この道は~いつか来たみ~ち~」の「からたちの花」のことではありません。
警察学校の卒業式で歌われる「校歌」の様な歌で、結婚式でも歌われます。
(僕も今、たまたま隣にいた前警視庁CAPの衣笠さんに聞いて知ったのですけど)

「明日があるから、明日のために、ただそれだけを守るため、
われらが選んだこの道を、たとえどんなに辛くとも、歩いていこうよこの道を」という歌詞で
警察官が若者の「目の敵」にもなった時代「安保のころ」に作られたものだそうです。

要約すると「たとえ地道でも、つらくても皆を守る」という決意表明です。
僕らにはなじみがありませんが、おまわりさんにとっては
人生の節目節目で歌い「初心」をかみ締める特別な意味があるのです。
宮本警部も当時「どんなことがあってもみんなを助けたい」と
仲間に話していたそうで、それを30年間貫いてきたのでしょう。

そんな宮本警部はこれまで何度も
踏切の中に取り残されたお年寄りを誘導していたといいます。
もし、今回、宮本警部の命が助かっていたとして、
やっぱり踏み切りに人がいたら、
また助けにいくのだろうと思えてなりません。

この話は美談として伝えられ
「ええっ?街の人がそんなに交番のおまわりさんのことを知っているもんかい?」
と思うかもしれません。
でもね。先週「ときわ台」を別件で取材してわかったのですが
ここは昔の下町のようなところがあって住民同士の「垣根」も低いですし
おまわりさんに毎日気軽にあいさつするような面があるのです。
だから住民もいろいろ相談しやすかった・・・。

宮本警部のエピソードがたくさん語られるのには
そんな「地域同士のつながり」が背景にあるのかもしれません。
この文章の上のほうで民夫デスクが交番の思い出を語っていますが
07-02-15_17-24~00.jpg
(おお、いい笑顔だ・・・)
今こそ、民夫デスクがこの笑顔で楽しそうに語る
あの頃のようなコミュニティを取り戻さなければいけないのではないでしょうか?

今回プラットホームの非常停止ボタンを押した人はいませんでした。
目撃者はいるのにね。
テレビの画面の中では目撃者が興奮しながら
まるで自分は「すごい衝撃シーンを見た」かのように証言していたけれど
目の前でおきていたことは現実で
あなたの指が、急行を止められたかもしれないんだよ。

他人に関心を持ち、自分にその人のために何ができるか考える、
そんな当たり前のことから始めてみてはどうなのかなと思います。
この事故い99を「美談」で終わらせてはいけないと思うのです。

取材を終えて帰ってきたら文化放送の若い警備さんに呼び止められました。
警備さんとは顔なじみですが、呼び止められることは珍しいので
「また(?)挙動不審だったかしらん?」と思って「何すか?」って聞くと
「石森さん、葬儀に行ってきたんですか?レポート聞いていました。
僕はあの警察官に胸を打たれて・・・それが言いたくて、あ、呼び止めてすみません」

そういう気持ちの若い人が沢山いたことが救いです。
・・・文化放送の警備員さんも最高でしょ?

投稿者 : 17:18

2007年02月12日

東京がお祭りの大舞台になる    担当☆高橋民夫

イヤー、実に暖かい!
気持ちが悪いくらいに暖かいですね!高橋民夫です。

まず、気になる2月18日(日)の天気予報です。
東京は、くもり一時雨!!
よかった!雪にならなくて・・・
ましてや、18日の予想最高気温は13度!?
最低気温も8度と暖かそう(これは悪条件か?)

なによ?なによ?18日って??
えっ!これを知らないなんて言わせません。
ねっ、石原さん!
石原知事会見.jpg

今まで、ボストンマラソンやニューヨークマラソン、それに
ハワイ・ホノルルマラソンなど大きなシティマラソンが知られていますが、

ついに、ついに、「東京マラソン2007」が開催されます。

石原東京都知事が発表してから「青梅マラソン」の日程を変えるなど
紆余曲折がありましたが、開催直前までこぎつけました。

有森裕子選手やQチャンこと高橋尚子選手らを育てた小出監督が
石原知事に「銀座を市民ランナーが走れたら!」と話を持ちかけて
実現した合わせて3万人参加の「東京マラソン2007」。

担当事務局は「成功して当然!頑張ろう」と大変な苦労があったとか。

その担当者は、東京マラソンの特徴はコースにありと、自信をもって、
「スタートの都庁周辺の新宿ビル街から東へ皇居に向かって走り、
ビジネス街の品川で一回折り返し、信じられな~い銀座を通過して
昔ながらの町並みの残る水天宮や東日本橋を通って浅草へ、
そして東京の新しい町になろうとしている豊洲・東雲を経て
ゴールの有明付近。ビッグサイトの前は広々とした土地で
出場した家族や知り合いと楽しく語りあえることでしょう。」と話します。

さらに日比谷公園や芝公園にはおみこしや、サンバ、焼き鳥やの屋台を、
また沿道にも楽しめるスポットを用意して、参加ランナーはもちろん、
沿道で応援する人たちにも楽しんでもらえるような大会にしたいということです。

いわば、東京をひとつの舞台にみたて、みんなが出演者であり、観客であるよう
企画したと語ってくれました。

ところで、スタートとゴールが別であるために、また道路は交通規制のため
応援団の移動は、地下鉄などを利用して欲しいということです。

今回、ラストランとなりそうな有森裕子さんをはじめ、タレントさんらも多く
参加する「東京マラソン2007」、
ハワイのホノルルマラソンのように、数日間の日程で計画して
「ディズニーランド」や「東京タワー」、「六本木ヒルズ」あるいは
ハトバスで東京見物などのんびりするのも良いのでは・・・

ただし、参加ランナーはくれぐれも怪我などありませんように・・・

投稿者 : 19:32

2007年01月10日

毛利さん、憧れの南極からハロー  担当☆高橋民夫

「9歳の頃から南極にあこがれていました。」
宇宙飛行士の毛利衛さんは、1月7日
登山家の今井通子さん、作家の立松和平さんとともに
昭和基地開設50周年記念イベントの一環として
ヘリコプターで昭和基地に到着しました。

3人は1月14日まで昭和基地の周辺に滞在する予定ですが
毛利衛さんはきょう10日、自身が館長を努める
東京の日本科学未来館と衛星回線を結んでリポートしました。

日本科学未来館の7階ホールに集まった参加者です。
南極から毛利さん.jpg
そして回線が途切れながらも熱っぽくレポートを・・・

毛利さんの南極からのレポートはすべて英語でした。

これは、南極と日本それにタイ、オーストラリアと
あまり時差のない4ヶ所を衛星回線で結んだためで、
毛利さんは、まず南極で「ハーッ」と息をはいてみせてくれました。

あれっ?息が白くない!?
それぞれ回線が結んである、日本もタイもオーストラリアも
用意された加湿器から出てくる空気は白いのに・・・

種明かしをしてくれた毛利さん、エアロゾル(大気)の名前を挙げ、
人間が住んでいる私たちの生活の環境にはエアロゾルが多く、
そこでは、吐く息も白くみえますが、ヒトのほとんど住んでいない
南極では、エアロゾルが極端に少ないために息も白くないそうです。

しかし、この話は通訳が入っていても難しく、
ましてや親につれてこられた子どもたちにとっては
チンプンカンプンだったのではないでしょうか?

