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2014年02月09日

夜と女、ネオンに引き寄せられた男たち


ふだんは早朝番組をやっていますし、
しかもこの年になると滅多にないことなのですが、
先日ひさしぶりに朝まで飲み明かしてしまいました。

「飲まねぇとやってらんねー」みたいなノリではありませんよ。
(正直まぁ多少はそういう気持ちもあるけれど)

「ひさしぶりに今日はいくか」と飲み始めたら楽しくなり、
すっかりチャクラが開いて(?)しまいまして、
日本酒やら焼酎やらワインやらを大量に摂取したあげく、
気がついたら何軒目かで辿り着いた場末のスナックで
一夜を明かしていたというパターンです。

そのスナックは、昔はそこそこいいお店で働いていたホステスが
独立して開いた店で、当初はそれなりにきらびやかな雰囲気を醸し出していましたが、
開店して15年ほどたつうちにすっかりお店もママも薹が立ってしまい、
いまでは貫禄あるママが酒ヤケした喉からドスの利いた声を響かせながら仕切る、
場末と聞いてみなさんが抱くであろうイメージを決して裏切らないお店へと成長しました。


「最近どうなの?」なんて会話は
どこの飲み屋でも聞かれるお決まりのやり取りです。
ひとしきりばか騒ぎをして一息ついたところで
そんな定番の質問を投げかけると、
「全然だめ」と彼女はため息をつきました。

彼女が水商売の世界に入ったのはバブル華やかなりし頃、
それから20年以上「ず〜っと右肩下がりなような気がする」と
首を振りながら答えました。

とはいえ、彼女の店は近隣でも繁盛しているほうです。
そう告げると、
「だからよそはもっと大変だと思う。
特に地方でお店やってる友だちは悲惨だって言ってる」
そんな言葉が返ってきました。


彼女の話を聞きながら、思い浮かべた一冊が
『誘蛾灯 鳥取連続不審死事件』青木理(講談社)

鳥取のうらぶれたスナックに務めるホステスの周辺で続いた
6人の男たちの不審死事件を追ったノンフィクションです。

事件が発覚したのは2009年のこと。
首都圏では木嶋佳苗という女性の周辺で
相次いで男性が死んでいることがわかり、
一方、鳥取県では上田美由紀という女性の周辺で
何人もの男性たちが命を落としていることがわかったのです。

首都圏と鳥取県——。
ふたつの事件には共通点と相違点がありました。

共通点は、どちらの事件も、
主犯とされた女性が30代半ばの小柄な肥満体型をしており、
お世辞にも容姿には恵まれているとはいえない風貌であること。
にもかかわらず、彼女たちは何人もの男性たちと肉体関係を結び、
多額の金銭を貢がせていたこと。

メディアの俗情を刺激したのはこちらの共通点のほうで、
もっぱら「こんな容姿の女性になぜ男たちはハマったのか」という
視点からの報道が繰り広げられました。


しかし相違点の方に目を向けた途端、
それぞれの事件は途端に異なった相貌を帯び始めるのです。

木嶋佳苗被告の事件は、
北海道の田舎から出てきた女性が、都会の生活に憧れを抱き、
婚活サイトで釣り上げた中年の独身男性から吸い上げたカネで、
都心の高級マンションに住み、高級外車を乗り回しては、
そんな生活の模様をブログにアップしていたというものでした。

この事件について書かれた数々の本の中でもっとも優れた一冊は、
『毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記』北原みのり(講談社文庫)ですが、
この本から見えてくるのは、メディアが垂れ流すオシャレな都会生活というイメージに、
過剰なまでに適応しようとした、貧しい地方出身の女性の哀しい姿でした。

事件当時、木嶋被告のブログをみて思ったのは、
「都心のラグジュアリーホテルの一室でグラシャン飲んでる私」みたいに、
ベタな「アーバンライフ」をなぞっているなーということでした。
それはとても滑稽で、物悲しい姿ではあるけれど、
少なくとも彼女は、いまの自分とは違う、
別の姿になろうと足掻いていたとは言えるのではないでしょうか。


けれども鳥取の上田美由紀被告の事件には、
木嶋被告のようなある種のわかりやすい物語を当てはめにくいところがあります。

なにしろ上田被告には5人もの子どもがいたのです。

ゴミ屋敷のようなアパートで子どもたちを育てながら
鳥取市内の寂れたスナックでホステスとして働き、
そこで知り合った男たちと次々に肉体関係を結んでは、
多額の金品を貢がせていた上田被告の生活からは、
少なくとも木嶋被告のような
「都会のセレブ生活に憧れて…そのためにお金が必要で…」的な
わかりやすい動機は見出し辛いのです。

にもかかわらず、この事件には妙に人を引きつけるところがあります。
それはこの事件が、ぼくらにも共通する
なにか普遍的なものを抱えているからではないでしょうか。
青木さんはこう書いています。


「また、少しだけ大上段に構えることを許してもらえるなら、
数々の流行言葉や疑似装飾に彩られていたことで
世の耳目を集めた首都圏連続不審死事件とは裏腹に、
時代性や社会性などないように思われていた
鳥取連続不審死事件のほうがむしろ、
現代日本社会に巣食う病が底流で脈打っているのではないか」


ここで言われている「現代日本社会に巣食う病」とはなんでしょうか。
それは、都会に比べて疲弊の度合いを強める地方の問題や、
格差の底辺に位置する貧困にあえぐ人々、
人が誰しも抱え込んでいる業や宿痾のようなもの。

この事件では、読売新聞の記者や鳥取県警の刑事など、
地元ではエリートと目されているような人々が
上田被告に入れあげたあげく、命を絶っていました。
彼らはいったい何に魅入られたのでしょうか。

