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2015年01月08日

直木賞候補作を読む(1) 『鬼はもとより』


さて、きょうから1作品ずつ、
第152回直木賞の候補作を読み解いてまいります。

トップバッターは、青山文平さんの『鬼はもとより』(徳間書店)です。


まずはじめにひとこと申し上げておきましょう。
これは、いまの時代だからこそ、広く読まれるべき作品です。


時は宝暦8(1758)年。
主人公は、江戸で浪人暮らしをしている奥脇抄一郎という武士です。

表向きは、万年青(おもと)を売って生計をたてていますが、
抄一郎には別の顔がありました。

彼はかつてある藩の「藩札掛」でした。

宝暦の飢饉で藩の財政がひっ迫した際、
藩札を刷り増しせよという上役の命に逆らい、
抄一郎は藩札の原版を持って出奔。
その後、藩は改易の憂き目にあいました。

江戸に落ち着いた抄一郎は、万年青売りで糊口をしのぎながら、
藩札の指南役、いまでいえばコンサルタント業をしていたのです。

そんな抄一郎の評判を耳にした東北の貧しい小藩から依頼が舞い込みます。

藩の財政を立て直すために力を貸してほしいというのです。

ただしこの貧しい藩に残された時間は3年。

抄一郎の命をかけた挑戦が始まります――。

ざっとストーリーを説明しただけでも、
この小説の特色はおわかりいただけるのではないでしょうか。

そう、この作品の眼目は、「経済」をテーマにしているところにあるのです。


藩札とは何か。
それはひとつの藩(国)のなかで流通する紙幣のことです。

では紙幣(貨幣)とは何でしょうか。
ぼくたちは「1万円」と書かれた紙を、なぜ1万円の価値があると信じることができるのか。

手元にあるのが、1万円分の「金(きん)」であれば、話は簡単です。
ゴールドにはそれだけの価値があるからです。
一方、手元にあるのが、1万円札だった場合はどうか。
この紙きれの価値は、何によって担保されているのでしょうか?

経済学ではちゃんとこういうことも研究されています。

紙きれを1万円たらしめているものは何かといえば、それは「信用」です。
この「壱萬円」と書かれた日本銀行券の価値は、間違いなく日本銀行が保証している。
もっといえば、日本という国家が価値を保証している。だから大丈夫だ。
そういった信用のもと、紙幣は流通しているのです。

ひとたび信用が失われればどうなるか。
取り付け騒ぎが起こり、紙幣はたちまちにして紙屑と化します。


作品の中で、抄一郎に藩札の役割を教え込んだ
藩札頭の佐島兵衛門の言葉が出てきます。
ちょっとみてみましょう。
きっとみなさんも何かとの類似に気がつくはずです。

「藩札を板行するに当たっては、あらかじめ服を大きくしようとする者を
しっかりと見定めておかなければならない。我々の敵は誰なのか、ということだ。
実は、我々の最大の敵は内にある。御家老をはじめとする御重役こそが、
最も用心せねばならぬ相手である」

「政(まつりごと)を預かる御重役方は、国の内証が厳しいからして、
どうしても藩札を多く刷りたがる。ある程度、上手くいっているときが最も厄介だ。
つい、これで大丈夫なら、もう少しなんとかなるだろうということになる。
しかし、それをやったら藩札は終わりだ。
そのもう少しが次のもう少しを生んで、どんどん膨らんでいき、
仕舞いには収拾がつかなくなる」

どうですか?
何かと似ていませんか?

ここで述べられているのは、
バンバンお金を刷ったらどうなるのかということ。

もうお気づきだと思いますが、
このくだりは現政権の経済政策への痛烈な批判にもなっています。


兵衛門は続けてこう述べます。


「藩札は傾いた国の内証を立て直す最後の手立てだ。
その最後の手立てが失敗した後の傷は深いぞ。
それゆえ、いまから各々方に断わっておくが、
御重役方はむろん、たとえ御当代様の命といえども、
この儀ばかりは己の一命を賭しても阻止せねばならん。
それができぬ者は、即刻ただいま、この部屋から立ち去ってもらいたい」


抄一郎は、武家にできて商人や農民にできぬことがある、それは死ぬことだ、として、
死の覚悟を固めて財政の立て直しを依頼してきた小藩の改革に乗り出します。

この小説を読んでいるあいだ、
国家の命運を左右する経済政策を実施するにあたって、
いまの政治家にそこまでの覚悟はあるだろうかという疑問が常に頭から離れませんでした。


ひとくちに「経済」といっても、この小説には多様な切り口があります。

先に述べた貨幣論だったり、現代の金融政策に通ずる部分だったりはもちろんのこと、
現政権が力を入れている(らしい)地方創生にもつながる部分があります。

貧しい藩がどうやって特産品を生み出すのか、
そのプロセスが説得力をもって描かれていますし、
また特産品をどう売っていくのかという仕組みの部分も、
当時の流通と商圏への洞察に満ちていてなるほどと頷かされる。

グローバルを見据えてローカルの強みを打ち出す、
流行りのワードで言えば「グローカル」な視点が看て取れます。

このあたりも、この小説に「いま」を感じるところです。


ひとつ惜しむらくは、
命を賭すという部分で、
最終的には抄一郎が傍観者的な立場になってしまうことでしょうか。

また、抄一郎と対立することになる親友の長坂甚八の出し方も、
やや中途半端な感が否めません。

このあたりを選考委員がどうみるかがポイントになるような気がいたします。

ともあれ、「藩札」をテーマにすえた新機軸の時代小説であることには間違いありません。

過去を舞台にしながら、現代のアクチュアルな問題にもひとつの視点を提示してみせる。
そんな時代小説の理想型をしっかりと体現しているところも見事だと思いました。


投稿者 yomehon : 2015年01月08日 13:38