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2012年03月05日

『われ敗れたり』


「歴史的な名勝負」というと皆さんは何を思い浮かべますか?
戦国時代の有名な合戦であったり、プロ野球の名場面であったり、
いろいろな名勝負がありますが、
なかでも剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘は、
世にもっとも知られた名勝負のひとつといえるでしょう。

その巌流島の名勝負からちょうど400年目の今年、
これまた歴史に名を残すであろう名勝負が行われたことをご存知でしょうか。

2012年1月14日(土)。
この日、東京・千駄ヶ谷にある将棋会館で、
日本将棋連盟会長でもある米長邦雄永世棋聖と、
コンピュータ将棋ソフト「ボンクラーズ」との一戦が行われたのです。

かたや名人を含むタイトル獲得通算19期を数える将棋界の重鎮。
かたや膨大な棋譜データを記憶し1秒に1800万手を読むという最強の将棋ソフト。

人間が勝つのか、はたまたコンピュータが勝つのか——。

「第1回将棋電王戦」と題されたこの一戦は、
「ニコニコ生放送」によって中継され、
100万人以上もの人々が固唾をのんで勝負の行く末を見守りました。


『われ敗れたり コンピュータ棋戦のすべてを語る』(中央公論新社)は、
「たった一手の見落としによって」惜しくもコンピュータに敗れた米長邦雄氏が、
激闘の裏側で何が起きていたかをみずから語った一冊。

勝負が行われたのがついこのあいだということもあって、
「まだ興奮冷めやらぬ」といった口調で語られた内容が
非常に生々しいドキュメントになっていて、読んでいると、
まるでこの世紀の一戦に立ち会っているかのような興奮をおぼえます。
まずはこの早いタイミングでの出版を実現した関係者の方々に心から敬意を表します。


さて、そもそもなぜプロ棋士とコンピュータが戦うことになったかというと、
これには長い歴史があります。
コンピュータに将棋を指させる試みが始まったのはいまから37年前のこと。
将棋界は技術面や金銭面からずっとこの取り組みをサポートしてきました。
最初はまるでお話にならないほど弱すぎた将棋ソフトも、近年は著しい進化を遂げ、
ついにアマチュアの全国大会に「激指(げきさし)なる将棋ソフトが出場し、
3連勝を飾ります。
たかがアマチュアと侮るなかれ。
アマチュアといっても昨今はプロにも匹敵するような実力者がひしめいています。
このアマチュア界でトップクラスの実力を誇るということが証明されたのですから、
プロもその存在を無視できなくなります。

そして2007年、渡辺明竜王と
「世界コンピュータ将棋選手権」の優勝ソフト「ボナンザ」との一戦が行われました。
この時は渡辺竜王が辛くも勝利。

しかし、2010年には、清水市代女流王将と
208台のスーパーコンピュタをつなぎあわせた「あから2010」が戦い、
清水さんが負けてしまいます。


非常に面白いのは、この時の「あから2010」のシステムの特徴が、
4つに分けられた頭脳が、合議制で試合を進めて行くというものだったこと。

1つだけだとどうしてもミスが出ますが、
4台がそれぞれ次の一手を読み、
つねに多数決で最善の一手を選んで行くというわけです。
いわば「三人寄れば文殊の知恵」方式なわけですが、米長さんによると、
このシステムはプロ棋士にはまったくあてはめることが出来ないそうです。

羽生善治氏と谷川浩司氏と渡辺明氏がチームを組めばいかにも強そうですが、
実際に指すと、それぞれひとりで指したほうが絶対に強いという結果になる、と米長さんは断言します。
生身のプロ棋士には、攻めの棋風の人も守りの棋風の人もいるわけで、
三人寄っても文殊の知恵になるどころか、「船頭多くして船山に登る」という結果に
なってしまうのがオチだろうというのです。

この話は将棋の魅力を考えるうえで、大きなヒントになるエピソードです。

われわれはなぜ将棋に魅力を感じるのか。
おそらくそれは、己の頭脳ひとつを頼りに難局に立ち向かい、
脳みそに汗をかきながら、驚くべき集中力で局面を打開するプロ棋士の姿に、
ぼくらが心を鷲掴みにされてしまうからではないでしょうか。

