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2009年06月01日

ダチョウ力


どうやら今年はサイエンス本の当たり年のようです。

北半球で300億匹ものミツバチが消えた謎を追った
『ハチはなぜ大量死したのか』ローワン・ジェイコブセン著 中里京子訳(文藝春秋)、
脳科学界の俊英が母校の後輩たちへ脳科学の最前線をわかりやすく説いた
『単純な脳、複雑な「私」』池谷裕二(朝日出版社)、
DNAの発見に匹敵する大発見といわれる脳の「ミラーニューロン」の発見者
ジャコモ・リゾラッティ博士の『ミラーニューロン』柴田裕之訳(紀伊國屋書店)など、
ページをめくるたびにわくわくするような知的興奮をおぼえる本が目白押しです。

それらの本はいずれ機会をあらためてご紹介するとして、
今回は、すぐれたサイエンス本であるにもかかわらず、ちょっとヘンなタイトルのせいで
世間ではあまり評判にならずに埋もれてしまっている感のある一冊をご紹介しましょう。


その本の名は『ダチョウ力』塚本康治(朝日新聞出版)といいます。

「ダチョウ力」と書いて「ダチョウぢから」と読ませるヘンなタイトル。
(個人的には「ダチョウりょく」のほうがまだ語呂がいいと思うけどなぁ)
しかも本の帯には、「バカ力!アホ力!!ダチョウ力!!!」とか、
「『ダチョウ博士』の異常な愛情が人類を救う」とか書いてある。
これでは初手から「キワモノです」と宣言しているようなもので、
本屋さんで誰かに手に取ってもらうせっかくの機会を逸しているとしか思えません。

ところが侮るなかれ、この本の内容たるや実に面白いのです。
しかも読んでいるうちに、帯に書いてあるアホみたいなコピーすらも
あながち的外れではないと思えてくる。

そう、もしかしたらダチョウは、本当にぼくたち人類の救世主になるかもしれないのです!


ところでダチョウの卵はご覧になったことはありますか?

昔、ダチョウを飼育しているところに中継でお邪魔した番組スタッフが持ち帰った
ダチョウのゆで卵を食べる機会に恵まれたことがあります。

実物を前にまず驚かされたのは、赤ん坊の頭ほどもあろうかという大きさでした。
とにかくデカい。たぶん恐竜の卵だと言ったら信じる人がいるでしょう。
しかも殻がハンパじゃなく硬い。机の角にぶつけたくらいではビクともしません。
その時は悪戦苦闘の末、最後は金槌で殻を割ってようやく食べることができました。

ダチョウの卵の重さは約1・5キロだそうです。
ニワトリの卵の25倍の大きさというのですから、
いかにダチョウの卵が規格外のデカさかがわかります。
規格外なのは卵だけではありません。
体長は2・5メートルを超え、時速60キロという並はずれた脚力を誇ります。
この数字だけみれば、ダチョウは地球上でも最強の部類に入る生物のように思えます。

でも悲しいかな、恵まれた体格と抜群の運動神経を持つにもかかわらず、
ダチョウには決定的に欠けているものがあるのです。

それは、「脳ミソ」。

ダチョウの脳はとても小さく、しかもシワがありません。
まあわかりやすくいえば、身体能力は高いけどオツムがちょっと足りないわけです。
けれどもこのアンバランスさがダチョウにどこか憎めない魅力を与えているのも事実。
『ダチョウ力』にはそんな彼らの愛すべきマヌケぶりが余すところなく描かれています。

たとえば塚本ハカセが発見した「ダチョウのアホな行動法則」その1。
次のような場面を思い浮かべてください。

ダチョウの群れの中から一羽が走り出すと、他のダチョウも足並みを揃えて走り出す。
このとき先頭の一羽が羽を広げると、他も次々に羽を広げて走る――。

サバンナで生きる草食動物には、天敵から身を守るために集団で行動する動物もいます。
ダチョウの行動もそれと同じようなものなのでしょうか?
塚本ハカセはダチョウたちを注意深く観察するうちにそうではないことに気がつきます。

実はダチョウたちは何も考えていなかったのです!

