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2010年01月05日

これぞ現代エンタテイメント小説の最高水準! 東野圭吾 『新参者』


あけましておめでとうございます。
あっという間にお正月休みも終わってしまいましたね。
なんだか年々この「あっという間」感が強まっているような気がします。

昔はお正月休みといえば、時間もたっぷりあってかなりの数の本が読めたものですが、
いまやさあ読むぞと取りかかっても、気がつけばコタツでうとうとしているような有様で、
ちょっと分厚い小説を一冊読み終えられるかどうかというところ。
年をとるにつれてどんどん読める本の数が少なくなってきているのが悲しいです。


そんなわけで、新年の「読み初め本」には
山田風太郎の『人間臨終図巻』(徳間文庫)を選び、
なんとなく老いとか晩年みたいなことに思いを馳せてしまいました。
この本は、古今東西の著名人の死に方を、享年(死んだ時の年齢)ごとに
十代から百代までずらりと並べてみせたもので、
時折思いついたように手にとってはページをめくるのですが、
今年の自分の年齢にちなんで特に「四十歳で死んだ人々」の項を熟読してしまいました。
(ちなみに四十歳で死んだ人は、石田三成、エドガー・アラン・ポー、
国定忠治、幸徳秋水、高橋和巳、ジョン・レノンらです)


厳しい風が吹いているのは出版界も同様ですけれど、
今年もヨメの目を盗んでガンガン本を大量購入し、
みなさんに少しでも面白い本をご紹介できればと思います。
本年もよろしくお願いいたします。


さて、新年最初にご紹介する一冊は、昨年話題になったにもかかわらず
ご紹介できずにいた東野圭吾さんの『新参者』(講談社)です。

東野圭吾さんといえば当代随一の流行作家ですが、
流行作家に必要な能力とは何でしょうか。

まず真っ先に挙げなくてはならないのは「量産がきく」ということです。
読者のもとへ次から次に新作を届けることのできる筆力は、流行作家に不可欠です。

でもこれだけではまだ十分とはいえません。
もうひとつ流行作家には必要なものがあります。
それは、「引き出しの多さ」です。

読者というものは、贔屓の作家の新作を手に取るたびに、期待と同時に
その期待がいい意味で裏切られることも心のどこかで望んでいるものです。
新作ごとにスタイルや作風をガラリと変える。あるいは新しいアイデアを打ち出す。
こうして読者の期待を心地よく裏切り飽きさせない能力が流行作家には必須です。

ただしそのためには物語の「引き出し」を数多く持っていなければなりません。
第一線で活躍する流行作家はみな例外なくいくつもの引き出しを持っています。
ハードボイルドから歴史大河ロマンまで手掛ける北方謙三さんしかり、
ミステリー、時代物、ファンタジーとジャンルを横断して活躍する宮部みゆきさんしかり。


近年、ミステリーのジャンルで驚異的な引き出しの多さを
ぼくらにみせてくれているのが東野圭吾さんです。
(たとえばドラマや映画でお馴染みとなった探偵ガリレオシリーズは、
トリックを科学的に解明する天才物理学者という新しい探偵像を生み出しました)


そしてこの『新参者』でも東野さんは新たな引き出しを開けてみせてくれました。
『新参者』はこれまでになかったまったく新しいタイプのミステリー小説なのです。


江戸情緒がいまも色濃く残る人形町。
物語は人形町の甘酒横町にある煎餅屋から始まります。

店を訪れた保険の外交員のアリバイを確認するために刑事たちがやってきます。
小伝馬町で一人暮らしの女性が殺される事件があったためです。
刑事の中には日本橋署に着任したばかりの加賀恭一郎がいました。

加賀は下町の人々の生活にまつわる小さな謎を解明しながら、
やがて殺人事件の謎にも迫っていくのでした・・・・・・。


『新参者』のどこが新しいのか。
それは捕物帳の世界を現代に甦らせたところにあります。

捕物帳は、大正6年(1917年)に発表された岡本綺堂の『半七捕物帳』
鼻祖とする江戸時代を舞台にした探偵物語で、時代小説と推理小説を
融合させたところにその新しさがありました。
謎解きの面白さと江戸庶民のいきいきとした生活の描写を両立させ、
後輩作家たちに多大な影響を与えた傑作です。
(捕物帳について詳しく知りたい方は、縄田一男さんの『捕物帳の系譜』をどうぞ)

『新参者』はこの『半七捕物帳』を嚆矢とする捕物帳のテイストを
現代の人形町を舞台に描こうとした試みだと思うのです。

『新参者』では殺人事件という大きな謎が核になってはいますが、
物語は独立した短編としても読める九つの章によって構成されています。
いずれも下町の人々の日常生活の中のささやかな謎を扱った内容となっており、
これがどれも下町の人情をベースにした非常にいい話なんです。
(「洋菓子屋の店員」と題した第五章なんて思わずホロリときてしまう)
これらの人情話のテイストは紛れもなく捕物帳を彷彿とさせるものです。
江戸情緒を今に伝える人形町を舞台に選んだのも素晴らしく効いている。


さらに。
半七にしろ、銭形平次にしろ、むっつり右門にしろ、
捕物帳にはまた魅力的な主人公も不可欠ですが、
『新参者』はこの点でもお見事。
たとえば作中に出てくるこんなセリフを見ただけで、
主人公・加賀恭一郎がどんな人物かがおわかりいただけるかと思います。


「加賀さん、事件の捜査をしていたんじゃなかったんですか」
「捜査もしていますよ、もちろん。でも、刑事の仕事はそれだけじゃない。
事件によって心が傷つけられた人がいるのなら、その人だって被害者だ。
そういう被害者を救う手だてを探しだすのも、刑事の役目です」


下町の人情話とミステリーの見事な融合。
日常のささやかな謎の絵解きが、やがて殺人事件の解明へとつながる巧緻なプロット。
連作短編集としても、ひとつの長編としても、一冊で二度楽しめるお得感。

なにからなにまで至れり尽くせりの『新参者』は、
まさに現代エンタテイメント小説の最高水準といっていい作品です。

投稿者 yomehon : 2010年01月05日 00:36