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2006年07月20日
時がいくつ流れても。(担当☆石森則和)
きょうは2部構成、
(長めですんません)
「第一部:オリンピックは誰のため?」
きょう、東京の日比谷公会堂では
「2016年東京オリンピック都民集会」が開かれました。
都民のみんな、関心度はどう?

東京都の招致本部に取材すると
「都民の関心の低さ」は認めていますが
「他の国と競争する段階でボルテージが頂点になるようにしたい、
今無理に盛り上げる必要はないですわ」・・・と苦しい発言!
「ええっ?そうなんですか?」
「はい。きょうの集会がアピールのキックオフですわ」と
主張しています。
でも会場で参加者にインタビューしても
殆どは気まずそうに身分を隠すのです。
「なにゆえ?」と思ったら
多くは何らかの関係者や広告代理店の人たちでした。
うーむ。キックオフになるのか?これで。
思えば
1964年の東京オリンピックは
高度経済成長の中で
敗戦から立ち直った国民の熱気が反映され
東京の風景を一変させました。
(まだ生まれて無いけど)
「高速道路が空を切り裂き、
川の流れは暗渠に隠れた」と嘆く方は多いですが、
地方出身の僕にとっては
夢のスタート地点、
最初の東京の姿です。
・・・では今回
もしも東京でオリンピックが開かれたら、
いったい何が変わるのか?
高度経済成長のときのような
「ほかの国と肩を並べたい!
焼け野原からここまできたんだ!」
というモチベーションはもうありません。
経済面からみましょう。
今回の経済波及効果について東京都は
1兆2677万円の「需要増加」があるとしています。
内訳は観客などの移動、宿泊のほか
一般家庭の電気機器購入費となってます。
・・・あれれ?この「電気機器」
オリンピックを見るためのテレビなどを
想定してんのかなあ?
でもな?
5年後に今のテレビが使えなくなるために
皆が一斉に「地上波デジタル対応TVなど」を
買うタイミングを考えると
果たしてオリンピックのために買い換えるかな?
移動費だって「コンパクトな大会」なのに
そんなに高くなるもんなの?
都内の移動は便利だぞ?
じゃあ風景はどう変わる?
今回は湾岸地区(晴海)に
10万人収容のメインスタジアムが作られたり
築地市場跡地にメディアセンターが作られたりしますが
江東区の選手村を中心に半径10キロ以内の
「既存の施設」を使います。
神奈川のサッカー場、
江ノ島のヨットハーバーなども活用される見込みですが
つまり東京の風景が一変する
・・・ということはなさそうです。
東京都の招致本部では
「前回の大会は「つくる大会」だったが
今回は「継承する大会」だ」としています。
・・・何を継承するのか?
「有形無形の財産を次世代に継承する大会」だって。
「ぅわかりにくいわ!」
禅問答か。
オリンピックにおいて
「誰のために、何のために」というのは
実は非常に大切な問題だぞ!
あのね
「前畑リード,前畑がんばれ,
前畑がんばれ,リード,リード!! 勝った,勝った…」
というNHKの河西三省アナウンサーの
歴史的な実況をご存知ですか?
僕らアナウンサー経験者は
大抵先輩から聞かされるエピソードです。
しかし、
この大会はもうひとつ歴史上、
重要な意味を持つオリンピックでした。
1936年の「第11回ベルリン大会」
これは民族の祭典と呼ばれ、
ヒトラーがナチスを率いて、
「ドイツ民族の偉大さ」を世界に知らせるために
利用されたのです。
更にこの大会の「閉会の言葉」は,
「4年後に東京でまた会いましょう」でした。
気がついた?
「あれ?東京オリンピックって1964年だよなあ。
計算合わないぞ?」
そう、実はこれは
「幻のオリンピック」
日中戦争の激化で日本は開催国を返上,
1940年の東京オリンピックは
“幻”となったのです。
だから東京でオリンピックが行われる計画は
2回目ではなく、
今回で「3回目」
どうか2016年の大会は
どこで行われるにせよ
平和のもとに
選手が生き生きと活躍し
家族や恋人や友人と
幸せに楽しめるものに
なりますように。
「第2部 憧れ」
もし、あなたが
大好きな野球チームに入団し、
ふと見回したら
子どものころから憧れていた名選手たちと
一緒のグランドでプレーできたら
どんな気持ちだと思う?
もしあなたがSM○Pの大ファンで
突然メンバー入りが決まり
憧れのナニタクに、
お疲れ!って肩を叩かれたらどう?
僕は仕事をするとき
それに近い気持ちに
今でもなることがあります。
周りを見回せば
少年時代の僕らにとって「アニキ」だったDJさん、
こんなに「美しく、伝わるニュース」を読むのかと
憧れたアナウンサーさん、
「これこそラジオだよっ!」と
ドキドキした番組のプロデューサーさん、
現場でしかわからないことを克明に表現するレポーターさん、
伝説の番組のディレクターさん、
大好きだった女性パーソナリティーさん、
「あのニュースを伝えたのかっ!」という記者さん、
etc、etc・・・
(ああ、誰かとめてくれえ)
「あはい」
あ、
たかおくん止めてくれてありがとう。

そんな「名選手」と
一生懸命ニュースを取材したり番組を作ったり
「すんません
交通費の精算お願いします」とか
お願いしたり(笑)
一生「ラジオ少年」の僕には
一緒に番組を作っていることが
夢のようだと素直に思うし、
その感謝を忘れずにいたいです。
・・・ただなあ、
僕もこの世界でおよそ15年。
自分の番組の、かつてのリスナーたちが
今やスタッフになったりして
時折こっそり
(なんでこっそりなんだよっ!)
「あのころ受験勉強しながら聴いていました」
なんて言われると
もう、
「うーん、・・・注意しづらい」(苦笑)
また、嬉しい反面、
「むむ、僕も歳をとったものだ」と
ヘコむこともあるので
自分も先輩がたには敢えて
そういうことは言いませんけど。
でもね。
僕には
もうひとつ憧れの存在がいます。
在京局が次々に移転、建て替えられる中
文化放送では
創業当時の社屋で放送が行われてきました。
あの憧れのパーソナリティーも
制作者も、営業マンもみんなみんな
ここにいたのです。
ここで育って、
ラジオマンとしての青春を過ごして、
時には戦って。
そして・・・
僕が幼いころ祖父にもらった
トランジスタラジオから聞こえた「大人の世界」も、
少年時代、大事なラジカセで「エアチェック」した歌も
高校を卒業して初めて東京で
ひとり暮ししたアパートで
さびしさを紛らわせてくれたDJも
みんな「この場所」から語りかけてくれました。
だから僕にとっては
ここで働けるようになって10年に満たなくても
この社屋そのものが憧れで、
願いを叶えてくれた
愛しく大切な存在です。
まもなく
この建物は歴史の中へ帰っていきますが
僕はここで一時期でも番組作りに関われたことを
ラジオマンとして、心から誇りに思います。
今でも
少年時代に
ここから届いたあの声や音楽が
僕の背中を押してくれるから。
機会が有れば
最後にもういちど
この建物を見てみませんか?

こんなに優しい佇まいの建物は
そんなにないぜ。
投稿者 : 2006年07月20日 17:59