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2019年01月10日

第160回直木賞直前予想④ 『ベルリンは晴れているか』


ふぅ〜、今回の直木賞の予想は、むちゃくちゃ疲れますね。
全部、分厚いというのもありますけど、
近年これほど候補作が粒ぞろいのことってなかったかもしれません。
でもこういうのは嬉しい悲鳴というやつです。

さて、次は 『ベルリンは晴れているか』にまいりましょう。
いやー、これまたものすごい作品が出てきました。

深緑野分(ふかみどり・のわき)さんは、
『戦場のコックたち』で直木賞の候補になったことがあります。
第二次大戦に従軍したアメリカ陸軍の特技兵(コック)を主人公に、
戦地で起きる「日常の謎」(食材が消えたとか)をめぐる謎解きと、
悲惨な戦場の描写を見事に融合させた作品で、高い評価を得ました。

当時の直木賞予想でも書きましたが、
深緑さんの小説というのは、即、世界市場でも勝負できる作品です。

なにしろ日本人がひとりも登場しない。
いや、早合点しないでほしいのですが、なにも日本人を登場させたら
世界市場で通用しない、などと言っているわけではありませんよ。
要するに、日本人の読者あいだでしか通用しないような、
ローカルなアイテムや社会通念などが一切出てこないのです。
「日本人だったらこれ、わかるよね?」といった、
共同体のコンセンサスに安易に寄りかかったところがまったくありません。

少し脱線しますけど、昨年読んだミステリの中で特に印象に残ったのが、
『IQ』という小説でした。物語の主人公は、通称IQと呼ばれる黒人の青年です。
ロサンゼルスの黒人コミュニティを舞台に、IQが活躍するこの小説は、
いわば黒人版の“シャーロック・ホームズ”なのです。

作者ジョー・イデは、貧しい日系アメリカ人の家に生まれ、ロスの中でも
犯罪の多い黒人街で育ちました。友人のほとんどは黒人だったそうです。
ジョー・イデのような複雑なアイデンティティを持った作家が、これからは
当たり前のようになるでしょう。限られた共同体に向けてではなく、
複数の共同体を横断するような開かれた作品が書かれていくでしょう。

おそらくSNSを眺めてばかりいる人は、
これからどんどん取り残されていくのではないか。
自分と似たような意見ばかりに接し、世界は自分の味方だと
思い込んでいるうちに(エコー・チェンバー現象といいます)、
いつのまにか姿を変えてしまった世界に置き去りにされてしまうのです。

深緑さんは、最初から狭い共同体の外側に向けて、
開かれた扉の外側に向けて、小説を書いている人だと思います。

 『ベルリンは晴れているか』は、
第二次大戦の敗戦で焦土と化したベルリンが舞台。

17歳のアウグステは、アメリカ統治区域の兵員食堂で働いていました。
共産主義者だった両親はナチスに殺され、
妹のように面倒をみていたポーランド人の少女も失い、
毎日をなんとか生きていたアウグステのもとに、
ある男の死の報せがもたらされます。

その男クリストフは、ソ連統治区域で不審な死を遂げていました。
アメリカ製の歯磨き粉に仕込まれていた青酸カリによる死でした。
クリストフ殺害の容疑をかけられたアウグステは、ソ連軍の大尉の命令で、
行方のわからないクリストフの甥を探すことになります。
謎めいた身元の泥棒カフカを相棒に、混沌としたベルリンの街を駆け回る
アウグステの前に、次々と困難が立ちはだかるのでした……。

人探しとそれに伴う謎解きの面白さはもちろんですが、
この小説を読むなによりの醍醐味は、
当時のベルリンの街とそこで暮らす人々の圧倒的に細やかな描写にあります。
その取材力と文章力には、ただただ感嘆のため息しか出てきません。
ほんとうにすごい。そして素晴らしい。

この小説は、謎を追うアウグステの物語の合間に、
「幕間(まくあい)」と称する物語パートが挟まれる構成になっています。
「幕間」では、アウグステの生い立ちが時系列で語られるのですが、
読者はここで、ナチスがどのように人々の生活に浸透していったかを
知ることになります。

先ほどぼくは、この小説には日本人が一切、登場しないと書きました。
でもこの作品を読む人はみな、気がつくはずです。
この小説で描かれているのは、私たちのことでもあるのだ、と。

力を持った政権の威を借りて、すすんで他者を糾弾する。
政権に異を唱える人は、すべて敵だとみなす。

ひとたびSNSをのぞいてみれば、
そうした人々の姿を簡単に見つけることができます。
それは当時、ナチスの名のもとに、ユダヤ人や共産主義者、
障がいのある人たちを率先して迫害した人々の姿となんら変わりません。

『戦場のコックたち』と同様、
この 『ベルリンは晴れているか』も世界に通用する作品ですが、
前者になくて後者にあるのは、
現代の日本をもとらえるような射程を持っていることではないか。

『戦場のコックたち』に比べ、
明らかに 『ベルリンは晴れているか』で作者の視点は深化しているのです。

より深みを増したこのワールドクラスの作品を、
多くの人に手にとってほしいと願わずにはいられません。
なぜなら、ぼくたちの暮らす社会は、
この作品に描かれた社会と、そう遠くないところにあるからです。

投稿者 yomehon : 2019年01月10日 05:00