会場の興味をひいたのは、子どもたちから出された質問で、
「今、毛利さんが立っている氷の厚さはどのくらい?」
「南極ではどうやって飛行機を止めるの?」
「昭和基地の周辺に野生動物は?」などでした。

想像できますか?

毛利さんからの答えはそれぞれ、
「600メートル。」
「プロペラを逆に回してとめる。」
「アザラシやウミドリがいる。」でした。

そして、毛利さんから「地球温暖化で1991年から2007年までに
0.8度気温が上昇した。2100年までに気温は4度上昇し、
海面は4メートル上昇するといわれています。環境を大切にしよう!」と
極寒の南極から熱い熱いメッセージが届きました。

今月末に59歳になる毛利衛さん、
私と同じ学年で、団塊の世代の毛利さん、
行動的でプラス思考の毛利さん、
私と同じように元気いっぱいの毛利さん、

きっといつまでも若々しいメッセージを送りつづけてくれることでしょう。

投稿者 : 17:10

2006年12月22日

正しく畏れよう!ノロウイルス(担当☆高橋民夫)

お元気ですか?
防災キャスターの高橋民夫です。

おかげさん?で、私、すこぶる元気です。

きょうは、吉田たかよしの特集プラス!で
「いたずらに怖がらず、正しく畏れよう!ノロウイルス」
というテーマでレポートしました。

あっそうそう、早朝文化放送に到着するなり手を洗いました。
電車のつり革や手すりに掴まったことと、社内の張り紙があるからです。

ノロ対策.jpg
まるで、学校のように「石けんでよく手を洗い、うがいをすることが
予防対策となりますので、ご協力お願いいたします」と書いてあります。

でも、その通りなんです。

「敵を知り己を知らば、百戦危うからず」ということで
まずは、ノロウイルスについて。

1968年、アメリカ・オハイオ州ノーウォークという町の小学校で
集団発生した急性胃腸炎の患者から、ウイルスが検出され、
発見された土地の名前をつけて、ノーウォークウイルスと
呼ばれていたものが、2002年8月に開催された
国際ウイルス学会で正式に「ノロウイルス」と命名されました。

地球上で発見されてから40年未満のもので、現在
このウイルスに効果のある抗ウイルス剤はありません。
ですから、発症した場合、対症療法が行われます。

さて、ノロウイルスによる感染性胃腸炎や食中毒は
1年を通じて発生しますが、とりわけ冬季に流行します。

口から感染し、ヒトの腸管で増殖すると、おう吐や
下痢・腹痛などを起こすため、きちんとした予防が必要で、
 *食事の前やトイレのあとなどには、必ず手を洗うこと。
 *子どもや高齢者など抵抗力の弱いヒトは、加熱が必要な
  食品は中心部までしっかり加熱して食べること。
  (85度以上の高温で1分間以上加熱)
 *胃腸炎の患者らに接するヒトは、患者の吐ぶつなどを
  適切に処理し、感染を広げないようにすることが大切。

ところで、二枚貝に含まれるノロウイルスということで、
生カキの食中毒が以前からいわれています。
体力・抵抗力が弱っている場合には、生では食べないようにし、
鍋料理にするなど、充分に加熱すれば大丈夫。
(参照:厚生労働省「ノロウイルスに関するQ&A」)

このように、正しく畏れ・予防すれば恐るるに足らず!
この冬も、元気に乗り切ろうではありませんか・・・

投稿者 : 07:44

2006年12月08日

今年は暖冬とか・・・       担当☆高橋民夫

文化放送報道部最年長の高橋民夫です。
防災キャスターであり、長い間皇室担当でもあります。

そして、自然を感じることができる植物をこよなく愛しているため
「花とおじさん」の高橋民夫ともいわれています。

東京都港区の神宮外苑のイチョウ並木周辺で、ことしも
恒例イチョウ祭りが11月下旬に開催されました。
例年ですと、勤労感謝の日の頃には黄金色に輝いていましたが・・・

今年は、ほとんど緑色!?思わず、アレレ・・・?
12月5日の夕方に撮影した夕暮れの景色ですが
ようやく黄葉に変わりつつあるところでした。
外苑イチョウ並木.jpg
太陽に照らされて金色に輝く様子が見られるのは12月半ばになりそうです。

ところで、なにげなく見ている各地のイチョウ並木。
それぞれ背の高さは違うし、形もさまざま。

でも神宮外苑のイチョウ並木は違います。

大正12年(関東大震災の年)に植栽された、ここのイチョウ並木は
青山通りに面したところから絵画館の方へ、微妙に背の高さを低くし、
遠近法を活用していることは知られていますが、
数十年にわたって、高さ・形ともばらばらにならないようにしてあるのは
根っこの部分に秘密が隠されていました。

イチョウの大きさを左右するのは、その根っこの広がり方に影響を受けるそうで
そのため、一本、一本の根っこの部分は、コンクリートで範囲を決め、
樹高がまちまちになるのを防いでいるんだそうです。

今年は、神宮外苑のイチョウ並木の黄葉は10日余り遅れています。

そういえば、気象庁はこの冬は「暖冬になりそう」と予報を出しています。

3日ぐらいの周期で、暖かい日と寒い日が交互に現れそうで
湿度も適度に高くなりそう・・・・
風邪対策には多少良いかも知れませんが、実は雪も多く降りそうです。(了)

投稿者 : 09:09

2006年11月16日

よみがえれ 三宅島       担当☆高橋民夫

報道部の防災キャスター、高橋民夫です。

11月15日夜8時15分ごろ、千島列島でM8.1(後に7.9と訂正)の
地震があり、北海道の太平洋沿岸からオホーツク海沿岸にかけて津波警報が、

また、北海道の太平洋沿岸中部から静岡県にかけてと、北海道の日本海沿岸北部に
津波注意報が発令されました。

この影響で、16日の午前4時すぎ、東京都三宅島の坪田地区で80センチの
津波を観測しました。

その三宅島で、11月4日、「三宅島復興インターナショナル磯釣りの祭典」が
開催されました。磯釣りの祭典は今年で13回目の開催となりますが、
噴火に伴う避難生活などで、7年の間、開催されませんでした。

久しぶりに開催された今回は、「復興」という言葉が添えられたばかりでなく
「インターナショナル」を冠したために、主催者らは都内の大使館を訪ねて
参加者を募ったそうです。

その結果、ハワイ生まれの日系2世の男性が参加。
その他は、三宅島の内外から220名を超える腕に自信のある太公望が
集まり、祭典は成功のうちに終わりました。

来年以降も外国からの参加者を増やしていきたいと主催者は意気込んでいました。

ところで、依然として火山ガスの放出が続いている三宅島ですが、
航空路の再開のめどがたっていないとはいえ、空港のビルをはじめ
滑走路の整備など完璧で、いつ再開しても良いように準備は万全でした。

避難する前の島民の数は約3800人、
去年2月に帰島してから、およそ1年8ヶ月経過して
現在の帰島者は約3000人。

島の人たちの自助努力、磯釣りの祭典に参加した人たちの共助、
「よみがえれ 三宅島」の動きはますます高まっています。

投稿者 : 14:26

2006年10月30日

復興へ向けて        (担当☆高橋民夫)

伊豆諸島三宅島は今どうなっているかご存知ですか?