一羽が気まぐれで動き出すと、それにつられてまわりも動き出す。
塚本ハカセがダチョウ牧場で目撃したのは、
動き出した一羽にぞろぞろと何も考えないでついていった群れが、
丘を登っていって行き止まりになると、どうしていいかわからなくなり、
最後尾でつかえたダチョウが仕方なく後ろ向きに歩き出すと、
今度はそのダチョウに従ってぞろぞろと坂を下りてくるという、
まるでコントのような光景でした。

塚本ハカセ曰わく、「それぞれのダチョウが勝手に動いて、勝手に群れが振り回されて、
右往左往している――そのパターンが延々と続いている」。
なんともトホホな光景ではありませんか。


ダチョウはアホなだけじゃなくて、とんでもなく鈍感だという話もあります。

ある日、塚本ハカセは、エサを食べていたダチョウのところに
カラスが舞い降りてきて、尻のあたりを攻撃するのを目撃します。
ところがダチョウは平然とエサを食べています。そのうちつつかれて出血したところを
カラスたちが集団でつつきはじめ、尻や腰の肉がクレーター状にえぐれました。
でも、血だまりができているにもかかわらず、それでもまだダチョウはエサを食べている。

ひどいケースになると目玉や小腸をカラスに食べられてしまったダチョウもいるそうです。
そこまでいけば当然ダチョウも瀕死の状態になってしまいますが、
事態がそこまで悪化してもなお平然としていられる鈍感さというのはある意味スゴイ。

そしてもっと驚くべきは、ダチョウは瀕死の状態で救い出されたとしても
「簡単には死なない」ということです。
ひどい傷を負っていても驚異的な快復力をみせるというのです。
これは何を意味するのでしょうか?


塚本ハカセは、このダチョウの驚異的な快復力に注目します。
ケガをしたダチョウの傷口を観察すると、細胞が他の動物よりもはるかに早く
傷口をふさごうと動いていました。このことからハカセは、ダチョウの免疫力が
きわめてすぐれたものであることを知るのです。

人間の免疫システムは、インフルエンザウィルスなどの外敵と戦うために
「抗体」という攻撃部隊を備えています。
鳥類にも同じように免疫システムがありますが、ダチョウの抗体は鶏の抗体に比べ、
感染を抑える力が4倍から8倍も高いというのです。

このダチョウ抗体に目をつけた塚本ハカセは、試行錯誤の末、
ダチョウの卵の黄身から抗体を取り出すことに成功します。
そしてこのダチョウ抗体を塗ったマスクの開発を思いつき
これも試行錯誤の末、実用化にこぎつけます。
(このあたりのドタバタはぜひ本でお楽しみ下さい

同じ抗体でも、ラットやウサギから生産される抗体は1グラムあたり数億円もするのが、
ダチョウの抗体の1グラムあたりの製造原価は10万円なのだそうです。
この安さが抗体マスクの大量生産を可能にしました。
実際、ダチョウの卵1個からはとれる抗体は4グラムで、
ここから8万枚のマスクがつくれます。1羽あたり卵を年間100個産んだとして、
そこから年間最大800万枚ものマスクをつくることができるのだそうです。

ダチョウパワーの活用はマスクだけにとどまりません。
塚本ハカセによれば、ダチョウの糞には緑化をうながす秘密が隠されていそうだし、
ダチョウからとれたオイルは皮膚のトラブルに効果がありそう。
そして例の抗体からは肺ガン治療薬開発の道も開けるかもしれないのだそうです。


それにしても塚本ハカセは、あふれんばかりの愛を日々ダチョウたちに注ぎながら、
その一方で、新型インフルエンザの流行をにらんで何年も前からダチョウ抗体の
地道な研究に取り組んでいるのですから立派です。
誰よりも対象にのめり込み、そこから新しい発見をして、社会へと還元していく。
これぞ科学者としてのあるべき姿ではないでしょうか。

最後に、この本でいうダチョウ力とは、「ふだんは失敗や挫折ばかりしていても、
自分の興味のあることを追いかけ続けて、ここぞというときに人々のために
すごい力を発揮する」ということのようです。

全編にポジティブなパワーが漲った
読めば前向きな気持ちになれるサイエンス本です。
科学に興味をお持ちのお子さんなどと一緒に読んでみてはいかがでしょう。

投稿者 yomehon : 2009年06月01日 00:00