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2012年10月21日

科学と捏造


山中教授のノーベル賞受賞で日本中が沸くさなか、
iPS細胞を使った世界で初めての臨床応用手術をしたと主張する人物が現れ、
ご存知のとおりその主張がウソだったことがわかって大騒ぎになりました。

一連の騒動をみていて思い出したのは、
かつて科学界に衝撃を与えた「史上空前の捏造事件」のことです。


事件が起きたのは、2000年のこと。
この年の7月、アルプス山中の温泉リゾート、
オーストリアのバートガーシュタインに、
世界中から千人を超える一流の科学者たちが集結しました。

国際合成金属科学会議という、化学合成や金属などの専門家たちが参加する
会議が開かれるためで、日本からはたとえばこの年にノーベル化学賞を
受賞することになる白川英樹さんなども参加していました。

この会議で、世界を驚かせる大発見が報告されたのです。

報告者は、アメリカを代表する名門研究機関・ベル研究所の
固体物理学研究部門を率いるバートラム・バトログ。
超伝導研究の大家として知られる大物中の大物で、
ノーベル賞に近いと言われたこともある物理学者です。

バトログの発表に会場は静まり返り、
終わるやいなや万雷の拍手に包まれました。
そして衝撃さめやらぬ中、世界中の研究者たちが一斉に追試に乗り出したのです。


バトログはなにを発表したのでしょうか。

彼のセンセーショナルな発表のもとになったのは、
部下であるヤン・ヘンドリック・シェーンの研究でした。

この科学界に彗星のごとく現れた29歳の若者は、
世界をあっと言わせる論文を超一流の科学ジャーナル誌
『サイエンス』や『ネイチャー』に次々に発表。
その後は若きカリスマとして君臨します。

シェーンの研究はなぜ世界に衝撃を与えたか。
それは超伝導に関わる大発見だったからです。

超伝導(工学系の分野では「超電動」とも表記します)は、
わたしたちの生活に革命的な変化を起こす可能性のある物理現象です。

超伝導というのは、マイナス200度という超低温の世界で、
物質によって電気抵抗が「ゼロ」になってしまう現象のこと。

これのなにがスゴいかというと、
超伝導の状態は電気抵抗がまったくないので、
ひとたび電気を流せば、そのエネルギーは永遠に衰えないことになるのです。

原発事故をきっかけに知った人も多いと思いますが、
発電所からわたしたちのもとに送られてくる電気は、
送電距離が長ければ長くなるほど、
電線そのものが持っている電気抵抗によってエネルギーをロスしています。

ですからもし超伝導の送電ネットワークが実現すれば、
現在、議論となっているエネルギー問題にも解決の糸口がみえてくるわけです。


ところがここでネックとなるのが、「温度」の問題です。
超伝導は超低温の世界でしか実現しないため、膨大なコストがかかります。
実用化するためには、なるべく室温に近い温度で超伝導を起こせる物質を
見つけ出さなくてはなりません。
そこで世界の研究者たちは新たな物質を発見するための競争を繰り広げてきました。

シェーンの発表は、ひと言で言えば、
「これまでよりも高い温度で超伝導を起こせる方法を発見した」というものでした。
シェーンが矢継ぎ早に発表する論文では、次々にこの温度記録が更新され、
やがて室温での超伝導が実現するのではないかと世界の研究者たちは興奮しました。
数年前まで誰も知らなかったシェーンの名前は、
いずれ確実にノーベル賞をとるだろうと誰もが思うようなビッグネームになったのです。


ところがやがてこの研究は真っ赤なウソだったことが明らかになりました。

その不正が暴かれる経緯をスリリングに描いたのが
『論文捏造』村松秀(中公新書ラクレ)です。

この本を読むと、
科学者たちがシェーンの不正を見抜けなかった背景には、
いくつもの要因があったことがわかります。

不正の証明に時間がかかる物理学という分野が持つ特性、
一流と目されながら実は審査の甘かった科学ジャーナル誌、
告発制度の不在……などなど。

でもいちばん大きな要因は、
社会心理学でいう「確証バイアス」に陥っていたことではないかと思うのです。

「確証バイアス」というのは、
ひとたび相手のことを信じ込んでしまうと、
たとえ疑わしい事実や証拠があっても、
わざわざ相手が正しいという理屈を自分の中でこしらえて、
相手を信じた自分を正当化する現象のこと。

カルト宗教の信者に
いくら教祖がインチキかを説いても、
なかなか納得してもらえないばかりか、
かえって帰依を深めてしまうような状況がまさにこれにあたります。

シェーンの捏造事件の場合は、
科学者は決してウソをつかないという性善説をみんなが信じ込んでいたために、
目の前の明らかな不正を(そう、シェーンのデータに違和感を覚えていた人は
実は何人もいたのです)見抜くことができなかったのです。


この本で紹介されているデータによれば、
アメリカで7千名近いバイオ分野の研究者に
何らかの科学的な不正行為を犯したことがあるか聞いたところ、
驚くことに3人に1人が何らかの不正を認めたという調査結果もあるそうです。

本書におさめられたシェーンの写真をみると、
とても魅力的な青年であったことがわかります。
整った顔立ちで瞳に知的好奇心をたたえたその表情からは、
とても不正を犯すような人間だとは思えません。

でもそのような先入観こそ、
ぼくらが真っ先に疑ってかからなければならないものなのでしょう。

人間はウソをつく。
それはぼくたちが神でない以上、逃れられない事実です。

大切なことは、ウソや不正を防ぐためにはどうするかということ。
この本の中にはそのヒントがいくつも紹介されています。

山中教授のおかげで日本の科学力に世界の注目が集まっている
今だからからこそ読んでいただきたい一冊です。

投稿者 yomehon : 2012年10月21日 17:49