« 大阪人の格言 | メイン | 奇跡を起こした公務員 »

2012年05月09日

ヴィヴァルディと女たち


先日、2012年本屋大賞の投票結果をみていて、
第3位にランクインした『ピエタ』大島真寿美(ポプラ社)を、
うっかりご紹介していなかったことに気づきました。

はて、どうして取り上げていなかったのでしょう?

本には2種類あって、
読み終えた途端、誰彼なく大声で面白さを触れまわりたくなる本と、
本を閉じた後もしばらく読後の余韻に身を浸していたくなる本とがあります。

『ピエタ』は間違いなく後者で、
読み終えた後も、遠く18世紀のヴェネツィアに思いを馳せながら、
この繊細なガラス細工のような作品の余韻を味わっているうちに、
どうやらご紹介するタイミングを逸してしまったようです。


クラシックにそれほど興味がない人でも
ヴィヴァルディの『四季』は聴いたことがあるのではないでしょうか。

アントニオ・ヴィヴァルディは、18世紀のヴェネチアで活躍した作曲家です。
彼は作曲家であると同時に司祭でもあり、
ピエタ慈善院で、孤児たちにヴァイオリンを教えていました。

『ピエタ』は、そういった史実をベースにした小説ですが、
ただ、物語はヴィヴァルディが亡くなったという訃報から始まります。

主人公はかつてピエタに捨て子として拾われ、いまは中年となったエミーリア。

演奏家としての未来に見切りをつけ、いまは事務方としてピエタを支えるエミーリアは、
ある日、ピエタの後援者のひとりである貴族の娘、ヴェロニカのもとを訪れます。

少女時代、教養の一環としてピエタに楽器を習いに来ていて、
ヴィヴァルディにも教えてもらっていたことがあるというヴェロニカは、
恩師の訃報を聞いて、エミーリアにある依頼をします。

それは一枚の楽譜を探してほしいというお願いでした。

ヴィヴァルディが自分のために書いてくれた譜面があり、
その裏に若かりし頃の自分が詩を書き連ねてしまったのだ、それを探してほしい、と。

エミーリアの探索が始まります……といっても、
ここから一枚の楽譜をきっかけに、18世紀のヴェネツィアを舞台にした、
めくるめくミステリーの扉が開くのではないかと期待すると肩すかしを喰らうでしょう。

エミーリアは確かに楽譜を探し始めます。
でも、その歩みはとてもゆっくりとしたもので、
かすかな手掛かりを辿りながら、彼女はいろんな女性たちと出会って行くのです。

年老いたヴィヴァルディの妹たち、
いまをときめく歌い手とマネージャー役の姉、
コルティジャーナと呼ばれる高級娼婦——。

楽譜を探す過程で出会った、それぞれの女性たちの人生が丁寧に描かれてゆく。
この陰影にとんだ彼女たちの人生こそが、むしろこの小説のいちばんの読みどころ。

ヴィヴァルディの死がなかったら出会わなかったはずの女性たちが、
今は亡き愛しい男の思い出話に花を咲かせ、それぞれの歩んで来た道を振り返る。

実に、実に、味わい深い小説です。

そして、女性たちの人生を辿り終えた後、
行方のわからなかった楽譜は、
思いも寄らないかたちでぼくらの前に姿を現すのです。

そこに書かれていた言葉、そしてヴィヴァルディの想い——。

小説の登場人物と一緒にゴンドラに揺られながら、
楽譜に秘められた真実を知った時、あなたはきっと涙を抑えられないはず!


この物語の中では特に劇的な出来事が起きるわけではありません。
にもかかわらず、読者の心を深いところで優しく揺さぶるような力を持っている。
おそらくそれは、ひとりひとりの女性たちの人生を丁寧に描いているからでしょう。

それぞれにいろんな事情があって、各人各様に年を重ねて来た女性たち。
人生における喜びも悲しみも知る彼女たちのおしゃべりが、
まるで美しい音楽のようにこの小説の中には満ちているのです。

かつて少女小説というジャンルがありましたが、
もしかしたらこの小説は、
人生も半ばを過ぎた元・少女たちのための小説なのかもしれません。

男性よりは女性たちに、
そして若者よりは年齢を重ねた大人の女性にこそ、
手に取っていただきたい小説です。

投稿者 yomehon : 2012年05月09日 23:20