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2021年07月06日

直木賞候補作①『スモールワールズ』

トップバッターは、一穂ミチさんの『スモールワールズ』です。
いくつかの書店で熱の込もったPOPも見かけましたし、すでに書店員さんの心をがっちり
掴んでいるようですね。もしかしたら本屋大賞でも有力な候補になるかもしれません。

この本には、全部で6つの短編がおさめられています。
非常に巧い作家だと思います。どれひとつとして同じ作風の作品がありません。
でもあえて一言でこの本をくくるとすれば、「ピタゴラスイッチみたいな短編集」という
表現が個人的にはいちばんしっくりきます。

あさっての方向にボールを転がしたのに、思いもよらない仕掛けによって方向が変わり、
気がつけば収まるべきところにボールが収まっていた、というような。
あのEテレの傑作子ども番組『ピタゴラスイッチ』に出てくる装置のように、
ボールは意外なルートを辿って、見事にゴールにたどり着くのです。
どの短編を読んでも、まるでマジックを見ているかのような巧さがあります。

ただ技巧が前に出過ぎてしまうと、これはこれでちょっと引いてしまうんですよね。
読者というのはわがままなもので、作者がドヤ顔で技を繰り出してくると、
逆に反発をおぼえてしまったりするものなのです。

でもこの短編集にはまったくそういうところがありません。それは技巧云々以前に、
この作家が、人間を見る確かな目を持っているからではないでしょうか。

たとえば「花うた」という作品。
この短編は、書簡体小説のスタイルをとっています。
手紙のやりとりだけで進行する小説を、書簡体小説といいます。
これ、とっても難しいんです。

純粋な書簡体小説ではないのですが、昔読んだ恋愛小説で(あえて作品名は伏せます)、
手紙ではなくメールのやりとりだけで進行する場面がありました。
このメールが長くて理屈っぽいんです。
男女の間で友情は成立するか、といったようなことを、延々と述べている。
作者は書きたかったテーマをメールのやりとりに代弁させているのでしょうが、
もし現実社会でこんな理屈っぽい長文メールを何度も送りつけたりしたら、
絶対に恋なんて始まりません。

まあこれはあまりに下手な例ですが、書簡体小説というのは、
ただでさえ観念的なものになりがちです。
ところがこの「花うた」は実に巧い。どう巧いか。

物語は殺人事件の加害者の男性と被害者の女性の手紙のやり取りで進行します。
加害者は、子どもの頃から盗みや喧嘩を繰り返してきた、いわゆる半グレ的な人物です。
そんな人間に被害者は兄を殺されました。「カッとなってやった」というパターンです。
兄はたいした理由もなく殺されてしまった。だからこそ被害者の女性は、加害者を問い詰めます。
「なぜ」と。

読んでいるうちに、加害者はちょっと変わった刑務所で服役していることがわかります。
これにはモデルがあります。「島根あさひ社会復帰促進センター」という男子刑務所です。
ここは「セラピューティック・コミュニテイ(回復共同体)」と呼ばれるプログラムを
取り入れ、犯罪者の更生に高い成果をあげていることで知られています。

どんなことをやっているのか興味を持つ人もいるかもしれません。
例えば、サークル状に並べられた椅子に座り、受刑者たちは、
幼少期の経験や犯してきた罪について率直に語り合います。またある授業では、
受刑者自身が犯した犯罪を再現したりもします。被害者役を演じるのは他の受刑者です。
被害者役から「どうしてこんなことをするのか」と質問が飛びます。
それに答えるうちに加害者の受刑者が、涙を流し始めたりします。
もういちど犯罪を再現することを通じて、自分がいかに大変なことをしてしまったか、
気づいたのです。それだけではありません。被害者を演じた受刑者も、
理不尽に暴力をふるわれることがいかに被害者の心を傷つけるか、身をもって知るのです。

受刑者たちが学ぶのは、他者の痛みを想像する力、「エンパシー」です。
「花うた」では、加害者が少しずつ人間性を取り戻していく様子を、
手紙の文面だけで(しかも無学な青年の書いた拙い文章というスタイルで)
巧みに表現しています。

加害者の青年は、被害者の女性に返事を書くために、辞書を手にいれ、
懸命に言葉を学び始めます。書ける漢字も少しずつ増えてきて、
それなりに文章も整ってきます。ところが、ある時から、ひらがなだらけの文面になるのです。
この青年にいったい何が起きたのか。そこから物語は予想もしなかった方向へと舵を切ります。

このように、現実社会で犯罪者の更生に高い成果をあげている刑務所の取り組みを
さりげなく物語の下敷きにしていることからもわかるように、この小説の作者は、
人間への確かな洞察力を持っています。そうした素養がベースにあるからこそ、
ひねった技巧がスパイスとして効いてくるのでしょう。

本書におさめられた6つの短編に外れは一切ありません。
トップバッターでいきなり広角打法の好打者が登場した感じ。
この後に続くバッターにも俄然期待が高まります。

投稿者 yomehon : 2021年07月06日 05:00