2000年6月26日噴火に伴う地震活動が始まり、
やがて7月から8月にかけて約2500年ぶりとなる
カルデラを形成する噴火活動となりました。

9月の初めに全ての島民が島外避難、
その後は山頂火口から多量の火山ガス放出。
帰島を望む声が高まる中、火山ガスの放出量が
減少傾向をみせた2005年2月、避難指示が解除となり
約4年半ぶりの島民帰島が実現しました。

それから約1年8ヶ月、
島民たちの復興へ向けての動きが続いています。

その中のひとつが、三宅島と羽田間の航空路の
早期再開を願う署名活動です。

私も、身近なひとや職場関係などで、賛同者からの
署名をもらい、発送しましたが、結果が出ました。

当初目標1万人に対して、7万8183人(10月5日現在)!
もちろん、相手が自然災害ですから、
署名の人数によって動き出すものではないことはわかっています。

また、10月26日の気象庁発表の火山観測情報・第299号によりますと
「活動はやや活発で、二酸化硫黄を含む多量の火山ガスの放出が
続いており、当分継続すると考えられます。(中略)
火山ガスの放出が続いていますので、特に風下にあたる地区では
警戒が必要です。また、雨の場合、泥流にも注意が必要です。」
となっています。

こうした中、私は、11月3日の夜、文化放送のすぐそばの竹芝桟橋から
船で三宅島に行きます!!
これは、4日に行われる「三宅島復興インターナショナル磯釣りの祭典」の
取材のためで、今回13回目の磯釣り大会ですが、初めて「復興」という言葉が
入っており、大勢の人でにぎわうことを祈っています。

ちなみにこの磯釣り大会の受付窓口は「三宅島観光協会」
電話  04994-5-1144   で、
11月3日まで受け付けているそうです。

なお、番組宣伝もしちゃいますが、「吉田たかよしプラス」の
3日朝の7時20分ごろのコーナーでは、私高橋民夫も出演し、
現在の三宅島の状況などについて三宅島観光協会の上松会長を結んで
お伝えする予定です。

あっ、そうそう私が三宅島に行くとき、もちろんガスマスクを持っていきます。

投稿者 : 20:50

2006年10月09日

安倍総理の初外交は中国・韓国    担当☆高橋民夫

第90代総理大臣の安倍さんは、
初めての外遊先に中国と韓国を選びました。

歴代の総理大臣が主にアメリカ詣でを優先していた中で
安倍さんが、隣国を選んだのは、周辺国との関係修復を
急ぐねらいがあったものと思われます。

この早い判断が、安倍さんの外交に神風を吹かせました。

北朝鮮が、とんでもないことをしでかしてくれたからです。
いえ、決して喜ばしいことではありません。
先頃、核実験を実施するとの表明に対して、国連はもとより
世界各国が、北朝鮮の表明に一斉に反発していた中での
9日の核実験実施の発表でした。

その一報をソウルの空港で耳にした、総理に同行していた
文化放送の吹野記者(写真)は情報の確認に東奔西走し、
リポートも思わず早口になってしまいます?!
総理同行吹野記者.jpg

              (早口カンケーないがな! ソウルより 吹野)

安倍総理にとって、さらには韓国のノ・ムヒョン大統領にとっても
追い風になったかも知れない、と述べたのは次の理由からです。

前の小泉政権の頃から、靖国参拝の問題をめぐって、
日本は、中国とも韓国とも一種の緊張状態になっていました。

政権が変わって、安倍さんになり、たとえ外遊最初の訪問国に
中国と韓国を選んだからといって、その問題は避けて通るわけには
いかない課題であったことには変わりはありません。

思うに、お互いの理解を深めるためには時間がかかる問題だけに
わずか数時間の首脳会談での解決は難しいでしょうし、
そういう意味では、今後も折にふれて会談開催の筋道を作った点で
評価されると思います。

さて、「追い風」についてですが、日韓首脳会談の前に、
北朝鮮から核実験実施発表の情報が入ったことで、安倍総理は
ノ・ムヒョン大統領との首脳会談で、北朝鮮の核実験に
厳しく対応することで意見の一致をみました。

これまで北朝鮮への対応でスタンスが食い違っていた
両国の足並みがそろったことは安倍総理の得点でしょう。

一方、これまで北に対して太陽政策をとりつづけてきた
ノ・ムヒョン大統領にとって、今回の核実験実施発表の情報は
大統領にとって、政策転換を迫られることになり、
こうした点で、タイミング良く日韓首脳会談が開けていたことは
ノ・ムヒョン大統領にとってもポイントになったものとみられます。

今夜のうちに日本に帰国する安倍総理と昭恵夫人ら、
総理は今夜も国連の動きに注目し、明日早朝から閣議をはじめ
国会を中心として、北朝鮮の暴挙への対応に追われます。

さて、総理に同行していた文化放送の吹野記者は、
あす10日の朝の番組にソウルから生リポートを行います。

一緒に表現するのもなんですが、総理も記者も大変です。


投稿者 : 21:39

2006年09月22日

59歳、まだまだむきになれる自分が好き   担当☆高橋民夫

仕事に打ち込みながら、趣味を楽しむことは大事です。
それも「勝った・負けた」の世界になると燃えます。

今月の「三遊亭小遊三杯」争奪ボウリング大会も
参加者は皆、文化放送の藤木アナウンサーに勝とう
と張り切りました。

なぜかって、最近のこの大会は毎回、毎回、
藤木アナウンサーが優勝していたからです。
彼女のブログでちょくちょく報告されていたので
読んだ方も多いことでしょう。

それが、今回は最年長者2人(小遊三師匠と私)
のうち1人が優勝!!
思わず、高笑いしちゃいました。(大人気ない!?)
小遊三杯優勝.jpg
でも、まだまだ必死にむきになれた自分に感動???

ところで、現在、日・米・韓のトッププロボウラーが
東京に集まっているのをご存知ですか?

今年で22年目を迎えた「JAPAN CUP2006」が
開催されているためで、優勝賞金500万円を
目指して、熾烈な戦いが繰り広げられています。

予選のゲーム数も大変ですが、なにより必要なのは
コンセントレーションつまり精神集中です。

ですから、毎年数多くのパーフェクトも生まれています。

20日に始まったこの大会に私は参加していませんが(当たり前)
激しい戦いでふるいにかけられた9人が最終日に進みます。

23日の土曜日までの予選会は、品川プリンスホテルボウリングセンター、
そして、決勝戦が行われる24日は、東京都体育館で、
アリーナに4レーンのボウリングレーンが用意されます。

このため、客席の多くの方たちからトッププロたちの
すばらしいプレーを見ていただけるので、
ぜひ、会場にきていただきたいと思います。

実はこの大会に文化放送も後援しておりまして
賞品授与のときには、編成局の川津局長も
出席することになっています。

去年は会場から私が並木恵美子プロと生放送しましたが
今年は放送こそないものの、会場に行こうと思っています。

いくつになっても、気持ちを集中できる趣味
持ちつづけたいと思います。

投稿者 : 19:08

2006年09月05日

仲間たちは顔面蒼白でした     担当☆高橋民夫

9月2日、土曜日の午前中の静けさは
上空を飛び交う何機ものヘリコプターでやぶられました。

多摩川にかかる丸子橋の近くに住んでいる私は
2日の午前11時ごろ、異様なプロペラ音に気が付き、
外へ出ると、何機ものヘリコプターが時計の針と反対周りに
旋回していました。

