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2012年01月23日

魂を揺さぶる!直木賞受賞作『蜩ノ記』


ごくまれにではありますが、読み終えた後も、目を閉じたままずっと
物語の余韻に身を浸していたいと思えるような小説と出合うことがあります。

第146回直木賞を受賞した葉室麟さんの『蜩ノ記』(祥伝社)は、
まさにそのような小説でした。

この長い物語を読み終えたいまも、ぼくの耳には、
風に揺れる竹林のざわめきとともにカナカナと鳴くひぐらしの声が聞こえています。

それにしてもなんと清浄たる物語でしょう。
そしてなんと哀しくせつない物語であることか。

葉室麟さんはもともと、凛乎たる人物を主人公にすえた
読む者の居住まいを正すような物語を書く作家でしたが、
この『蜩ノ記』ではその人物造形に奥行きや深みが加わり、
物語全体がこれまでよりひとまわりもふたまわりも大きくなった感があります。

人が粛然と運命と向き合う様。
友の交わりとは何か。
人を信じるとはいかなることか。
愛する家族のために父親は何を残せるのか。

そういった大切なことがこの小説にはすべて描かれています。


物語の舞台となるのは、豊後羽根(うね)藩という架空の藩です。
ここに切腹を命じられ幽閉されている戸田秋谷という武士がいます。
秋谷はかつて側室と関係をもったのではないかという疑いをかけられ、
10年後の切腹を命じられるとともに、
藩の歴史を編纂するという役目を負わされ幽閉されました。

切腹まで3年となったある日、
城下を離れ、山間の村で家族とひっそりと暮らす秋谷のもとを、
檀野庄三郎という若い武士が訪ねてきます。

城中で刃傷沙汰を起こし、
城にいられなくなった庄三郎は、命を助けるかわりに
秋谷が逃亡せぬよう監視せよ、との密命を帯びて秋谷のもとを訪れたのでした。

ところがともに暮らせば暮らすほど、
秋谷が疑いをかけられるような人物ではないということがわかってきます。

秋谷の過去を調べ始める庄三郎。
やがて藩の隠された秘密が徐々に姿を現しはじめるのでした……。


秋谷と側室との間であの夜なにがあったのか。
藩の奥深くでなにが起きているのか。
それら謎解きの興趣も物語を牽引する大きな要素であるといっていいでしょう。

でもぼくはこの小説のいちばんの魅力は、作品全体のトーンにあると思うのです。
まるで行く夏を惜しむひぐらしの声のように、
あらかじめ定められた人生のリミットが、
いかにこの物語全体に哀切なトーンをもたらしているか。
読んでいてここまでせつなさを感じる物語をぼくは他に知りません。

特に物語の終盤、秋谷の子息の郁太郎にからんで
物語が大きく動くところがあるのですが、
このあたりからは涙なしでは読めなくなるはずです。

家族との向き合いかた、村人たちとの交わり、
それに庄三郎にそそがれるまなざしでさえも、
死を覚悟した人間のそれは、一瞬一瞬の輝きを帯びる。

やがて死ぬと悟っている人間は、進むべき道を間違えません。
高潔で清廉な秋谷の生き方は、死を覚悟しているがゆえなのです。


どこで読んだのか忘れましたが、
誰かが「時代小説はファンタジー小説である」
というようなことを書いているのを目にしたことがあります。

確かに、死を前にして従容とそれを受け入れる秋谷のような人物を目にすると、
「いくらなんでも現実にはそんな人間はいないだろう」
とどこかで思ってしまう人もいるかもしれません。

でもぼくはこう思うのです。
戸田秋谷のような人物はかつてこの国に本当にいたのではないかと。

あまり顧みられることはありませんが、
この国では武士の時代が実に700年も続きました。
(その武士の世を切り開いたのが大河ドラマで話題の平清盛です)

ぼくたちが秋谷のような誠の武士の生き方に魂を揺さぶられるのは、
700年をかけて培われてきた武士のエートス(倫理的な生き方)が、
日本社会のDNAに刻み込まれているからではないでしょうか。

ぼくたちはやがて死ぬ。
そういう宿命を負わされているのはとても哀しいことです。
けれど限りある生だからこそ、それは時として美しい輝きを放つ。

そういう一回限りの生の美しさを好んで描いたのが藤沢周平さんでしたが、
葉室麟さんは今回の直木賞で名実ともに藤沢さんの後継者となりましたね。

ともあれ『蜩ノ記』は、
限りある人生をおくるすべての人におすすめしたい小説です。

投稿者 yomehon : 2012年01月23日 02:00