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2017年11月06日

権力とジャーナリズム 『トップリーグ』


「事実は小説より奇なり」という言葉があります。
一見、事実とフィクションは対立するもののように思われがちですが、
むしろ事実に小説家の手が加わることで、
より事柄の真実が伝わるということだってあるのです。

相場英雄さんの小説がまさにそうです。
これまで食品偽装や労働者派遣法、企業の不適切会計の問題などを
扱ってきましたが、どれも重厚なストーリーでずっしりと心に残る作品ばかりでした。

ニュースの裏側を知り尽くした元新聞記者ならではの着眼点と、
巧みなストーリーテリングを武器に、
新しい社会派小説のジャンルを切り拓きつつある作家であるといえるでしょう。

そんないま注目の作家が次に目をつけたのは、ジャーナリズムの世界でした。
書名にある「トップリーグ」というのは、総理大臣や官房長官などの
政権幹部に食い込んだごく一部のスター記者たちのことを指します。

そんなグループほんとにあるの?と思う人もいるかもしれませんが、
実はあるんです。実際は「トップグループ」と呼ばれますが。

そういう記者は政権幹部との距離の近さを利用してしばしばスクープを飛ばします。
ただその一方で、単に政権幹部に気に入られただけじゃないかという見方もできます。

例えば、わざわざ読むほどではないので書名はあげませんが、
数年前にトップグループに属するあるジャーナリストが本を出したことがありました。

その本のあとがきだったと思いますが、
このジャーナリストは、政権との距離の近さを批判する人たちに対して、
スイカを例にあげながら奇妙な反論を試みていました。
つまりスイカの色や甘さは外側からではわからない。
実際に食べて感じた甘さまで書いてはじめてジャーナリズムと言える、
というようなことがそこには書かれていました。
政権の内側に入り込んでみないと見えないことがあるのだ、と言いたいのでしょうね。

ところが本を読んでみると、このジャーナリストがやっていることといえば、
内閣の人事案をある大臣に託されて総理の自宅まで届けにいっただとか、
そういったことだったりします。
この方にとってはインサイダーであることが誇らしくてたまらないようですが、
本を読む限りでは政治家にうまく利用されているだけにしか見えませんでした。

ジャーナリストにとって権力との距離のとり方というのは実に難しいものです。

本書の主人公のひとり、大和新聞の松岡直樹はある日、
経済部から畑違いの政治部への異動を命じられますが、
官房長官の記者会見である質問をしたことをきっかけに、
思いがけずトップリーグの記者たちの仲間入りをすることになります。
この松岡の目を通してみた政治とジャーナリズムとの関わりが読みどころのひとつ。

これに加えて、本書のもうひとりの主人公である週刊新時代の記者・酒井祐治が
追いかける謎が、この小説のさらなる読みどころのひとつです。
酒井が追いかけるのは、オリンピックに向けた開発が進む臨海地区の
工事現場から現金1億5千万円が入った金庫が発見されたというニュース。
酒井はかつて大和新聞で松岡と同期で、政治部のエースと呼ばれた男でした。

謎を追ううちに酒井は、昭和史に残る一大疑獄事件との関わりをつかみます。
政界の深い闇に記者が斬り込んだとき、はたして権力の側はどう動くのか。
いまでも新聞社の花形部署で活躍する男と、
泥臭い週刊誌の現場に戦いの場を移した男、
このふたりにとってジャーナリストの矜持とは何か。
これまでの作品同様、今回も重い問いを読者に突きつけてくる作品です。

個人的には謎の真相よりも、
本章で描かれるジャーナリズムの問題点の数々のほうが興味深かったです。

例えば政治記者の間では「あわせ」という作業がごく普通に行われています。
政治家へのぶらさがりなどの後に、みんなでメモの内容をすり合わせるのです。
政治家の言葉を間違えないために確認しているのだといえば聞えはいいけれど、
裏を返せば他社の抜け駆けを排除するための馴れ合いともとれます。

また官房長官などの記者会見などでいまやお馴染みの光景となりましたが、
あそこに座っている記者は、官房長官が話しているときに、その顔をみることなく
ただひたすらパソコンのキーを叩いています。
官房長官談話をいち早く記事にして配信するためといえば
これも聞えはいいけれど、これでは記者の質問に対する官房長官の
ちょっとした表情の変化などは見逃してしまうことになるのではないでしょうか。

作者は元新聞記者の経験をもとに、
そうしたちょっとした事柄をもとに、
現在のジャーナリズムの足腰が
どれだけ鍛えられているだろうかと問いを突きつけてきます。
残念ながらその問いに対する答えは、あまりポジティブなものとは言えません。

記者の世界ではともすれば速報性ばかりが優先されがちですが、
言うまでもなくただ伝えるだけがジャーナリズムの役割ではありません。
大切なことは、権力の側に対して「それ、おかしいんじゃないですか」と言えることです。
ジャーナリズムに課せられたもっとも重要な使命は、
権力に対するチェック機能なのですから。

本書の登場人物からは、どれも実在の人物を容易に想像できます。
それゆえに読んでいると、権力者が追い詰められた時に
どんな行動に出るかを想像して、ちょっと空恐ろしくなるかもしれません。

さて、政権にとって命とりになるような情報を手にした主人公たちは
果たしてどんな決断を下すのでしょうか。それは本書を読んでのお楽しみ。

ジャーナリズムにわずかに残された希望と、
権力者の狡猾さや恐ろしさをまざまざと見せつけてくれる好著です。

投稿者 yomehon : 2017年11月06日 23:00