つまりぼくらは、棋士という人間に魅了されてしまうのです。
将棋の強さだけではなく、破天荒な生き方だったり、
天才児ぶりを示すエピソードだったりをも含めた、
棋士の人間性そのものに惹かれるのだと思うのです。

それでいえば、米長邦雄という棋士は、
現代の将棋界でももっとも魅力的な人物と言えるでしょう。

駒を持てば鬼神のごとき強さをみせながら、
酒が好きで女性にもてて座談の名手でもある。
愛棋家ならずとも米長ファンは多いはずです。

本書でも随所に米長さんの人間くさい部分が出ていて面白い。

たとえば、コンピュータとの最初の対戦相手として、
「1秒間に1億と3手読む男」こと佐藤康光棋聖(当時)に声をかけたものの、
「遊びのつもりで」とつい口をすべらせてしまい、
血相を変えた佐藤氏に「米長先生、そこに正座してください」と説教されてしまう。
正座させられ説教にうなだれる将棋連盟会長という構図がなんともおかしい。

また、奥さんに勇気づけてほしくて「私は勝てるだろうか」と聞いたところ、
あっさり「勝てません」と断言され、理由を尋ねると、
「あなたにはいま、若い愛人がいないはずです。それでは勝負に勝てません」
と喝破されてしまう。
これを「コンピュータに勝利する以上に難しい問題」と悩んでみせるユーモア。
(実はこの奥さんの言葉には深い意味があることが勝負を終えてからわかるのですが)

ともかく、そんな愛すべき米長さんが、
68歳にして最強の将棋ソフトと戦うことになったわけですが、
決戦の日を迎えるまでに米長さんがどのような準備をしたかについては、ぜひ本書をお読みください。
冷静に自分の実力をはかり、入念に準備をする様子は、現役を退いたとはいえ、やはり勝負師です。
勝負師がどんなことを考え、どういう事態を想定して、
どこまで準備をするかということが率直に書かれていて読ませます。

そして、そうした決戦までの日々の中で、
米長さんはついにコンピュータの弱点を発見し、
その成果は、後手番の米長さんが一手目に指した「6二玉」の一手に現れます。

ところがこの一手は、多くのメディアで「悪手」「奇をてらった一手」と評されました。

本書が書かれた動機のひとつは、
「この一手には理由があった」ということを説明したいということにもあったようですが、
本書を通読すると、米長さんの言いたいことがとてもよくわかります。
彼は勝負師としてぬかかりなく準備をする中で、
この一手が最善のものであるという結論を出していました。
つまり「6二玉」は必然性のある一手だったのです。

その意図を汲むことなく、
不勉強なマスコミが訳知り顔で「悪手」などと評した。
これでは米長さんが怒るのも当然でしょう。

ところが意外なことに、ニコニコ生放送上ではこの一手は支持されていました。
本書にはこの新旧メディアに対する米長さんの率直な評価も書かれています。
(原発事故以来、新旧メディアに対する評価と不信の議論がありますが、
実は本書もそういう部分と底を通じているところがあるのです)

一流のプロ棋士と最強のコンピュータとの戦いの詳細については、ぜひ本を手に取ってご覧ください。
米長さんみずからによる「自戦解説」や、羽生善治氏や谷川浩司氏らプロ棋士、
それにソフト開発者らによる観戦記もついているので、この歴史的一戦を贅沢に振り返ることができます。

それにしても、本書を読んでつくづく思ったのは、
一手にかけるプロ棋士の思入れの強さです。
その一手を生み出すために、棋士がどれだけ人知れず汗をかき、もがき苦しんでいるか。
文字通り人生を賭けているといっても決して言い過ぎではないということがよくわかりました。

米長さんは本書で、
吉川英治の『宮本武蔵』の中から次のような一節をひいています。


「波騒(なみざい)は世の常である。
波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。
けれど、誰か知ろう、
百尺下の水の心を。水のふかさを」


米長さんが「将棋界への遺言書」になるかもしれないと言うこの本を読み終えたとき、
あなたはきっと水のふかさに思いを馳せていることでしょう。

投稿者 yomehon : 2012年03月05日 16:57