これはなにかがおきていると思い、近くの消防署に
電話で問い合わしたところ、多摩川で水難事故とのこと。
急行すると、東急東横線の鉄橋と丸子橋の間が現場でした。
多摩川水難.jpg
現場には東京消防庁の水難救助隊も駆けつけていました。

私の取材メモによると、良い天気に誘われて会社の同僚14人が
午前8時ごろから、多摩川の川崎市側の河川敷でバーベキューをはじめ、
ビールなどを飲んでいたところ、気温が上がったので、6~7人が川に入って
泳ぎ始め、突然2人が深みにはまるなどしておぼれました。

連絡を受けた警察と消防が駆けつけて、いっしょにいた若者たちから
事情を聞くとともに、必死の捜索を続けたところ、さらに1人が救助を
求めていたため病院へ運びました。彼は命に別条はありませんでしたが
おぼれた2人は、翌3日までに2人とも死亡しました。

現場は川崎側から石段で川に入れるようになっており、普段から
釣り人や子供たちが川に入って遊ぶ姿が見られるところでした。

また、この場所は昔、丸子(まりこ)の渡しという渡し舟が行き来しており
私が子どものころは、遊泳も禁止されていませんでした。
このため幾度かおぼれて死亡するという事故が繰り返され、
遊泳禁止となったところです。

バーベキューを楽しむために集まった若者たちは一瞬にして
仲間の命が奪われ、ことの重大さに気が付いたときには
川の土手で体を寄せ合って幾分放心状態でした。

上空を旋回していたヘリコプターがそれぞれの基地に戻り
どっと押し寄せていた野次馬たちも三々五々帰り始めたのは
お昼も過ぎた午後1時ごろでした。

携帯電話を持って現場で取材をした私は局の報道部と
連絡をとり、レポートしたかったのですが、タイミングが悪く
ニュースに入れられなかったのは残念でした。

仕事はお休みでしたが、ある土曜日のできごとでした。

投稿者 : 04:20

2006年08月17日

お盆を故郷や行楽地で・・・     担当☆高橋

1970年(昭和45年)、アナウンサーで入社し
現在報道部のデスク・記者の高橋民夫です。

誰しも、日々の生活の中で、ある言葉を聞くと何かの画面が
鮮明に浮かび上がってくるという言葉があります。
私にとっての、その「言葉」は、

「お盆を故郷や行楽地で過ごす人たちを乗せた・・・」

という言葉です。

1985年8月12日、当時ニュース担当のアナウンサーだった私は
いつもより遅くまで、アナウンス室に残っていました。

やがて7時になろうかという時、報道部員が駆け込んできて
緊急事態発生を告げ、「只今入りましたニュースです」と
伝えたのが、あの日航ジャンボ機墜落事故でした。

午後6時羽田発大阪行きのジャンボ機の機影がレーダーから
消えた、というのが第1報で、その後しばらく続報を伝え、
午後9時には、報道のG記者とともに四谷の文化放送を出発。

山の中に「火の玉のようなもの」が落ちるのを見たとの情報で
中央高速、須玉インターを出て北上を続け
長野県の北相木村、南相木村に急行しました。

天気は晴れ、空に星が見える山また山の目的地には
次から次に、報道スタッフが集まり、長野県警の対策本部も
設置されましたが、詳しい情報が一切得られません。

ジャンボ機の行方がわからないまま時間が過ぎ、翌早朝になって
長野県警の対策本部から発表されたのは、
隣の群馬県、御巣鷹山で飛行機の部品が見つかったとの内容で
いっせいに記者たちが移動をはじめました。

群馬県上野村の役場に墜落事故対策本部が設置され
発表は、群馬県警に変わりました。
私たち現場取材班は、情報収集とともに長期戦に備え、
近くの民宿に宿を確保、村役場内に文化放送の
臨時線を引き、現場取材本部を立ち上げました。

日本の航空史上最悪の事故となってしまった
日航ジャンボ機墜落事故から21年が経過し、
今年も「お盆を故郷や行楽地で・・・」という
言葉が使われる時期が過ぎようとしています。


投稿者 : 20:00

2006年07月31日

今年の防災特番は「あなたにできること・・・」  (担当☆高橋)

報道部最年長の高橋民夫です。
同時に防災キャスターであります。

1980年、当時東海地震の発生が近いと叫ばれており、
その対応のために勉強しておくようにと、文化放送から
いわれたのが、防災キャスターのスタートでした。
アナウンサーの仲間たちが主体で、
月岡逸弥アナ、吉田光雄アナ、倉林由男アナらとともに
さまざまな会議などに出席したものでした。

ここ数年は、防災キャスターとして育っていた
衣笠聖也記者が防災スペシャル番組に出演していましたが
彼が異動してしまったので、今年は私が出ることになりました。

帰ってきた防災キャスターのようですが、今、武者震いしています。

きょう昼に、文化放送内メディアプラスホールという多目的ホールで
防災の日スペシャル、ネット全局会議が開かれ、挨拶しました。

ことしは「あなたにできること  ラジオにできること」というテーマで
北は北海道から、南は沖縄まで、全国38の民間放送局を結んで
9月1日(金)午前11時から正午までの1時間と、引き続き
午後1時までの文化放送単独の防災放送となります。

番組進行は、太田英明アナウンサーと女優の工藤夕貴さん。
ゲストが防災アドバイザーの山村武彦さんです。
番組をお聞きいただいた方へのプレゼントもあります。
ぜひお聞きください。


ところで、防災キャスターの私高橋民夫は7月25日、
在京ラジオ防災担当者会議のメンバーとともに
ライフラインのグループのひとつ、NTTドコモの
ネットワークテクニカルサポート&オペレーションセンターに
行ってきました。

東京をよくご存知の方は、品川駅の港南口の
新幹線の線路脇に、この建物があるのを見てらっしゃると思います。

ntt.jpg

そうなんです。これがNTTドコモの東日本部分を中心に管理している
ネットワークテクニカルサポート&オペレーションセンターなんです。

電車の窓から見ていて、不思議な形をしているな!と思いましたが
見学会で少々謎が解けましたので、お知らせします。
ロボットの肩のようにふくらんでいる部分は、レドームといい、
内部にアンテナが収納されているんだそうです。
このような形になっているのは、航空法によって制限されていることと、
地域の中で、景観を守るためで、スッキリした形になっています。

また、建物そのものはダンパーX(エックス)型という手法で
建築されていて、充分な耐震構造になっているということです。

そして、環境問題としても、コージェネレーションシステムという
太陽光自家発電システムを採用し、玄関部分である
1階のエントランスの上部が透明になっていました。

センター内部の写真撮影は禁じられていましたが、
災害が発生した場合の「iモード災害用伝言版サービス」などの
講習を受けてきましたので、折にふれてお話をしたいと思います。

