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2016年07月15日

直木賞直前予想その(5) 『ポイズンドーター・ホーリーマザー』


次は湊かなえさんの『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(光文社)です。

湊さんはよく「イヤミスの女王」などと評されます。

「イヤミス」というのは、後味の悪いミステリーのこと。
読み終えた後、イヤ~な気持ちになるミステリーのことです。

読んだことのない人にとってみれば、
「なにを好き好んでそんなものを読むんだ」と疑問に思うかもしれませんね。

もう少し丁寧に説明すると、
「イヤミス」というのは、
ぼくらがふだん目を背けがちな心の暗黒面を描くジャンルなのです。

先ほど「読み終えた後、イヤ~な気持ちになる」と書きましたが、
それは「不快感を覚える」という意味ではなくて、
それまで気がつかなかった(もしくは気がつかないフリをしていた)
自分自身の醜い部分を目の前に突き付けられて、
動揺したり、落ち込んだりする、という意味だと思ってください。

イヤミスを読んだ後の副作用は、
もはや素直な目で世界を見ることができなくなること。

職場に誰もが絶賛するような人物がいたとしましょう。

その人は男性で、どんな困難な状況でも決してあきらめず、
部下を励まし、上司ですらその人を頼りにしてしまうような
どこから見ても非の打ち所のない魅力あふれる人格者だとしましょうか。

もしそんな人物がいたとすれば、
普通は憧れや称賛の目でその人のことを見るはずです。

しかしイヤミス読者(たとえばぼくのような)は違います。

「ほんとは家で奥さんに暴力を振るっているんじゃないだろうか」とか、
「実は幼児性愛者なんじゃないか」などと、裏の顔を想像してしまうのです。

誰がみても善人にみえるような人物こそ、
とんでもないダークサイドを心の中に隠し持っているかもしれない・・・・。

イヤミスが教えてくれるのは、そういう人間の見方だったりするのです。


さて、『ポイズンドーター・ホーリーマザー』ですが、
こちらは湊かなえさんの原点回帰の一冊。

最近は毛色の違う作品にも手を広げていた湊さんが、
ひさしぶりに堂々たる「イヤミスの女王」っぷりを見せつけてくれました。

もちろんここにおさめられた6編すべてが、人間の暗部に光を当てた作品です。


でも、早とちりしていただきたくないのは、
湊さんの書く作品は、ただ単純に善い人の裏の顔を描いたようなものではない、ということ。


たとえば、「罪深き女」という作品をみてみましょう。

警察の事情聴取に答えて女性が過去を振り返るなかで、
徐々に事件のあらましがみえてくるという構成になっています。

この女性は子どもの頃、シングルマザーの母と小さなアパートで暮らしていて、
当時、同じアパートに住む年下の男の子のことを気にしていました。
男の子が淋しそうにアパートの階段付近に座っていたからです。

男の子は母親にネグレクトされていて、
食事も満足にとれないような境遇にあったのですが
この女性は当時、そんな状況にあるということにまでは気がつきませんでした。

その時のことを女性はこんなふうに警察に説明します。


「児童虐待やDVの起きた家の近隣に住む人たちが、
声が聞こえていたはずなのにどうして通報しなかったのかとか、
見て見ぬフリをしたのかと暗に責められているのを、情報番組などで見かけることがあります。
その度に、専門家は近所づきあいが希薄になったとか、
他者に無関心な人が増えているとか、したり顔で言ったりするものですが、
私は決してそれだけではないと思います」

「気にはなるけど、それよりも自分の問題で精一杯な人はたくさんいるはずです。
退屈な人がじっと耳をすましていれば、怒鳴り声や泣き声と解る音でも、
気持ちを外に向けていない人にとっては、窓の外を車が通り過ぎるような、
無音ではないけれど、耳まで届くことがない音になってしまうのです」


「自分だって毎日が精一杯」という人にとっては、
同じような境遇にある隣人が助けを求めていても、
その声は「窓の外を車が通り過ぎるような」音と同じようなものになってしまう……。

こういう細かいところまで分け入って人間心理を描くのが湊さんの真骨頂です。


そもそも人間に二面性があるなんて当たり前の話です。

湊さんの凄さというのは、
この当たり前の地点から、
さらにさらに深いところまで掘り進んで、「真実」を掘り出してくるところにあります。

しかも、そうして湊さんがぼくたちに見せてくれる「真実」という名の石は、
光を当てる角度が変わるたびに、次々と色が変わるようなものなのです。


人間が持つ複雑さを描かせたらピカイチの
「イヤミスの女王」による原点回帰の短編集。

選考委員がどのように評価するか楽しみです。

投稿者 yomehon : 2016年07月15日 04:00