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2011年10月23日

あの現代最高のサスペンス作家が「007」を書いた!


街を歩いていたらいきなり1万円札が空から降ってきた。

合コンにいったら直球ど真ん中のタイプの女性がいた。

明日から総理大臣になってこの国を好きなように変えていいといわれた。

NASAから宇宙飛行士に指名された。

ヨメから「長い旅に出ます。探さないでください」といわれた。


最近遭遇した喜ばしい出来事に勝るようなシチュエーションが
はたしてあるだろうかと考えてみたけれど、うーむ、どれもちと弱い。
(最後のヨメの言葉はほんとうにいわれたらウエルカムですが)
それくらい今回のサプライズには欣喜雀躍いたしました。

なにをそんなに喜んでるんだって?

世界最高のサスペンス作家ジェフリー・ディーヴァーが、
あの007ことジェームズ・ボンドを主人公にした小説を書いたからです!


『007 白紙委任状』池田真紀子・訳(文藝春秋)は、
ディーヴァーの手によって現代に甦った007の活躍を存分に堪能できる快作。
もちろん「どんでん返し」の達人ディーヴァーゆえ、プロットも巧妙。
ラストには二重、三重のひねりが加えられ、
読者の推理を鮮やかに裏切る展開が待っています。


映画ではすっかりお馴染みの007ですが、
みなさんは原作をお読みになったことはありますか?

007はイアン・フレミングによって1953年に生み出されました。
ただあなたがもしデビュー作の『カジノ・ロワイヤル』井上一夫 訳(創元推理文庫)
手に取ったとしたなら、派手な展開とは無縁の筋立てに拍子抜けするかもしれません。
007がアクションシーンもふんだんに盛り込んだ物語になるのは1960年代のこと。
原作が次々と映画化されるようになってからです。

より正確にいえば、『カジノ・ロワイヤル』は、
007が辛い経験を経て本当のスパイとして自立するまでの物語で、
スーパーマンではない等身大のジェームズ・ボンドが描かれています。
(現在の6代目ボンド俳優ダニエル・クレイグが演じた『カジノ・ロワイヤル』は
わりと原作のテイストに忠実につくられています)

ともあれ、このデビュー作において、作者のイアン・フレミングは、
後のボンド像を決定づけるような要素をふたつ盛り込みました。

ひとつは女性好きであるということ。
(これは映画でもお馴染み)

そしてもうひとつは、たいへんなグルメであるということです。
(こちらのほうはそれほど映画では強調されていません)


さて、それではディーヴァーは
どんなジェームズ・ボンドを現代に甦らせてくれたのでしょう。

物語の発端は、イギリス政府が傍受した一通の電子メールでした。

「ノアのオフィスで打ち合わせ。二十日の金曜夜の計画を確認。
当日の死者数は数千に上る見込み。イギリスの国益にも打撃が予想される」

ノアとは誰か?
そして死者が数千にも上る計画とは?

誰がどのような攻撃を企んでいるのか至急調査せよ——。
緊急指令を受けたボンドはセルビアに飛びます。
そしてそこで目撃したおそるべき頭脳の持ち主〈アイリッシュマン〉を追って、
セルビアからロンドン、ドバイ、南アフリカへとボンドの追撃が始まるのでした……。


本書を一読してまずなによりも新鮮だったのは、
ボンドの武器がスマートフォンとアプリになっていたことです。
ボンドの武器といえば、腕時計が強力な磁石になったり、ペンが酸素ボンベになったり、
愛車アストンマーティンがレーザーやミサイルを発射したりといった、
Q課が開発するさまざまなガジェット(秘密兵器)が映画でもお馴染みですが、
本書に登場するボンドは、特殊スマートフォンに搭載されたさまざまなアプリを駆使して
(たとえばそれは遠く離れた相手の会話の内容がわかる読唇アプリだったりします)
敵と戦うのです。

このあたりには時代を感じますが、作者のディーヴァーが凄いのは、
こうしたスマートフォンの威力を読者にじゅうぶん印象づけておいてから、
ボンドが適地に乗り込んで行く際にこれをとりあげてしまうこと。
あれほど頼りになるスマートフォンをとりあげられて
いったいボンドはどうなっちゃうんだと読者は気を揉むことになる。
このへんの設定のうまさはさすがディーヴァーという感じです。


それからもうひとつ新鮮だったのは、
ジェームズ・ボンドのキャラクター設定でなによりも大切な「女性好き」という性格が、
時代の影響を微妙にこうむっていること。
美しい女性とあらばお約束のように軽口をたたくというのがボンドの持ち味でしたが、
本書のある主要登場人物からは徹底的にその物言いを正されます。

「ポリティカル・コレクトネス」(PC)という考え方があります。
その人の言葉の使い方に社会的な偏見や差別が含まれていないかどうか、
要は「政治的に公平で正しい言葉」を使っているかどうか、
ちゃんとみてきましょうということを提唱した概念で、
80年代のアメリカから始まり、いまでは欧米を中心に広く知られるようになりました。

ボンドがこのPC的観点からダメ出しを喰らうさまにも、
スマートフォンの登場に匹敵するくらい時代の変化を感じさせられます。

本書で唯一変わっていないのは、グルメなボンドだけかもしれません。
なにしろパーティでカクテルを頼むのに、

「クラウンロイヤルのダブル。ロックで頼む。そこにトリプルセックをハーフメジャーに
ビターズを二ダッシュ加える。最後にオレンジピールをツイストして添えてくれ」

なんて、みずから考案したオリジナルレシピでオーダーしてしまうわけですから。

ちなみにこのレシピ、20年来お付き合いいただいているあるバーテンダーに
頼んでつくってもらったところ、甘ったるくて飲めたもんじゃなかったです。
彼いわく「私なら甘みは6分の1程度に押さえますね」とのこと。
ボンドはグルメじゃなかったっけ……?


まぁディーヴァーの書いた007ともなると
いろんな話題で盛り上がれるわけですが、
本書には、本筋の謎解きのほかに、
ボンドの両親の死の謎を追うというサイドストーリーも仕込まれていて、
こちらがもしかしたら続編へとつながる伏線かも……という期待も抱かせます。

なにはともあれ、リンカーン・ライム・シリーズ
キャサリン・ライム・シリーズを生み出した
あの現代最高のサスペンス作家ディーヴァーの手になる新生007です。
まずは1ページ目を開くところから始めていただきたい。
そのまま本を置けなくなって完徹してしまうこと請け合います。

投稿者 yomehon : 2011年10月23日 08:25