なお、大事なことは「防災とは自分で努力すること」であって
災害用伝言版などの使い方について、営業所などで学んでみてください。

まさに、天は自ら助くる者を助く!!」ですから・・・

投稿者 : 19:01

2006年07月12日

都営地下鉄の各駅にAED  担当★高橋

報道部最年長の高橋民夫です。
防災キャスターであり都庁クラブのキャップでもあります。
石原慎太郎都知事の会見の様子をMXテレビで見ている方は
中央付近、かなり前の席に座っていますので、どうぞよろしく。

いいえ、そういうことを言いたかったのではありません。
東京都交通局は、先月6月末までに、自らが管理している
都営地下鉄四線の合わせて101駅に「AED」を設置したのです。

そして、この写真は、都営大江戸線・都庁前駅の「AED」です。
都庁前駅に設置されたAED.jpg

実は、この都庁前駅の「AED」が大変な働きをしたのです。

東京都は今年1月20日、大江戸線の都庁前駅と新宿西口駅の2駅に、
「AED」を試験的に設置しました。

「AED」とは、「自動体外式徐細動器」というもので、
突然心臓が止まった状態になった時、
心臓に電気ショックを与えて正常な状態に戻す医療機器で、
一昨年の7月、一般市民の使用が解禁されました。

当然、試験的に設置された都庁前駅の職員らは
その使用法について、研修を受けました。
職員の中には、さらに上級救命技能認定のための
講習を受けていた人もいました。

それは、今年の3月16日のことです。
改札口外の階段上で、男性が倒れ女性が助けを求めていました。
急を聞きつけた都庁前駅の職員らは、その様子から「AED」を
持って、男性のもとに駆けつけ、「AED」のガイダンスにしたがって
人口呼吸と「AED」の操作をくりかえしました。

救急隊員が駆けつけるまで、この作業を繰り返した職員のおかげで
65歳の男性は息を吹き返し、救命活動を行った4人の職員は
消防総監賞を受けました。

なんということでしょう。
「AED」が試験的にとはいえ、設置された駅構内で倒れた男性は
その研修の成果と、チームワークで命が救われました。

東京都では、大江戸・三田・浅草・新宿の都営地下鉄四線の
合わせて101駅に「AED」を設置しましたが、
職員のみならず、利用する多くの人々が、その使用法に
精通していたいものです。

ちなみに、文化放送新社屋の地下、大江戸線の大門駅にも
この「AED」=自動体外式徐細動器が設置されています。

投稿者 : 10:00

2006年06月26日

日本の最南端 「沖ノ鳥島」   担当★高橋

皆さんも一度はお聞きになったことがあると思いますが、
日本の最南端の「沖ノ鳥島」は大変重要な意味を持つ島なんです。

東京都小笠原村沖ノ鳥島 とはいいながら東京竹芝桟橋から南へ約1740km,
その「沖ノ鳥島」から去年、生放送をしてきました。えぇ私、高橋民夫が・・・

沖ノ鳥島 三角点.jpg

この写真が動かぬ証拠、「沖ノ鳥島」の三角点です。

平成17年5月18日、竹芝桟橋を出港した「おがさわら丸」は丸一昼夜たった
翌19日の昼前、小笠原父島に到着、厚木基地から水上飛行艇で到着した
石原東京都知事と合流し、さらに丸一昼夜を経て、20日の昼過ぎようやく、
遠くにサンゴ礁を臨む海域にたどり着きました。

サンゴ礁の中に入るためには、おがさわら丸から降ろされたボートに
乗り移り、小笠原村から同行してくれた海の男たちにともなわれて
猛烈なスピードでサンゴ礁の中に入りました。

深い深い海はダークブルー、白い波頭に囲まれたサンゴ礁の中は、
どこまでも透き通ったエメラルドグリーンです。

このサンゴ礁の中に、満潮時には高さ・幅ともに数メートルほどの
2つの島が残るのみとなった「沖ノ鳥島」は、東小島と北小島に
分かれており、台風の通り道などであることから、侵食で島が
水没しないよう護岸を設置するなど保全工事を行ってきました。

沖ノ鳥島は国連海洋法で認められた日本の領土であり、
その排他的経済水域は日本の国土より広い約40万平方kmで、
その保全、維持管理は大切なのです。

まして、東京都が経済活動を開始すると宣言し、自ら現地を視察する
石原知事に同行して、島に上陸した私は、直径5~60メートルの護岸で
持参したイリジウムの携帯電話でさっそく生放送にリポートしました。

この1年間、どんなことに取り組んできたか、今後どうするかなど
近々、朝の番組の神出鬼没のコーナーでお伝えしようと思っています。

なお、明日、平成18年6月27日(火)の13時半~14時50分、
東京都議会議事堂1階の都民ホールで、
「もっと知ろう沖の鳥島!考えよう沖ノ鳥島の未来!」と題して
講演会が行われ、ビデオやスライドで沖ノ鳥島を知ることができます。
私も取材に行きます。よかったら会場でお会いしましょう。

投稿者 : 20:22

2006年05月23日

さようなら FM2号車    担当★高橋

報道最年長の高橋民夫です。

私は、1970年(昭和45年)入社で、
当時の日本は大阪万博が大きな話題でした。
また、入社式の前日は「よど号乗っ取り事件」のあった日でした。

そして忘れられないのが、昭和44年の入社試験のときには
四谷の文化放送に「都電・新宿線」で試験を受けにきましたが、
その新宿線も入社前に廃止となったことで、
当時、すでに車の数が増えて道路混雑が始まっていました。


アナウンサーで入社した私は、
当時の大人気番組、グレープのセイ!ヤングの中で
毎週、ニュースを担当していました。
さだまさしさんから、ではここでニュース、高橋さんです。
と紹介されていました(アァ、今は昔)。

また、街角リポーターとして、FMカーに乗って
あちらの街、こちらの街に出かけて取材し、
それらをリポートしました。

当時のFMカーは冷房なんてありません。
アメリカ・フォード車のステーションワゴンで、
夏シーズンのとき、番組が終わるころには
お尻にベットリ汗をかいたため、替えのズボンが
必需品だったことを、なつかしく思い出します。

その後三十数年間で、文化放送のFMカーも
何代も移り変わり、歴史を刻みました。
あっ、そういえばFMカーというのは取材先など
出かけた場所から放送をする中継車のことです。


そして先日、無事に務めを終えたのが
このFM2号車です。

さよならFM2号車.jpg

そばに居るのは、名ドライバーのH氏。
内緒ですが、H氏は間もなく還暦を迎えるとは思えない若々しさ!
もっともこれは、男にとって誉め言葉ではありませんね。

彼は、報道の取材にかけてベテランで、ニュースの動きに
精通しているばかりか、取材現場の駐車スペースなどについて
すばらしい嗅覚の持ち主で、若手の報道マンにとっては
とっても頼りになる人生の大先輩なんです。(ゴマをスリスリ)


さて今回の主役であるFM2号車は、
平成10年1月から、この任についたもので、
平成18年5月の務めを終えるまで(途中2年間を除く)に
5万4989Kmを走り続けました。

