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2012年01月16日

まっすぐな青春小説 『くちびるに歌を』が素晴らしい!


ときどきふと思うことがあります。
中学生の頃のように世界をみることができたらどんなに素晴らしいだろうかと。

目の前に可能性に満ちあふれた未来が広がっていて、
見ること聞くことすべてが初めて体験することばかりで、
素直に誰かを好きになったり、曲がったことには心底怒ったりして、
時には内側から湧いてくる得体の知れない力をもて余して
誰かと取っ組み合ったりしていたあの頃にもし戻ることができたなら。

毎日がいまよりもずっとずっと驚きと興奮に満ちたものになるに違いありません。

誰もが身に覚えのあることだと思いますが、
大人になるということは鈍感になっていくことです。

誰かを好きになる気持ち、
あるいは何かに怒る気持ちでもいいけれど、
そういったものは年を重ねるごとに薄れていきます。
体験することはほとんどが既知のこととなり、初体験の感動はどこへやら。
全力で世界と向き合っていたようなあの感覚は、もはや忘れ去られてしまっています。

でも、残念なことに時間はもとへは戻せません。

ならばこの本を読んで、
そんな中学生の頃の気持ちを思い出してはみてはいかがでしょう。

中田永一さんの『くちびるに歌を』(小学館)は、
五島列島の中学校の合唱部を舞台にした青春小説。

五島列島は長崎県の西、約100キロに位置する福江島を中心に、
久賀島、奈留島、若松島、中通島の5つの島からなる一大列島です。

有吉佐和子さんの名著『日本の島々、昔と今』(岩波文庫)によれば、
周辺に多数の群島を抱えるこの五島列島は、古くから海の交通の要衝だったようで、
なかでももっとも面積の広い福江島は、遣隋使や遣唐使の航路に位置しており、
万葉歌人の山上憶良や空海、最澄らも立ち寄ったとされています。

福江島は古くは「深江」と呼ばれていたそうです。
水深が深く、複雑に入り組んだ海岸線を持つこの島は、
きっと古代の人々にとっても、荒れ狂う外海から船を避難させたり、
あるいは入り江で風待ちをするのにうってつけの島だったに違いありません。

『くちびるに歌を』は、
そんな風光明媚な南の島を舞台に、
NHK全国学校音楽コンクール(通称Nコン)にのぞむ
合唱部の子どもたちのキラキラした日々を繊細に描いた小説です。

誰しもおぼえがあるように、
中学生というのは大人と子どもの境界に立つ不安定な存在。
この小説の登場人物たちも、それぞれが個人的な問題を抱えていて、
自分を取り巻く世界とどう関係を結んでいけばいいのか悩んでいます。

本当の自分を隠して周囲に気に入られるように振る舞う者。
またあるいは障害のある兄の面倒をみるために将来を諦めてしまっている者……。

大人になったぼくらからみれば、他愛のない悩みもあれば、
あまりに早計に答えを出し過ぎていると感じられるものもあります。

でもこの不器用な感じはとても懐かしい。
登場人物たちのエピソードを読んでいると
きっとあなたも15歳の頃に戻ったかのような錯覚をおぼえるはずです。

それともうひとつ。
舞台が合唱部であることも、
この小説を魅力的なものとする大きな要因となっています。
このことにも触れておかないわけにはいきません。

物語の中で、先生がひとりの生徒に合唱の魅力について語る場面があります。


「合唱って、今までしらなかったけど、面白いよな」
柏木先生が、思い出したように言った。
「一人だけが抜きん出ていても、意味がないんだ。そいつの声ばかり聞こえてしまう。
それが耳障りなんだ。だから、みんなで足並みをそろえて前進しなくちゃいけない。
みんなでいっしょになって声を光らせなくちゃならない。なによりも、他の人とピッチを
合わせることが武器になるんだ。だから、誰も見捨てずに、向上していかなくちゃならない」


この箇所を読んだ時に、ぼくはハッとさせられました。
震災後を生きるいまの日本人に必要なことが述べられているような気がしたからです。
ひとりひとりが声をあわせて美しい歌を完成させること。
まさにいまの日本に必要なことです。
牽強付会な解釈だという人もいるかもしれませんが、
ぼくは合唱の要諦について語っているこの部分に、
作者がいまの日本に対するメッセージを忍ばせたように思えてなりません。

震災からの連想で言うのならば、
この作品の中にあふれる五島列島の方言の魅力も触れておきたいところです。
今回の震災でぼくらはふるさとが傷つけられるのを目の当たりにしましたが、
ぬくもりをもった方言のやりとりは、
読む者それぞれにふるさとの光景を思い起こさせることでしょう。

最後にこの小説のクライマックスについても一言。
凡庸な小説であれば、Nコンの舞台をクライマックスに持ってくるところですが、
この小説には、Nコンの本番が終わった後、
それも意外な場面で感動的なクライマックスが用意されています。

最後の最後に素晴らしい歌が歌われるこのシーンを読んだとき、
ぼくは涙をおさえることができませんでした。

もし現実でもこんな素晴らしい歌が歌えるのならば、
日本はまだ大丈夫かもしれない——。

『くちびるに歌を』はそんな希望も与えてくれる小説なのです。

投稿者 yomehon : 2012年01月16日 23:48