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2015年07月20日

さよならリブロ


池袋のリブロ本店が7/20(月)21時をもって閉店。
40年の歴史に幕をおろしました。

世間からすればひとつの書店が店仕舞いをしたというだけのことかもしれません。

でも個人的には、なんというかわずかに残っていたキャンドルの火が消えてしまったような感覚です。
「80年代は遠くなりにけり」という感じ。

閉店は前から決まっていたことですが、やはりいろいろと思うところはあります。

ひとつはもう、ああいう文化の集積地みたいなリアル書店は、今後現れないだろうということですね。

閉店にあたって店頭では、
「40年間ありがとう リブロ池袋本店歴代スタッフが選ぶ 今も心に残るこの一冊」
と題するブックフェアが行われていました。

これまで数々のブックフェアを見てきましたけど、このブックフェアはとても心に残りました。


「この本は、何かある度に、そっと忍び込ませていました。
フェアに、おすすめ本の紹介に、お客様のお問い合わせ時に。」

とある店員さんが思い入れたっぷりにカードに記していたのは、
J.R.ヒメネスのノーベル賞受賞作『プラテーロとわたし』(理論社)

江國香織さんが帯で「私の知る限りもっとも美しい書物」と語るこの本は、
驢馬のプラテーロとの日々を詩人がやさしいまなざしで綴った宝石のような一冊。

この店員さんは、
「これからも大切に販売していくであろう一冊ですが、
この本が一番似合う棚は、僕の中では、池袋本店の棚であり続けると思います」
と書いていたけれど、まさにおっしゃるとおり。


リブロの店内にはかつて「ぽえむ・ぱろうる」という詩集の専門店があったり
(今回も期間限定で復活していました)アートや建築関係の本がやたら充実していたり、
80年代の東京の文化のあるとんがった部分を確実に下支えしていたと思います。


アートと言えば、ある店員さんは、
店頭でコンスタントに売れた一冊として、
ジョン・バージャーの『イメージ 視覚とメディア』を挙げていましたっけ。

「ものを見る」という行為はどういうことかということを
名画から広告表現までを並べて論じた視覚文化論の古典です。

いまはちくま学芸文庫に入っていますが、
リブロで売れに売れたのは当然、PARCO出版のバージョンですよね。

この本の訳者は、現在は東京藝大教授の伊藤俊治さんですが、
あの頃は伊藤さんもばんばん本を出していたな。
その後、大学の授業に専念されたのかほとんど本を出さなくなったけれど。


学生時代に読んで頭をぶん殴られるような衝撃を受けた美術/音楽評論、
椹木野衣さんの『シミュレーショニズム ハウスミュージックと盗用芸術』
思い出の一冊として挙げている店員さんもいました。

この本もその後、ちくま学芸文庫や河出文庫に入りましたけど、
あのピンクのバラが映える装丁の洋泉社版がとても懐かしい。
リブロの店頭ではさぞ目立ったことでしょう。

この本は、美術や写真、音楽のジャンルで当時バラバラに生まれつつあった新しい動きを、
これまでにない批評言語でひとくくりにしてみせた名著。


あの頃はリブロに足を運ぶたびにこういう新刊と出会えたのです。
いまにして思えば、なんと幸福な時代だったことでしょう。


そういえばぼくが足繁くリブロに通っていた頃、
よくお見かけしていたのが高橋源一郎さんでした。

当時のことは、高橋さんの日記文学l『追憶の一九八九年』にまとめられています。
(入手は古書のみ)

あの頃に比べると、高橋さんのプライベートな環境は激変したし、
それに作品の背景となっている1989年に起きた世界史的な大事件からも遠く離れて、
世界は思ってもいなかった方向へと変化してしまいました。


当たり前のことかもしれませんが、時は過ぎ行くのだなぁ・・・。 

as time goes by なのだなぁ・・・と。

リブロ閉店の日にそんなことを思いました。


投稿者 yomehon : 2015年07月20日 21:30