その印象は、誰もが口々に「クッションが悪い」でした。

車そのものは廃車となりますが、アンテナなど機器類は
当然、次のFMカーへと引き継がれます。
その務めにありがとう。そしてご苦労様でした。
というのが、報道部員全員の意見です。

投稿者 : 06:19

2006年05月05日

G・Wはグァンバル・ウィーク!? 担当★高橋

どうもどうも、僕にも子どもの頃があった報道部最年長の高橋民夫です。

今、東京方面へ向かう中央道や東名高速の渋滞のニュースが伝えられています。
明日は土曜日、あさっては日曜日とお休みが続く人もいると思いますが、
先週の4月29日に始まった黄金週間、いわゆる大型連休が終わろうとしています。

ゆっくり長期休暇がとれたぞーとおっしゃる方も、
カレンダー通りに5月3日から休んで近場ですごした方も、
どちらさまも、本当にお疲れ様です。


たまたま、僕は全部出勤!
5月1日は報道の当直で2日の午前まで、
3日の憲法記念日は憲法とりわけ第9条の改正!を討論するフォーラム取材、
4日の木曜日はニュース総監督のデスク業務、
そしてきょうのこどもの日は連休を海外で過ごした旅行客の帰国の様子を成田で取材、

午前11時ごろ、第2ターミナルの到着ロビーに着いて愕然?!
ほとんど、帰国する人がいない!
それでも、韓国ソウルからとハンガリーからの若者にインタビューし、
きょう1日で、46200人が成田に帰国すると昼ニュースでレポート。

昼ニュースを終えたあと成田空港のデッキに出て撮った写真が、これです。
060505_1239~01.jpg成田.jpg
駐機の数も少ないし、離着陸の飛行機も少ない時でした。


しかし、さすがに午後になると各地からの帰国客が多くなってきました。
定年退職した夫と、G・Wに初めて旅行したという主婦は、
ベトナムでの1週間の旅を満足の表情で語ってくれましたが、
インタビューの最後にポツリと一言。「帰って洗濯です」


成田空港では、明日は今日と同じ46200人の帰国者を予想していますが、
5月7日日曜日、つまり大型連休最終日には52000人が帰国するとしており、
帰国ラッシュがピークを迎えます。


それぞれが、それぞれのG・Wを過ごしたわけですが、
僕はグァンバル・ウィークでよかったな。
だって、来年の4月いっぱいで、定年を迎えちゃいますからね・・・。

投稿者 : 17:52

2006年04月19日

災害情報の第1人者 逝く 担当☆高橋民夫

文化放送には、幾人かの「防災キャスター」がいます。
災害時には、スタジオに入って、被害情報や復旧情報を伝えるとともに、
スタジオの外からも、被災者の求める生活情報を取材してリポートします。
とりわけ、大地震災害では発生直後に、いかに落ち着いて放送を
続けられるかが問われるわけで、その役割は重要です。

私が文化放送で「防災キャスター」になったのは1980年、
昭和55年で、今から26年前でした。

当時は、東海地方を襲う大きな地震がいつ起きてもおかしくないと
言われており、現地の放送局をはじめ、東京地域の放送局でも
「東海地震」への備えを確立し始めたころでした。

その5年前、1975年に東京大学新聞研究所で助手として
災害情報に真剣に取り組み始めたのが、廣井脩先生で、
私や各放送局の防災担当者と頻繁に会合を持つようになりました。

最初のころは、堅物の先生と思いましたが、実際は違っていて、
会合の後などは、必ずといってよいほど懇親会になり、
それが、防災担当者同士をより近しいものにしていきました。

有名だった東大新聞研究所は、社会情報研究所と名前を変え、
現在は情報学環となるなど、時代の移り変わりはめまぐるしいものが
あります。
廣井先生は、その中で助教授、教授となり、一時期は社会情報研究所の
所長を務めるかたわら、政府および各省庁の防災上の委員に任命され、
あるいは大事な会合の座長を務めるなど激務が続きました。

そして、私たちも参加している日本災害情報学会を設立し、
初代会長を約6年務め、現在の形を確立しました。

廣井先生は、あの阪神・淡路大震災の前の晩は大阪に滞在中で
5時46分の地震のあと、被災地神戸方面へ急いだのです。
被災地で震災の様子をつぶさに見ると同時に、専門の研究、つまり、
情報の出し方、マスコミは「何ができて、何ができなかったのか」
などを調査するとともに、アンケートを行い被災者の求めるものを
探しつづけたのです。

廣井先生の大きな功績のひとつが、阪神・淡路大震災を教訓に
NTTに働きかけて運用にこぎつけた「災害用伝言ダイヤル」が
あります。局番なしの「171」が家族の安否を知らせます。

数々の功績を残し、現在は緊急地震速報のシステムと
情報発信の方法などで会合を続けていた廣井先生が
直腸がんに倒れたのが、3年前の9月ごろ。

手術や治療に負けまいと、病室でも好きなノートパソコンに
向かって、気を紛らわせていた廣井先生は、入退院を繰り返し、
退院中は多くの仲間と懇親会を行うも、お酒は飲まず、
グラス一杯の氷にウーロン茶を入れて歓談していました。

今年の3月半ば、気象庁の講堂でお会いしたとき、
「民夫ちゃん、もう疲れちゃったよ」とボソッと一言。
私が廣井先生とお話した最後の言葉でした。

4月15日土曜日の夕方、その悲しい知らせが届きました。
18日通夜、19日告別式には、全国から災害に携わる人が
集まり、故人とのお別れに参列しました。

廣井脩先生、享年59歳でした。

060418_2045~01.jpg

      合掌

投稿者 : 19:27

2006年04月03日

新年度スタート(担当★高橋民夫)

4月2日誕生日の私は、きのうで59歳になっちゃいました。
報道最年長の高橋民夫です。

私が以前、担当していた番組で、誕生日のことを
自分の喜びの日とするだけでなく、産んでくれた母親に感謝する日
と、よくお話をしてきました。はい、きのうは母と電話で話しができました。


そして、きょう4月3日(月曜日)は、事実上の新年度のスタート。
この報道部日記でも先週から、お知らせしている通り
夕方5時からの、全国32局ネットのニュースパレードが
リニューアル開店しました。
先週、緊張の表情の角谷(かくたに)キャスターの写真を
掲載しましたが、きょうの写真は・・・
角谷&水谷.jpg縮小5.jpg
それには理由がありました。

政治ジャーナリストで国会はもとより、国会周辺を歩き回り、
現職の大臣らとも食事をともにするほどの国会通。
文化放送でも、選挙の特別番組や各番組に多数出演し、
生放送にも動ずることなく、落ち着いてコメントしてきました。


その、角谷さんが、きょうスタートしたニュースパレードの
リニューアル第1回の放送では、コチコチに緊張していました。
番組を終えて報道部の部屋に戻ってきた瞬間
「あぁ緊張した。珍しくあがっちゃった」と語ったのです。


でも、きょうのニュースパレードの注目する内容は
先週、執行部が総退陣を表明した民主党の動き。
小沢一郎氏とも菅直人氏とも親交のある角谷氏。
今週金曜に向けての動きなども含めて得意の分野。
第1回の放送は聴取者の皆さんから、及第点を
いただけるのではないでしょうか。


