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2018年03月09日

14年ぶりの沢崎 『それまでの明日』


会いたくてたまらなかった人にひさしぶりに会えてとても嬉しい。
でもその反面、あまりにも長く待たされたために、なんだか腹も立っている。

原尞(はら・りょう)さんの新作『それまでの明日』を手にしたときに
湧き上がってきたのは、そういうひと言では言い表せないような複雑な感情でした。

2004年発表の前作『愚か者死すべし』からは実に14年。
その前の『さらば長き眠り』となると95年ですから、
10年に1作、出すか出さないかというペースになります。

これほど新作が待ち望まれているにもかかわらず、
しかも出せば確実にベストセラーになるにもかかわらず、
ここまで恬淡とした姿勢も珍しい。
さらに言えば、作品が探偵・沢崎を主人公にしたものだけというのも珍しい。
それしか書けないのか、それともそれしか書かないのかわかりませんが、
読めば抜群に面白いから、沢崎にさえ会えればいいかとこちらも納得してしまう。

たとえるなら、商品は豆大福しかなく、しかもいつ開くかわからない、そんな店。
客からすればはなはだ不便。でも、豆大福がいちど食べると忘れられないくらい
美味しいものだから、ファンは気まぐれな店主がいつ店を開けるかと気を揉みながら
待っている。原さんと読者の関係というのは、そんな感じでしょうか。

でも今回はちょっと腹が立っているんですよね。
これには理由があって、それは前作のあとがきで原さんが、
早く書く術を身につけたというようなことを述べて、
我々ファンに大いに期待させてしまったから。
もちろんその時、ご本人は、次からは早く書けると確信をお持ちだったのでしょうが、
その言葉に小躍りした読者は結果的に14年も待たされることになりました。

だからひさしぶりに再会したにもかかわらず、嬉し泣きしながら怒っているという、
なんだかよくわからない精神状態になっているわけです。

さて、愚痴はこれくらいにして、肝心の『それまでの明日』にまいりましょう。
あ、その前に、いまや原尞を知らないという若い読者も多いでしょうから、
簡単に説明をしておいたほうがいいかもしれませんね。

原尞さんは1946年生まれ。佐賀県出身で現在も佐賀にお住まいです。
九州大学を卒業後上京し、フリージャズ・ピアニストとして活躍しました。
(ちなみに当時、原さんが共演していたミュージシャンに阿部薫がいます。
これも若い読者のために言っておくと、伝説的なミュージシャンで、元奥さんは
鈴木いずみ。興味のある人は稲葉真弓の『エンドレス・ワルツ』などを読むべし)

話を戻すと、フリージャズ・ピアニストとしての活動のかたわら、
レイモンド・チャンドラーに傾倒していた原さんは、心機一転、故郷に戻り、
小説の執筆に専念することにします。
そしていきなり1988年に私立探偵・沢崎を主人公とする『そして夜は甦る』
鮮烈なデビューを飾り、早くも翌89年発表の二作目『私が殺した少女』で直木賞を
受賞。その後は、もっとも新作が待ち望まれる寡作な作家として今に至ります。

原さんの作品にはいろいろとユニークな点があって、
作品は早川書房からしか発表しないとか、
タイトルが必ず7文字であるとか、
これまで主人公・沢崎の下の名前がいちども明かされたことがないとか、
ファンにはお馴染みの伝説がたくさんあります。

というか、めったに新作が読めないので、
そういう細かいトリビアで暇つぶしするしかないというのが実情なのですが。
今作でももちろん、それらお馴染みの流儀は踏襲されています。

さて、ここに至ってようやく『それまでの明日』を紹介することができます。

ある日、沢崎の事務所を「望月皓一」と名乗る紳士が訪れます。
依頼内容は、赤坂の高級料亭の女将の身辺調査。
望月が支店長として勤務する金融会社で、料亭への融資話が持ち上がっており、
社内の権力闘争も絡んでいることから、内密で調査を頼みたいというのです。

ところが調査を始めた途端、女将は既に亡くなっていたことが判明。
連絡をとろうとした望月も行方不明になってしまうのです。

ハードボイルドの主人公に必須な要素は、「あきらめの悪さ」だと思いますが、
この沢崎も、依頼主がいなくなったにもかかわらず、調査を止めません。

望月を訪ねた先で沢崎が巻き込まれた事件。
沢崎の事務所を訪ねてきた若者。
発見された身元不明の遺体――。
いくつもの謎の向こうに、沢崎はやがて意外な真相を見出すのでした……。

14年ぶりの沢崎は、やっぱり以前と変わらないままの沢崎でした。
このご時世に携帯電話すら持っていないところなんか読んでいてニヤリとしてしまう。
もっと言うなら、携帯電話ごときに縛られない沢崎をカッコいいとすら思います。

ハードボイルドの醍醐味である会話の妙も健在。
沢崎シリーズではお馴染みの登場人物であるヤクザと交わす会話など、
どうしようもない悪党との会話なのに、どうしてこんなに味わい深いのか。

ただ、ひさしぶりの沢崎を堪能させてもらった一方で、
一抹の寂しさを感じたところもありました。
たとえばしばらく姿が見えなかったあるヤクザと再会する場面があるのですが、
そこで交わされるのが、互いの年齢の話であったり介護の話だったりするのです。
もともと沢崎には老成した印象があったとはいえ、
いつの間にかみんな年をとったんだなぁと、しみじみとさせられました。

ところで、「いつの間にか年をとった」ということに、
なぜある種の感慨を抱いてしまうのかといえば、
それは、そう遠くない未来にやってくる「死」に思いを馳せるからです。

誰にでも死は平等に訪れます。
でも死がその人の目の前に現れるタイミングはとても平等とはいえません。
天寿をまっとうする人もいれば、
別れを告げる時間も与えられないままに連れ去られる人もいます。

愛する人に不意打ちのように訪れた死を前にした時、
遺された人は、「なぜあの人が死ななければならなかったの」と
ただ虚空に向けて問いかけるしかありません。

そして知るのです。
当たり前のようにやってくる明日なんてないということを。

本書ですべての謎解きが終わった後、
読者は、作者が用意した本当のエンディングを目にすることになります。

そして知るのです。
この物語が14年をかけて書き継がれるうちに、ぼくたちはもう、
「それまでの明日」とは違う時間を生きるようになってしまったのだということを。
歴史に生じた決定的な断層の記憶が、この作品にも刻まれていることを――。

今年もまた死について想う季節が巡って来ました。
ふと、沢崎と会えるのも、これが最後かもしれないと思いました。

投稿者 yomehon : 05:00