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2013年12月29日

今年いちばん魂を揺さぶられたノンフィクション


人それぞれに怒りのツボがありますが、
ぼくの場合、怒りのスイッチが瞬時に入ってしまうのは、
児童虐待のニュースを耳にしたときです。

圧倒的な力の非対称性のもとに、
弱くて無抵抗な子どもたちを傷つけて平気でいるような人間は、
世の中でもっとも卑劣で唾棄すべき存在ではないでしょうか。

理不尽な暴力になすすべもなく蹂躙され、
命を落とした子どもたちの絶望を思うと、
胸が締め付けられるような悲しみと怒りの感情が沸き上がってくるのです。


大阪市内のマンションの一室で、
3歳の女の子と1歳9ヶ月の男の子が遺体で発見されたのは、
2010年の10月のことでした。

子どもたちは粘着テープで密封された暑い部屋の中で、
堆積したゴミの中に服を脱いで折り重なるように死んでいました。
室内の冷蔵庫の扉には、汚物まみれの幼い手の跡がたくさんついていて、
食べ物を必死で探した形跡がうかがえました。
子どもたちは猛烈な飢えと暑さの中で、
最期までいなくなった母親に助けを求め続けたのです。
その母親に捨てられたことも知らずに……。


事件発覚後、逮捕された母親は大阪ミナミの風俗店で働くヘルス嬢でした。
彼女は子どもたちをマンションに閉じ込めたまま、男友達と遊び回っていました。

さらにやりきれない思いにさせられるのは、
彼女がマンションに戻って子どもたちが死んでいることを知ってからの行動です。
彼女はかつて夫だった男性に電話して子どもの死を告げた後も、
男友達とドライブに出かけ、楽しそうにブログ用の写真を撮ったりしながら、
しかもラブホテルでセックスまでしていました。


このニュースを初めて耳にした時、この母親は狂っている、と思いました。
子どもたちを放置しておきながら、せっせとブログは更新している。
この感覚はどう考えてもまともではありません。
と同時に、激しい怒りもおぼえました。
飢えた子どもたちは最期は汚物や紙おむつまで口にしていたといいます。
その絶望の深さたるや、とてもじゃないですが想像が及ぶようなレベルではありません。
正直、獄中で母親を子どもたちと同じような目にあわせてやるべきだとも思いました。


子どもたちの悲惨な最期と母親の乱れた生活とのコントラストは、
世間の興味をかき立て、巷には彼女をバッシングする声があふれました。

彼女の父親が三重県のラグビー強豪校の有名な監督だったことも、
報道を過熱させる要因のひとつになったと思います。

この母親は裁判員裁判にかけられ、一審で懲役30年の判決を受けました。
児童虐待事件としては異例の重さなのだそうです。

彼女は判決を不服として控訴しました。

ぼくはふざけるな、とまた憤りをおぼえました。

ところが彼女が争う姿勢をみせたのは量刑についてではありませんでした。

彼女が最後まで主張し続けたこと——それは「殺意はなかった」ということだったのです。

児童虐待の取材に定評のある杉山春さんがお書きになった
『ルポ虐待—大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)は、
今年もっとも魂をゆさぶられたノンフィクションです。

この一冊には、現代の貧困の問題や子育ての問題、
地域コミュニティのあり方の問題などが凝縮されています。


なぜふたりの無垢な幼子は命を落とさなければならなかったのか。
それは母親ひとりの罪に帰せられることなのか——。

著者は、殺意を否定し続ける彼女の真意を理解するために、
母親の人生を辿り直す旅を始めます。


幼い子どもふたりを置き去りにして死なせた母親は、
ぼくのなかでは当初、
自らの命をもって償え!と罵声を浴びせたくなるような極悪人でした。

けれども著者の丹念な取材で掘り起こされていく彼女の半生は、
そのようなステレオタイプを粉々に打ち砕くものだったのです。

ぜひ本を手にとっていただきたいので、その詳細をここに書くことは控えますが、
本書で明らかにされる転落前の彼女の姿は極めて意外なものでした。
夫と協力して子どもを懸命に育てる頑張り屋のお母さんだったのです。