そして、ホッとした表情は、第1回を無事に終えたことと
きょうが、角谷さんの誕生日であり、スタッフの用意した
(小さな)ケーキにろうそくの火がともったからでした。


角谷氏にとって今年の誕生日は特別な日になったことでしょう。

投稿者 : 19:09

2006年03月16日

梅は咲いたか、桜は・・・(担当★高橋民夫)

「平成18年豪雪」と命名、と気象庁が発表したのは
3月1日のことでした。
同じ日に、気象庁は第1回桜の開花予想を発表。
東京では、3月25日となるでしょう、など各地で
平年より早く開花するとの予想が発表されました。

でも待ってください。真冬の厳しい寒さ、雪国の
大雪などで、例年だと1月末にも咲き始める梅の
開花が、今年は大幅に遅れていましたよね。

大田区にある池上梅園でも、ことしの春は
梅の見ごろが、かなり遅くなりました。(写真)
0501池上梅園.jpg

ところが、ソメイヨシノの開花は、そのリバウンドか
かなり早くなりそうなんです。

私たち文化放送は、現在、気象庁記者クラブで
幹事社にあたっており、所属各社がスムーズに、
かつ楽しく仕事を進められるように、広報などと
折衝する業務を担っています。

そうした中、今月の毎週水曜日には
「桜(ソメイヨシノ)の開花予想」が発表されました。
それが、民間気象会社の開花予想に比べて
早かったものですから、あの厳しい寒さから
さほど時間がたっていないだけに、
疑問視する人も多くいました。

しかし、3回目の発表の15日には、東京の桜は
さらに早い、22日の開花とされたのです。
そしてなんと、15日には全国のトップをきって、
高知で開花宣言。きょうは東京の三宅島でも
ソメイヨシノが開花したということです。

各企業の入社式が行われたり、石森記者が
きょう取材した、USENとライブドアとの業務提携など
年度の変わり目らしいニュースもあれば、
桜の花のニュースが入るなど、まさに
世にニュースの種はつきないものですね。

若者たちよ、酒を飲みすぎて死ぬなよ。

投稿者 : 20:06

2006年02月28日

記者会見 明と暗(★高橋民夫)

2006年2月28日、きょうは、
報道記者にとって、注目すべき記者会見が二つあり、
歴史の中で、大きなニュースとして残ることでしょう。


「明と暗」に分かれた記者会見ですが、
「明」はもちろん、イタリア・トリノから金メダルを持ち帰った
女子フィギュアの荒川静香選手です。

夕方4時半ごろ、成田空港に帰国した荒川選手は
その後、都内のホテルで大勢の記者を前に、
「最高の舞台で、最高の結果を出すことができた」と
語るとともに、「この金メダルのように輝いていきたい。
そうなれるよう、努力・精進していきたい」と述べ、
喜びの中にも、謙虚な姿勢を示しました。

えらいですね!世界の頂点ですよ!
この謙虚さが、日本人の良いところとされていたのに・・・


一方、まるで鬼の首をとったかのごとく追及し
「暗」の記者会見をせざるをえなかったのが、
民主党の永田寿康議員と前原代表でした。

いわゆるライブドアの堀江被告が武部自民党幹事長の
二男に資金提供をメールで指示したと衆院予算委員会で
指摘した永田議員が退院後に国会内で会見し、
「十分な調査もなく名前を挙げて追及したことを
大変申し訳なく思っている」と述べて、謝罪しました。

しかし、永田議員が依然、メールの内容は事実としたことに
28日夜、党本部で会見した前原代表は、
「すべて私の責任」としながらも、「本物でないと
認定したからには、おわびしなければならない」と
批判する場面もありました。

「メールは本物でなかった。すべて私の責任だ」と述べた
前原代表は、自らの責任のとり方について、
「職を辞することも真剣に考えた。厳しい批判はあると思うが、
国民、有権者に説明責任を果たしていくことが責務」と語り、
任期である今年の秋まで続投することを表明しました。


日本のノスタルジーに浸っているわけにはいきませんが、
「日本人」は、勤勉で謙虚で誠実なはずです。

荒川さんの、人知れず努力に努力を重ねた上で、
「最高の舞台で最高の結果をだせた」という重みのある言葉。
私たちに、何かを教えてくれた気がします。

投稿者 : 21:59

2006年02月10日

たった一度の人生だから

はーい、報道部最年長の高橋民夫です。

生涯、現役を貫ければとっても幸せですよね。
放送局の、それも現場の報道部で、現在もなお
日々、新しい出来事に遭遇し、新しい人に出会える。
これほど楽しいことは、ありません。

きょうは、国会およびその周辺を取材しました。
まず金曜恒例の閣議が開かれ、その後各大臣は
それぞれの場所で、記者会見を行います。
今朝は、国土交通省で、北側大臣の会見取材。
耐震強度偽装事件で、姉歯元一級建築士絡み物件と
非姉歯物件の調査関係の話が中心でした。

国会議事堂の中を、私たちは院内といいますが、
予算委員会が続く院内での取材などを行いながら
午後になって、近くの民主党本部に行きました。
これは、鳩山幹事長の記者会見取材でしたが、
すべて終了した段階で、進行役を務めていた
蓮ホウ議員が突然、
「さて皆さん!あしたは鳩山幹事長のウン才の
誕生日です。ご一緒に祝ってください!」
というわけで、ケーキを前にした鳩山氏をパチリ!
民主党ってパフォーマンス好きなんです。

hatoyama.jpg

一枚目の写真はわかった。だけど
あとの二枚は何なんだよって言う方は
次を読んでね。

そうなんです。ともにボウリングつながりです。
真中の写真は、落語家の三遊亭小遊三師匠と
文化放送の藤木千穂アナウンサーと私。

三枚目の写真は、  おわかりですか?
おわかりだったら、かなりのボウリング通。
だって、中山律子プロと並木恵美子プロなんです。

ともに昭和22年生まれの小遊三師匠とは
あしかけ十二年ぐらいにわたって続いている
「小遊三杯争奪ボウリング大会」で一緒。
しかし、卓球選手でならした小遊三師匠は、
ボウリングは何年やっても、いまひとつ・・・?
おかしいな?こんなはずではないな!といいながら
気の合う仲間たちと、笑い声の絶えない大会を
満喫しています。
ボウリングで一汗かいたあとは、ビールをグイッ!
これがこたえられませんが、最近師匠はウーロン茶!
ちょっぴり寂しい気持ちに襲われています。

藤木アナウンサーについては、文化放送の夕方の
番組を聞いていただいていればおわかりのように、
去年、女子プロボウラーの試験を受けました。
さすがに、試験は大変で不成功に終わりましたが
まだまだ夢を捨てておらず、小遊三杯の大会では
優勝の常連です。

そして、その藤木アナウンサーにボウリングの指導を
してくれているのが、並木恵美子プロです。
その昔(あっ失礼)、ともに第一期生として
世の中の男性を魅了した中山律子プロ、
グングン力をつけて、一時期勝ちつづけた並木プロ。
こうした方たちとの試合も毎月楽しんでいます。

高校時代から、ボウリング大好き少年で育った私が、
今、この時代にこんなに素敵な人たちと一緒に
ボウリングを楽しむことができるなんて
夢にも思いませんでした。

「今度、ボウリング大会を開催しましょうよ」って
鳩山さんにも声をかけてみようっと!