著者はそれを見極めるために、鳥取の歓楽街へと分け入っていくのです。


それにしても、
この本で描き出される地方都市の風景のなんと荒涼たることか。


「すっかりと寂れ、人の気配がほとんどない歓楽街。
その片隅で太った二人の老女が営む店。ゴミ屋敷に一人住まい、
唾を飛ばしながら憤る老女。縁者もなく、生活保護を受けながら
ぎりぎりの生を紡ぐ人々。
段ボールを被って轢死した記者。雪の山中で首を吊ったという刑事。
身内の不審死を隠蔽する警察。不自然な捜査に憤りながらも、
息をひそめてそれを見つめるしかない遺族。
それぞれにそれぞれの事情はあるのだが、目の前に次々と立ち現れてくる情景は
溜息が出るほど暗く、目を背けたくなるほど澱んでいた」


鈍色の雲が重く垂れ込める下、吹きすさぶ寒風に粉雪が舞い、
海に目を転じれば、荒れた日本海で白い波頭が浮かんでは消える……。

そんな冬の鳥取特有の光景が拍車をかけたのでしょうか。
本書で著者の描き出す一地方都市の姿は、どこまでも息苦しい。

でも、この出口のない閉塞感に包まれた感じは、ぼく自身も馴染みがあります。
ぼくは九州の山間にある小さな町で生まれました。
数十年前は多少の個性があった町の景色も、
いまでは都会のチェーン量販店やパチンコ店などが立ち並ぶ、
どこにでもある光景へと成り果ててしまいました。
(三浦展さんの言う「ファスト風土」というやつです)

たまに聞こえてくる同級生の話にも明るいものはありません。

こうした地方のどうしようもない行き詰まり感を
いち早く小説で描こうとしたのが、
吉田修一さんの傑作『悪人』(朝日文庫)でしょう。
あの小説と本書で青木さんが描く地方都市の光景はとても似ています。

あの小説にも、未来が感じられない日常の中で、
不意に落とし穴にはまったかのように犯罪を犯してしまう人間が出てきますが、
上田被告も同じようにふと魔が差したかのように犯罪に手を染めたのでしょうか。
いったい上田美由紀という女性はどういう人間だったのでしょうか。


この事件で彼女は、強盗殺人などの罪に問われ、一審で死刑判決を受けます。
事件の捜査では結局直接的な証拠は見つかっておらず、
そうした乏しい証拠によって裁判が進められること自体には大きな問題があるでしょう。
著者も上田被告が真犯人で間違いないなどと断言しているわけではありません。

けれども、本書で著者が上田被告に接見した場面を読んだ時に、
ぼくは上田美由紀という女性が、その小柄でぽっちゃりした外見の内側に隠し持った
素顔を垣間みたように思えたのです。

事件の公判で明らかになったのは、
男たちが上田被告にどのように翻弄されたかということでした。


「美由紀は、呆れ果てるほどの大ウソを次から次へと吐き出す女だった。
妊娠したと告げて中絶費用や養育費を要求するのは得意のパターンだったし。
自傷や自殺をちらつかせて交際相手の男に覚悟を迫り、強烈な圧迫をかけてくるのも
十八番の手口だった。
それでも落ちない男には、五人の子どもまで盾にとって脅迫し、懐柔し、
大混乱の中へと誘っていった。重要な場面では架空の妹=アケミを登場させ、
すでに吐き出した病的なほどの大ウソをさらに奇天烈な大ウソで糊塗しようとした。
(略)
一方で美由紀には、男たちを心地いい気分にさせてくれる一面も持ち合わせていた。
それを安西は『癒される』という言葉で表現し、大田は『男を立ててくれる』
『居心地のいい空間をつくってくれた』と評し、松島は『子どもみたいに無邪気で
可愛いところがあった」と振り返った。また、五人の子どもを女手一つで育てる
美由紀の姿に心打たれ、情のようなものを抱いてしまったと語る点でも共通していた」


上田被告と著者の面会室でのやりとりを読んでいると、
彼女が会話の中にいかに巧みにウソを忍び込ませてくるかということが、
これまた著者の巧みな筆によって再現されていて、読んでいて寒気をおぼえました。

つまるところ、小説『悪人』で描かれたような、
窒息しそうな毎日の中で、ふと闇に魅入られたように日常を踏み外してしまった人間は、
上田美由紀被告のほうではなく、その被害者たちのほうだったのではないでしょうか。

ニーチェが『善悪の彼岸』の中で、
「おまえが深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返しているのだ」
と述べたように、
上田被告の肉体に溺れ、破滅に向かっていった男たちは皆、
底知れぬ闇に魅入られてしまったのかもしれません。

では上田美由紀という女はなんだったのか。

著者は彼女を、
昏い底なし沼へと男たちを導く
誘蛾灯のような存在だったのではないかと書いていますが、
ぼくはもっと得体の知れないもの、モンスターとしか名付け得ないような、
常人には想像できないような怪物性を隠し持った存在ではないかと思いました。

ではなぜそんな怪物的な存在が生まれたのか・…・。
その謎はいまだ解明されていません。


著者の青木理さんについても少し触れておきましょう。

以前、青木さんに番組に出ていただこうとある人に連絡先を訊いたら、
「彼に会いたかったらあそこに行くといいよ」
とある飲屋街の名前を告げられたことがあります。

権力と真っ向から対峙することも辞さない骨太のジャーナリストは、
また夜の街と酒を愛する人でもありました。

本書でもそのキャラクターはいかんなく発揮されています。
もし本を読んだ時に、
やけにスナックの止まり木での情景描写が多いように感じたとしても、
それはまったく気のせいではないということを最後に付け加えておきます。


投稿者 yomehon : 2014年02月09日 09:00