本書を通じて浮かびあがってくる問題はいろいろあります。

子どもの泣き声が聞こえていたのに通報しなかった近所の住民たちの無関心もそうだし、
なにかというと「これまでの経験では考えられなかった」と繰り返す行政の体質もそう。
人手の足りない中、フル回転での消耗戦を強いられるこども相談センターの実情もそうでしょう。

でもぼくは、いちばんの問題は、
子育ての責任が母親にだけ過剰に押し付けられている現状ではないかと感じました。

彼女はとても不幸な育ち方をしていて、彼女自身が虐待の被害者でした。
優等生の仮面の裏にはとても未熟な内面を隠していた。
要するに彼女自身が子どもだったわけです。
にもかかわらず、周囲の大人たちは誰も彼女に手を差し伸べようとはしませんでした。

母親の愛に飢えて育った彼女は、
懸命に「母なるもの」を信じ、「よい母親」になろうとしたけれど、
逆にその「母なるもの」が強迫観念となってのしかかり、
ついには彼女の心を押し潰してしまうのです。

著者はこう問いかけます。


「彼女が信じる『母なるもの』から降りることができれば、
子どもたちは死なずにすんだのではないか。そう、問うのは酷だろうか。
だが、子どもの幸せを考える時、母親が子育てから降りられるということもまた、大切だ。
少なくとも、母親だけが子育ての責任を負わなくていいということが当たり前になれば、
大勢の子どもたちが幸せになる」


著者は、母親の半生を検証する中で、
彼女が精神を病んでいたのではないかという可能性を示唆しています。
そして、「殺意はなかった」という彼女の発言に理解を示している。

ぼくもこの本を読み終えた今は「そうかもしれない」と思っています。
彼女のような育ち方をしていれば、自分だって同じようなことをしてしまったかもしれません。

虐待はその子どものそれからの人生に暗い影を落とし、
やがて暴力は次の世代へと連鎖して行きます。

彼女は虐待を生き抜いた生き残りの子どもだったけれど、
やがて力尽き、自らの子どもたちを死なせてしまいました。


亡くなった子どもたちは最期まで母親を信じていたとてもいい子でした。
一方、母親はこれからは死んだ子どもたちを背負って生きていかなければならない。

本当にやりきれない話です。


この事件のことを考えていて、ぼくはふと、
柳田國男の『山の人生』に出てくる話を思い出していました。

大正時代に書かれたこのエッセイの冒頭に、
柳田は「山に埋もれたる人生ある事」と題してこんな親子の話を載せています。


昔、西美濃の山の中で炭焼きをしている男がいました。
女房に先立たれた男には子どもがふたり、男の子と女の子がいました。
けれども彼らの暮らしは楽ではありませんでした。


「何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。
最後の日にも空手で戻って来て、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、
すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
眼が覚めてみると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。
二人の子供がその日当りの処にしゃがんで、しきりに何かしているので、
傍へ行ってみたら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いていた。
阿爺(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。
そして入り口の材木を枕にして、二人ながらに仰向けに寝たそうである。
それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。
それで自分は死ぬことができなくて、やがて牢に入れられた。
この親爺がもう六十近くになってから、特赦を受けて世の中に出て来たのである。
そうしてそれからどうなったか、すぐにまたわからなくなってしまった」


2013年3月25日、最高裁は彼女の上告を退ける決定を下し、
懲役30年の判決が確定しました。

厚生労働省によると、昨年度に全国の児童相談所が対応した
虐待の相談件数は6万6807件。

児童虐待はいまやぼくたちの日常にありふれた犯罪でもあるのです。

投稿者 yomehon : 2013年12月29日 01:04