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2006年04月19日
災害情報の第1人者 逝く 担当☆高橋民夫
文化放送には、幾人かの「防災キャスター」がいます。
災害時には、スタジオに入って、被害情報や復旧情報を伝えるとともに、
スタジオの外からも、被災者の求める生活情報を取材してリポートします。
とりわけ、大地震災害では発生直後に、いかに落ち着いて放送を
続けられるかが問われるわけで、その役割は重要です。
私が文化放送で「防災キャスター」になったのは1980年、
昭和55年で、今から26年前でした。
当時は、東海地方を襲う大きな地震がいつ起きてもおかしくないと
言われており、現地の放送局をはじめ、東京地域の放送局でも
「東海地震」への備えを確立し始めたころでした。
その5年前、1975年に東京大学新聞研究所で助手として
災害情報に真剣に取り組み始めたのが、廣井脩先生で、
私や各放送局の防災担当者と頻繁に会合を持つようになりました。
最初のころは、堅物の先生と思いましたが、実際は違っていて、
会合の後などは、必ずといってよいほど懇親会になり、
それが、防災担当者同士をより近しいものにしていきました。
有名だった東大新聞研究所は、社会情報研究所と名前を変え、
現在は情報学環となるなど、時代の移り変わりはめまぐるしいものが
あります。
廣井先生は、その中で助教授、教授となり、一時期は社会情報研究所の
所長を務めるかたわら、政府および各省庁の防災上の委員に任命され、
あるいは大事な会合の座長を務めるなど激務が続きました。
そして、私たちも参加している日本災害情報学会を設立し、
初代会長を約6年務め、現在の形を確立しました。
廣井先生は、あの阪神・淡路大震災の前の晩は大阪に滞在中で
5時46分の地震のあと、被災地神戸方面へ急いだのです。
被災地で震災の様子をつぶさに見ると同時に、専門の研究、つまり、
情報の出し方、マスコミは「何ができて、何ができなかったのか」
などを調査するとともに、アンケートを行い被災者の求めるものを
探しつづけたのです。
廣井先生の大きな功績のひとつが、阪神・淡路大震災を教訓に
NTTに働きかけて運用にこぎつけた「災害用伝言ダイヤル」が
あります。局番なしの「171」が家族の安否を知らせます。
数々の功績を残し、現在は緊急地震速報のシステムと
情報発信の方法などで会合を続けていた廣井先生が
直腸がんに倒れたのが、3年前の9月ごろ。
手術や治療に負けまいと、病室でも好きなノートパソコンに
向かって、気を紛らわせていた廣井先生は、入退院を繰り返し、
退院中は多くの仲間と懇親会を行うも、お酒は飲まず、
グラス一杯の氷にウーロン茶を入れて歓談していました。
今年の3月半ば、気象庁の講堂でお会いしたとき、
「民夫ちゃん、もう疲れちゃったよ」とボソッと一言。
私が廣井先生とお話した最後の言葉でした。
4月15日土曜日の夕方、その悲しい知らせが届きました。
18日通夜、19日告別式には、全国から災害に携わる人が
集まり、故人とのお別れに参列しました。
廣井脩先生、享年59歳でした。

合掌
投稿者 : 2006年04月19日 19:27