たった一度の人生だから、仕事も趣味も
大いに楽しまなくっちゃ  ね!!

投稿者 : 20:34

2006年01月25日

大地震、いざという時 ラジオです

「おはようございます。文化放送防災キャスターの高橋民夫です。」

という挨拶が、NHKラジオ、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、
ラジオ日本、TOKYO FM、JーWAVEの7つの放送局から
同時に放送されたとき、多くの人がびっくりしたようです。

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そうです。阪神・淡路淡路大震災から満11年目の1月17日、
午前8時46分からの「ラジオ災害情報交差点」の番組です。


あの大震災の教訓を生かして、在京ラジオ局7社が
東京電力・東京ガス・東京都水道局・NTT東日本・それに
NTTドコモのライフライン5社の情報を伝える番組です。

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これは、いざ大きな地震災害などが発生した場合、
ライフライン各社の被害・復旧情報をリスナーの皆さんに
正確に、早く伝えようというもので、情報の一元化を
目指したものです。


なぜかといえば、被災者同士が話をした場合、
「○○放送局を聞いていたら、こう言っていたよ!」
「あら、△△放送局を聞いていたら、別なことを言っていたよ」
というような、デマを防ぐのが目的で、
ラジオ7社は、毎年9月1日と1月17日に訓練を兼ねて
放送しています。


進行役は、そのとき幹事にあたっている放送局が
担当することになっていて、今回は私が務めました。
また、各ラジオ局のキャスターの声がやはりすべての
放送局に流れたことも付記しておきます。


実際には大きな災害が起きず、その放送もしないで済めば
これほど良いことは、ありません。
しかし、協力体制ができているかいないかは、
大きな違いがあります。


ラジオ局も一歩を踏み出しています。
被害軽減に向けて、ともに頑張りましょう。

投稿者 : 07:43

2006年01月09日

地域では防犯パトロールに参加

報道部のデスクであり、
防災キャスターでもある
私高橋民夫は、地元町内会では
防犯パトロールのメンバーでもあります。
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誰ですか?写真を見て笑っているのは。
地域の誰からもわかってもらえるように
黄色いユニホームに身を包み、
誰からも好感を得られるような
かわいらしい体型で、
胸には、笛をぶら下げて
行き交う人と言葉をかわして
数人ずつで巡回しています。

なにせ、住宅地であっても
子供たちには危険がいっぱい。

どこからともなく泥棒が見ているかも知れない
怪しい素振りの人間はいないか?
放火されて困るような燃えやすいような物が
積まれていないか?

「防犯」と「防災」はつながっているのです。

真冬の寒さにも負けず、
真夏の暑さにも負けず、
結構楽しみながら、地域の交流を
大切にしている、防災キャスターなのです。

最後に、宣伝をひとつ!

元アナウンサーにしては、どんな声なんだろう?
と思われる皆さんに朗報です。

1月17日の火曜日の朝、8時40分ごろ
災害情報交差点というコーナーが
NHKラジオ、TBSラジオ、ニッポン放送
ラジオ日本、TOKYO-FM,J-wave
そして文化放送の7局で同時に放送され、
その進行役を、私高橋民夫が担当するのです。

必ず、聞いてください。顔や体型を思い浮かべずに。
では・・・

投稿者 : 10:00

2005年12月23日

高橋民夫です。

高橋民夫です。
きょうは天皇誕生日、
東京は良いお天気ですが、東北から西日本にかけては荒れ模様のようです。
きのうから今日にかけて、大雪と風によって停電が発生。
ライフラインに大きな影響がでました。

そう、私は、文化放送の防災キャスターなんです。
ライフラインにかかわる、私の防災3点セットを見てください。
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これを、いつも持ち歩いているのですが、よかったらこの続きを読んでみてください。

また、1月17日が近づいてきました。
あの「阪神・淡路大震災」から間もなく11年です。

未明の突然の揺れで倒壊した建物の下敷きになった人々は、
救いを求めて、大きな声を出しつづけました。
やがて、声帯がやられます。

時間が経過し、救助隊が重機とともにきたときには、声が出ませんでした。
救助隊は、誰か居ますか?と声をかけますが、答えはありません。
すると、隣に移動してしまいます。

居るか居ないかわからない家に、時間はかけません。
しかし、居るとわかったら、屋根に穴を開けてでも救出します。

「ここに居ますよ」と知らせるために、身近に持っていたい 「笛」


地震災害は複合災害です。
停電で暗闇に包まれたりすると、恐怖感に襲われます。
手元を照らすだけでも、落ち着きを取り戻すことができます。

普段から持ち歩きたい 「ミニライト」


停電では、家庭用電源のテレビは見られません。
いったい何がおきたのか?どんな状態なのか?
情報がないと不安ですし、デマのもとにもなりかねません。

旅行先にも持っていきたい 「携帯ラジオ」

備えあれば憂いなし!
きょうは、高橋民夫の防災ひとくちメモでした。

投稿者 : 12:30

2005年12月07日

今日も無事に明け勤務を終えました。

昭和45年4月に入社した私、高橋民夫はいつのまにか報道部の最高齢者になってしまいました。
なんていったって入社式の前日の3月31日は、よど号ハイジャック事件が起きた日です。
その後、三島由紀夫割腹事件や浅間山荘事件など世の中を震撼させる大きな出来事が相次ぎました。

もともとアナウンサーで入社した私ですが、黄桜デラックス歌謡ショーやダイナミックサンデーなどの芸能番組を担当しながら先輩アナウンサーの誰もがそうであったように(みのもんたさんの御法川法男アナは例外)、ニュースをも担当しました。
その入社当時から私たちは宿直勤務があり、アナウンサー時代はニュースを伝え、報道部に異動してからは、ニュース原稿を書き続ける作業となっています。
その間には、重要な記者会見などがあった場合の録音内容を編集したりもします。
ちなみに昨夜から今朝までに作業した音声の編集は、殺害された栃木県今市市の小1女児の告別式の様子や再発防止の決意を語った小学校校長の話、建物の耐震強度偽造事件で該当するマンションの住民らへの国の支援策が決まったことで「ほっとしました」と語った住民代表の会見、さらには同問題で建築基準法の罰則にまで言及した小泉総理の声などでした。
無事、昼間の担当デスクに引き継いでホッとした完徹明けの高橋民夫です。
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 昔は、明けの勤務を終えたあと時間を有効につかおうと、スポーツセンターに通ったり、ボウリング場によって10ゲームぐらい汗を流したり、映画館でロードショーを見たりしました。
今ではなくなってしまった渋谷のプラネタリウムで星座などを眺めたときには、気がついたら居眠りもしていましたっけ・・・。
入社35年目の今でも、明けのときには試写会場にでかけたり、幹事社の役目があるときには都庁に寄ったりもしています。
自分で言うのもなんですが、体は丈夫だし、スタミナもありますので、まるで「鉄人」だとよく言われます。さて、これまでの取材の中から印象に残っていることをこれから少しずつ触れてみたいと思っていますのでどうぞお楽しみに。
あしたの担当は、同世代の柳沢和三記者の担当です。

投稿者 : 09:19